6 / 6
6
しおりを挟む
翌日からも、景吾の態度はさほど変わらなかった。
警戒していた自分が馬鹿に思えるほど、自然に、いつもの景吾だった。
「景吾?」
キトゥンブルーから、玉城の言っていた瞳の色の変化の過程を記録するのだと、さながら動物カメラマンのように、珊瑚にスマホを向ける景吾に呼びかける。
「お昼は何を食べようか。」
外は雪曇り。降り出しそうで降らないが、風が冷たく寒い。家の中で食事を済ませたかった。
「温かいものがいいですね。あぁ。冷凍のうどんがあったでしょう。」
「ほんとに君は、うちの冷蔵庫を把握しているね。」
「買い物、一緒に行くようになれば、もっとですよ。」
「宅配も、移動販売も来るけど、やっぱり見て買いたいからね。アウトバックはスタッドレスに履き替えたの?」
冬用タイヤなのか、オールシーズンなのかは重要なところである。ちなみに自分のインプレッサは冬用だし、万一に備えてチェーンの用意もある。
「履き替えてます。安心していいですよ。」
「それは頼もしいな。」
言うと、そうだ、となにか思いついたように、真剣な顔をした。
「その。俺の役は、恋人になる前、後?それとも夫ですか?」
泣いて腫れた瞼の顔が引きつる。
素直に言うべきか。
逡巡して、しかし答えを待っている景吾に、小さな声でぽそぽそと言った。聞こえなかったようで、ん?と聞き返される。
「あぁもう・・・。だから・・・付き合う前の・・・そのできれば体の関係がないくらいの・・・。」
「あぁ!だいぶピュアな年ごろの設定なんですね?」
「いや・・・それは・・・そうじゃなくて・・・。」
「うんうん。こうやって話しながら、ストーリーを煮詰めていくんですか?」
「・・・いつもじゃないけど。」
景吾は興味津々だ。
「とにかく。バツイチ子なしのアラサーが、若い子にホントの恋を教えられちゃうお話なんだよ。」
それっぽく、でっち上げた設定を口にする。
「あぁ。なるほど。ちょうど俺と咲夜さんくらいの年の差なわけだ。あぁーなるほどそれで・・・。」
それで?
顔が熱くなっていて、景吾の方を向けない。慌ててキッチンに逃げて、大声で叫ぶ。
「た、たぬきうどんでいいかい?」
「はい!ネギ多めで!」
気配で、景吾がまた珊瑚をかまいだしたのを感じながら、冷凍庫を開けて、うどんを二つ出す。IHに鍋をかけて、キッチンから珊瑚と遊ぶ景吾を眺める。
ほんと。いいお父さんになりそうだなぁ。
ごっこ遊びには終わりがある。
間違えるな咲夜。
自分に言い聞かせて、キッチンに戻った。
お昼を食べた後は、それぞれ仕事をすることになり、景吾は居間に、自分は自室へとこもった。珊瑚はケージでお昼寝だ。
景吾はタブレットで仕事をするようなので、覗かないようにしながら、次回作の構想を練る。この話は、もし出版につながったら、景吾も読むだろうから、それなりに書かなくてはいけない。
バツイチのアラサーの女性。元夫はきっとモラハラが酷いか、DVで身の危険を感じて・・・?
『彼』はそんなにひどい人だったろうか。
自分に置き換えて考えてしまう。
酷いというか・・・。セックスをしたいときに、家を訪れて、することをしたら帰る。さして会話もなかったように思う。付き合っていた、と思っていたのは自分だけで、彼からしたら、ただのセックスフレンドの一人だったかもしれない。それくらい、彼のことを知らない。だから、家に来なくなったとき、連絡手段がなくて、捨てられたことに気が付くまで・・・認められるまで、ずいぶんかかったように思う。あるいは、今も、認められずにいるから、夢にまで見て泣きぬれていたのだ。
ところが今はどうだろう。
景吾が初めに訪れた夏の日から、考えているのは、『彼』ではなく景吾のことばかりだ。冬になるまで、友達だと言った自分に音沙汰もなく、また、もなく・・・。
ただ「昨夜のことが忘れられない。」というフレーズに翻弄されて・・・。
あぁ。きっと一目惚れをしたのだな。
千鳥の彼に。
妙に納得して、万年筆を手に取る。インクは、孔雀色。
プロット用のノートを広げて、筆を走らせる。
そこで、ハタと気づいた。
もし、小説の参考に『抱いてほしい』と言ったなら、景吾はどうするだろうか?
