奪い、囚われ、捕まった。

高松みや

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奪い、囚われ、捕まった。

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 こんなにも誰かに会いたいと思うなんて、いつぶりだろうか。

 特定の相手を強く思うことが「恋」だというのならば、これは恋に分類されるのだろう。それぐらい、いつも彼のことを考えていた。
 ただ、その思いが甘くてふやけそうなものじゃないのだから、やっぱりこれは「恋」じゃない、と思う。
 なにせ、レイチェルが彼に願うことは唯一つだ。それだけを願いながらここまでやってきたのに。

「ひっ……あっ!」

 下腹部に走る衝撃に体が跳ねる。その衝撃で腕にはめられた手錠がガシャン、と不快な音をたてた。これは罪を犯したものにかけられるはずのもので、レイチェルにつかうものではない。それなのに、今はレイチェルの細い腕を掴みこんだそれが、頑なに彼女を離さない。

「こんなに蜜を滴らせて。気持ちいいのかい、レイチェル」
「ちっ、ちが……っあぁ!」
「素直じゃないところが君の可愛さだけど、体の方はとても正直なんだね。それもまた愛い」
「やめっ、あぁ!あっあっ!」

 ぐじゅり、と漏れた水音はどこから聞こえてくるのか。そんなこと、考えるまでもない。聞きたくないのに、腕は頭上で柱を通した手錠に固定され、耳が塞げない。
 まるで自分のものに聞こえない、聞くに堪えない甘声と水音に一気に羞恥が限界に達し、レイチェルは耐えるように目をつぶった。

 もう何時間になるかわからない。しつこいぐらいに嬲られ、舐められ、ふやけさせられたそこは、ヤツ自身をなんなく飲み込む。
 ぷっくりと腫れ上がったレイチェルの花芽が親指でこね回されると、とてつもない刺激がそこを中心にあふれ、体に電流が走ったような感覚になる。その快楽に飲まれたくなくて、でも快楽を離し難くて、ぐっとレイチェルは唇を噛んだ。

 真意を感じさせない仮面の奥で、男がクスリと笑った気配がある。

「レイチェル、唇をそんなに強く噛んでしまうと血が出るよ」
「うっ、ふっ……あ」

 まるで稚児の駄々をあやすように、空いている手でそっと噛まれた唇を押さえながら、彼はすこし鬱血したレイチェルのそれを唇で塞ぐ。空いた隙間から差し込まれた舌が、甘味をじっくりと味わうようにレイチェルの口内を弄った。

「……っない、絶対、っ逃さ、ない!怪盗ノア!」

 腕を手錠に抑えられて自由を奪われ、服も開けて、しとどに濡れそぼった蜜壺を好き勝手に弄くられながら、それでも心だけは折れてなるものか。と強い意志を秘めた瞳が、自分を犯す男をーーー怪盗ノアを射抜いた。

「うん、嬉しいよレイチェル。もっと俺を視て、俺のことを考えて」
「あ、あっや、ああぁ―――っ」」

 入口付近でとどまっていた剛直が、強引に奥へ押し入ってくる。
 あまりの衝撃に、レイチェルは白い喉をさらけ出しながら背をのけぞらせた。息がうまく吸えない。肺に空気が届かない。
 浅い息を繰り返し、細かく揺れるレイチェルの胸元に口づけを落としながら、怪盗ノアと呼ばれた男はポツリと呟いた。

「俺を捕まえてみせて」

 それを頭の片隅で聞きながら、どうしてこんな事になったんだろう。と、レイチェルは思った。

***

 レイチェル=キャラットは真面目な人間だ。いや、いっそ堅物といってもいい。
 肩まである栗色の髪はきっちりと後ろでまとめられ、乱れ髪一筋ない。伸ばされた背筋、規定通りに着られた制服。意志の強い髪と同じ色の瞳。年齢らしいおしゃれもアクセサリーも身につけることはない。むしろ真面目が服を着て歩いている、と揶揄されるのがレイチェル=キャラットという人間だった。

 キャラット家は先祖代々国家近衛隊を輩出してきた名家であった。特にレイチェルの曾祖父であったトレンド=キャラットは平民の出自でありながら近衛第一中隊長まで勤め上げた尊敬すべき人物だ。民間の人が憂いなく過ごせるよう、治安維持に勤め上げたことを当時の国王陛下が非常に評価してくださり、地位も与えられた。

 授かった地位は子爵だが、領地は持たない。その代わり、子爵には破格の厚い加護を王家より受け、本日まで何不自由なくレイチェルは暮らすことが出来ている。

 キャラット家の祖父も、父も、母も、下の兄も、皆全てが国家近衛隊に所属している。飛び抜けて優秀な上の兄に至っては、王国騎士団に所属し、王都で国防の任務についていた。
 家を取り仕切るメイドや執事も元国家近衛隊所属の者や、家族の誰かが国家近衛隊に所属している者が殆どで、家に出入りする両親や兄の知人も国家近衛隊員。と何から何まで国家近衛隊に囲まれて育ったレイチェルが、自分も家族と同じ道を辿ろうと思ったのも自然なことだろう。

 幸いなことに教えを請い学ぶ環境には多分に恵まれていたレイチェルは、物心つく頃には国家近衛兵になるための修行を開始した。
 基礎体力づくりから始まり、武術の訓練。この国の法律や、過去の犯罪の事例の学習。勤務地となるであろう街の構造の把握。八歳から本格的に師をつけて学び始めたレイチェルが十六歳で兵隊学校を主席卒業し、国家近衛兵となるのは当然のような流れだったのだろう。

 憧れの国家近衛隊になってみれば、そこは思っていたような華やかな世界ではなかった。
 あれだけ散々鍛えたのに、レイチェルに回されるのは簡単な仕事ばかりだった。街の見回り、落とし物捜索、書類の事務的な処理など泥臭いことばかり。
 それでも鬱憤が爆発しなかったのは、レイチェルが女だからとか、キャラット家の令嬢だから、といった理由ではなく全新人が同様に扱われていたからだろう。ともに同じ釜の飯をくい、三年間汗を流した友人たちと時に愚痴を垂らしながら、いつか大きな仕事を任せてもらえるさ、と励まし合いつつ地道な作業に明け暮れた日々だった。

 転機が訪れたのは、二年後だった。

「怪盗ノア、ですか」
「ーーーあぁ、知っているか」
「事件の担当ではないので噂程度ですが。貴族邸や豪商家ばかりを狙う、こそ泥だと認識しております」

 シャルルマーニュ地方領、現近衛隊長オーランド=ウラカルはレイチェルを部屋に呼び出した後、突然「怪盗ノアを知っているか」と告げた。

 ”怪盗ノア”はここから少し離れた王都を中心に数ヶ月前から現れた泥棒で、前述したように貴族邸や豪商として知られる家々を荒らし、金品を盗む泥棒だった。

 それだけなら何の問題もないのに、やっかいなのは、怪盗ノアというヤツは義賊のような動きを見せることだった。

 最初に泥棒に入られたユランバル家はこの国で知らぬものは居ないほど名を広めた貴族中の大貴族だった。宰相を輩出したこともあるユランバル家は政にも詳しく、今も国政に一族の者が参加している。そのため、当然自宅警備にも余念がない。
 だが怪盗ノアは厳重な警備をかいくぐり、ユランバル家に蓄えられていた財産を盗み取ると、その足で王都へと向かった。そして、そこであろうことにも怪盗ノアは夜空に星を散らすように盗んだ財宝をばら撒いて回ったのだ。ーーーユランバル家の、長年の悪事を示す告発状と一緒に。

 自分たちの地位が高いことを良いことに、各所で幅を利かせていたユランバル家は、あろうことか横領に手を出していた。
 帳簿と合わない給与額、出自が不明な多額の献金、及びユランバル家の散財の履歴。実際にユランバル家が使っていたであろう悪どい手口がびっしりと書かれた紙は、たちまち王都中に広がった。

 事実無根だと宣言していたユランバル家も、連日連夜のように怒れる市民に詰めかけられ、あまつ陛下に謹慎処分を言い渡された後は公に姿を現すことすらしていない。新聞紙面はそれを連日のトップニュースとして扱い、どこもかしこもその話題で溢れかえっていた。その興奮冷めやらぬうちに怪盗ノアは再び姿を現した。

 今度は豪商として腕をならしたメカビハラ家領地での過剰税収を暴露する話とともに。

 闇に隠れた悪を白日の下に晒し、奪われた財宝を元の持ち主たちへと還元する。
 まるで下手な小説のように出来たストーリーに民衆は沸き立った。怪盗ノアは一躍正義の代弁者と崇め奉られ、王都を守護する騎士団は貴族に尻尾を振る役立たずだと誹りを受ける。

