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しおりを挟むみんなには用があるけれど、私にはまだ用がない。だから、なんだか気だるい感じがする夜のコンビニを、私はあてを探してぐるりとめぐる。そんな私とは対照的に、光さんは迷いなく、美空さんが持っているかごにチョコチップスナックを放り入れた。それから、塩も。
「――塩? なんで今、塩が要るの?」
「なんとなく」
「なんとなくぅ?」
「別にいいだろ? ほら、急げよ」
やり取りを見て、私も何か選ばなくちゃ、と焦る。けれど、何も思いつかない。
「お前……森川は欲しいものないのか?」
「え、えっと……」
「じゃあ、森川が欲しいの、コレな?」
光さんは気まずそうに笑いながら、霧の紅茶を二本取った。
「わ、わたし、二本も要らない」
「バカ。一本は俺の分」
買い物を済ませてお店を出るなり、光さんのお母さんがエナジードリンクのプルタブを起こして、喉を鳴らしながら飲んだ。その様は、刹那、酒をくらうあの男のように見えて、身が凍った。でも、どんどんと膨らむ違和感が、あの男の残像を蹴散らした。
こんなにかっこよく飲み物を飲む人、初めて見たかもしれない。
ぼーっと見惚れていると、突然、ぶつかると散り散りになる砂のような何かが体に当たった感触がした。
「光! 何やってんの!」
美空さんが怒った。
私にぶつかった何かを放ったのは、光さんらしい。何をぶつけられたのだろう、と思って、足元を見る。白い。光さんを見る。手には塩の袋がある。
「ちょっと! ごめんね、海ちゃん」
光さんのお母さんが、慌てた様子で私の服に残っている塩をはたいて落とした。
「光! いったい何のつもり⁉」
「だって、コイツ」
「だって、なによ!」
「なんか、つきそうじゃん」
「……はぁ?」
「このままいったら、連れて行かれそうじゃん」
「なんなの? あんた、霊感あるんだったっけ?」
「んなこと知らん。でも、こいつ……。本当は、ああいう場所とか、御嶽のあたりに行かない方がいいって、俺は思うから。気休め」
ウタキって、なんだろう。
私には分からない。でも、美空さんや光さんのお母さんには、それが何だか分かっているみたいだ。
当たり前か。みんなはこの島に、ずっといるんだから。
コンビニを出た後の車の中は、声を失っていた。ガサガサと袋が擦れる音と、もしゃもしゃと咀嚼してごくんと飲む音が、走行音に乗っているだけ。
言葉なく〝ん〟と差し出されたチョコチップスナックを一本取る。もらってしまったら食べるしかない気がして、ちぎりちぎり口に運ぶ。喉を下って胃に到達したチョコチップスナックのかけらが、眠っていた胃を起こした。突然、お腹が空いた気がする。
ちぎりとった小さなかけらでは満足できなくなって、かじりつく。ちらり、と光さんに見られた気がした。ちらり、と光さんを見てみる。一瞬目が合った。ホッとしたような顔を隠すように、光さんはぷい、と顔を窓に向けた。
彼はどうして、ついてきたんだろう。
彼はこの旅のことを、どこまで知っているんだろう。
「そろそろ、だね」
「そう、だね」
車の中に久しぶりに響いた声は、緊張を纏って震えていた。
「どうする? いきなり行く? それとも、前みたいに、車があるか先に確認しにいく?」
「いきなり、でいいかな。あと、下からがいい」
「オッケー」
「……なぁ、路駐すんの? それとも拉致るの?」
光さんがじっと窓の外を見ながら言った。
「どういうこと?」
「ああ、いや。この後のことがさっぱり分からなかったから。確認してみただけ」
また、車の中に沈黙が広がる。
「あたしが、一人で行こうかな」
「じゃあ、美空を下ろして、どこか止められるところで待機、かな」
「そうしてもらえると、うれしい」
「わかった」
みんなにはこの後のことが見えているらしいけれど、私にはさっぱり分からないままだ。
今、私のわずかな勇気でこれからのことを問いかけられるのは、光さんだと思った。それは、隣にいるからかもしれないし、同い年だからかもしれない。
恐る恐る、声をかけてみる。
「ね、ねぇ、光、さん」
「ちょ、やめろよ〝さん〟つけんの。光でいい」
照れ混じりの小声が返ってきた。
「ひ……」
私は勇気を使い果たしてしまったらしい。言われたとおりにしようと思っているけれど、どうしても口が動かない。
「ああ、もう。じゃあ、〝さん〟じゃなくて〝くん〟にしろ」