いや。いくら優しい彼でも、そんなことにまで付き合うまい。
それよりも。『彼』に抱かれた体を抱いたら、景吾がけがれてしまうような気がする。
私の体は、汚れているから。
なんで、あんなことしていたんだろう。
『彼』との始まりを思い出す。
けれど、霞がかかったように、どんな出会いだったか思い出せない。
疲れていたのは覚えている。毎日惰性で生きていた。
ぼんやりと。
『彼』に抱かれることで、生かされていたことだけは確かだった。
必要とされている気になれたから。
男同士だから、生殖行為ではない。意味はない。快楽もえられなかった。
満足そうに、精を吐き捨てて帰る『彼』を見送れなくて、いつも布団にくるまっていた。
それでよかった。
あの時の自分には、『彼』が必要だった。
でも、もういらない。
景吾・・・もし・・・。
男を抱けるなら・・・。
考えかけてかぶりを振る。
だめだ。考えちゃいけない。
それを強いるのは、この関係にひびを入れる。確実に。
やさしく、真綿で首を絞めるような、苦しい恋の話にしよう。
やはり、ハッピーエンドにはなりそうにないな。
想像もできない。
書きながら考えよう。
どうにかなるさ。
ぱたりとペンを置いて、時計を見る。
やつ時だ。
景吾にコーヒーでも淹れに行こう。
お菓子は確か、フィナンシェがあったはず。
あぁいいな。こんな風に、ご飯とお茶の話で埋め尽くされた物語。
とてもやさしくて、リアリティのない。今までの作風にない感じ。
「さて。担当さんは、なんて言うだろうか・・・ね。」
「咲夜さん、進捗いかがです?」
とは、コーヒーを一口した、景吾の言である。
「うん。まぁまぁ。・・・やっぱり、ハッピーエンドにはならなそうかなぁ・・・。でも、それはそれで、自分なりにいいかなって思ってみたりしているところ。」
すると不思議そうな顔をした。
「俺が相手なのに、なんでハッピーエンドにならないんです?」
「そ・・・れは・・・。」
官能小説ほどではないにしろ、ある程度の濡れ場が必要だから、とは言えない。
「ほのぼのしたお話にしようかと。でも、きっと最後は自然消滅だね。」
「どうして?」
「どうしてって・・・。」
それは。
「君が、ほかに好きになった女性と結婚するからだよ。」
「なんですかそれ・・・。」
「なんですかって・・・その方が自然じゃないかい?
年の近いきれいな女性と結ばれて、子供でも生まれたら・・・。」
言いながら、学生時代のトラウマが脳裏をかすめてしまい、言葉に詰まる。
「咲夜さん?」
「あ・・・いや。ごめん。妊娠とか、出産とか、おめでたいことなのに・・・ちょっとというか・・・かなり苦手で。」
かいつまんで、トラウマの原因を話すと、景吾は眉をひそめた。
「その教育は逆効果ですよね。少子化に拍車がかかる。」
「だよね。」
わかってくれて助かった。
「・・・それで、咲夜さんは女性苦手になっちゃったんですか。」
ドキ。
「っていうよりかは・・・恋愛対象が、もしかして男性・・・。」
「景吾。君とそういう話はしたくない。」
ぴしゃりと拒絶すると、景吾は一瞬ひるんだが、強い口調でこう言った。
「俺は、咲夜さんの恋人になる男ですよ。」
呆気に取られて、頭が白くなりかけるが、すぐに小説のことだと思い出す。
「だからそれは・・・私の仕事のための疑似恋愛だろう?」
問いかけると、景吾は眉を寄せて哀しそうな顔をした。
「まだ・・・今は。それでいいです。」
ゆっくりいきましょう。
景吾は、言うだけ言って、ぬるくなったコーヒーをあおり、フィナンシェのかけらを飲み込んだ。
恋人になる?
本気なのか冗談なのかわからないまま、今日のお茶会は終わったようだった。
景吾と、どこかで会っているんじゃないだろうか?
