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けたたましい鶏の声に目を覚ます。
しまった。寝過ごした?
いつもよりも、深い眠りに落ちていた感覚に、しかし右手を見ると、景吾の指がしっかりと絡んでいた。
恋人つなぎだ・・・。
寝ている間に離れないようにそうしたのだろう。あまりのことに、一気に覚醒し、体が熱くなる。
「景吾・・・景吾、おはよう。」
遠慮がちに、まだぐっすり眠っている景吾に声をかける。
すると、まつげの先がピクリと動いた。
「ん・・・咲夜さん。」
景吾は、寝ぼけているのか、するりと手を離すと、そのまま肩を抱き、ぎゅうっと抱き寄せて体を密着させた。
口から飛び出しそうな勢いの胸の音を、聞かれるのが恥ずかしくて、ぐい、と押し返してみたが、ちっとも動かない。
なんて力の強い・・・。
「け、い、ご・・・苦しいよ。放して・・・。」
「ん・・・。んん?・・・あ、咲夜さん。おはようございます。」
「うん。おはよう。あの・・・寝ぼけちゃったの?」
「そうみたいですけど、間違いではないので、大丈夫です。」
景吾が何を言っているか理解できなくて、口をパクパクしてしまう。
「えっと・・・鶏が、餌を待ってる声がするから。」
「あぁ。それはいけない。」
景吾はのんびりと、腕を引きはがすと、よく眠れましたか、と問うてきた。
「うん。眠れた。・・・ありがとう。疲れてたのかな。
君の腕はなんだか・・・居心地いいね。」
「ふふ。よかった。じゃぁ、まいにち一緒に寝ましょうね。」
景吾の提案に、まんざらでもないな、と思ったとき、鶏が一声高く鳴いた。
着替えを済ませて、景吾とともに鶏小屋の掃除と、餌の世話をしに行くと、そこには珍客がいた。
小屋の藁の中に、卵ではない白いモフモフ。
「ねこ・・・ですかね。」
「猫だねぇ・・・。」
手のひらより少し大きいくらいの子猫が、鶏小屋に迷い込んでいたようである。
「それで、騒いでたんですね。・・・どうします?」
うーんと唸る。
ここに置いておいたら、母猫が迎えに来るかもしれないが、何しろ気温が低すぎる。子猫を抱き上げてみると、震えが止まらない様子で、このままでは少し危険だと思われた。
「少し世話してみようか。」
「できますか?」
「うん。やったことあるよ。とりあえず街の獣医に見てもらおう。駆虫してもらって、うちで面倒見るよ。」
「飼うんですか?」
「里親探してみる。」
そう言うと、景吾は嫌なことを思い出したと天を仰いだ。
「どうしたの?」
「その・・・。」
ひどい話だからあんまり言いたくないんですけど・・・。
と、前置いて、食べたりする人、いるみたいで・・・。
安易に里親に出すのは賛成できないなって、と続けた。
「・・・え?」
なんて言った?
食べるって言ったか?
景吾の顔をうかがうと、詳しくは聞かないほうがいいです、と黙り込んでしまう。
「それは・・・ちょっと怖いな。・・・じゃぁうちで飼う?」
「少なくとも、ぬいぐるみ集めるよりは、健康的じゃないですか?」
ちょっと妬けますけど、と景吾は口がへの字だ。
景吾は、時々よくわからない言動をする。慣れてはきたが、聞き流していていいものなんだろうか。向き合わずにいていいものなんだろうか。
それより今は猫だ。
「湯たんぽあるから、箱に入れて、水分取らせて・・・。
私たちの朝ご飯は・・・出汁巻きはまた今度でいいかい?
おにぎり作るから、食べたらすぐ出よう。」
景吾がうなずくのを見て取って、段ボール箱を探しに納戸へ向かう。手ごろな箱があったので、使い古しの毛布と新聞紙を敷いて、湯たんぽを入れてやる。ガーゼに水を含ませて、口元に近づけると、ちゅうちゅうと吸いついたので、これは帰りに哺乳瓶も買わなきゃだな、と思案する。
「悪いけど、車出してくれるかい?猫用のミルクも買わなきゃ。」
「もちろん。俺、おにぎり作りますよ。咲夜さんは、猫見ててやってください。」
「うん。任せた。」
幸い、鶏にいじめられたような怪我はなさそうだ。
野良猫は、寄生虫も心配だから、とりあえず獣医に連れていく。お金はかかるが、命には代えられない。
子猫は、しばらくガーゼから水を吸っていたが、やがて湯たんぽの力を借りて体が温まったのか、ミーミーと元気に鳴き始めた。
「景吾、今のうちに朝ごはん食べちゃおう。
わ。おにぎり美味しそうだね。」
景吾が作ったのは、味噌を塗った焼きおにぎりである。それに、インスタントのお吸い物。たくあんが添えられていた。
「君、うちの冷蔵庫の中をよくもここまで把握したもんだね。」
「食べられて困るものには、名前を書かないといけなくなりますね。」
そんな景吾に、あははと笑って、温かいご飯に手を合わせる。
あぁ。幸せってこんな感じだろうか。
わるくない・・・。
景吾の好きな人がうらやましいな・・・。
「咲夜さん?」
「ん?」
「・・・美味しいですか?」
小首をかしげる景吾に、美味しいよ、と答える。すると、景吾は、とても嬉しそうに笑うのだ。
いつかは、景吾の好きな誰かに向けられるであろう、その笑顔に、切なさを感じて、まさかと思う。
まさかね・・・?
