法隆寺燃ゆ

hiro75

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第一章「宿命の子どもたち」 後編

第3話

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 百済宮を出た蘇我入鹿は、豊浦の屋敷にゆっくりと馬を進めていた。

 春の日和には、まだまだ程遠い。

 空を、灰色の雲が覆っている。

 彼の頭の中も、灰色の何かに覆われていた。

 彼は大殿を出て来た時から、あることで頭が一杯だった………………最後に言った宝大后の言葉だ。

 それにしても、大后は妙なことを言う……いまのところとは……大后には、何か考えがお有りなのか?

 彼は、そのことがずっと頭にあった。

 そのため、もう少しでむかしの友人をやり過ごしそうになった。

「大郎様、大郎様」

 彼は、馬を引いていた従者の声で我に返った。

「大郎様、中臣様です」

 従者の促す方向には、馬上に懐かしい顔があった。

 中臣鎌子連なかとみのかまこのむらじである。

「蘇我殿、お久しぶりです」

「おお、これは、中臣殿」

 2人は馬を降りると、友好を確かめ合った。

「いつ、三嶋からお帰りに?」

 と、訊いたのは入鹿であった。

「いまです。兄から大王様の葬礼の手伝いを言い渡されまして。それで、戻って来た報告を、いの一番に蘇我殿に伝えたかったのですが、生憎、大臣の名代で参内なされたと聞きましたので、途中で会えると思い、その足で参ったのですよ」

「そうでしたか。それでは、しばらく飛鳥に?」

「はい、葬りが終わるまでは。終わったら、また三嶋に戻りますけど」

「そうですか。どうですか、三嶋の生活は?」

「いや、田舎ですよ。何にもありません。暇に任せて、書物を読む毎日ですよ。あっ、蘇我殿、大切な木簡類、ありがとうございました。それと、書状も………………、私、あれで救われました。あの蘇我殿の言葉がなければ、私はまだ、難波津なにわのつ辺りで酒に溺れていたかも知れませ。本当に、ありがとうございました」

 鎌子は頭を下げた。

「それは違いますよ、私は何もしていません。全て、ご自分のお力です」

 入鹿は微笑む。

「そんな……」

「それよりも、落ち着いた場所で勉強ができるというのは、すばらしいことですよ」

「そうですね。しかし、少々暇すぎますね。飛鳥のような面白味がない」

「私は、あなたが羨ましい」

「そうですか? 私は、蘇我殿の方が羨ましい。蘇我殿は、未来が約束されておられる。今日も、大臣の名代で参内だし。それに比べて、私は三嶋の田舎暮らし。ますます差がついてしまうなあ」

「中臣殿、家柄など関係はありませんよ」

 入鹿は静かに言った。

「そうでしょうか?」

「そうですよ」

「でも、大王は大王の家柄の人間しかなれませんし、大臣も大臣の家柄だけ。大連も大伴や物部の家柄だけだし、我が中臣は名前すら入りません。さらに言えば、貴族に生まれた家柄は何とか生活できますけど、庶民に生まれれば貧しい生活が待っています。まして、奴婢に生まれたら、一生こき使われて終わりですよ」

 入鹿は、鎌子の話している姿を黙って眺めていた。

 鎌子は、その視線に気付き慌てた。

「いえ、あの……、別に、蘇我殿が、どうだと言っている訳ではないのですよ。あくまでも一般論です、一般論」

「分かっていますよ」

 入鹿の声は優しい。

 鎌子は安心した。

「中臣殿、私はね、身分など関係ないと思っていいます。本当に実力のある者が、国政に携わるべきだと考えています。蘇我だとか、大伴だとかで重要な地位に就けるなんて、馬鹿げた話ですよ。唐では、試験に受かった者は誰でも国政に参加できます。私は、そんな国作りを目指したい」

 入鹿は、遥か彼方を見る目をしていた。

「だから、私は大臣になって、この国の根本を変えたいと思っているのですよ。いえ、変えて見せます」

「蘇我殿……」

「その時は、中臣殿、力を貸して頂けますか?」

 入鹿は、鎌子の目を見た。

 鎌子は、入鹿の目を見返す。

 2人の目は、自分たちの、そして、この国の輝かしい未来を見ていた。

「もちろんです、蘇我殿」

 そして、2人は固く握手を交わすのだった。

「ところで、今日の夜は空いていますか?」

「はい、もちろん、あっ……」

 鎌子は言い掛けて止めた。

 入鹿に背を向け、頭を下げる。

 ひとりの貴人が従者を引き連れ、通り過ぎて行った。

 入鹿も、鎌子に倣って頭を下げた。

「いまの方は?」

 入鹿は、まだ頭を下げている鎌子に訊いた。

「軽様です」

「軽様? ああ、あの方が、大后の弟君の軽皇子ですか」

「ええ……、あっ、今日の晩は大丈夫です」

「そうですか。では、久しぶりに旧交を温めましょう」

「はい、喜んで」

 二人は、それぞれの道に分かれた。

 因みに、このうちのひとりが後に古代史上の大悪人と呼ばれる蘇我入鹿であり、もうひとりが葛城皇子と並び古代史上の英雄と称される中臣鎌足である。
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