そんな疑念がわいたのは、某出版社の忘年会の招待状が届いたからだった。
何年か前に一度出たきり、ずっと欠席しているが、もしかして・・・。玉城も、同業なんじゃないかと言っていたし、仕事内容を隠しているのもおかしい。
でも・・・記憶にはない。
やはり、思い過ごしだな。
そう結論付けて、風呂を上がる。脱衣所にも暖房を入れてはいるが、それでもひんやりする。鏡を見ながら、髪をタオルで乱暴に拭き上げて、雑に化粧水を塗る。パジャマに着替えて、今日は自室で寝ようか、と思っていると、見透かしたようにドアの向こうから、寝室で待ってますね、と景吾が言うのだ。
逃げられないな。
苦しい。
景吾の懐はあたたかくて心地いい。鶏の腹の下で、温められている卵の心地。でも、いつかそれで孵化するのは、きっと醜い欲望だ。
抱いてほしくて、体が疼く。どうにかしなくては。
もう、一人で、前を触るだけでは、慰めきれないのだ。
体の奥が淋しい。奥に欲しい。
景吾の体に触れるたびに、不意にその中心に目がいってしまう。それが欲しい。
顔に出ていやしないかと冷や冷やする。
ともすれば抱いてほしいと懇願してしまいそうな自分がいる。でもそれは、破滅の序章だ。
それだけは絶対に駄目だ。
「景吾、今日は別々に寝ないかい?」
「どうしてですか?」
「だって、私と君は、まだ告白すらしてない設定なのに、一緒に寝るのはおかしいよ。」
それらしく告げる。
すると景吾は、恭しくひざまずいて、私の手を取った。
「咲夜さんが好きです。俺とお付き合いしてください。」
「なっ・・・んでそうなっちゃうの・・・。」
景吾は首をかしげて、答えを待っている。
「イエス?ノー?」
お付き合いする前提なら、是と答えるべきだろう。
「ねぇ景吾。私は女性の設定だけれど・・・体は見ての通り男なんだよ?」
「それがどうかしましたか?」
「どうかするでしょ。何を言っているの。」
困ってしまって、景吾の目を見る。瞳には揺るぎがない。
まっすぐ見つめられてたじろいでしまう。
「・・・イエス・・・。」
応えると、景吾は目に見えて破顔した。
「よかった。抱きしめてもいいですか?」
「えぇ・・・。」
そんなことされたら欲が出てしまうじゃないか。
男も抱ける?
口にしそうになるのを必死でこらえる。
きつく抱きしめられ、吐息が耳にかかる。
「あれ・・・。ピアスの・・・跡ですか?」
「・・・あ。うん。昔ね。」
「ふさがってるんです?」
こくりと頷いて苦笑する。
「はは。もう若くないし、そこにピアスをつける意味、分かるだろう?」
ゲイだ、と告白して、出方を窺う。
「自分で開けたんですか?」
「え・・・と・・・。」
『彼』に開けられたとは言えずに俯いてしまう。
「・・・上書きしていいですか?プレゼントするので、開けさせてください。」
「え?」
見上げると、景吾はいつになく真剣な顔だ。
「なんで?」
「わかりませんか?」
独占欲ですよ、と耳元に囁かれて、腰が抜け、へたり込んでしまった。
上書きする、と宣言した景吾の行動は早かった。
ネットで、ニードルとファーストピアスを手配すると、届くのが待ち遠しいですねと笑う。
一度開けているし、痛みに対する恐怖はないが、景吾の笑みが底知れなくて怖かった。
「石は、俺の誕生石です。」
と言われて、タブレットの画面を見ると、プラチナにダイアモンド。プレゼントだとは言ったが、かなり高価なものだ。
「君、人の耳に穴をあけたことがあるの?」
「ないですよ。咲夜さんが初めてです。・・・だって、悔しいじゃないですか。他の男の跡なんて、消してあげますよ。」
強気な景吾に、しかし不覚にも胸が高鳴るのを感じる。
消してくれる?
景吾のものにしてくれる?