 もちろん王国騎士団の面々だってただぼんやりと現状を見ていたわけではない。ユランバル家のこともメカビハラ家のことも、怪盗ノアの告発よりも前に王国騎士団とて不正に関する情報を集めていたのだ。
 怪盗ノアが現れた後は、もともと集めていた証拠と怪盗ノアの告発を付け合わせて罪状を確認し、それぞれの家人の捕縛と物品の押収、被害者の把握とそれに対する処分、救済法の検討など怪盗ノアがやっていない後始末を全て一手に引き受けている。

 むしろ中途半端に情報だけばら撒いて「後始末はよろしく!」とばかりの怪盗ノアのほうが悪質だ。だが、世間の目にはそうは映らないらしい。聴衆の目は厳しくなるばかり。

 そして先日。三回目の怪盗ノアの出現に、とうとう国家騎士団は怪盗ノアの捕獲に動き出した。とはいっても秘密裏に、だ。
 なにせ三回目の出現でまたも国家騎士団を出し抜いて貴族の悪事を暴露した怪盗ノアは、今や王都民全てが味方と言っても過言ではない。人気の高い怪盗ノアを捕縛したのであれば、国家騎士団に対して市民の怒りがぶつけられる。
 
 ノアは悪くない。我々の代弁者だ。むしろ、ノアを正義に駆り立てるような悪事をはたらく貴族たちがそもそも悪い。なぜ彼らを野放しにしていたのか。王国騎士団は所詮貴族の犬なのだ!
 
 そう蔑まれる姿が容易に目に浮かぶ。なので、騎士団の面々は秘密裏に怪盗ノアを捕獲しよう、という話になっているのだ。ただ、捕獲したその先、怪盗ノアをどう処分するのか。それが国家騎士団内でも意見が分かれている。

「保守派は国家騎士団上層部や貴族達の顔色が怖いのだろう、怪盗ノアを捕縛して牢にぶち込んでしまいたいらしい」

 保守派の連中の考えそうなことだ。とレイチェルは思った。
 国家騎士団の運営金は税金、つまりは貴族たちが収めるお金で賄われている。さらにその元を正せばそもそもは市民のお金が元になるわけなのだが、税金の配分や支援にはある程度貴族の忖度が働くとされている。保守派の奴らは、自分たちに回されるお金を減らしたくないのだろう。

 貴族に至っては、怪盗ノアによる暴露が怖いのだ。清廉潔白ではないことに自覚のある人間にとって、金や武力で解決するという常套手段を使えない事は恐怖に他ならない。なにせ、怪盗ノアは交渉テーブルに呼ぶことさえままならない相手である。そんな目の上のたんこぶをなんとかしたいのが、彼らの本音だろう。

「ただ、お前も知っている通り怪盗ノアの人気は王都では非常に高く、このシャルルマーニュ地方まで噂は流れてきている。いっそ怪盗ノアを仲間に引き込んで、本来国家騎士団が暴かねばならない不正調査に協力してもらい、共に悪事と戦ってはどうだ。というのが革新派の意見だ。レイチェル、お前はどう思う?」

 問われて、レイチェルは目を伏せた。

 怪盗ノアはどういった人物なのか全くの不明だが、王国騎士団でも集められなかった情報を集めることができる人物だ。一人なのか、協力者がいるのか。それとも組織的な何かがあるのか。
 それに、厳重な警備を掻い潜る、偵察と機動の能力。警戒するなというのは無理な話だと言わざるを得ない程度に、怪盗ノアという人物は末恐ろしい。
 
 だがーーー。

 ぐっとレイチェルは顎を引くと、隊長であるオーランドを見据えた。レイチェルが国家近衛隊に入った理由も、やりたいことも昔から決まっている。

「私の任務は市民の安全と安心を守ることです。怪盗ノアは現時点では”市民にとっての悪”と考えられる対象にのみ犯罪行為をしている。……私的な判断ですが、今後も市民に対して暴挙を働かないのであれば、優秀な偵察兵として協力関係を仰いでも良いとは思います」
「ふむ……」

 レイチェルのその言葉に、オーランドは考え込むように背もたれに背中をあずける。豊かな口ひげに手を当てて、しばしの間考え込むような動作をしたあと、意を決してレイチェルに向き直った。

「国家騎士団より、君への協力依頼が来ている」
「えっ!」

 驚くレイチェルに、オーランドは机の引き出しから一通の手紙を取り出した。一角獣のエンブレムをもちいた蝋印が押されたそれは、間違いなく国家騎士団から送られた書状だ。

 差し出されたそれを、レイチェルは恐る恐る受け取る。オーランドに確認するように促され、中を見る。簡素な文字で「怪盗ノアの捜査に関して、シャルルマーニュ地方王国近衛兵レイチェル=キャラットの協力を求む」とそれだけが書いてあった。

「差出人は君の兄君、ロイ=キャラット殿だ」
「兄上が……?」
「ロイ殿は革新派の一人として、怪盗ノアと協力関係を結ぶための交渉役を君に願いたい、としている」
「私が、交渉役を」
「そうだ、交渉役だ。国家騎士団は大衆にある程度顔が割れてしまっているし、次は自分だと恐れおののく貴族への対応に時間を取られ手が離せない。そこで君に白羽の矢が立った」

 オーランドは机の上で指を組むと、倒していた背を起こす。

「交渉役の前段階として、怪盗ノアの捜索を担ってほしい、とのことだ。なにせ、国家騎士団は現在王都民からの信頼がないに等しいからな。具体的には新聞記者の扮装をして市民の声を聞きつつ、怪盗ノアを探し出し、見つけられれば協力してもらえるよう交渉してほしい。というのが依頼だ」
「なんとも壮大で…私一人の手に負えるとは思えませんが」
「当然応援は追加で出す。だが今はまだ君以外の人選に難航しているのだ。市民に怪しまれず怪盗ノアの聞き取りができ、交渉を担える人物。今回の捜査は極秘で変装までするのだから帯刀は許されん。万が一のことがあっても、体術と機転でなんとかできる腕前をもった人間でなければ難しい」

 なるほど、とそこまでの説明を聞いてレイチェルは合点がいった。

 確かに、聞き取り捜査となると市民にいかに短時間で信頼してもらい、話をさせる環境を作るかが課題だ。
 その点、レイチェルは最大の武器である「女」という性別を遺憾なく発揮できる。ごつい男よりかは、女であるレイチェルに市民も心を開きやすいだろう。油断もさせやすい。かといって、帯刀が許されない状態で聞き取り調査をするのであれば、ある程度危険は伴う。王都とはいえ、乱暴者は存在するのだ。

 それを武器なしでなんとかすることができる腕前を持った人間でなければ、今回の任務は務まらない。兵隊学校に所属する前から体術を習い、得意としていたレイチェルに白羽の矢がたったのも、おそらく対処できると見込まれているからに違いない。

 信頼できる身内であれば、兄であるロイを通じて革新派もレイチェルに容易く接触できるだろう。むしろ、レイチェル以上に適任な人材を探せというほうが難しい問題だった。

「一人で出来ることはたかが知れております」
「二ヶ月後には追加応援を派遣する。それまでは一人で実施してもらうが、あくまでも記者の体で市民から情報を得られるよう環境を整えるだけで良い。表立った支援はできないから、危険なことまではしないように。というのがロイ殿のお考えだ」
「なるほど、下地づくりと」

 それならば、できないこともない、とレイチェルは自分を誤魔化すように理由をこじつけた。なにせ、彼女の答えは最初から決まっている。

「ーーー畏まりました。そのお話、謹んでお受けします」

 誰かに頼られる。難しいことへ挑戦する。どちらもレイチェルの心躍る事柄だ。まして、今回は尊敬してやまない長兄からの依頼である。兄が、自分を頼ってくれている。これまでの実績を認めてくれている。それだけでレイチェルの心は沸き立つ。

 持ち上がりそうになる口を一文字に引き結び、了承の意を淡々とオーランドに伝える。
 だが、オーランドにはレイチェルの気持ちなどバレバレだったのだろう。苦笑しながらレイチェルの様子を見ていた。

「これから王都に暫くの間住んでもらい、そこを根城に捜査をしてもらう。宿は王国騎士団の方で手配済みだ。今後の指示は王国騎士団より手紙を通じて連絡が来る手はずになっている。出立は一週間後。それまでに引き継ぎ、及び準備を終わらせるように。武運を祈る」
「っは!」

 近衛兵の最敬礼をした後、レイチェルはそのままオーランドの執務室を後にした。なにせ出立までの時間は短い。やらなければならないことは、山のようにあるのだから。

 それからの一週間は怒号のように過ぎていった。
 極秘任務なので詳細を言えない中、なぜ王都にいくのか、という同僚のしつこい質問を振り切って引き継ぎをし、荷物をまとめ、王都へと一人旅だった。

 王都に入ってからは、戸惑いの連続だった。
 
 不慣れな生活に、どちらかといえばあまり得意ではない”人と仲良くなるためのコミュニケーション”を連日実施しなければならない。近衛兵としては優秀なので兄のロイも忘れていたのかもしれないが、レイチェルという人間は本来堅物である。温和な笑顔など皆無の人間が信頼を得るには、相当時間がかかるようだ。とレイチェルは自分の初手のまずさに初日から凹んでいた。

 兄が所属する王国騎士団の革新派との連絡は、妹を思いやる兄の手紙、という体で書かれていた。さすがに騎士団のエンブレムがはいった蝋印は目立つ上に無駄な憶測を呼びかねないので、封は簡単に蝋で留められている。
 だが、中に入っている文章は簡易な暗号が施された指示書で、最後には間違いなく兄が書いたと証明するように、キャラット家の家紋の印が押されていた。

 それによると、まだ増援部隊の選出は進んでいないようだった。

 あれだけの条件があるならば仕方ない、とレイチェルは半分諦めながら返事を書く。王都に入って一ヶ月、記者の真似事も多少板についてきた。

 キャメル色のジャケットの下に薄い水色ストライプのシャツ。機動性を兼ねて選んだ短パンをサスペンダーで止める。紺のハイソックスに動きやすい靴。同じくキャメル色のマリンキャップを被り、メモ帳と鉛筆を携えれば立派な記者見習いに見えるだろう。
 通常と違うのはジャケットの下に護身用の短剣があり、ウェストポーチの中には手錠が入っていることだろう。

 その格好で連日レイチェルは街に繰り出した。
 最初は挨拶から始まり、飲食店で軽食を購入しながら立ち話で怪盗ノアの話題をふる。王国騎士団の愚痴も聞きながら、自分は怪盗ノアの敵ではない、市民の敵ではないことを地味に地味にアピールしていった。

「怪盗ノアはあたし達の味方さ。お貴族様の不正を暴いた上に、取られちまった金まで取り返してくれたんだ」
「怪盗ノアも実は貴族だって噂だよな。じゃないと普通、貴族達が悪い事してるってわかりっこない」
「俺はすげぇ特殊訓練を受けた国家騎士団の秘密兵器だって聞いたぞ」
「ノア様をお見かけしたのは最初の事件の時だったんだけど、もうかっこよかったぁ……。夜空を飛ぶように駆けていって、私の方をみて笑ってくださったのよ!」

 エトセトラエトセトラエトセトラ。

 真実かどうかもわからない噂話も含め、とにかくノアに関わる情報を片っ端から聴きまくり、それらは随時兄を通じて革新派へと送った。革新派のメンバーが集めた信頼できそうな情報とつき合わせて精査すると、分かってきたことがいくつかある。

 ”怪盗ノア”という人物は、まず性別は男と見て間違いなさそうだった。髪色はアッシュグレーで瞳の色は紫黒。ただしこれは夜に確認した色でかつ変装されている可能性もあるから、一概には正しいとは言えない。

 怪盗ノア自身が貴族、もしくは貴族に所属している何者かの手先である可能性が濃厚だと考えられるぐらい、貴族界隈に関して情報通であると見受けられる。それらはノア自身がばら撒いた告訴状の中からレイチェルが判断したものだ。普通の市民では絶対に知ることが出来ないような情報が含まれており、いくつかは令状があって初めて閲覧できるような資料に掲載されているようなものもあったからだ。
 
 市民の感覚として、怪盗ノアはもはや救世の勇者様だ。巷では怪盗ノアを主人公とした物語や演目が作られ好評を博している。このような状態で怪盗ノアを泥棒として捕獲することは、市民感情を逆なでするようなものなので、慎重な判断が必要だ。

 というような事をツラツラと書いて、レイチェルは手紙を丁寧に折りたたむと、封筒に入れた。書きすぎて少し厚みがでた封筒の先を、蝋を垂らして留めてゆく。

 レイチェルの柔軟性など欠片もない堅物のような態度に、本当に新聞記者なのかと最初は懸念を示していた市民たちとも、最近はなんとか打ち解けられてきた。偏に、愚直な態度と礼節をわきまえた発言の賜物でもある。
 今後増援に対応して来るような人物がコミュニケーションを得意とするならば、レイチェルよりももっと容易に、幅広く情報を拾ってきてくれるだろう。下準備は出来たに違いない。

(ーーーーとはいえ、もうこれ以上新しい情報はでてきそうにない、か)

 最後に怪盗ノアが出現したのは二ヶ月前だ。

 依然として怪盗ノアの人気が高いのは確かだ。だが、何が創作でどれが真実なのか、市民の話からはそれを判断するのは難しいぐらい日にちが過ぎてしまった。

「そろそろ、現れてくれないかな……」

 当初はうまく行けば人物の特定もできるのではないか、と思ったが、あまりにも不確定な情報が多すぎてとてもそれは望めそうにない。交渉のテーブルに着かせるために当の人物に直撃できないとなるならば、向こうが姿をあらわすまで待つしかない。

 今日は満月だ。
 星明りが霞む月夜に、薄い雲がかかっている程度の、綺麗な夜空だった。

 すっかり日も落ちきって夜になってしまった。手紙を書くのに熱中していたら、こんな時間になってしまったらしい。少し月夜でも眺めて、頭を冷やそう、と窓を開けたときだった。

「……ん、なんだ?」

 なんだか、少し離れた所でざわめきが起きているような気配がある。

 窓から身を乗り出して、音源はどこなのだろう、と視線を動かせば、それは王城の方からだった。同じようなざわめきを聞き取ったのであろう野次馬達が、次々にドアを開けて外に顔を出し始めていた。
 聞き取れなかったざわめきの波が次第に近づき、何事をつぶやいているのか、その漣が少しずつ大きくなる。

「ーーーーーが」
「ーーーー出たって」
「今ーーーーの、家で」

 耳を凝らして聞き取った音が、かすかな情報を伝えてくる。
 まさか、と思案した時、すぐ上の屋根の上に、何かが落ちてきた衝撃が聞こえた。

「いたぞ!怪盗ノアだ!」

 誰かの叫びに反応した市民が、一斉に大歓声を上げた。その歓声に呼び寄せられるように、次から次へと人が集まってくる。この近辺では一番高い、三階建ての宿屋の三階にいるレイチェルは、その大歓声に思わず耳を塞いだ。
 いや、まて、彼らは今何と言った。この、高揚した顔で見上げる先にあるものを、なんと呼んだだろうか。

「怪盗、ノアだって……?」

 思わず引っ込めてしまった頭をノロノロと外にだし、屋根のうえにいるのであろう人物をなんとか見ようと目を凝らす。
 顔の付近でキラリと光るのは、姿を隠すための仮面だろうか。それよりも風にはためく裾の長いスーツと、逆光になる月光が邪魔をして顔を拝むことができない。

「紳士淑女の皆様、こんばんは。今宵も月は麗しい!」

 演説を始めた怪盗ノアに、聴衆はどっと湧いた。
 空気を揺らすような大歓声が、ビリビリと現実に建物を揺らす。

「今宵この月光の下に、また一つ真実を知らしめよう。私はただ、真実の共有を望む者!」

 その言葉を合図に四方にばら撒かれたものをみて、わっと市民が湧いた。ひらひらと舞う白い紙切れを掴もうと、あちこちで手が伸ばされている。レイチェルも目の前に舞い降りてきた紙を一枚すばやく手に取ると、急いでそれを目を通した。

「これっ、また!」

 間違いない。それは、怪盗ノアによる新たな告発状だった。

 今度は、山間部に領地を持つ貴族の告発状だ。罪状は「麻薬の密売、および違法栽培」である。
 医薬品の一部として利用することもあるので、キチンと申請し、環境さえ整えればこの国で麻薬の栽培は合法だ。ただし、栽培、収穫した数量や納品先、用途など全て細かくチェックがされている。

 そこに書かれていた栽培リストや納品先、用途、販売価格はどうみたって表の商売のそれじゃあない。まして、最近ならず者共の間で麻薬がにわかに出回っているという噂があるのだ。間違いなくそれと関連することなのだろう。
 しかしながら、レイチェルを戦慄させたのはそうじゃない。

(一ヶ月街で張り込んで、ようやく疑いレベルの物しか私は情報を掴めなかったのに!)

