群青サルベージ

湖ノ上茶屋

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 光くんを見てみる。知らん顔をしている。
「あ……はい」
「はーい。じゃあみんなは先に奥まで進むー! 海ちゃんはこっちー」
 お姉さんに手首をふわ、と掴まれた。優しく引っ張られる。抗わずについて行く。たぶんお姉さんの部屋なのだろうかわいらしい部屋に連れ込まれる。
「あ、あの!」
「なに?」
「ところで、光くんのお姉さんは……」
「ああ、今日、生徒会の集まりがあってさ。あれこれしないといけないらしくて、帰りが遅くなるからって」
「はぁ」
「そんなわけで、任務を仰せつかったんだ。それで――はい、これ。中身が何だか、星奈は知らなくてさ。光と光のお母さんは知ってるらしいんだけど……。海ちゃんは、心当たりある?」
 差し出された、しっかりと口を閉じられた紙袋を見つめ、こくん、と頷く。
「それならよかった。いいリュック持ってるじゃん。忘れないように入れておきな」
「あ、ありがとうございます」
「それで――ぼちぼち覚えた?」
「――?」
「この街のこととか、クラスの人の名前とか」
「あ、ああ……少し、なら」
「そっか。まぁ、いきなりいろいろは無理だよね。ま、なんか困ったこととかあったら、今日一緒に来たみんなでもいいし、うちらでもいいし。頼ってくれて構わないからね~。それじゃ、任務完了ってことで。海ちゃんは、みんなのところへ行ってきな~」
 お姉さんは、しっしっと払うように手を振った。
 それに従わなければ邪魔になって、迷惑をかけるだろうことは私にもよく分かる。でも、どうしても今、聞いておきたいことがひとつある。
「あ、あの」
「どうした?」
「どうして、優しくしてくれるんですか?」
「ん?」
「どうして、そんなに気を遣ってくれるんですか?」
「え、そんなに気を遣ってるかな」
 こくこくと頷く。
「まぁ、なんだろう。ここってさ、いいところだと思うの。でもほら、あんまりレジャー施設みたいなものがたくさんあるわけではないしさ、何とか展、みたいなのがろくに来なくて、くそっ! ってなることが多いところは最悪なんだよね」
 それは、たぶん北もたいして変わらない。でも、私はそれをしたことがないけれど、あっちでは電車に乗ればどこかへいけた。こっちでは、どこかへ行こうとしたら飛行機か船に乗らなければならない。そう考えると、ここは何かに手や足をのばすことが段違いに難しい場所であるように思える。
「だから、いきなり来るには特殊すぎて大変そうだな、って思ったりするから、基本的にほっとかないかな。よっぽど嫌がられたり、ヤバそうな雰囲気だしてたり、相手の常識? みたいなものを押しつけられたりしたら勝手にしろって思うけど」
「そう、なんですね」
「あと、もうひとつ」
 お姉さんは人差し指をピンと伸ばすと、ふんわり笑った。
「もうひとつ?」
「海ちゃん、助けてって顔してるから」
「……え?」
「こんなこと言ったら失礼だろうけどさ、前見たときも思ったんだよね。まるで、溺れてるみたいに見えるなって。もがいているみたいだなって」
「そう、ですか?」
「うん。だから、どうにも放っておけないの」
「ご、ごめんなさい」
「謝ることじゃないでしょ。ああ、それで。ここ、うち。で、真下が光ん家」
「そ、そうなんですね……。そうなんですか⁉︎」
「あっはっは! そうなんだよ~。小さいころからずっと上下で暮らしてる。前はね、ムカついたときは床蹴ったりしてたんだ。最近はさすがにしないけどね。ほら、近所迷惑だし。そうそう。そんな距離だからさ、預かりものは今朝、星奈と光で持ってきたよ。そういえば、光はずっと星奈の背中に隠れててさ、『すまん、よろしく』ってぼそっと言ってたな」
 わざわざ「よろしく」と預ける必要はあったのだろうか。ただ渡せばいいだけだったんじゃないのだろうか。どうしてこんなに複雑なことになっているんだろう。
「アイツ、自分から渡すのが恥ずかしかったんじゃない? 星奈、めっちゃお姉ちゃんの顔して笑ってたし。あ、そうそう。アイツがさ、花菜にも頼みごとがあるって言ってさ、だから花菜を呼んだの。その時さ、花菜、準備の途中だったからさ、『朝は時間がないんだから!』て、めっちゃ怒ってた。それでさ、アイツ、その超不機嫌な花菜にさ、美咲ちゃんと凜々花ちゃんと遊ぶ約束してくれないかって土下座するのかお前⁉ って勢いで頼んでた。あれ、どういうわけだかさっぱり分からなかったんだけど。なるほど、海ちゃんを誘うのに、ふたりが必要だったってことなんだね。ようやく分かった。すっきりした!」
 誘うのに必要だった、というより、また一緒に遊ばせるため、と言ったほうがいいだろう。
「普段はかっこつけてるくせにさ、可愛いところあるでしょ?」
 お姉さんが、にっと笑った。
 その顔を見ながら、くしゃっと笑う。
 私はまだ、いろんなことを知らなくて、覚えきれてはいなくて、もがいている。
 だけど、ここを故郷だと胸を張って言えるのだろう人よりも、よく知っていることがある。
 それは――光くんはただかっこつけているわけじゃなくて、本当にかっこいい人だってことだ。