なんて甘美な誘惑だろうか。
「明後日には届くので、覚悟しておいてくださいね。」
「・・・うん。」
タブレットに充電コードを指して、カバーを閉じる。
常夜灯に切り替えて、毛布にくるまった。
「ねぇ・・・咲夜さん。前の人と別れて何年ですか?」
「・・・わからないんだ。自然消滅だから。でも、八年は会ってない。」
「じゃぁもう。時効でいいでしょう。」
景吾は、そっと手に指を絡めてきた。
「咲夜さんが書く小説の濡れ場は・・・咲夜さんの理想ですか?」
あんな風に抱かれたいかと聞かれているのだとわかった。
「優しく・・・されてみたいとは思う。気持ちよかったことが、正直ないんだ。男同士だからかな。苦痛だったよ。」
ごめん、聞きたくないよね、と顔を伏せる。
「俺も男は初めてなので・・・でも、やり方は知ってますよ。慣れるまでは痛いみたいですけど・・・気持ちよくなれるまで、いっぱい抱きますね。」
「そ・・・れは、小説の参考として?」
思わぬ申し出に、驚いて、がばっと跳ね起きた。
「愛情表現としてですよ。」
愛情・・・?
「君、私に愛情を持っているの?」
「そうです。いけませんか?」
どきどきする。
見上げてくる景吾の目は、嘘を言っているようには見えない。
「い・・・いつから?」
「それは・・・。」
景吾が言い淀む。
「それは?」
「まだ、教えてあげません。」
景吾は気配で笑うと、そっと毛布を整えて、寝ましょうよと促した。もそ、と景吾の体に寄り添う。肩を抱かれ、景吾の心臓の音を聞く。
早い・・・気がする・・・。
景吾も緊張しているんだな。
「咲夜さん。俺に愛されてくれますか?」
「・・・君が時効だっていうのなら。こんな汚い体でいいのなら・・・。」
「じゃぁ。愛され方から覚えましょう。俺を愛してくれるのは、その後でいいですよ。」
まずは、自分を愛してあげて。
そう言うと、景吾は額に一つ、キスを落とした。
警戒していた自分が馬鹿に思えるほど、自然に、いつもの景吾だった。
「景吾?」
キトゥンブルーから、玉城の言っていた瞳の色の変化の過程を記録するのだと、さながら動物カメラマンのように、珊瑚にスマホを向ける景吾に呼びかける。
「お昼は何を食べようか。」
外は雪曇り。降り出しそうで降らないが、風が冷たく寒い。家の中で食事を済ませたかった。
「温かいものがいいですね。あぁ。冷凍のうどんがあったでしょう。」
「ほんとに君は、うちの冷蔵庫を把握しているね。」
「買い物、一緒に行くようになれば、もっとですよ。」
「宅配も、移動販売も来るけど、やっぱり見て買いたいからね。アウトバックはスタッドレスに履き替えたの?」
冬用タイヤなのか、オールシーズンなのかは重要なところである。ちなみに自分のインプレッサは冬用だし、万一に備えてチェーンの用意もある。
「履き替えてます。安心していいですよ。」
「それは頼もしいな。」
言うと、そうだ、となにか思いついたように、真剣な顔をした。
「その。俺の役は、恋人になる前、後?それとも夫ですか?」
泣いて腫れた瞼の顔が引きつる。
素直に言うべきか。
逡巡して、しかし答えを待っている景吾に、小さな声でぽそぽそと言った。聞こえなかったようで、ん?と聞き返される。
「あぁもう・・・。だから・・・付き合う前の・・・そのできれば体の関係がないくらいの・・・。」
「あぁ!だいぶピュアな年ごろの設定なんですね?」
「いや・・・それは・・・そうじゃなくて・・・。」
「うんうん。こうやって話しながら、ストーリーを煮詰めていくんですか?」
「・・・いつもじゃないけど。」
景吾は興味津々だ。
「とにかく。バツイチ子なしのアラサーが、若い子にホントの恋を教えられちゃうお話なんだよ。」
それっぽく、でっち上げた設定を口にする。
「あぁ。なるほど。ちょうど俺と咲夜さんくらいの年の差なわけだ。あぁーなるほどそれで・・・。」
それで?