いや・・・それよりも今は猫の面倒を見なくては。
それなのに、おにぎりを頬張る景吾を見て、自分のものになったらいいのに、とか思ってしまうのだ。
だめだろ。
景吾は好きな人がいるんだから。
それは自分じゃないんだから。
「咲夜さん、猫見ながら洗い物しておくので、支度してきてください。」
景吾が、食器を下げながら促す。
「あ、うん。」
急いでいたのを忘れるくらい、景吾のことで頭がいっぱいだ。
そんな自分を叱咤して、コートと財布を取りに行く。
「大丈夫ですか?」
入れ違いに、景吾が上着を取りに来た。
「・・・うん。」
猫は?と問うと、スマホで調べたんですけど、洗濯ネットに入れるといいみたいで。あ、脱走防止で。と返ってきた。
「逃げるほどの体力はないだろうけど・・・そうだね。念のため入れていこうか。」
脱衣所から、小さめのネットを持ってきて、子猫の爪が網にかからないように慎重に入れ、ファスナーを閉める。
「うん。これでいいかな。呼吸はできるし、あったかそう。」
「じゃぁ。ネコの段ボールは後ろに乗せて、ナビ、お願いしますね。」
「うん。」
景吾が、箱を抱えて玄関を出、自分は戸締りをして、アウトバックの助手席に乗る。
このシートには、まだ馴染んだといえないのに、景吾に対してのこの気持ちは・・・。
「出しますね。」
景吾は、そう言いながら、ゆっくりとブレーキから足を離した。
動物病院には、朝一番で着いたので、ほかの患畜がいなかったこともあり、子猫を囲んで動物の看護師の女性たちが、可愛いわねぇ、ちっちゃいわねぇと世話をし始めた。
なじみの動物病院である。院長は男性で、実は高校の同級生だ。
「木下、ついに子供ができたか。」
院長の玉城は嬉しげだ。
「コウノトリじゃなくて、鶏小屋にいたんですけどね。」
言うと、ふーんと言いながら猫の体をまさぐり、耳をひっくり返してみたりしながら、健康そうだなと頷いた。
「水しかやってないから、おなか空かしてると思う。」
「水分取れてるなら重畳。」
よかった、とほっとする。
「この子は雌だなぁ。男が飼うなら雌がいい。よくなつく。」
そういうもんなのか。
「おなかに虫がいないか検査して、ノミ取りするから、夕方まで預けていきな。」
「じゃぁ、その間に哺乳瓶とか・・・いる?」
「このくらいの月齢なら、子猫用のウェットフードか、カリカリをお湯でふやかしたやつ、あと足りなかったら猫用ミルクで充分だ。ホームセンターにあるから・・・。
そちらの方は?」
玉城は、洗濯ネットをもって、診察室の片隅に邪魔にならないようにと、大きな体を縮こまらせている景吾を指した。
「訳あって、今一緒に住んでるんだ。」
「内海と言います。」
ぺこりと頭を下げる景吾に、玉城は、なんで、と言いたげだが、ややあってから、何事もなかったように、看護師に猫の処置を指示した。
「じゃぁ、夕方お迎えに来ます。」
「おっとっと・・・猫の名前考えとけよ。診察券作るから。」
あぁ、それもそうだ。
なんにしようか・・・。
「咲夜さん、とりあえず、買い物しながら考えましょうか。」
「そうだね。」
頷き合っていると、玉城が、仲良しなんだな、と呟いた。
「デートなら、ホームセンターの二階に、ケーキのおいしいパスタ屋があるから、そこでも行ってくれば。長く飼うつもりなら、ほかにも必要なものはあるだろうから、下見しておくのもいいかも。タワーとか置くスペースがあるんなら、だけど。とりあえず、必須なのは餌とトイレと砂。」
なるほど。
相槌して、じゃぁよろしく、と診察室を出た。
動物病院を出てからしばらくして、『デート』??となったのは言うまでもない。
大きいホームセンターは、田舎のアミューズメントパークだ。なんでも置いてあるし、専門分野ごとに分かれているので、迷わず目的の場所にいけるところも気に入っている。
「咲夜さん、ペット用品から行きますか?」
「そうだね。文具コーナー行ったら散財して、治療費払えなくなっちゃう。」
「欲しいものがあるんですか?」
「いや。特に決めずに行って・・・出会ってしまうものなのだよ。なんかこう・・・心ときめくものにさ。一目惚れしがちなんだよ。それがまた、結構高価だったりするんだ。だから、今日は一点集中で。」
言うと、景吾がクスクス笑っている。
「時間はあるんですから、見に行きましょうよ文具。
プレゼントしますよ。」
「君ねぇ。車出してもらってるんだから、ガソリン代だって私が支払わなきゃと思っているところなのに。」
「水臭いですねぇ。」
経済観念大事だし、親しき仲にも礼儀あり。
だいたいにして、景吾とはまだ付き合いそのものが短いのに。
「デートだって、言われて、浮かれてんですよ。」
景吾は苦笑すると、ほら文具は二階らしいですよ、と足を向けた。
浮かれてる?