 先程兄に当てた手紙の備考部分に、レイチェルは怪盗ノア捜査時に得た各種情報も記していた。この麻薬関連の話も、まだ噂話程度だが怪しいことこの上なく、王国騎士団でも調べてみてほしい、と書いたばかりの案件だ。

 レイチェルが一ヶ月かけて集めてもそのレベルしか情報が集まらなかった事件の告発状が、証拠まで揃えて、今目の前にある。

「これによって得られた金銭の一部を盗み出し、私は先程王都教会の前に置いてきた。彼らが神の導きにそい、正しく利用してくれることを願っている。もし使わなかったら、私がまたそれを暴くだけだがね」

 事もなげに告げられた予告に、観衆がまた大きく喝采をした。地鳴りのような大歓声がレイチェルの耳を劈く。

「そしてこれは平穏なる市民生活を脅かされた皆への代金だ!受け取ってくれたまえ」

 そう言って怪盗ノアが大きく手を広げると、キラキラとした何かが大量に空を舞って降り注いだ。
 大歓声を上げていた市民たちは、また一斉にそれに群がるように手を伸ばす。反射的に手を伸ばしたレイチェルは、掴み取ったそれを見て驚嘆に目を見開いた。硬貨だった。それも、銀で出来ている。

「それではまた会おう諸君」

 ばら撒いた硬貨に人目を奪わせ、今度は小さく、気が付かれないような囁き声で分かれの挨拶を告げた怪盗ノアが、踵を返す。

「っあ!待て!」

 硬貨よりも怪盗ノアを見つめていたレイチェルは、とっさに三階から屋根へとよじ登った。隣接する屋根伝いに身軽な動きで空を飛び、夜空を移動する怪盗ノアが、月夜に紛れて姿をくらまそうとしている。

「逃さないっ!」

 普通なら、ここで諦めるだろう。なにせ道は人でごった返してまともに歩けるような状態ではないのだから、追跡しようがない。だが、レイチェルは腐っても連綿と続く王国近衛隊の家系に生まれた娘。近衛兵として鍛え上げられた足腰が、すぐさま臨戦態勢に入った。

 変装姿のまま手紙を書いていたのは幸いだった。動きやすいし、護身用のナイフも、万が一の際の手錠も身に着けたままだ。
 なんとか彼と直接話を、いや、せめて姿だけでもしっかりと捉えて捜索の糧にしたい。その一心で、レイチェルは勢いよく右足を蹴り出した。

***

「……っいない」

 逃げる怪盗ノアを追い、屋根から飛び降り、人もまばらになった市街地を駆け、それでもひたすら追いかけた先は行き止まりだった。確かにこの道に怪盗ノアが入っていくところを見かけ、追い詰めたと思ったのに。

「っくそ!」

 念の為袋小路の奥まで進んで周囲を見回す。だが、そこは三方を壁に囲まれ隠れられるような場所はなく、街灯のためのポールが一本立っているだけだ。
 一体どうやって、怪盗ノアはこんなところから逃げ出せたのか。散々走って酸素が足りない頭は回らず、焦りだけが募る。悔しさを乗せて叩きつけた拳に、ポールがゆらり、と少しだけ揺らめいた気がした。

「捕まえたと思ったのに…!」
「へぇ、誰を?」

 自嘲気味につぶやいた声に、まさか返答があるなんて誰が思うだろう。すぐ耳元で聞こえた声色に、ぞくり、と産毛が逆立つ。
 反射的に蹴り上げた後ろ回し蹴りをいとも簡単に避け、射程範囲外まで逃げたそれは、くすくすと可笑しそうに声を上げて笑った。

 雲に覆われていた月がまた顔を出し、月光に照らされて彼がゆっくりと姿を現す。

「ずっと俺を追っていたよね? 一体何の御用かな、お嬢さん」

 聞いていたより、ずっと綺麗なアッシュグレーの髪の毛だった。目元を隠す白い仮面が彼の真意を表情からは読み取らせない。けれど、隠しきれない楽しさが、夜をそのままはめ込んだような紫黒の瞳から溢れている。
 スラリとした四肢に紳士服を纏い、両手にはめた革の手袋が細い顎を撫でていた。
 軽薄そうな笑みを浮かべた顔は、若そうにみえる。声の雰囲気からして、おそらくレイチェルとそう年は変わらないのだろう。と感じさせた。

 突然叶ったまさかの会合に、レイチェルはしばし呆気にとられていた。

「いや、ただのお嬢さんじゃあないよね。君は王国騎士団の回し者、かな。こんなものをもっているんだもの、只者じゃないことは確かだよね」

 そう言って怪盗ノアが掲げる右手に、身に覚えがあるものが見えて、レイチェルは慌ててウェストポーチの中を弄った。
 万が一の時用に入れていた手錠が、ない。
 いや、正確にはあるのだ、怪盗ノアの手の中に。いつのまに、なんて愚問だった。先程触れてしまえるほど近くに寄った時、かすめ取られたのだ。あまりの早業に、レイチェルは舌を巻くしか出来ない。

「この印、王国騎士団じゃないな……どこだっけか」

 手錠は、万が一の際の身分証明書用に持っていたものだ。印字されているエンブレムは、そこに所属しているものとして証になる。ロゴ入りの私物がゴロゴロある王国騎士団と違い、身分証明できるような所属団のエンブレムが印字されているものを近衛兵はそうそう持ち合わせていない。唯一あるのは柄の部分に印字がある剣と、この手錠のみだった。
 今回帯刀は認められない、ということだったので、何かあった時に誤解を招かぬよう身分を提示できる証拠として手錠は常に身につけていた。

 近衛兵のエンブレムは、領地によってデザインが異なる。レイチェルが配属されているシャルルマーニュ領地のエンブレムに見覚えがない、ということは怪盗ノアはおそらくあの領地とは無関係の人間なのだろう。
 そこでようやく当初の目的を思い出したレイチェルは、自分を落ち着かせるように一息吐くと、ゆっくりと怪盗ノアに向き直った。

「私の所属する王国近衛隊のエンブレムです、怪盗ノアよ」
「王国近衛隊……? ここは王国騎士団の範囲内だと思っていたけど、ついに近衛兵まで駆り集めて俺を捕らえようって魂胆かな」

 途端、明らかに強まった怪盗ノアの警戒にレイチェルは慌てた。
 冗談じゃない、それは保守派の考えで、私は違う。

「一部そういう気持ちを持つ者もいるようですが、私は違います。王国騎士団の中には、あなたと契約を交わし、ともに不正を暴きたいと願うものもいるのです。ただ王国騎士団が表立ってあなたを探せば市民の反発は免れないでしょう。それを円滑に行うために、私が呼ばれました。いわば、交渉役です」
「ふぅん、なるほど」

 それから、品定めするような無遠慮な視線がじろじろとレイチェルを眺める。まぁ、当然だろう。とレイチェルはその視線を黙って受け止めた。
 こういった交渉事に年端のいかない娘がでてくるなんて、意外だろう。ましてや、レイチェルは国家騎士団の所属ではない。大抵であれば自分はその程度の交渉相手だと認識された、と怒り狂っても仕方ないような状況だと理解しているからだ。

「交渉、ねぇ。それで、内容は?」

 だから、跳ね除けられず内容を問う質問を投げかけられ、驚いたのはレイチェルの方だった。

「こんな小娘が交渉相手で、あなたは不審がらないのですか」
「人を見た目で判断しないことにしてるんだ、俺。君は確かに若い女の子だけど、ここまでずっと俺を追いかけてきた能力をみるに軍人か特殊訓練をうけた人間なのは間違いない。それに、王国騎士団が表立って動けない理由にも筋が通っている。まして、今あそこは俺の処分に関して意見がまっぷたつに分かれているはずだ。相手を出し抜くために、組織外の人間を雇うことに違和感はないからね」

 すらすらと述べられた怪盗ノアの推理は、概ね正しい。
 むしろ、あれだけの情報でそこまで当てられるとなると、彼は王都の中でもやはり重要な地位にいる人物か、もしくは王国騎士団に非常に精通している人物の可能性もある。もしくは彼の協力者がそうであるか、といった具合だ。

 今度はレイチェルのほうが警戒を少し強め、怪盗ノアを見つめた。その視線に気がついたノアは、小さく笑うと「それで、交渉内容は?」と続きを促す。

「……内容はシンプルです。あなたが集めた不正に関する情報を定期的に王国騎士団に渡してください。不正の提示、証拠がため、それから処分に関しては王国騎士団が執り行います。そのかわり、王国騎士団はあなた自身と、あなたの協力者を捜索したり逮捕処罰することは致しません」