顔が熱くなっていて、景吾の方を向けない。慌ててキッチンに逃げて、大声で叫ぶ。
「た、たぬきうどんでいいかい?」
「はい!ネギ多めで!」
気配で、景吾がまた珊瑚をかまいだしたのを感じながら、冷凍庫を開けて、うどんを二つ出す。IHに鍋をかけて、キッチンから珊瑚と遊ぶ景吾を眺める。
ほんと。いいお父さんになりそうだなぁ。
ごっこ遊びには終わりがある。
間違えるな咲夜。
自分に言い聞かせて、キッチンに戻った。
お昼を食べた後は、それぞれ仕事をすることになり、景吾は居間に、自分は自室へとこもった。珊瑚はケージでお昼寝だ。
景吾はタブレットで仕事をするようなので、覗かないようにしながら、次回作の構想を練る。この話は、もし出版につながったら、景吾も読むだろうから、それなりに書かなくてはいけない。
バツイチのアラサーの女性。元夫はきっとモラハラが酷いか、DVで身の危険を感じて・・・?
『彼』はそんなにひどい人だったろうか。
自分に置き換えて考えてしまう。
酷いというか・・・。セックスをしたいときに、家を訪れて、することをしたら帰る。さして会話もなかったように思う。付き合っていた、と思っていたのは自分だけで、彼からしたら、ただのセックスフレンドの一人だったかもしれない。それくらい、彼のことを知らない。だから、家に来なくなったとき、連絡手段がなくて、捨てられたことに気が付くまで・・・認められるまで、ずいぶんかかったように思う。あるいは、今も、認められずにいるから、夢にまで見て泣きぬれていたのだ。
ところが今はどうだろう。
景吾が初めに訪れた夏の日から、考えているのは、『彼』ではなく景吾のことばかりだ。冬になるまで、友達だと言った自分に音沙汰もなく、また、もなく・・・。
ただ「昨夜のことが忘れられない。」というフレーズに翻弄されて・・・。
あぁ。きっと一目惚れをしたのだな。
千鳥の彼に。
妙に納得して、万年筆を手に取る。インクは、孔雀色。
プロット用のノートを広げて、筆を走らせる。
そこで、ハタと気づいた。
もし、小説の参考に『抱いてほしい』と言ったなら、景吾はどうするだろうか?
いや。いくら優しい彼でも、そんなことにまで付き合うまい。
それよりも。『彼』に抱かれた体を抱いたら、景吾がけがれてしまうような気がする。
私の体は、汚れているから。
なんで、あんなことしていたんだろう。
『彼』との始まりを思い出す。
けれど、霞がかかったように、どんな出会いだったか思い出せない。
疲れていたのは覚えている。毎日惰性で生きていた。
ぼんやりと。
『彼』に抱かれることで、生かされていたことだけは確かだった。
必要とされている気になれたから。
男同士だから、生殖行為ではない。意味はない。快楽もえられなかった。
満足そうに、精を吐き捨てて帰る『彼』を見送れなくて、いつも布団にくるまっていた。
それでよかった。
あの時の自分には、『彼』が必要だった。
でも、もういらない。
景吾・・・もし・・・。
男を抱けるなら・・・。
考えかけてかぶりを振る。
だめだ。考えちゃいけない。
それを強いるのは、この関係にひびを入れる。確実に。
やさしく、真綿で首を絞めるような、苦しい恋の話にしよう。
やはり、ハッピーエンドにはなりそうにないな。
想像もできない。
書きながら考えよう。
どうにかなるさ。
ぱたりとペンを置いて、時計を見る。
やつ時だ。
景吾にコーヒーでも淹れに行こう。
お菓子は確か、フィナンシェがあったはず。
あぁいいな。こんな風に、ご飯とお茶の話で埋め尽くされた物語。
とてもやさしくて、リアリティのない。今までの作風にない感じ。
「さて。担当さんは、なんて言うだろうか・・・ね。」
「咲夜さん、進捗いかがです?」
とは、コーヒーを一口した、景吾の言である。
「うん。まぁまぁ。・・・やっぱり、ハッピーエンドにはならなそうかなぁ・・・。でも、それはそれで、自分なりにいいかなって思ってみたりしているところ。」
すると不思議そうな顔をした。
「俺が相手なのに、なんでハッピーエンドにならないんです?」
「そ・・・れは・・・。」
官能小説ほどではないにしろ、ある程度の濡れ場が必要だから、とは言えない。
「ほのぼのしたお話にしようかと。でも、きっと最後は自然消滅だね。」
「どうして?」
「どうしてって・・・。」
それは。
「君が、ほかに好きになった女性と結婚するからだよ。」
「なんですかそれ・・・。」
「なんですかって・・・その方が自然じゃないかい?