デートだって言われて?
男同士で?
自分の場合、相手が男なのは、経験があるからわからないでもないとして。
でも景吾は?
仮に男がいけるタイプだったとしても、その好意を自分に向けているとは限らない。
だって、好きな人がいるんだから。
嵌らないパズルのピース。
繋がらない難解な文章。
例えるならそんな感じか?
文具コーナーで、出会ってしまった孔雀の羽色のインクを、プレゼントと称し買ってもらい、ケーキのおいしいパスタ屋で、猫の名前について議論している。
あれこれ候補は出るものの、白猫、というと国民的白猫代表の猫の名前とか、ミルクとか、スノーとかなんとなく、ありきたりかな、と思うものばかりで、ピンとくるものがない。
「そういえば・・・鼻はきれいなピンクでしたよね。肉球も。・・・珊瑚、とかどうでしょう。」
「さんご。・・・あぁ、いいね、かわいい。君の妹分みたいじゃないか。」
『ご』止めの名前は少なくないが、男子のイメージだ。それが、珊瑚となると、とたんに女の子のそれになる。
「俺はペット扱いですか?」
「いい男だとは思うけれど、愛玩はしていないよ。
・・・まだ付き合い浅いじゃない。」
何言ってるの、とクラシックなチョコレートケーキをつついていると、そうですね、と返された。
「景吾?」
怒ってる?
少し、冷たい声のトーンに、『彼』がちらりとよぎる。
「いえ。まだ時間はあるので、親睦を深めたらチャンスはありそうかな・・・と。」
「なんの?」
「・・・咲夜さん、俺の見た目、好きですか?」
「見た目って言うか・・・うん。全体的に好感が持てるよ。もし・・・私が女性なら、考えていたかもしれないね。」
女性なら?何を考えるだって?
自分で言っておきながら、頭の中で繰り返して混乱する。
ちょっとまって?
まって・・・。
もしかして・・・もう遅い?
ドキドキと心臓がうるさい。たぶん、顔も赤くなっていると思う。
落ち着かなきゃと思えば思うほど、景吾の所作から目が離せない。
優雅にケーキを口に運ぶ、その指先、唇の動き、濃い茶色の虹彩。
意識しちゃだめだと思うのに・・・。
「咲夜さん・・・。」
あー・・・声のトーンもいい。
「咲夜さん?」
「へっ?あ、はい?」
真っ赤になっているのを見て、心配したのか、景吾は首を傾げた。
「そのケーキ、そんなに洋酒が使われてました?」
「えっ!?あ、あぁ・・・うん。ブランデー・・・。」
酔っぱらっちゃいましたかね、休みます?と続けるが、これ以上ここにいたら、もっとおかしなことになりそうで。
消え入りそうな声で、大丈夫・・・と返した。
「そうですか?さて、じゃぁ。食べ終わったら、ペットショップのほう回りましょう。あれ、買わないと。猫の大好きなおやつ。」
スティックタイプのあれを思い浮かべて、ふふ、と笑いがこぼれた。
景吾は、穏やかで優しい。
一緒に暮らすなら、こんな人がいい。
落ちたことを自覚して、しかし景吾の気持ちを考えると、重く暗いものが胸に淀んだ。
夕方の診察時間に間に合うように、動物病院に珊瑚を迎えに行くと、玉城に名前のセンスがいいと褒められた。
「さすが小説家だな。」
「いや、景吾が提案してくれて。」
素直に話すと、内海さんは同業じゃないのか、と言った。
「え?なんでそう思うの?」
不思議に思い問い返すと、玉城はだってほら、とペンだこのあと、と景吾の左手を取る。
「左利きなの?」
「えぇまぁ。」
「だからほら、昔の小説家?とかが旅館とかに集まって、執筆したりとか・・・みたいな感じで、住んでるんだと思ったんだよ。」
なるほど。
「えぇ・・・。じゃぁなんでデートだなんて言ったのさ。」
「それはまぁ?」
玉城が景吾に視線を向ける。
「・・・咲夜さんそろそろ・・・。珊瑚もお腹空いてるでしょうし。」
「あ、うん。そうだね。」
頷いて、洗濯ネットに入れられた珊瑚を抱える。
「虫はいなかったし、健康だから。何かあったらまたおいで。目の色もそろそろはっきりしてくるだろ。」
玉城はそう言うと、段ボール箱を景吾に渡して、診察室を追い出した。景吾の方も、早く帰りましょうと、車に箱を積み込んでいる。
なんだろう。
ちょっと違和感はあるものの、今はそれどころじゃない。
自分の気持ちと折り合いをつけつつ、景吾との生活をどうするか、考えなければならない。そのうえ、同居人がもう一匹増えた。
「さんご。お前の名前だよ。」
膝の上で丸くなっている珊瑚を、ネット越しに撫でてやる。洗ってもらって、白さとふわふわが増し、なんだか別の世界の生き物のようである。安心しているのか、おとなしい。人慣れしてくれそうで助かるな、と思いながら帰路についた。
その日の夕食は、さすがに疲れたので、ご飯だけ炊いて、買い置きのレトルトカレーと、水菜のサラダ。
珊瑚は、居間に置いたケージの中で、お湯でふやかしてとろとろにしたカリカリを食べていた。
「うわぁ。全身餌まみれ。拭いてやるより、お風呂の方が早いかなぁ。」
「そうですね。でも、今日は病院で洗ってもらってるはずだから、疲れちゃうかも。」
そう言われて、結局蒸しタオルで拭いてやることにした。
口の周りや、手足、腹回りを拭いてきれいにしていると、その間に人間の食事の後片付けは景吾がしてくれている。
珊瑚をケージに戻してから、その様子を見守っていたが。
「景吾。ちょっと・・・。」
おいで、と手招きして、ソファに座らせる。自分は床から見上げる形で、景吾の目を見つめる。
「一緒に住むって言うのは、景吾を家政婦みたいにしようって言うんじゃないんだよ。家事はできるときにできるほうがやった方がいいだろうけど・・・その・・・むりしないで。負担になると長続きしないだろう?」
すると景吾は、優しく笑った。
「咲夜さんこそ。赤ちゃんのお世話が大変でしょう?
そういう時、夫婦なら、奥さんのサポートを全力でするのが夫の役目ですよ。」
「・・・いや、それはさ。一般論だし。私たちは夫婦じゃないし・・・。」
そもそもが男同士だし・・・。
と、続けそうになるのを、唇をきゅっと噛んでこらえる。
「・・・嫌ですか?」
「そういう問題じゃ・・・。」
嫌とか、そんなわけないじゃないか。
だって自分は、景吾に落ちたのだ。
これが恋というものか。
片思いは苦しい。
「・・・君には好きな人がいるんだろう?
私とままごとしていていいの?」
すると、景吾は悲しそうな顔をした。
伏し目がちになり、視線が交差する。
「今は、あなたと一緒に暮らしてるんですけどね。」
苦笑して、あぁ、ほら珊瑚の湯たんぽ作ってやらないと、と話を終えた。
恋というものはこういうものかと、眠る景吾の瞼を見つめながら思う。
一目惚れしやすいタイプ。でもそれは、『モノ』に対する、好きだったり執着だったりで。
こんな気持ちを、他人に向けたことはない。
『彼』にですらも。
今ならわかる。
『彼』とは惰性の付き合いだった。
景吾に対する思いが、恋だとするならば、過去のあれは間違いだったと確信できる。
でも、だからこそ、景吾に深入りはできない。
『彼』に抱かれた体を、抱かせたくない。
どうしよう。
私は汚い・・・。
涙がハラハラとこぼれて、シーツを濡らす。
それなのに、景吾の指は、自分の指にきつく絡んで、まるで離すつもりはないとでも言いたげだ。
一緒の床に就くんじゃなかったな。
今日も、ぬいぐるみに囲まれた、両親のベッドにもぐりこんでいる。不在とはいえ、多少の罪悪感もある。
どうしたらいいか、答えが出ないまま、涙は止まりそうになかった。
その時、閉じていた景吾の瞼がピクリと動き、そっと目を開けた。
「咲夜さん・・・?」
「あっ。」
静止する間もなく、頭の上に置いたリモコンで、照明を明るくされてしまう。
泣きはらした顔がさらされて、思わず、手で隠すが、その手も優しく取り去られてしまう。
「泣いてたんですか?」
頷けずに、固まっていると、どうして、と問われた。
そんなこと言えない。
「どうして?・・・どこか痛いですか?」
景吾は心配げな眼差しを向けてくれる。
「あ・・・えぇと・・・新しい小説の構想を・・・その・・・していて・・・感情移入しすぎちゃったみたいなんだ・・・。」
しどろもどろに嘘をつく。
景吾は、やや考えた風で、主人公は女性?と聞いてきた。
頷くと、小さく笑って、繋いでいた手をほどき、あの時のように肩を抱いた。
「あ・・・。」
「・・・苦しい恋をするお話ですか?」
珍しい。いつもハッピーエンドなのに、と笑う。
景吾の体温が心地よくて、またじわりと涙がにじむ。
「・・・今回は・・・ハッピーエンドにならないかもしれない・・・。」
嗚咽が漏れる。
「ふふ。担当編集さんに怒られませんか?」
だって・・・書けないよ。
「ほら。涙を拭いて。あぁ。こすらないで。ひどくなる。
咲夜さん・・・。じゃぁ、俺が相手役じゃダメですか?
そうしたら、いつも通り、ハッピーエンドにできますよ。」
な・・・に?
何を言っているんだろう?
景吾が、私の相手?
「そんなの、気持ち悪いでしょう?」
びっくりして、涙が引っ込んだ。
「俺は気持ち悪いですか?」
景吾が首をかしげて、また笑う。まるで、そんなことない、と言っているようだ。
「ちが・・・気持ち悪いのは私・・・。」
「咲夜さん、俺が相手じゃ不服ですか?」
「そんなことないよ。ない・・・でも・・・。」
「それなら大丈夫。・・・大丈夫だから泣かないで。」
景吾は、胸に抱きよせると、ゆっくりと背中をさすって宥め始めた。それが、あまりにも気持ちよくて。
「景吾・・・私・・・おかしくなりそう。」
「聞いたことありますよ。主人公に感情移入しすぎて、その人になりきってしまう作家さんの話。
だから俺は、その女性の方を愛してあげればいいんですよね?」
・・・え?
景吾・・・それは・・・すぎた『ままごと』だよ・・・。
しまった。寝過ごした?
いつもよりも、深い眠りに落ちていた感覚に、しかし右手を見ると、景吾の指がしっかりと絡んでいた。
恋人つなぎだ・・・。
寝ている間に離れないようにそうしたのだろう。あまりのことに、一気に覚醒し、体が熱くなる。
「景吾・・・景吾、おはよう。」
遠慮がちに、まだぐっすり眠っている景吾に声をかける。
すると、まつげの先がピクリと動いた。
「ん・・・咲夜さん。」
景吾は、寝ぼけているのか、するりと手を離すと、そのまま肩を抱き、ぎゅうっと抱き寄せて体を密着させた。
口から飛び出しそうな勢いの胸の音を、聞かれるのが恥ずかしくて、ぐい、と押し返してみたが、ちっとも動かない。
なんて力の強い・・・。
「け、い、ご・・・苦しいよ。放して・・・。」
「ん・・・。んん?・・・あ、咲夜さん。おはようございます。」
「うん。おはよう。あの・・・寝ぼけちゃったの?」
「そうみたいですけど、間違いではないので、大丈夫です。」
景吾が何を言っているか理解できなくて、口をパクパクしてしまう。
「えっと・・・鶏が、餌を待ってる声がするから。」
「あぁ。それはいけない。」
景吾はのんびりと、腕を引きはがすと、よく眠れましたか、と問うてきた。
「うん。眠れた。・・・ありがとう。疲れてたのかな。
君の腕はなんだか・・・居心地いいね。」
「ふふ。よかった。じゃぁ、まいにち一緒に寝ましょうね。」
景吾の提案に、まんざらでもないな、と思ったとき、鶏が一声高く鳴いた。
着替えを済ませて、景吾とともに鶏小屋の掃除と、餌の世話をしに行くと、そこには珍客がいた。
小屋の藁の中に、卵ではない白いモフモフ。
「ねこ・・・ですかね。」
「猫だねぇ・・・。」
手のひらより少し大きいくらいの子猫が、鶏小屋に迷い込んでいたようである。
「それで、騒いでたんですね。・・・どうします?」
うーんと唸る。
ここに置いておいたら、母猫が迎えに来るかもしれないが、何しろ気温が低すぎる。子猫を抱き上げてみると、震えが止まらない様子で、このままでは少し危険だと思われた。
「少し世話してみようか。」
「できますか?」
「うん。やったことあるよ。とりあえず街の獣医に見てもらおう。駆虫してもらって、うちで面倒見るよ。」
「飼うんですか?」
「里親探してみる。」
そう言うと、景吾は嫌なことを思い出したと天を仰いだ。
「どうしたの?」
「その・・・。」
ひどい話だからあんまり言いたくないんですけど・・・。
と、前置いて、食べたりする人、いるみたいで・・・。
安易に里親に出すのは賛成できないなって、と続けた。
「・・・え?」
なんて言った?
食べるって言ったか?
景吾の顔をうかがうと、詳しくは聞かないほうがいいです、と黙り込んでしまう。
「それは・・・ちょっと怖いな。・・・じゃぁうちで飼う?」
「少なくとも、ぬいぐるみ集めるよりは、健康的じゃないですか?」
ちょっと妬けますけど、と景吾は口がへの字だ。
景吾は、時々よくわからない言動をする。慣れてはきたが、聞き流していていいものなんだろうか。向き合わずにいていいものなんだろうか。
それより今は猫だ。
「湯たんぽあるから、箱に入れて、水分取らせて・・・。
私たちの朝ご飯は・・・出汁巻きはまた今度でいいかい?
おにぎり作るから、食べたらすぐ出よう。」
景吾がうなずくのを見て取って、段ボール箱を探しに納戸へ向かう。手ごろな箱があったので、使い古しの毛布と新聞紙を敷いて、湯たんぽを入れてやる。ガーゼに水を含ませて、口元に近づけると、ちゅうちゅうと吸いついたので、これは帰りに哺乳瓶も買わなきゃだな、と思案する。
「悪いけど、車出してくれるかい?猫用のミルクも買わなきゃ。」
「もちろん。俺、おにぎり作りますよ。咲夜さんは、猫見ててやってください。」
「うん。任せた。」
幸い、鶏にいじめられたような怪我はなさそうだ。
野良猫は、寄生虫も心配だから、とりあえず獣医に連れていく。お金はかかるが、命には代えられない。
子猫は、しばらくガーゼから水を吸っていたが、やがて湯たんぽの力を借りて体が温まったのか、ミーミーと元気に鳴き始めた。
「景吾、今のうちに朝ごはん食べちゃおう。
わ。おにぎり美味しそうだね。」
景吾が作ったのは、味噌を塗った焼きおにぎりである。それに、インスタントのお吸い物。たくあんが添えられていた。
「君、うちの冷蔵庫の中をよくもここまで把握したもんだね。」
「食べられて困るものには、名前を書かないといけなくなりますね。」
そんな景吾に、あははと笑って、温かいご飯に手を合わせる。
あぁ。幸せってこんな感じだろうか。
わるくない・・・。
景吾の好きな人がうらやましいな・・・。
「咲夜さん?」
「ん?」
「・・・美味しいですか?」
小首をかしげる景吾に、美味しいよ、と答える。すると、景吾は、とても嬉しそうに笑うのだ。
いつかは、景吾の好きな誰かに向けられるであろう、その笑顔に、切なさを感じて、まさかと思う。
まさかね・・・?
いや・・・それよりも今は猫の面倒を見なくては。
それなのに、おにぎりを頬張る景吾を見て、自分のものになったらいいのに、とか思ってしまうのだ。
だめだろ。
景吾は好きな人がいるんだから。
それは自分じゃないんだから。
「咲夜さん、猫見ながら洗い物しておくので、支度してきてください。」
景吾が、食器を下げながら促す。
「あ、うん。」
急いでいたのを忘れるくらい、景吾のことで頭がいっぱいだ。
そんな自分を叱咤して、コートと財布を取りに行く。
「大丈夫ですか?」
入れ違いに、景吾が上着を取りに来た。
「・・・うん。」
猫は?と問うと、スマホで調べたんですけど、洗濯ネットに入れるといいみたいで。あ、脱走防止で。と返ってきた。
「逃げるほどの体力はないだろうけど・・・そうだね。念のため入れていこうか。」
脱衣所から、小さめのネットを持ってきて、子猫の爪が網にかからないように慎重に入れ、ファスナーを閉める。
「うん。これでいいかな。呼吸はできるし、あったかそう。」
「じゃぁ。ネコの段ボールは後ろに乗せて、ナビ、お願いしますね。」
「うん。」
景吾が、箱を抱えて玄関を出、自分は戸締りをして、アウトバックの助手席に乗る。
このシートには、まだ馴染んだといえないのに、景吾に対してのこの気持ちは・・・。
「出しますね。」
景吾は、そう言いながら、ゆっくりとブレーキから足を離した。
動物病院には、朝一番で着いたので、ほかの患畜がいなかったこともあり、子猫を囲んで動物の看護師の女性たちが、可愛いわねぇ、ちっちゃいわねぇと世話をし始めた。
なじみの動物病院である。院長は男性で、実は高校の同級生だ。
「木下、ついに子供ができたか。」
院長の玉城は嬉しげだ。
「コウノトリじゃなくて、鶏小屋にいたんですけどね。」
言うと、ふーんと言いながら猫の体をまさぐり、耳をひっくり返してみたりしながら、健康そうだなと頷いた。
「水しかやってないから、おなか空かしてると思う。」
「水分取れてるなら重畳。」
よかった、とほっとする。
「この子は雌だなぁ。男が飼うなら雌がいい。よくなつく。」
そういうもんなのか。
「おなかに虫がいないか検査して、ノミ取りするから、夕方まで預けていきな。」
「じゃぁ、その間に哺乳瓶とか・・・いる?」
「このくらいの月齢なら、子猫用のウェットフードか、カリカリをお湯でふやかしたやつ、あと足りなかったら猫用ミルクで充分だ。ホームセンターにあるから・・・。
そちらの方は?」
玉城は、洗濯ネットをもって、診察室の片隅に邪魔にならないようにと、大きな体を縮こまらせている景吾を指した。
「訳あって、今一緒に住んでるんだ。」
「内海と言います。」
ぺこりと頭を下げる景吾に、玉城は、なんで、と言いたげだが、ややあってから、何事もなかったように、看護師に猫の処置を指示した。
「じゃぁ、夕方お迎えに来ます。」
「おっとっと・・・猫の名前考えとけよ。診察券作るから。」
あぁ、それもそうだ。
なんにしようか・・・。
「咲夜さん、とりあえず、買い物しながら考えましょうか。」
「そうだね。」
頷き合っていると、玉城が、仲良しなんだな、と呟いた。
「デートなら、ホームセンターの二階に、ケーキのおいしいパスタ屋があるから、そこでも行ってくれば。長く飼うつもりなら、ほかにも必要なものはあるだろうから、下見しておくのもいいかも。タワーとか置くスペースがあるんなら、だけど。とりあえず、必須なのは餌とトイレと砂。」
なるほど。
相槌して、じゃぁよろしく、と診察室を出た。
動物病院を出てからしばらくして、『デート』??となったのは言うまでもない。
大きいホームセンターは、田舎のアミューズメントパークだ。なんでも置いてあるし、専門分野ごとに分かれているので、迷わず目的の場所にいけるところも気に入っている。
「咲夜さん、ペット用品から行きますか?」
「そうだね。文具コーナー行ったら散財して、治療費払えなくなっちゃう。」
「欲しいものがあるんですか?」
「いや。特に決めずに行って・・・出会ってしまうものなのだよ。なんかこう・・・心ときめくものにさ。一目惚れしがちなんだよ。それがまた、結構高価だったりするんだ。だから、今日は一点集中で。」
言うと、景吾がクスクス笑っている。
「時間はあるんですから、見に行きましょうよ文具。
プレゼントしますよ。」
「君ねぇ。車出してもらってるんだから、ガソリン代だって私が支払わなきゃと思っているところなのに。」
「水臭いですねぇ。」
経済観念大事だし、親しき仲にも礼儀あり。
だいたいにして、景吾とはまだ付き合いそのものが短いのに。
「デートだって、言われて、浮かれてんですよ。」
景吾は苦笑すると、ほら文具は二階らしいですよ、と足を向けた。
浮かれてる?
