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三章
episode 10 愛人の子
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宇佐美祥太郎が十二歳、宇佐美琴子が十歳になっていた。
その日、学校から帰ってきた琴子は、自分たちが暮らしている女将の家に布のカバンを置いた。ランドセルを使っている子も多いけれど、祥太郎と琴子は女将や旅館の人たちに迷惑を掛けたくないと言い張り、二人とも最初から布のカバンで登校していた。
カバンを置くと、すぐに旅館へ向かった。
帳場にはちょうど仲居の由美がいて、琴子に気づくと優しく声をかけた。
「琴子ちゃん、おかえりなさい。今日も学校どうだった?」
「……うん。楽しかったよ」
琴子の小さな声と曖昧な笑顔を見て、由美は胸の奥が少し痛んだ。きっとまた、学校で何か言われたのだろう。琴子が「愛人の子」と呼ばれていることを、由美は知っていた。
琴子はふと、以前祥太郎に言われた言葉を思い出す。
――「俺たちの父親は、片桐一郎。風真と風子の父親だよ。でも母さんが違うんだ。俺たちの母さんは、俺たちを置いてこの双山村から出ていってしまった。そして、その出ていった母さんと片桐一郎の子どもが俺たち。でもあのオヤジは結婚してたのに、母さんと浮気したんだ。だから俺たちは愛人の子なんだよ」
その言葉を思い出すたびに、琴子の胸の奥がぎゅっと締めつけられるようだった。
由美は、祥太郎が「神の子」と呼ばれていた過去のせいか、誰も彼に強くは出られなかった。まるで、触れたら何かが起きるとでも思っているように。学校で特別視され、いじめられることはないが、友達を自分から作るタイプではないことも知っていた。
琴子のことが心配で、以前、女将に「学校での扱いが酷くないでしょうか」と尋ねたことがある。
けれど女将は、静かにこう言った。
「そのことには触れずに、この旅館の中では家族同然に思い、可愛がってあげましょう。私たちが騒げば、琴子が逆にかわいそうだから」
それ以来、由美も、仲居頭も、他の仲居たちも、料理長もスタッフたちも皆、その話題には触れないようにしていた。
由美はにっこり笑って、琴子に声をかけた。
「そうそう、琴子ちゃん。ちょっとおつかい頼めるかな?買うものを書いたメモと一緒にお金も入ってるから」
由美はそう言って、がま口の財布を琴子の手のひらにそっと乗せた。
「それに、余ったお金は琴子ちゃんのお小遣いにしてもいいからさ」
「え!?余ったらお小遣いにしていいの!?」
「シーッ、内緒だよ」由美は人差指を唇に当てて、いたずらっぽく笑った。
琴子はぱっと笑顔になり、「行ってきます!」と元気に言った。
「気をつけて行ってくるんだよー」
「はーい!」
琴子は手を振って女将の家に戻ると、靴を履いて、玄関から外へ飛び出していった。
買い物を終えてから一時間後、旅館への帰り道で、琴子は偶然それを目にした。
静子と一郎の間に風子が挟まれて歩き、二人に手を繋がれて幸せそうに笑っている。その瞬間、琴子の心の奥で何かがプツンと切れた。
父の一郎への思いよりも、風子に対する気持ちは、怒りを通り越して、どうしようもない憎しみに変わっていった。
私たちのお父さんだったのに……!この気持ちを祥太郎に話したら、なんて言うだろうか!?