年の近いきれいな女性と結ばれて、子供でも生まれたら・・・。」
言いながら、学生時代のトラウマが脳裏をかすめてしまい、言葉に詰まる。
「咲夜さん?」
「あ・・・いや。ごめん。妊娠とか、出産とか、おめでたいことなのに・・・ちょっとというか・・・かなり苦手で。」
かいつまんで、トラウマの原因を話すと、景吾は眉をひそめた。
「その教育は逆効果ですよね。少子化に拍車がかかる。」
「だよね。」
わかってくれて助かった。
「・・・それで、咲夜さんは女性苦手になっちゃったんですか。」
ドキ。
「っていうよりかは・・・恋愛対象が、もしかして男性・・・。」
「景吾。君とそういう話はしたくない。」
ぴしゃりと拒絶すると、景吾は一瞬ひるんだが、強い口調でこう言った。
「俺は、咲夜さんの恋人になる男ですよ。」
呆気に取られて、頭が白くなりかけるが、すぐに小説のことだと思い出す。
「だからそれは・・・私の仕事のための疑似恋愛だろう?」
問いかけると、景吾は眉を寄せて哀しそうな顔をした。
「まだ・・・今は。それでいいです。」
ゆっくりいきましょう。
景吾は、言うだけ言って、ぬるくなったコーヒーをあおり、フィナンシェのかけらを飲み込んだ。
恋人になる?
本気なのか冗談なのかわからないまま、今日のお茶会は終わったようだった。
景吾と、どこかで会っているんじゃないだろうか?
そんな疑念がわいたのは、某出版社の忘年会の招待状が届いたからだった。
何年か前に一度出たきり、ずっと欠席しているが、もしかして・・・。玉城も、同業なんじゃないかと言っていたし、仕事内容を隠しているのもおかしい。
でも・・・記憶にはない。
やはり、思い過ごしだな。
そう結論付けて、風呂を上がる。脱衣所にも暖房を入れてはいるが、それでもひんやりする。鏡を見ながら、髪をタオルで乱暴に拭き上げて、雑に化粧水を塗る。パジャマに着替えて、今日は自室で寝ようか、と思っていると、見透かしたようにドアの向こうから、寝室で待ってますね、と景吾が言うのだ。
逃げられないな。
苦しい。
景吾の懐はあたたかくて心地いい。鶏の腹の下で、温められている卵の心地。でも、いつかそれで孵化するのは、きっと醜い欲望だ。
抱いてほしくて、体が疼く。どうにかしなくては。
もう、一人で、前を触るだけでは、慰めきれないのだ。
体の奥が淋しい。奥に欲しい。
景吾の体に触れるたびに、不意にその中心に目がいってしまう。それが欲しい。
顔に出ていやしないかと冷や冷やする。
ともすれば抱いてほしいと懇願してしまいそうな自分がいる。でもそれは、破滅の序章だ。
それだけは絶対に駄目だ。
「景吾、今日は別々に寝ないかい?」
「どうしてですか?」
「だって、私と君は、まだ告白すらしてない設定なのに、一緒に寝るのはおかしいよ。」
それらしく告げる。
すると景吾は、恭しくひざまずいて、私の手を取った。
「咲夜さんが好きです。俺とお付き合いしてください。」
「なっ・・・んでそうなっちゃうの・・・。」
景吾は首をかしげて、答えを待っている。
「イエス?ノー?」
お付き合いする前提なら、是と答えるべきだろう。
「ねぇ景吾。私は女性の設定だけれど・・・体は見ての通り男なんだよ?」
「それがどうかしましたか?」
「どうかするでしょ。何を言っているの。」
困ってしまって、景吾の目を見る。瞳には揺るぎがない。
まっすぐ見つめられてたじろいでしまう。
「・・・イエス・・・。」
応えると、景吾は目に見えて破顔した。
「よかった。抱きしめてもいいですか?」
「えぇ・・・。」
そんなことされたら欲が出てしまうじゃないか。
男も抱ける?