 淡々とレイチェルが述べる内容に、少し驚いたように怪盗ノアは目を見開く。

「ずいぶんな内容だね。こんなどこの馬の骨とも分からないやつの情報なんか、信用するんだ」
「我々が守るのは、あくまでも市民です。最優先されるべきは市民ですから、その市民を守るためなら、あなたの情報だって利用します。もちろん王国騎士団内で情報精査もしますし、誤りがあれば正します。それに、あなたの標的が貴族ではなく市民になったらなら、遠慮なくあなたを捕まえ、罰します」

 あくまでもこれは市民のためだ。とレイチェルが怪盗ノアを睨みつければ、軽薄そうな男はまたクスリと笑みを漏らす。
 それから、考え込んだ様に見えたのは僅かな時間だった。一呼吸間を置いて、ノアは一歩だけ距離を縮める。

「この交渉だけど」

 返答が、来る。
 走った緊張に、レイチェルは喉をならした。

「残念、決裂だ。受け入れられない」

 顔と言葉が、一致していない。心底嬉しそうな顔をして残酷な結果を告げる怪盗ノアに、レイチェルは瞠目した。瞬間、弾かれるように声を上げた。

「っな、なぜです!決して悪い話ではないでしょう!」

 そうだ、けして悪い話ではないはずなのに。
 怪盗ノアはあざ笑うかのようにまた一歩近づく。

「分かってないなぁ、君」
「何が、ですか……!」
「理由は二つ。一つ、俺に君たちと協力するメリットがない。そもそも俺は騎士団に捕まらないからね。君の言う”悪くない条件”が適用される状態にならない。今だって、俺が出迎えなきゃ君は俺を捕まえられなかっただろ?」

 図星を指摘され、ぐっとレイチェルは言葉に詰まった。
 鍛え上げ、同期の中では俊足を誇ったレイチェルの足でも、怪盗ノアには追いつけなかった。

「もう一つは、君自身が信用ならない」
「っ!」
「当然だろ? 名乗りもしないヤツと交渉なんて、とてもじゃないけど出来ない。罠だと考えたほうが自然だ。だからこの交渉は成り立たない」

 しまった、とそこで初めてレイチェルは己の失態に気がついた。
 怪盗ノアの雰囲気に押され、平常時と違う空気感に酔い、名乗ることすら失念していた。交渉の大原則を怠ったのだ。
 名前を知らないやつを無条件で信じるなんて、そんなことはありえない、と今更レイチェルも気がつく。気がついた時点で、後の祭りだ。

「話は済んだ? 悪いけど、君の雇い主にもそう伝えてくれ」

 それじゃあね、と踵を返し背中を向けた怪盗ノアに、レイチェルはとっさに手を伸ばした。

 伸ばしてどうする? 次は話を聞いてくれるかどうかわからない。
 今目の前に突きつけられた事実は「お前は交渉人としては役不足だ」という不名誉だが間違っていないレッテルだ。どうしたらいい。どうしたら止まってくれる。どうしたら。どうしたら。

 脳裏に浮かぶのは「頼んだぞ」と声をかけてくる長兄の筆跡の手紙。普段から年上の兄弟であろうとし、滅多に人を頼らない兄にかけられた、はじめての期待。

「私の名はレイチェル=キャラット!」

 混乱を極めた頭で、レイチェルが自らの名を告げた。

「キャラット子爵家の長女、レイチェルだ!今はシャルルマーニュ地方で王国近衛隊に所属している!王国騎士団に所属する兄のロイ=キャラットの命を受け、あなたに会いに来た!怪盗ノア!」

 とにかく彼に信用してもらわねばならない。その一心だった。
 愚直で柔軟な発想がなかなかできないレイチェルにとって、「名乗りもしないやつを信用できない」と言われるのであれば、自らの身分を明かして信用してもらおう、と思うのは当然のことかもしれない。

 虚を突かれたのは怪盗ノアの方だった。
 突然の堂々とした宣言に、大きく目を見開いて驚いた後、彼は声をあげて笑いだした。それがどういう感情のものかなんて、いくら鈍いレイチェルでも分かる。

「っぶは、な、名乗らないから信用しないっていったら、はは、いきなり名乗るって、君馬鹿なの?」
「う、うるさい!」

 羞恥を感じ、顔が赤くなっていく。だがレイチェルの判断は間違っていなかったのだろう。歩みをとめたノアは、レイチェルに向き直るよう反転した。

「キャラット家、ね。知ってるよ、何代か前のトレンド氏が当時の王の覚えめでたい人で、本人も市民のために随分尽力するような人徳者だったね、たしか」
「あ、そのトレンドとは、私の曽祖父で、あの」
「ロイ=キャラットも知ってる。軍の内部でも指折りの堅物で、志操堅固な人物と聞いたことがあったけど、彼が君の兄で依頼主か。へぇ……」

 そのまま無遠慮に近寄ってきた怪盗ノアに、レイチェルは後ずさった。

 彼の興味を引くことに成功はしたらしい。だけど、まだ二人の間にある距離はこんなに近いものじゃなかったはずだ。
 近づかれる度に少し後ずさり、ついにレイチェルの背中が何かに当たる。街灯のために建てられ、今はガス切れを起こして明かりを灯さない、一本のポールだった。

 もうこれ以上後ろに下がれなくなり、どうしたものかと考える暇すら与えずにノアは距離をつめる。黒い革手袋に包まれた手が、くっとレイチェルの顎を捉えた。

「それで、一つ目の理由は解決したわけだけど、もう一つの理由はどうするのかな? メリットがない交渉なんてよほどのことがない限り締結されないよ」

 密着しそうなぐらい体が近い。突き飛ばそうと反射的に動いた腕は、あっさりとノアに囚われた。

「あっ」
「うーん、協力を仰ごうっていう人間に暴力を振るうなんて感心しないなぁ」
「やっ、でも、これは」
「君の態度次第だったんだけど、やっぱりこれは決裂かな」

 息がかかるくらい、顔が近い。

 直視できない距離に慄いて、レイチェルはとっさに顔を下に向けた。上から、この状況を楽しむ笑い声が聞こえる。むしろ、レイチェルで遊んでいるのではないか、と思うぐらいに。いや、遊んでいるのだろう。それぐらい、怪盗ノアにとってレイチェルなど相手にならない、ということだ。
 悔しさに、レイチェルは唇をぎゅっと噛んだ。

「ほ、報酬を差し上げます。あなたが望むものを」
「ありがたいけど、地位も名誉もお金も別にいらないんだ。今持っているもので、俺は満足しているからね」

 それは、兄ロイから送られてきた手紙の中に書かれていた交渉材料の一つだった。相手が望むなら、ある程度条件はつくがこれだけの物は与えられる。と書かれていたもの。
 それもあっさりと跳ね除けられて、レイチェルの困惑が更に深まった。

 もはや差し出せるものなど、ひとつしかない。
 落ち着け、となんとかひとつ深呼吸して、近衛兵の心を少し取り戻したレイチェルはノアを睨みつけるように顔を上げた。

「だ、だったら、私を差し上げます」
「……は?」

 呆けたような顔と間抜けな声に、ほんの少しだけレイチェルの溜飲が下がった。

「これでも、兵隊学校は主席だったのです。事務作業も出来ますし、野戦を見据えての調理や清掃、医療などにも心得はあります!そこらのお嬢さんより体力がありますから、多少酷使したってへこたれません!」

 何を言ってるんだ、と怪盗ノアの目にはありありと書かれていたが、それを無視してレイチェルは続けた。

「あなたが協力をしてくれるなら、報酬として私を差し上げます。煮るなり焼くなり好きに使って頂いて構いません!あなたを決して裏切らない、手足となりましょう。……お買い得ですよ!」

 交渉時に大切なことは、決して内心を悟られないことだ。
 兵隊学校で教わったそれをようやく思い出したレイチェルは、極力余裕をもったような笑顔をつくり、必死に怪盗ノアと向き合った。そんなレイチェルをみて、怪盗ノアはまた声を出して笑った。

「ふっ、はははは!君、兵隊学校での交渉術の授業、成績悪かっただろ。自分を差し出すだなんて、聞いたことがない!本当に主席? っぷ、はははは!!」
「んな!」

 図星である。
 主席であったレイチェルの成績は基本どの授業においても他の生徒より頭一つ二つ抜けていたが、交渉術に関する授業は下から数えたほうが早いぐらいの成績だった。

「くく、それに、名高いキャラット家が君のような純朴の乙女を差し出すことをよしとするとも思えない、それ完全に思いつきでしょ。っくくく」

 それも図星である。
 兄の手紙に書かれていた報酬の件はお金と名誉に関わることだけで、レイチェルの件は完全に彼女の独断だ。だが彼女が差し出せるものなど、それしかない。

 一通り笑った怪盗ノアは肩で息を整えると、それからようやくレイチェルの顔を見る。深淵を覗いた瞳が、レイチェルを真正面から射抜いた。先程まであった、軽薄な雰囲気とは違う、剣呑を覚える瞳だった。知らず、後ずさろうとした背がポールにあたってそれ以上は距離を取れないことをレイチェルは思い出す。

 再び皮手袋に顎を取られて、どきりと心臓が跳ねた。

「ーーーいいよ、気に入った。その条件を飲もう。報酬は、君自身だ。レイチェル」

 まるで証書に印を押すように、ゆっくりと落ちてきた怪盗ノアの唇が、レイチェルのそれに重なった。

 柔らかい、などと考えられたのは一瞬だった。
 レイチェルにとって初めての口づけなのだから、勝手がわからない。とっさに突き飛ばそうとして、それをしてはいけないのだと自覚し、自身の両腕に力を込めて押さえつける。ガチガチに閉じたそこをこじあけるように、ぬるりと生暖かい何かがレイチェルの唇をなぞった。
 何往復かするそれが怪盗ノアの舌だと悟った時、あまりの驚きに息が止まった。

「っは、ふっ!」

 生きてうごめく物体がいまだかつて口内に侵入したことなどない。
 荒々しくはないけれど好き勝手に暴れるそれにどう対処すれば良いのかもわからず、レイチェルはぎゅっと目を瞑った。白い仮面が鼻に当たる。

 ぞわぞわと、擽られるような感覚が腰骨あたりから湧き上がる。不快じゃない。でもその感覚が怖くて、レイチェルは逃れようと首を振った。

「逃げないで」
「っ、あっ、ん」

 一瞬離れた隙をついて、息を深く吸う。ただ、次の瞬間には強引に元の位置に戻された顔へ、怪盗ノアが影を落とした。
 腰骨のぞわぞわが、じんわりと腹部を伝って足の付け根へとさがる。ふわふわと、麻痺したように力が入らない足がずるずると曲がり始めるのを、気がついたノアが背に腕を回して抱きとめた。

 縋る場所を求め、それでも残された矜持がノアにすがりつくことを許さず、空中を泳いでいたレイチェルの腕を、ノアは絡め取る。
 なぜだかほっとしてしまった暖かさに少し力が抜けると、ついで「ガシャン」と冷たい感触を手首が拾った。

「へ、えっ、え?」

 自分の腕の可動域が急に狭くなって、レイチェルは確かめようと顔を横に向けた。鈍い色を反射する見慣れた銀の輪が視界に入った。

「え、えっ、なんで?」

 ちらりと夜目にも見えた、馴染み深いエンブレム。

「暴れないように、ね」

 ニッコリと効果音をつけて笑うノアに、レイチェルは言葉にならない声をあげた。パクパクと口を開くが何を言えばいいのか言葉がまとまらない。
 なんで手錠をかけてるんだ、とか。暴れないように、って何をする気だ、とか。いや、そもそもなんでさっき口付けなんかしたんだ。とか。言いたいことはこんなにあるのに。

「確認しようか」
「か、確認?」
「取引の内容についてだよ。今後俺が掴んだ”不正の証拠”を王国騎士団に共有すること。見返りは”怪盗ノアの捜索をせず、罪には問わない”、それから”レイチェル=キャラットの全てを怪盗ノアに捧げる”こと。締結の証として、俺は君を今から抱く。それでもいい?」

 何を言われたのか、一瞬わからなかった。

「な、んで」
「正式な締結証書を書面で交わすわけにいかないからだよ、証拠を残すことになる。かといって、君も俺も契約を締結した証がなにもないなんて不安だろう」

 そうだ、どうやって交渉しようかとそればかり考えていたけれど、交渉が成立するからにはお互いの誓いを示す証書が必要なはずだ。
 
 だがそれは残せない。当然だ。筆跡からだって人物は探れるし、そんな証拠が王国騎士団に残っていることがバレれば、保守派にとっては革新派へのいい攻撃の材料になる。
 締結の証が必要なら、それは形に残さないモノですべきなのは確かだ。だからと言って、なぜ抱くなどということにつながるのだろう。

「君は子爵家の令嬢だ。腐っても貴族の娘。その貴族の娘が、結婚前に姦通するなんて醜聞、絶対に漏らすことは許されないだろう。加えて、俺のものになるなら君の将来から”結婚”という選択肢も失われる。それ相応の覚悟はあるのかい?」

 無いなら、ここで逃がしてあげるけど。と手錠の鍵を見せつけるノアが挑発的に告げる。

 試されているのだ、とレイチェルは悟った。きっと、まだ完全に信用を得られていない。レイチェルは自分自身を捧げるといった。それは、自分の未来も、乙女でさえも、何もかもが含まれているのだとノアは口外に告げている。

 本音を言うなら、嫌だった。
 らしく無いと思われるだろうが、レイチェルにだって人並みに恋をしたい、と思う少女のような気持ちはある。だがそれを躊躇させるのは確信めいた気持ちがあるからだ。

 これを断ったら、ノアはきっと二度と信じてはくれない。

「……約束する。私は、あなたに全てを捧げると。あなたが、約束を守ってくれる限り」

 迷いを振り切り、レイチェルはノアを見つめ返した。心臓が爆発しそうなくらい音を立てている。レイチェルの覚悟を受け取ったノアが、ふっと笑う。

「いいだろう、レイチェル。契約は受理された、君は今からーーー」

 俺のものだ、と言う言葉は、レイチェルの口の中へと吸い込まれた。

 先ほどよりもずっと、ずっと深く。レイチェルの奥深くまで探ろうとする舌が中で蠢く。経験がないレイチェルはされるがまま、ノアを受け入れた。
 ただ口づけを交わしているだけだというのに、なぜ頭の芯が茹だって思考がぼんやりとしてくるのか、不思議でならない。

 その茹だる体を冷やすように、胸元に冷たい夜風が当たる。

「っは、あっ」

 ボタンを外されたのだ、と理解したのは一瞬だけで、誤魔化すようにまた深く唇を奪われる。自然と目を閉じてしまうレイチェルに、なにをされているかなんて見当がつくはずはない。
 ぐっと抱き寄せられ、初めて触れたノアの胸板は思っていたよりずっと分厚く、がっしりしていた。ゴリゴリに鍛えられた軍人ほどではないだろうが、それでもある程度の筋肉がついているのだと想像に難くない程度には分厚い。
 彼の胸板を直に感じていたレイチェルの双丘に、つるりとした何かが触れる。それが皮手袋に覆われた手だとわかったのは、柔らかさを確かめるかのように緩やかに力を入れ、揉みしだくような動きをしたからだ。

「っへ、あ、あっ」
「あぁ、手袋をつけたままなんて無粋だったね」

 そう言うと、ノアは器用に口を使って革手袋を外した。顕になった男の手が、熱く硬い男の手が、レイチェルの胸元を弄る。ささやかな大きさしかないレイチェルのそれを楽しげに弄んでいた指が、その先の頂へと手をかけた。

「ふっ!」

 口づけの時の甘さとは違う。胸元から体の中央へと一気に走った電流に、レイチェルは慄いた。触られているのは胸元のはずなのに、熱はなぜか腹部に溜まる。熱を逃がそうにもしっかりと抱きかかえられた体は動かせず、ずっと口付けられたままのそこは声すら上げられない。酸欠のせいだろう、次第に体の力が抜けていくのをレイチェルはどこか他人事のように感じた。

 いつの間に敷かれていたのか、地面に広げられたノアのジャケットの上に、レイチェルはゆっくりと上体を横たえる。
 もはや力など入らず、弛んだ体は乞われるままだ。硬い地面についた背中が、僅かな小石の凹凸を拾う。
 ようやく唇を離したノアが、月光を背に受け艶やかに笑う。白い仮面で隠しきれない、はっきりとした劣情を見て取って、レイチェルの足がふるりと震えた。

「あっ、あ!」

 自由になった口で、レイチェルは間違いようのない嬌声をあげた。獣が獲物を仕留めるように喉元をまさぐり、ノアがそこに軽く歯を立てる。ついで、ザラリとした生暖かい舌が上から下へと伝い、鎖骨のあたりで再度食まれる。
 チリチリと焦げ付くような熱がそこから生まれる。火傷しそうだ、とレイチェルは思った。

「あっだめ・・・っやめ」

 完全に開かれた胸元にノアが顔を埋める。反射的だったとはいえ、発せられたレイチェルの拒絶の言葉など意に介さない様に彼の唇が胸元で踊る。ずり降ろされた下着から顕になった先端の尖りを、獲物を探す獣は逃さなかった。

「あっ、あぁぁ!」

 吸われ、先程よりも強さを増して流れる電流に腰が跳ねる。もう片方の尖りを指の先で丹念にこすられれば、もう誤魔化しようのない官能の火種がレイチェルの中に宿った。

 今から、彼は自分を抱くのだ。と今更ながらに理解する。

 本音を言うならば、高を括っていたのだ。きっと、これはレイチェルの本気と覚悟を試すだけの行為で、この先を続けるようなことはしないと。返事をしたあの時点では、彼女はそう考えていた。けど、終わらない愛撫と燃え上がり始めた二つの体、それから情欲の色をどんどん濃くする眼差しが、これは始まったばかりの行為なのだと告げている。
 
 サスペンダーを外され、腰骨との間に隙間を持った短パンが、ゆっくりと、煽るように足元に下げられた。
 胸部への愛撫はまだ続いている。稚児のように頂きを舐められ、逃しきれない疼きがじわじわとレイチェルを追い立てる。短パンを下げきった手が、折り返すように足を伝って登ってくる。竦んだ腰元がなんとか逃げようとする。楽しんで狩りをするように、ノアがするりと足の付根をなであげ、さらに中心へと指を進めた。

「ひあっ、あ、ん!」

 くちゅりと、水音がした。
 
 レイチェルは男女の交わり方を知っている。兵隊学校の授業の一環で、それはかくも丁寧に教わったし、年頃の友人同士が集まればそういった話にもなる。レイチェルとて、自分で自分を触ったことがないわけでもない。
 でも知らない。こんなことは知らない。
 こんなにはっきりと水音が聞こえるぐらい溢れているなんて、こんな経験は初めてだった。綿でできた下着の上から、柔らかなひだを武骨な指がふにふにと押している。探るように動く指が上へ上へと動き、ついにそれを見つけた。

「んあぁっ!」

 跳ね上がる腰を我慢することが出来なかった。
 布の上から指で押すように触れただけなのに、興奮しはじめた花芽が触れられた喜びに震えている。追い打ちをかけるように嬲られた胸の頂から、またビリビリとした痺れが恥骨に届き、レイチェルは腰をあげた。
 布の上からでもはっきりと分かるほど存在を主張しはじめた芽を、ノアは指で弾くように突く。その度にそこよりもっと奥の、指ですら届かない程の身体の奥が疼いて、レイチェルは止めようと腕を動かした。「ガチャン!」と鉄の鎖が音を立ててレイチェルの腕を引き止める。

「やっやっや、やぁ!」

 硬い指でそこを摘まれて、抗えない感覚にレイチェルの体は大きく跳ねた。もっと、自分でするときは緩やかな波にのるように徐々に高みに登っていくのに、ノアによって強引に押し上げられていく。こんな感覚を、レイチェルは知らない。

「だめっ、今触れたら、あっ……あぁ!!」

 先程よりもひときわ大きく、レイチェルの体が跳ねた。
 ぐりっと、親指で円を描くように花芽に触れられて、レイチェルは無理やり頂上まで上り詰められた。経験したことのない性急さで追い詰められた体の奥から、熱の塊が蜜となって流れ出してくるのを感じる。
 下着の意味を成さないほどに湿り気を帯びたただの布を、ノアはことさらゆっくりと、ずり下ろしていった。

「ま、待って、おねが……私、これ以上は、っふ、ん」

 抵抗の言葉を紡ぐ唇は、ノアによって塞がれた。
 まただ。また、頭がぼうっとして、力が抜けていく。いっそ奇術師だと言われたほうがしっくりくるくらい、ノアの挙動に翻弄される。下着を下げきったノアの指は、そのまま蜜壺の入り口をノックした。

「ふあ、あ、っう、あ」

 初めて異物を受け入れるそこが、戦慄き震える。得体の知れない違和感に、恐怖からレイチェルもぎゅっと目を瞑った。
 ゆるゆると緩慢な動きで入り口をうろついたノアの指が、少しずつ、少しずつ中へと侵入していく。
 その度に漏れ聞こえる水音は自分が出しているのだと気がついて、レイチェルはあまりの羞恥に耳を塞ぎたくなった。

「や、やだっ、やっ、んあ!」

 奥まで差し込まれた指が一本、ゆっくりとレイチェルの中をなぞった。まだ花開く前の蕾がふるふると震えている。
 もはや官能の喜びをしってしまった花芽を再度触れられれば、中で感じていた違和感さえ快楽に変わった。知らず、締め付けるように蠢いたレイチェルの花壺に、ノアは気を良くしたようだった。ずっと食み続けていたレイチェルの胸元から顔をあげて、艶やかに笑う。

「痛くないの? はじめての割に、やらしぃんだ」
「ちが、ちがっ、あぁっ!」

 否定しようにも、現実にレイチェルの体はそのとおりだった。痛みなど感じたのは一瞬で、一体どこから溢れてくるのか、しとどに濡れた花壺はとろりとろりと花蜜を垂らす。
 痛いぐらいに膨れ上がった芽がノアから与えられる刺激を待ち望み、触れられれば喜びしびれるそこが、連動して中を締め付けた。

「まって、まっ、おねっふ、ん」

 動きが少しずつ激しくなるノアの指が、花壺の入り口を執拗に磨り上げていた。また強引に引き上げられるような、先程覚えたばかりの感覚にレイチェルが気付き、止めようと懇願すればそれは無下にも封殺される。
 散々嬲られた唇が、唾液に彩られて妖しく光る。夜光虫が月明かりに吸い寄せられる様に、ノアはレイチェルに再度口づけた。

「いや、っや、んんん!」

 直に触られていた分、強烈な刺激だった。
 強引に登らされた頂きでレイチェルはまたも腰を震わせる。ごぷり、と先ほどよりも大きな波が奥から流れ出てくるのを感じた。

「ふ、ん、んんっ……」
「ーーーいい子だ、レイチェル」

 目尻に溜まった生理的な涙を、獣の舌が啜ってゆく。まだ頂きから降りきれていないのに、増えた指が刺激を与えて花壺を広げようと動く。
 慰めるように口づけを落とし、思い出したように胸が吸われる。お前だけは逃さないと常時刺激を与え続けられるレイチェルの下半身は、身も世もなく震えていた。

「だめ、また、止まってぇっ」
「レイチェル、大丈夫」
「おねがっ、止まっやっ、やぁ!」

 三度頂きに押し上げられレイチェルは短い悲鳴をあげた。
 ビクビクと痙攣が止まらない。自分からあふれた、あられもない液体が足をつたい臀部まで届いている。
 レイチェルが頂きに登る度に体を跳ね上げるので、頭上では耳障りな金属音が何度も鳴り響く。チャリッ、と音をたてるそれが腕を押さえつけていなければ、なるほど、確かにレイチェルは暴れていたかもしれない。
 それほどに、これは未知なる感覚だった。

「んっんんっんっ」

 もはや何本かも分からないノアの指が、ふやけきった花壺を中からくすぐる。何度も絶頂に上り詰め、その度に得も言えない快感に体を浸していたのに、発散できない熱の塊がどんどん中央に溜まっていくのをレイチェルは感じていた。
 男の、ノアの長い指でも届いていない奥に、御し難い欲望が渦巻く。
 右手でレイチェルを弄びながら、器用にも左手だけでノアは自身の前を開けさせる。トラウザーズ中から現れた灼熱の杭に、レイチェルの腰はぶるりと震えた。それが期待なのか恐怖なのか、もう分からなかった。
 指が引き抜かれ、空いた質量を埋める何かを探して、レイチェルのそこは蠢いていた。間をおかず、熱源が添えられて腰が浮く。

「ひっ……あっ!」

 息をするまもなく、埋められた隙間に全身が強張った。鈍く下腹部に走る衝撃に体が強ばる。その衝撃で腕に嵌められた手錠が「ガシャン」と不快な音をたてた。

「こんなに蜜を滴らせて。気持ちいいのかい、レイチェル」

 分かりきったことを聞いてくる男が腹立たしい。先端をレイチェルの中に沈め始めたノアが、ゆるゆると腰を動かした。

「ちっ、ちが……っあぁ!」
「素直じゃないところが君の可愛さだけど、体の方はとても正直なんだね。それもまた愛い」
「やめっ、あぁ!あっあっ!」

 口から出てくる拒絶の言葉など真意ではないと分かっているのだろう。とうとう獲物を追い詰めた獣が、最後に弄ぶように鼻先で小突いてくる様子にそれはよく似ていた。
 レイチェルの中腹に、はち切れんばかりに溜まった熱が、欲が、早く早くとノアを飲み込もうとする。