その心の叫びが、琴子の胸を締めつけた。
最近、祥太郎は学校から帰るとどこかに出かけていく。夕方になると戻ってくるが、「どこに行ってたの?」と訊いても、「別にどこってわけじゃなくて、その辺をぶらぶらしてるだけ」としか言わない。
気になって、祥太郎と仲のいい料理長に訊いてみたが、「あれくらいの年齢になると、男の子だから一人でどこかほっつき歩いてくるんだろう」と言うだけだった。料理長がそう言うなら、そうなのかな?……。それでも、琴子の胸の奥には、言葉にできないモヤモヤが残っていた。
宇佐美祥太郎が十二歳、宇佐美琴子が十歳になっていた。
その日、学校から帰ってきた琴子は、自分たちが暮らしている女将の家に布のカバンを置いた。ランドセルを使っている子も多いけれど、祥太郎と琴子は女将や旅館の人たちに迷惑を掛けたくないと言い張り、二人とも最初から布のカバンで登校していた。
カバンを置くと、すぐに旅館へ向かった。
帳場にはちょうど仲居の由美がいて、琴子に気づくと優しく声をかけた。
「琴子ちゃん、おかえりなさい。今日も学校どうだった?」
「……うん。楽しかったよ」
琴子の小さな声と曖昧な笑顔を見て、由美は胸の奥が少し痛んだ。きっとまた、学校で何か言われたのだろう。琴子が「愛人の子」と呼ばれていることを、由美は知っていた。
琴子はふと、以前祥太郎に言われた言葉を思い出す。
――「俺たちの父親は、片桐一郎。風真と風子の父親だよ。でも母さんが違うんだ。俺たちの母さんは、俺たちを置いてこの双山村から出ていってしまった。そして、その出ていった母さんと片桐一郎の子どもが俺たち。でもあのオヤジは結婚してたのに、母さんと浮気したんだ。だから俺たちは愛人の子なんだよ」
その言葉を思い出すたびに、琴子の胸の奥がぎゅっと締めつけられるようだった。
由美は、祥太郎が「神の子」と呼ばれていた過去のせいか、誰も彼に強くは出られなかった。まるで、触れたら何かが起きるとでも思っているように。学校で特別視され、いじめられることはないが、友達を自分から作るタイプではないことも知っていた。
琴子のことが心配で、以前、女将に「学校での扱いが酷くないでしょうか」と尋ねたことがある。
けれど女将は、静かにこう言った。
「そのことには触れずに、この旅館の中では家族同然に思い、可愛がってあげましょう。私たちが騒げば、琴子が逆にかわいそうだから」
それ以来、由美も、仲居頭も、他の仲居たちも、料理長もスタッフたちも皆、その話題には触れないようにしていた。
由美はにっこり笑って、琴子に声をかけた。
「そうそう、琴子ちゃん。ちょっとおつかい頼めるかな?買うものを書いたメモと一緒にお金も入ってるから」
由美はそう言って、がま口の財布を琴子の手のひらにそっと乗せた。
「それに、余ったお金は琴子ちゃんのお小遣いにしてもいいからさ」
「え!?余ったらお小遣いにしていいの!?」
「シーッ、内緒だよ」由美は人差指を唇に当てて、いたずらっぽく笑った。
琴子はぱっと笑顔になり、「行ってきます!」と元気に言った。
「気をつけて行ってくるんだよー」
「はーい!」
琴子は手を振って女将の家に戻ると、靴を履いて、玄関から外へ飛び出していった。
買い物を終えてから一時間後、旅館への帰り道で、琴子は偶然それを目にした。
静子と一郎の間に風子が挟まれて歩き、二人に手を繋がれて幸せそうに笑っている。その瞬間、琴子の心の奥で何かがプツンと切れた。
父の一郎への思いよりも、風子に対する気持ちは、怒りを通り越して、どうしようもない憎しみに変わっていった。
私たちのお父さんだったのに……!この気持ちを祥太郎に話したら、なんて言うだろうか!?
その心の叫びが、琴子の胸を締めつけた。
最近、祥太郎は学校から帰るとどこかに出かけていく。夕方になると戻ってくるが、「どこに行ってたの?」と訊いても、「別にどこってわけじゃなくて、その辺をぶらぶらしてるだけ」としか言わない。
気になって、祥太郎と仲のいい料理長に訊いてみたが、「あれくらいの年齢になると、男の子だから一人でどこかほっつき歩いてくるんだろう」と言うだけだった。料理長がそう言うなら、そうなのかな?……。それでも、琴子の胸の奥には、言葉にできないモヤモヤが残っていた。
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