「わ、わかった。ひ、光、くん」
「なんだよ」
「光くんは、どこへ向かっているか知ってるの?」
「……逆に聞くけど、お前はどこまで知ってるんだ?」
ギギギ、と油が足りないロボットのように首を傾げると、光くんは助手席を見た。
視線に気づいているのか、いないのか、美空さんは何も言わない。
「これから行くのは、ニライカナイ橋」
「ニライ、カナイ?」
「そう。ニライカナイ」
「ニライカナイって、何?」
「理想郷、って言ったらいいのかな。魂はそこからやってきて、そこに去る……みたいなところ」
前の席から、指摘が入らない。こちらの声が聞こえていないのだろうか。それとも、訂正の必要のない、正しい話、ということだろうか。
「どうして、そこへ行くの? そこが、お母さんと何か関係があるの?」
「俺は知らん。一応話を聞いてはいるけど……その話を俺の口から言うのは、なんか違う気がする」
「どういうこと」
「俺は聞いただけだから。その時、その場にいたのは――」
光くんが、顎をしゃくった。
昔ね、まだ、姉ちゃんがこっちに住んでいた頃。
細かいことは割愛させてもらうけど、まぁいろいろとあったわけ。
で、なんかさ、弱っている時とか、不安でいっぱいになっちゃった時ってさ、そういうのをどうしたら解決できるか、みたいなことを調べたくなっちゃうみたいなんだよね。
あたしもそういうこと、全くないわけでもないからさ。そういうことをしちゃう気持ち、分からないでもないんだけどさ。
姉ちゃんは、極端だったんだ。
どうしたらいい? どうしたら……って調べて調べて考えてさ、その先に見つけたのは絶望だったんだよ。
それで、生きてる価値、無くない? みたいなところまで行っちゃったわけ。
それでさ、向こうの世界と繋がりたくなったのかな。
突然、次の世界へ行ってきます、みたいな置き手紙を残してさ、どこかに消えたの。
どこ行ったんだバカって泣きながら、姉ちゃんの部屋を漁ってさ。日記見つけて、あたりをつけた。
きっと、ニライカナイを目指してるって。
その時あたしはまだ免許を持ってなくてさ。だから、行き先がわかっても追いかけられなかった。
泣きながら、友だちに電話した。
あたし、ひとりぼっちになるのかもしれない。どうしよう――って。
そうしたらね、その友だちは言ったの。
「ママに車出させるから、すぐに追いかけよう」って。
あたし、気が動転してたんだろうね。なんでなのか今でもわからないんだけど、車が来るまでの間にお風呂に入ってさ――。
「髪びしょびしょだったよね」
光くんのお母さんが、ぷっと吹き出すように笑った。
「大丈夫だよ、海。海を、一人にしないからね。あたしが一人にならなかったように、あなたも一人にならないからね」
「美空、さん……」
「なんか入りにくい雰囲気だけどさ。気になっちゃったから聞いてもいい?」
光くんが、ひょいと小さく手を上げながら言った。
「なんだ? 少年」
「森川って、美空姉のこと、美空さんって呼んでんの? いつも」
ハッとした。
気が動転していたのかもしれない。呼んだことのない名前を、口に出してしまった。
「あ、えっと、そのぅ……」
「やっと呼んでくれた」
美空さんが声を弾ませた。
「嬉しい。でも、〝さん〟は余計だよ。美空か、美空姉ちゃんにして。みーちゃんとかでもいいけど」
「ネコかよ」
「ヒーくんネコ嫌い?」
「ヒーくんって言うな!」
「じゃあキラリン」
「はぁ?」
「きらきら光ってる感じがして良くない?」
「バーカ」
「わたしの親友に向かってバカとは何? バカとは。ここで降りる?」
「いえ、引き続きお世話になります。お母さま、美空お姉さま」
「わかったならよろしい」
私も、こんなふうに会話できる日が来るのだろうか。
踏み出したら、今とは違う世界へ行けるのだろうか。
闇とか死とか、そういう場所ではなくて――夢や希望が四葉のクローバーのようにひっそりと顔を出している、キラキラした場所に。
「み、みーちゃん」
勇気を振り絞って、言ってみた。
「なーに? 海」
「あ、ありがとう。お母さんのために、二度も一生懸命になってくれて」
「……あははっ! 二度どころじゃないよ?」
「そ、そうなの?」
「うん。でも――。こういう、笑ってないとのみ込まれそうなやつは、そうだね。二度目だね」
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