「レイチェル、唇をそんなに強く噛んでしまうと血が出るよ」
「うっ、ふっ……あ」

 耐えるために噛んでいた口をこじ開けられれば、漏れ出るのは自分のものとは思えない甘い声だった。早く、早く、と浮つく頭で、レイチェルは腰を揺らす。もはやそれは無自覚で、本能に近い行動だ。
 ぬちぬちと入り口だけで味わっている快楽がもっと奥に欲しくて動く腰を、ノアが制した。
 どうして、と目線だけで訴えるレイチェルに、熱に溺れた瞳が笑いかける。

「最後に……もう一度だけ聞いてあげる。君に覚悟がないのなら、逃してあげるよ。僕も逃げるし」

 どうする? と耳元で問われ、その吐息の熱さにまた腹部の欲が疼いた。
 
 卑怯だ、とレイチェルは思う。こんな、ここまで来てそんなことを言うなんて。だって、もうレイチェルは逃げられない。熱を灯したまま捨て置かれるなんて、地獄よりもひどい。なにより、この男を逃してはいけない。とレイチェルに流れるキャラット家の血が激しく訴える。

「……っない、絶対、っ逃さ、ない!怪盗ノア!」

 だから、初めて自ら噛み付くように口づけをして、レイチェルは吠えた。

「……うん、嬉しいよレイチェル。もっと俺を視て、俺のことを考えて」
「あ、あっや、ああぁ―――っ」

 入口付近でとどまっていた剛直が、強引に奥へ押し入ってくる。
 あまりの衝撃に、レイチェルは白い喉をさらけ出しながら背をのけぞらせた。息がうまく吸えない。肺に空気が届かない。
 浅い息を繰り返し、細かく揺れるレイチェルの胸元に口づけを落としながら、ノアが動く。

「ま……って、あ、あっや」

 ずるり、と一度引き抜かれたそれが、今度は勢いよく最奥まで潜り込んでくる。その熱に、レイチェルの中で溜まっていた欲望の塊が、強く蠢いた。それに応えるように、ノアがゆっくりと律動を開始する。

 こんな所で、繋がるなんて考えたこともなかった。背中に感じるのは、柔らかなベッドではなく固く冷たい地面の感触。間にノアの上着が挟んである分多少はマシなのだろうが、ゆすられる度に小石が背中で擦れて痛い。
 だがすぐにそんなことも気にならなくなった。
 全身が、この体に与えられる全ての刺激が、心地よくてたまらない、とレイチェルの体が歓喜に震える。待ち望んでいたノアの熱に、背中が擦れる痛みさえも心地よいとさらに腹部の熱が膨れ上がった。

「んあ……っあ、あ……はぁっ!」

 処女だというのに、容赦のない突き上げはまたしても強引にレイチェルを高みに登らせようとする。既に花開いた花芽をグリグリとこねくり回されれば、与えられるのは愉悦だった。レイチェルの反応に応えるように、少しずつ律動が早まっていく。チャリンチャリンと腕を捕らえた錠がなんどもポールにぶつかって金属音を奏でた。

 これはなんだ。これは嵐だ。
 考える隙を与えずに、ただただレイチェルを飲み込んでゆく。溢れて止まらない涙と蜜が、レイチェルの体を濡らした。

「やっあああ!っあん、あんっ!ふぁっ」

 溜まりすぎたレイチェルの熱が、弾ける予兆を感じた。今までとは比べ物にならないものが襲ってくる予感に、レイチェルは恐れを抱く。

「あぁっまって、まって……!」
「待たない」
「あっあっ、こわ、いの、まってぇ」
「大丈夫だっ、レイチェル」
「だめっ、も、もう、っあぁ!」

 必死に懇願しても、ノアは動きを止めてくれない。それどころか、レイチェルの言葉を受けて一段と早まった動きが、性感を沸かした。穏やかな口調とは裏腹に、飢えた獣が仕留めた獲物を貪るような荒々しさで杭を打たれる。
 その杭が確実にレイチェルの熱を捉え、弾けんばかりに膨れ上がった壺に、深く突き刺さった。

「あああっ、あぁぁぁ!」
「っ……!」

 耐えきれない熱が全身にほとばしり、レイチェルは今宵何度目になるかわからない高みを駆け上がった。それに引きずられるように、さんざん暴れていたノアがレイチェルの中へ欲望の欠片を撒き散らす。
 もっと奥深くにそれを味合わせようとするかのように、ノアは何度か腰を動かす。その度にレイチェルの腰は疼き、ノアの迸りを飲み込んだ。

 ーーーこれで、証はなったのだろうか。

 もはや何も考えられないぼやけた頭でノアを見つめる。快楽の余韻に浸っていたノアが、緩慢な動きでレイチェルの顎を捉えた。

「ふっ、ん……ん」
「良かったよ、レイチェル。……証はなった。約束は、守ろう」

 その一言に、ほっとレイチェルは笑みを浮かべた。これで兄の命にも違うことなく答えられる。

「そ、それじゃあ」
「うん、もう一回やろうか」

 これで終わりですよね? と聞きかけた口のまま、レイチェルは石のように固まった。
 僅かな休息を経て力を取り戻し始めたノアが、レイチェルの中でまた熱を灯し始める。

「へ、えっ、あっあっ、なん、で」

 レイチェルの中に放たれた獣の種子が、律動をより滑らかにさせる。もはや心得たものとばかりにノアが花芽を指で弾けば、レイチェルの体は歓喜に震えた。

「レイチェル、もう一度」
「っひ……!」

 その後どうしたかなんて野暮なこと、語るまでもないだろう。

***

 月光が煌々と夜道を照らす満月の下。仮面をつけた男は腕の中のものを愛おしそうに抱き上げた。

 少し、無茶をさせすぎた。
 堅物具合からいって間違いなく処女だろうとノアはあたりをつけていたが、想像以上の乱れ具合にこちらが乱されてしまった。相性が良かったのか、彼女の感度が高かったのか。まぁ、きっとどちらもだろう、とノアは考えることをやめる。折角気分が良いのだから、余計なことは考えず心地よい気怠さに浸りたかった。

 レイチェルの汚れた顔と下肢をハンカチで綺麗に拭き取って、手錠を外し、服を着させる。飛ばせすぎて気を失っているが、念の為起きてしまわないように眠り薬も嗅がせておいた。これだけ疲れきった体なら、そうそうと目を覚ますことはないだろう。

 外した手錠も、きちんとレイチェルのウエストポーチの中へと戻す。鍵ももちろん忘れない。散々押さえつけられ、金属に擦られたレイチェルの手首は赤くなっている。無体を働いてしまった懺悔をするように、ノアはその腕の赤みに口づけを落とした。

 それにしても、とノアは思い返す。

 今日は楽しい一日だった。新しく見つけた、この国の腐った貴族の闇も暴け出せた。なにより、思いがけないところから僥倖が転がり落ちてきた。

『私の名はレイチェル=キャラット!』
『私を……差し上げます!』

 ほんの少し前の出来事を思い返し、ノアの気分はまたすこし上向きになった。

 地位も名誉も金もいらないのは、本当だ。でもこんなに可愛らしいオマケが付いてくるのであれば、もう少し王国騎士団や貴族の連中と遊んでも良いと思ったのも事実だ。
 モノに執着しないノアの心を、一瞬とはいえレイチェルは捕まえてみせた。破滅したとて構わないと刹那的でいたのに、この世に生き続けてみたいとノアに思わせた。

 とはいえ、それはほんの少しの好奇心のようなものだ。レイチェルがノアを捕まえ続けなければ、ノアは簡単に離れていくだろう。一人のほうがなにかと便利だからだ。

 それでも、煩わしいながらに交渉とも言えない交渉を締結させたのは、偏に期待があるからだろう。約束を取り付けたからには、レイチェルは全力でノアを追いかけ回すはずだ。”市民のため”という大義名分を掲げて。
 麗しい乙女は、どのような世界をノアにこれから見せてくれるのか。想像すると口角が人知れずあがる。どうやら、しばらくは退屈しそうにない。

「俺を、捕まえてみせて。レイチェル」

 カチリ、と仮面を外したノアは、そのままゆっくりと顔を傾けると、夢を漂う瞼にそっと口づけを落とした。

 ノアの素顔を、月だけが見ていた。


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みんなの感想(1件)

クロノス
2019.08.13 クロノス

面白かったです!
レイチェル可愛いです(*´・ω・`)b
ノアとレイチェルのその後の物語等読みたいです(*´・ω・`)
短編で終わるのが勿体ないって感じる位続編読みたいです(・∀・)人(・∀・)

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