口にしそうになるのを必死でこらえる。
きつく抱きしめられ、吐息が耳にかかる。
「あれ・・・。ピアスの・・・跡ですか?」
「・・・あ。うん。昔ね。」
「ふさがってるんです?」
こくりと頷いて苦笑する。
「はは。もう若くないし、そこにピアスをつける意味、分かるだろう?」
ゲイだ、と告白して、出方を窺う。
「自分で開けたんですか?」
「え・・・と・・・。」
『彼』に開けられたとは言えずに俯いてしまう。
「・・・上書きしていいですか?プレゼントするので、開けさせてください。」
「え?」
見上げると、景吾はいつになく真剣な顔だ。
「なんで?」
「わかりませんか?」
独占欲ですよ、と耳元に囁かれて、腰が抜け、へたり込んでしまった。
上書きする、と宣言した景吾の行動は早かった。
ネットで、ニードルとファーストピアスを手配すると、届くのが待ち遠しいですねと笑う。
一度開けているし、痛みに対する恐怖はないが、景吾の笑みが底知れなくて怖かった。
「石は、俺の誕生石です。」
と言われて、タブレットの画面を見ると、プラチナにダイアモンド。プレゼントだとは言ったが、かなり高価なものだ。
「君、人の耳に穴をあけたことがあるの?」
「ないですよ。咲夜さんが初めてです。・・・だって、悔しいじゃないですか。他の男の跡なんて、消してあげますよ。」
強気な景吾に、しかし不覚にも胸が高鳴るのを感じる。
消してくれる?
景吾のものにしてくれる?
なんて甘美な誘惑だろうか。
「明後日には届くので、覚悟しておいてくださいね。」
「・・・うん。」
タブレットに充電コードを指して、カバーを閉じる。
常夜灯に切り替えて、毛布にくるまった。
「ねぇ・・・咲夜さん。前の人と別れて何年ですか?」
「・・・わからないんだ。自然消滅だから。でも、八年は会ってない。」
「じゃぁもう。時効でいいでしょう。」
景吾は、そっと手に指を絡めてきた。
「咲夜さんが書く小説の濡れ場は・・・咲夜さんの理想ですか?」
あんな風に抱かれたいかと聞かれているのだとわかった。
「優しく・・・されてみたいとは思う。気持ちよかったことが、正直ないんだ。男同士だからかな。苦痛だったよ。」
ごめん、聞きたくないよね、と顔を伏せる。
「俺も男は初めてなので・・・でも、やり方は知ってますよ。慣れるまでは痛いみたいですけど・・・気持ちよくなれるまで、いっぱい抱きますね。」
「そ・・・れは、小説の参考として?」
思わぬ申し出に、驚いて、がばっと跳ね起きた。
「愛情表現としてですよ。」
愛情・・・?
「君、私に愛情を持っているの?」
「そうです。いけませんか?」
どきどきする。
見上げてくる景吾の目は、嘘を言っているようには見えない。
「い・・・いつから?」
「それは・・・。」
景吾が言い淀む。
「それは?」
「まだ、教えてあげません。」
景吾は気配で笑うと、そっと毛布を整えて、寝ましょうよと促した。もそ、と景吾の体に寄り添う。肩を抱かれ、景吾の心臓の音を聞く。
早い・・・気がする・・・。
景吾も緊張しているんだな。
「咲夜さん。俺に愛されてくれますか?」
「・・・君が時効だっていうのなら。こんな汚い体でいいのなら・・・。」
「じゃぁ。愛され方から覚えましょう。俺を愛してくれるのは、その後でいいですよ。」
まずは、自分を愛してあげて。
そう言うと、景吾は額に一つ、キスを落とした。
8
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
交際0日婚の溺愛事情
江多之折(エタノール)
BL
死にたくはない。でも、生きたくもない。ふらふらと彷徨う根無し草は、世界の怖さを知っている。救いの手は、選ばれた者にだけ差し伸べられることも知っている。
だから緩やかに終わりを探して生きていた。
──たった数回の鬼ごっこを経験するまでは。
誠実すぎて怖い人は、4回目の顔合わせで僕の夫となる。
そんな怖がりな男と誠実な男の、結婚生活の始まり。
■現実だけど現実じゃない、そんな気持ちで読んでください。
■家庭に関してトラウマを抱えている方は読まない方が良いと思います。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です
はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。
自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。
ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。
外伝完結、続編連載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる