恋は白い箱の中

結城 鈴

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「オーラーイ!オーラーイ!・・・ストーップ!」
作業道具一式を積んだバンの後ろを、若手の狐塚が誘導する。タイヤが、真新しい砂利を踏みしめる音。
今週から、ここが新しい現場。天気は晴天。幸先は良かった。
「コンコンさんきゅ。」
狐塚にそう声をかけて、車外に降りる。良く洗濯され、糊のきいた作業着をパリッと着て、深呼吸した。初夏。ゴールデンウィーク明けの月曜。ゆっくり休んで、気分は良かった。そこへ、ワイシャツに作業着を羽織った、どうやらハウスメーカーの営業らしき人が駆け寄ってくる。濃紺の作業着には、ホープハウスと白い文字で書いてある。この会社と仕事をするのは初めてだった。
「おはようございます!ホープハウス、営業の東誠一郎です。」
ぴしっと止まって、両手で名刺を渡される。漢字で、名前が書かれた名前の上に、片仮名で、アズマセイイチロウとあった。
「おはようございます。野中工務店社長の、野中孝(のなかたかし)です。」
「今日からよろしくお願いします。」
東は、深々と頭を下げた。腰の低い人だなぁ。
第一印象はそんな感じだった。
年の頃は同じくらい。清潔感のある髪型。現場だというのに、黒光りする汚れていない靴。アイロンのかかったワイシャツの襟。
いい奥さんがいるんだろうな。
そう思わせるには十分だった。
「大きいですね。やりがいがありそうです。」
家全体は、おおむね出来上がっていて、あとは、外壁の仕上。
作り付け家具の設置。壁紙張り。水回り。電気工事。
普通は、それぞれ専門の会社が入ったりするのだが、うちは一社でそれらを全て請け負わせてもらっていた。ちなみに、自分の専門は設計で、けれど今は現場監督。
親から継いだ会社を、従業員三十名ほど抱えて切り盛りしていた。正直、経営はなかなかうまくいっている方で、あとは自分のやりたいことさえできれば、万々歳なのだが。下請けの工務店は設計まで口を挟めなかった。今回の図面も突っ込みどころは数カ所あったが、施主とハウスメーカーの意見なのだろうからと、無視することに決めていた。
余計なことは言わない。なるべく関わらない。
それで、うまくやっているのだから、いらない揉め事は起こしたくなかった。
残りのメンバー数人と合流し、真新しいスリッパに履き替えて、家の中に入る。がらんと無機質なそれは、さながら白い箱。後ろをついてきた東が、図面は送った通りですが、と話し始めた。
「このキッチンカウンター・・・。どう思います?」
「え?どうって・・・話詰めてあるんじゃないんですか?」
「あるんですけど・・・。私はもう少し、この木の幅とった方が使いやすいんじゃないかと思ってまして。」
「まぁ。それはそうですが。施主の意向が大事でしょ。」
「でも、家を建てるのは初めてなわけですし、どんどん提案していきたいなって思ってますので。急な変更とかあるかもしれないと、お伝えしておきたくて。」
東は仕事熱心だった。きっと、この家に、最低三十年は住むだろう家族のことを思い、無碍にされても提案を続けるのだろう。
なんとなく、眩しいなと思った。
「多少のことは、対応できますから。その代り、早めにお願いしますね。」
作業はどんどん進んでしまう。間に合わなくなってからでは遅いのだ。
「それはもう!あの、野中さんも、気がついたことあったら、言ってくださいね。」
いや、俺は・・・。
曖昧に笑って頷いた。
面倒を押し通してまで、変更しようとは露ほども思っていなかった。
「じゃぁ、今日からよろしくお願いします。」
夕方また回りますので、と東は去って行った。
「よーしじゃぁ、とりあえずは、図面どおりすすめてください。」
東の思惑とは裏腹に、図面第一に考えている自分がいた。

 三時半。戻ってきた東は、例のキッチンカウンターの幅について、やはりあと五センチ増やしてほしいと言ってきた。
自分の意見を通したんだろうに、心なしか元気がなかった。
「目立つところの板なんで、いいの仕入れ直しますから。」
入れるの最後になりますね、と応えておいた。

 夕方、現場仕事が終わり、会社に寄って事務仕事。七時に帰宅。二十年連れ添った、優しい奥さんは年上女房。一人娘は地方の短大に下宿している。平和な日常。美味しいご飯がそこにはあった。
「さっちゃん、今日はサウナ行っていい?」
「どうぞー。」
キッチンに声を掛けると、気の良い返事。今日は特別機嫌がいいなと思いつつ、夕ご飯のコロッケを齧る。
「んまい。」
「ありがと。」
咲江が席に着くのを待って、本格的に食べ始める。コロッケと、シーザーサラダ、豆腐のみそ汁と、香の物。丼のご飯を口に運びながら、何かあった?と咲江に尋ねる。
「鈴から連絡があって・・・ほら、荷物送ったでしょう?イチゴジャム美味しかったって。」
鈴は娘。咲江が送った、手作りのイチゴジャムがお気に召したようで、それで、作り手が喜んでいるというわけか。なるほど、と思いニマニマする。
「あのジャムは美味しかった。」
「ふふ。ありがと。」
これで、多少遅くなっても文句は言われないだろう。今日はゆっくりサウナに入れるな、そう思い、また目を細める。
いつもだって、文句を言われることはそうそうないが、奥さんの機嫌はいい方がいい。
「ん。御馳走様。じゃぁ、風呂行ってきます。」
長袖のTシャツに、デニムのパンツで、出かける支度。着替えの下着と、シャンプーやらの入ったお風呂バスケットを持って、愛車の黒のセレナに乗り込む。タオルは車に積んである。家から車で二十分ほどのスーパー銭湯が目的地だ。流行りの岩盤浴などもあり、平日でも今くらいの時間まで混んでいた。
風呂場で汗を流し、湯船につかってから、サウナの扉を開けた。いつもは数人いるのだが・・・。
ん?今日は一人?
そのわけはすぐにわかった。男は一人、隠そうともせずに、嗚咽しているのだ。泣きじゃくるその姿に、他の客が遠慮したのだろう。しかし・・・どこかで見たような・・・。
あ。東誠一郎!
こんなところで会うとは。いやしかし、それどころではない。相手は子供のように泣いているではないか。さすがに、今日知り合ったばかりの仲とは言え、無視できなかった。
「東さん。」
呼びかけると、汗と涙で真っ赤になった顔でこちらを見た。
「どうしたんです?」
恐る恐る尋ねる。何があった?お客さんとトラブルとか、上司に嫌味でも言われたか・・・。
「ひっ・・・。」
「ひ?」
「い、犬が・・・死にそうなんです・・・。」
犬??
「東さん、犬飼ってるんですか。」
「いえ。別れた妻の実家で、預かってもらっていたんですが・・・。ちゃんと、飼育料は払っていたんです。それなのに、薬を・・・フィラリアの予防薬を、きちんと飲ませてくれなかったらしくて・・・。」
「フィラリアになってしまったんですか。」
コクコクと、何度も頷く。また、ぽたぽたと涙を流しながら。
「もう、手の施しようがないって。死ぬのを待つだけだって・・・。」
それは辛い。
「それでそんなに泣いているんですね。」
でも、ここで泣かれると、他のお客さんに迷惑だし。何より、見てるこっちが辛い。意を決して、東を連れ出すことにした。
「出ましょう。お酒でも飲みながら・・・話は聞きますから。」
普段は、面倒ごとは避けて通るんだけどな・・・。
見過ごせないや。
はらはらと涙をこぼす誠一郎を連れて、食堂へと向かった。
とりあえず、とタオルを渡し、顔を拭ってもらう。
「・・・ビール?」
尋ねると、車なんで、と小さく答えたので、ノンアルコールのビール風飲料を二つ頼んだ。
「すみません。どこの誰だか知らない人に・・・。」
え?知らない人?