デートだって言われて?
男同士で?
自分の場合、相手が男なのは、経験があるからわからないでもないとして。
でも景吾は?
仮に男がいけるタイプだったとしても、その好意を自分に向けているとは限らない。
だって、好きな人がいるんだから。
嵌らないパズルのピース。
繋がらない難解な文章。
例えるならそんな感じか?
文具コーナーで、出会ってしまった孔雀の羽色のインクを、プレゼントと称し買ってもらい、ケーキのおいしいパスタ屋で、猫の名前について議論している。
あれこれ候補は出るものの、白猫、というと国民的白猫代表の猫の名前とか、ミルクとか、スノーとかなんとなく、ありきたりかな、と思うものばかりで、ピンとくるものがない。
「そういえば・・・鼻はきれいなピンクでしたよね。肉球も。・・・珊瑚、とかどうでしょう。」
「さんご。・・・あぁ、いいね、かわいい。君の妹分みたいじゃないか。」
『ご』止めの名前は少なくないが、男子のイメージだ。それが、珊瑚となると、とたんに女の子のそれになる。
「俺はペット扱いですか?」
「いい男だとは思うけれど、愛玩はしていないよ。
・・・まだ付き合い浅いじゃない。」
何言ってるの、とクラシックなチョコレートケーキをつついていると、そうですね、と返された。
「景吾?」
怒ってる?
少し、冷たい声のトーンに、『彼』がちらりとよぎる。
「いえ。まだ時間はあるので、親睦を深めたらチャンスはありそうかな・・・と。」
「なんの?」
「・・・咲夜さん、俺の見た目、好きですか?」
「見た目って言うか・・・うん。全体的に好感が持てるよ。もし・・・私が女性なら、考えていたかもしれないね。」
女性なら?何を考えるだって?
自分で言っておきながら、頭の中で繰り返して混乱する。
ちょっとまって?
まって・・・。
もしかして・・・もう遅い?
ドキドキと心臓がうるさい。たぶん、顔も赤くなっていると思う。
落ち着かなきゃと思えば思うほど、景吾の所作から目が離せない。
優雅にケーキを口に運ぶ、その指先、唇の動き、濃い茶色の虹彩。
意識しちゃだめだと思うのに・・・。
「咲夜さん・・・。」
あー・・・声のトーンもいい。
「咲夜さん?」
「へっ?あ、はい?」
真っ赤になっているのを見て、心配したのか、景吾は首を傾げた。
「そのケーキ、そんなに洋酒が使われてました?」
「えっ!?あ、あぁ・・・うん。ブランデー・・・。」
酔っぱらっちゃいましたかね、休みます?と続けるが、これ以上ここにいたら、もっとおかしなことになりそうで。
消え入りそうな声で、大丈夫・・・と返した。
「そうですか?さて、じゃぁ。食べ終わったら、ペットショップのほう回りましょう。あれ、買わないと。猫の大好きなおやつ。」
スティックタイプのあれを思い浮かべて、ふふ、と笑いがこぼれた。
景吾は、穏やかで優しい。
一緒に暮らすなら、こんな人がいい。
落ちたことを自覚して、しかし景吾の気持ちを考えると、重く暗いものが胸に淀んだ。
夕方の診察時間に間に合うように、動物病院に珊瑚を迎えに行くと、玉城に名前のセンスがいいと褒められた。
「さすが小説家だな。」
「いや、景吾が提案してくれて。」
素直に話すと、内海さんは同業じゃないのか、と言った。
「え?なんでそう思うの?」
不思議に思い問い返すと、玉城はだってほら、とペンだこのあと、と景吾の左手を取る。
「左利きなの?」
「えぇまぁ。」
「だからほら、昔の小説家?とかが旅館とかに集まって、執筆したりとか・・・みたいな感じで、住んでるんだと思ったんだよ。」
なるほど。
「えぇ・・・。じゃぁなんでデートだなんて言ったのさ。」
「それはまぁ?」
玉城が景吾に視線を向ける。
「・・・咲夜さんそろそろ・・・。珊瑚もお腹空いてるでしょうし。」
「あ、うん。そうだね。」
頷いて、洗濯ネットに入れられた珊瑚を抱える。
「虫はいなかったし、健康だから。何かあったらまたおいで。目の色もそろそろはっきりしてくるだろ。」
玉城はそう言うと、段ボール箱を景吾に渡して、診察室を追い出した。景吾の方も、早く帰りましょうと、車に箱を積み込んでいる。
なんだろう。
ちょっと違和感はあるものの、今はそれどころじゃない。
自分の気持ちと折り合いをつけつつ、景吾との生活をどうするか、考えなければならない。そのうえ、同居人がもう一匹増えた。
「さんご。お前の名前だよ。」
膝の上で丸くなっている珊瑚を、ネット越しに撫でてやる。洗ってもらって、白さとふわふわが増し、なんだか別の世界の生き物のようである。安心しているのか、おとなしい。人慣れしてくれそうで助かるな、と思いながら帰路についた。
その日の夕食は、さすがに疲れたので、ご飯だけ炊いて、買い置きのレトルトカレーと、水菜のサラダ。
珊瑚は、居間に置いたケージの中で、お湯でふやかしてとろとろにしたカリカリを食べていた。
「うわぁ。全身餌まみれ。拭いてやるより、お風呂の方が早いかなぁ。」
「そうですね。でも、今日は病院で洗ってもらってるはずだから、疲れちゃうかも。」
そう言われて、結局蒸しタオルで拭いてやることにした。
口の周りや、手足、腹回りを拭いてきれいにしていると、その間に人間の食事の後片付けは景吾がしてくれている。
珊瑚をケージに戻してから、その様子を見守っていたが。
「景吾。ちょっと・・・。」
おいで、と手招きして、ソファに座らせる。自分は床から見上げる形で、景吾の目を見つめる。
「一緒に住むって言うのは、景吾を家政婦みたいにしようって言うんじゃないんだよ。家事はできるときにできるほうがやった方がいいだろうけど・・・その・・・むりしないで。負担になると長続きしないだろう?」
すると景吾は、優しく笑った。
「咲夜さんこそ。赤ちゃんのお世話が大変でしょう?
そういう時、夫婦なら、奥さんのサポートを全力でするのが夫の役目ですよ。」
「・・・いや、それはさ。一般論だし。私たちは夫婦じゃないし・・・。」
そもそもが男同士だし・・・。
と、続けそうになるのを、唇をきゅっと噛んでこらえる。
「・・・嫌ですか?」
「そういう問題じゃ・・・。」
嫌とか、そんなわけないじゃないか。
だって自分は、景吾に落ちたのだ。
これが恋というものか。
片思いは苦しい。
「・・・君には好きな人がいるんだろう?
私とままごとしていていいの?」
すると、景吾は悲しそうな顔をした。
伏し目がちになり、視線が交差する。
「今は、あなたと一緒に暮らしてるんですけどね。」
苦笑して、あぁ、ほら珊瑚の湯たんぽ作ってやらないと、と話を終えた。
恋というものはこういうものかと、眠る景吾の瞼を見つめながら思う。
一目惚れしやすいタイプ。でもそれは、『モノ』に対する、好きだったり執着だったりで。
こんな気持ちを、他人に向けたことはない。
『彼』にですらも。
今ならわかる。
『彼』とは惰性の付き合いだった。
景吾に対する思いが、恋だとするならば、過去のあれは間違いだったと確信できる。
でも、だからこそ、景吾に深入りはできない。
『彼』に抱かれた体を、抱かせたくない。
どうしよう。
私は汚い・・・。
涙がハラハラとこぼれて、シーツを濡らす。
それなのに、景吾の指は、自分の指にきつく絡んで、まるで離すつもりはないとでも言いたげだ。
一緒の床に就くんじゃなかったな。
今日も、ぬいぐるみに囲まれた、両親のベッドにもぐりこんでいる。不在とはいえ、多少の罪悪感もある。
どうしたらいいか、答えが出ないまま、涙は止まりそうになかった。
その時、閉じていた景吾の瞼がピクリと動き、そっと目を開けた。
「咲夜さん・・・?」
「あっ。」
静止する間もなく、頭の上に置いたリモコンで、照明を明るくされてしまう。
泣きはらした顔がさらされて、思わず、手で隠すが、その手も優しく取り去られてしまう。
「泣いてたんですか?」
頷けずに、固まっていると、どうして、と問われた。
そんなこと言えない。
「どうして?・・・どこか痛いですか?」
景吾は心配げな眼差しを向けてくれる。
「あ・・・えぇと・・・新しい小説の構想を・・・その・・・していて・・・感情移入しすぎちゃったみたいなんだ・・・。」
しどろもどろに嘘をつく。
景吾は、やや考えた風で、主人公は女性?と聞いてきた。
頷くと、小さく笑って、繋いでいた手をほどき、あの時のように肩を抱いた。
「あ・・・。」
「・・・苦しい恋をするお話ですか?」
珍しい。いつもハッピーエンドなのに、と笑う。
景吾の体温が心地よくて、またじわりと涙がにじむ。
「・・・今回は・・・ハッピーエンドにならないかもしれない・・・。」
嗚咽が漏れる。
「ふふ。担当編集さんに怒られませんか?」
だって・・・書けないよ。
「ほら。涙を拭いて。あぁ。こすらないで。ひどくなる。
咲夜さん・・・。じゃぁ、俺が相手役じゃダメですか?
そうしたら、いつも通り、ハッピーエンドにできますよ。」
な・・・に?
何を言っているんだろう?
景吾が、私の相手?
「そんなの、気持ち悪いでしょう?」
びっくりして、涙が引っ込んだ。
「俺は気持ち悪いですか?」
景吾が首をかしげて、また笑う。まるで、そんなことない、と言っているようだ。
「ちが・・・気持ち悪いのは私・・・。」
「咲夜さん、俺が相手じゃ不服ですか?」
「そんなことないよ。ない・・・でも・・・。」
「それなら大丈夫。・・・大丈夫だから泣かないで。」
景吾は、胸に抱きよせると、ゆっくりと背中をさすって宥め始めた。それが、あまりにも気持ちよくて。
「景吾・・・私・・・おかしくなりそう。」
「聞いたことありますよ。主人公に感情移入しすぎて、その人になりきってしまう作家さんの話。
だから俺は、その女性の方を愛してあげればいいんですよね?」
・・・え?
景吾・・・それは・・・すぎた『ままごと』だよ・・・。
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