 誰かの家に行って遊ぶって、こんなに楽しいことだったんだ!
 私はようやくそのことを知って、衝撃を受けた。
 みんなお菓子を持ってきたりしていなかったけど、花菜ちゃんがお家のお菓子を出してくれたから、私もチョコレートを出した。べつにいいのに~、なんて言いながらも受け取ってくれてホッとしたし、その場で開けてみんなで食べたら、おいしいの大合唱で嬉しくなった。
 また、遊びに行きたい。
 もしも叶うなら、いつか遊びにも来てほしい。
 今はみーちゃんの家にお邪魔しているから、ちょっと呼びにくいけれど――いつか。
「あ、もうすぐ五時だ」
 花菜ちゃんがリモコンに手を伸ばしながら言った。
「ご、五時⁉」
 おしゃべりやゲームに夢中になって、時計を見るのを忘れていた!
「あ! そういえば、海は門限あったんだったっけ⁉︎」
「門限、なのかな。この前は、五時までに帰ってきてって言われて……」
「そういえば、そうだったな」
 関心なさげに言いながら、光くんがスマホをいじる。
「美空姉に言っといた。けど、気になるなら帰った方がいいかもな~」
「あり、がとう。それじゃあ、今日はもう帰ろうかな。お邪魔しました」
「ああ、うん。また来てね」
「うん」
 みんなはもう少しいるんだろうか。気になったけれど、聞くための勇気が足りなかった。疑問をごくんと飲み込んで、腰を上げる。すると、なぜだか光くんも立ち上がった。
「どうしたの?」
「送るよ。お前の家、知ってるし」
「いや、いいよ」
「文句あるなら次から門限遅くしてもらえ~。んじゃ、俺、コイツ送りがてら帰るわ。いろいろサンキュー」
「はーい! もう来るなよ~」
「天井に向かってボール投げてやる」
「近所迷惑~」
「美咲と凜々花もありがとな~」
「こちらこそ」
「海をよろしくね~」
 とっとこ歩く光くんについて行く。お姉さんの部屋の扉をコンコン叩いて、「かえるー!」と声をかける。「またね~」と手を振られて、お辞儀をする。怯えるように、隠れるように待っていた靴に、すっと足を入れる。
 私は今日、ここに来た。私は今、ここにいて、これから私が住む場所へ帰る。
「お邪魔しましたー!」
 大きな声で言ってみると、
「また学校でねー!」
 大きな声が返ってくる。
 早くここから出て行かないと、このやり取りが永遠に続いて、近所迷惑と言われてしまいそう。そんなことを考えて、顔をほころばせて笑う。両手をポケットに突っ込んで歩く、ちょっとかっこつけた光くんの後を追うように、私は歩き出した。


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