東は、自分が仕事先の野中だと気付いていないようだった。
「あの、東さん、見えてます?野中です、工務店の。」
「えっ?あ・・・。」
東が、別の意味で顔を真っ赤にした。
「すいません。コンタクト外してて。眼鏡・・・車のグローブボックスに・・・。」
「取って来ましょうか?」
「いえ。なんとなくは見えるので。」
危なっかしいなぁ。
そんなやり取りをしているうちに、飲み物が届いた。東は、それで口を湿らすと、グラスを置いて、顔を覆った。また泣き出しそうな気配に、少し慌てる。
「で、どんな犬なんですか?」
「・・・この子です。」
と、スマホの待ち受けを見せてくれる。赤い豆芝の、見たところ雌犬だった。
「チロちゃんって言うんです。結婚してすぐに飼い始めて・・・。でも、すぐに私の単身赴任が決まって・・・。三年帰れなかったら、妻を失いました。単身赴任先は大体会社が用意したアパートなので、犬は連れてこれず、もともと妻は猫派だったので、やむなく妻の実家に預かってもらうことになって・・・。」
「って、東さんの実家は?」
「私、一人っ子なんですが、両親すでに鬼籍で・・・。」
なるほど。それで、やむなく・・・か。
東の言葉を反芻して、同情する。
「かわいい子ですね・・・。」
「そうでしょう!?そうですよね!なのに・・・。」
うわーんと、テーブルに突っ伏してしまう。
大の大人が、大胆な泣き方をするものだな、と思った。
それだけ、悲しいのだろう。
放っておけないな。けれどそれは自分の事情。東はどう思っているのか。
「あの、東さん。」
「誠一郎です。」
「え?」
「職場じゃないんだし、名前で呼んでください。」
「あ・・・じゃぁ、誠一郎さん。あの、一人がいいですか?それとも、一緒にいた方がいいですか?」
尋ねると、誠一郎はウっと言葉に詰まり、一人にするんですか?と逆に問うてきた。
「いや・・・あの・・・。一人で泣きたいなら、その方がいいかと・・・。」
「一緒にいてください。」
素直に懇願されて、はい、以外の答えは見つからなかった。
 食欲がなくて、食べていないという誠一郎に、うどんを何とか食べさせて、さぁこれからどこに行こう?となった。うちに連れてきてもいいが・・・。咲江が何と言うか。
それにしても・・・バツイチだったのか。アイロンのかけられたワイシャツも、磨かれた靴も、全部誠一郎が自分でしているのかと思うと、まじめな男なのだなと思った。
どこか人目につかないところに・・・。カラオケ?気分じゃないだろうし・・・。じゃぁホテル・・・とか?幸い、ここは二十四時間営業だ。車は多少放置しても大丈夫だろう。とにかく、落ち着くまでどこか静かなところにいさせてあげたい。
考えあぐねていると、誠一郎が意外なことを言った。
「うち・・・に・・・来ます?」
「へっ?えっ?あ・・・あー家って、その・・・会社のアパート?ですか?」
挙動不審に問い返すと、誠一郎ははい、と頷いた。
「あ・・・じゃぁ、はい。」

 誠一郎の車は、カローラフィールダーの白。社用車だろうか・・・。それについていきながら、信号で切られないように、注意して進む。
誠一郎の家は、良く通る道の、住宅街を奥に入った、小さなアパートだった。
四部屋しかないな。明かりがついてる・・・。ということは、暗いのが誠一郎の部屋か。
二階の角部屋。階段を上っていきながら、どうか路駐見つかりませんように、と祈る。駐車場は、住人の車でいっぱいで、停められなかったのだ。二三時間なら大丈夫だろうか・・・。
とにかく今は誠一郎。メガネ姿に慣れなかった。
風呂は済んでいるし、飲ませて、寝かして・・・。
「野中さんどうぞ。」
呼ばれて、ドアのところで立ち尽くしていたと知る。
「っと、あぁそうだ。家内にメールしてもいいですか?先に寝ててくれって。」
「どうぞ。」
バツイチの誠一郎には悪かったが、咲江にメールを打つ。
遅くなる。了解。とやりとりして、ふーっとため息をつく。
「私、飲みますけど・・・。ノンアルでいいですか?」
「もちろん。運転がありますから。」
さすがに、落ち着いたら帰るアピールをしておかないと、明日の仕事に遅れてしまう。社長である自分が、遅刻するわけにはいかなかった。
「あの・・・孝さん・・・でしたよね?名前で呼んでも?」
「どうぞ。誠一郎さん。」
一見、大分落ち着いたように見える。飲んだらどうなるかわからないが。
ほぼ初対面の人の家に上がり込んでいる。これは、自分としても異例のことだった。落ち着かない。そこへ、誠一郎が床ですみません、と座布団を出してくれた。小さな座卓。ここで彼はつつましく生活しているのだろう。それを思うと、心のよりどころであっただろう、犬の死が近いことは、相当なショックだったのだろうと窺えた。
可哀そうに。どうしたら慰められるだろう。
座卓を挟んだこの距離がもどかしかった。
撫でてやりたい。頭を、ポンポンと撫でて。慈しんであげたい。
同じくらいの年齢の男に抱く感情としては、かなりおかしなことだった。
「誠一郎さんおいくつですか?」
「私?私は今年四十三になりました。」
「あぁ。じゃぁわたしが一つ下ですね。」
下だ、と告げると、誠一郎はまた頬を赤らめた。
「年下の男に、慰めてもらおうなんて・・・。」
「それだけ悲しい出来事なんですよ。甘えてください。」
「はい。・・・ありがとうございます。」
儚く笑うその姿に、ドキリとする。誠一郎は、バツイチだ。つまり、ノーマルなはず。それでも、どこか男を誘う色気があった。
おかしい。自分にだって、妻がいて、子供もいて、そんな感情抱くはずがないのに。
涙一つでやられるなんて。
ドキドキしていた。長らく忘れていた感情だった。一緒に暮らす妻にさえ、最近はときめいたりしていない。
これは、恋・・・?
ビールの缶を傾ける誠一郎を、じっと見つめた。艶っぽい唇。
美味しそうだ。泣きはらして腫れぼったくなった目元ですら、なんだか色っぽい。
すると、視線に気付いた誠一郎が不思議そうな顔をした。
「どうしました?」
「・・・どうって・・・。」
言い淀む。恋をしてしまったかもしれないなどとは言える雰囲気ではなかった。
「チロは、子犬の時に譲り受けた犬で・・・。元気で可愛くて・・・。別れる時も、散々泣いたんですが。まさかこんなことになるなんて・・・。」
信頼して預けていたのに、と誠一郎は肩を落とした。思わず、寄り添って、その肩を優しく撫でる。ぴく、と誠一郎の肩が揺れた。
「孝さん・・・。」
誠一郎の手が、自分の指先に触れる。
「あったかい。」
誠一郎が目を閉じた。チロのことでも思い出しているのだろうか。
「あんまり、長居はできないですよね。今夜は、我儘聞いてくれてありがとうございました。」
「いえ。哀しい時は、また呼んでください。なるべく来られるようにしますから。」
「・・・優しいんですね。」
「・・・目元、冷やしておいた方がいいですよ。明日も仕事でしょう?」
「明日は・・・。休みをもらって、チロに会いに行きます。
今後の事を相談しに。」
「そうですか。それがいいと思います。現場のことはまかせてください。あと、変更があったら、電話でもいいので、いつでも。」
「ありがとうございます。」
少し泣いたら、吹っ切れました。とまた誠一郎は笑って見せた。
犬が死んだら、また泣くだろうに。
それまで、同じ現場で働けるかどうかもわからない。次があるかもわからない。誠一郎と会えるのは、家が完成するまでの一か月足らずだった。その頃には夏が来て、暑さはきっとチロの負担になるから・・・。
「本当は傍にいてやりたいんですけどね。」
環境と仕事が許してくれなくて。と切なげに言う。
言ってしまいたかった。俺がそばにいるから、と。
でもこれは、期限付きの恋。告げることはできそうもなかった。
帰り際、誠一郎の頭を撫でてやり、泣くだけ泣いたら寝てしまいなさいと声をかけた。誠一郎は頷くと、帰り道わかりますか?と問うてきた。
「地元ですから。大丈夫。」
帰ったらメールしますか?と問うと、はにかみながらスマホを持ってきた。ラインを交換して、その日は別れた。
心配していた駐禁は大丈夫だったようだった。
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