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第三章「皇女たちの憂鬱」 前編
第19話
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白雉元(六五〇)年十月、新政権の力を見せつけた軽大王は、難波長柄豊碕宮の本格的な造営の命令を出す。
そして、その一年後の十二月三十一日、未だ建設中の宮に移り住だ。
難波の地に、未だ木材を打ち付ける音や職人たちの掛け声が響き渡る中、額田姫王は姉である鏡姫王が住む屋敷に急いでいた。
額田姫王の住む大海人皇子の屋敷もまだ建設中で、朝から木槌の音が鳴り響き、とても春の暖かい日差しを楽しみながら、歌でも詠おうかという雰囲気にはなれなかった。
そのため、すでに建設の終わった姉の屋敷に逃げ込もうと考えて、娘十市皇女の手を引いて出て来たのだ。
姉の鏡姫王は、元は中大兄の妻であったのだが、先ごろ中臣鎌子の妻として譲り渡された。
当初、鎌子は中大兄の元妻のために豪華な屋敷を建設しようと計画したのだが、鏡姫王が質素な生活を希望したので、鎌子の屋敷にともに住むこととなった。
彼女の一室には、草花が咲き誇る庭が設けられていた。
これは鏡姫王が鎌子に、草花の見える部屋に住まわせて欲しいという、婚姻に際して課した条件のひとつである。
彼女は婚姻に際して、鎌子に幾つかの難題な条件を呑ませていた。
それは、皇子の妻から臣下の妻へと格下げとなる、彼女の自尊心を示すものであったし、女を物のように受け渡しする男たちへの反抗でもあった。
額田姫王が鏡姫王の庭に入ると、そこには外界の騒ぎが嘘のように穏やかな春風が流れていた。
額田姫王は、この庭が好きだ。
こじんまりしているが、なんとも言えぬ趣がある。
ここにいると、飛鳥のことを思い出す。
やはり、お姉様は趣味がいい。
―― 私も、新しい屋敷にこんな庭を作ろうかしら………………
その姉は庭先にいて、何やら数多くの木簡を取り出し、眺めていた。
「御機嫌よう、お姉様」
「あら、いらっしゃい。十市ちゃんもいらっしゃい」
鏡姫王は、額田姫王の後ろに見え隠れする十市皇女に微笑む。
十市皇女は、母の裾に隠れながら、ちょこっと頭を下げた。
「だめよ、十市、きちんと挨拶しなくてわ」
「いいのよ、そんなこと。それより座って、いま、何か持たせて来るから」
鏡姫王はそう言うと、屋敷へと入った。
額田姫王と十市皇女は、椅子に腰掛ける。
机の上に散らかる木簡は、どうやら歌らしい。
鏡姫王が、侍女を連れて戻って来た。
「お酒でいいでしょ。十市ちゃんは、こっちね」
十市皇女に出されたのは、蜂蜜水である。
彼女はそれを受け取ると、両手で器を持ち上げ、ゆっくりとその小さな口に流し込んだ。
鏡姫王は、それを見て微笑んでいる。
「美味しい、十市ちゃん?」
鏡姫王の問いに、十市皇女は笑顔で向けた。
「蜂蜜なんて贅沢ね。どうやって手に入れたの? お姉様」
「豊璋様に頂いたのよ」
「でも、三輪山の養蜂は失敗したのでは?」
「これは百済の蜂蜜よ」
額田姫王は、なるほどねという顔で、杯に口を付けた。
そして、その一年後の十二月三十一日、未だ建設中の宮に移り住だ。
難波の地に、未だ木材を打ち付ける音や職人たちの掛け声が響き渡る中、額田姫王は姉である鏡姫王が住む屋敷に急いでいた。
額田姫王の住む大海人皇子の屋敷もまだ建設中で、朝から木槌の音が鳴り響き、とても春の暖かい日差しを楽しみながら、歌でも詠おうかという雰囲気にはなれなかった。
そのため、すでに建設の終わった姉の屋敷に逃げ込もうと考えて、娘十市皇女の手を引いて出て来たのだ。
姉の鏡姫王は、元は中大兄の妻であったのだが、先ごろ中臣鎌子の妻として譲り渡された。
当初、鎌子は中大兄の元妻のために豪華な屋敷を建設しようと計画したのだが、鏡姫王が質素な生活を希望したので、鎌子の屋敷にともに住むこととなった。
彼女の一室には、草花が咲き誇る庭が設けられていた。
これは鏡姫王が鎌子に、草花の見える部屋に住まわせて欲しいという、婚姻に際して課した条件のひとつである。
彼女は婚姻に際して、鎌子に幾つかの難題な条件を呑ませていた。
それは、皇子の妻から臣下の妻へと格下げとなる、彼女の自尊心を示すものであったし、女を物のように受け渡しする男たちへの反抗でもあった。
額田姫王が鏡姫王の庭に入ると、そこには外界の騒ぎが嘘のように穏やかな春風が流れていた。
額田姫王は、この庭が好きだ。
こじんまりしているが、なんとも言えぬ趣がある。
ここにいると、飛鳥のことを思い出す。
やはり、お姉様は趣味がいい。
―― 私も、新しい屋敷にこんな庭を作ろうかしら………………
その姉は庭先にいて、何やら数多くの木簡を取り出し、眺めていた。
「御機嫌よう、お姉様」
「あら、いらっしゃい。十市ちゃんもいらっしゃい」
鏡姫王は、額田姫王の後ろに見え隠れする十市皇女に微笑む。
十市皇女は、母の裾に隠れながら、ちょこっと頭を下げた。
「だめよ、十市、きちんと挨拶しなくてわ」
「いいのよ、そんなこと。それより座って、いま、何か持たせて来るから」
鏡姫王はそう言うと、屋敷へと入った。
額田姫王と十市皇女は、椅子に腰掛ける。
机の上に散らかる木簡は、どうやら歌らしい。
鏡姫王が、侍女を連れて戻って来た。
「お酒でいいでしょ。十市ちゃんは、こっちね」
十市皇女に出されたのは、蜂蜜水である。
彼女はそれを受け取ると、両手で器を持ち上げ、ゆっくりとその小さな口に流し込んだ。
鏡姫王は、それを見て微笑んでいる。
「美味しい、十市ちゃん?」
鏡姫王の問いに、十市皇女は笑顔で向けた。
「蜂蜜なんて贅沢ね。どうやって手に入れたの? お姉様」
「豊璋様に頂いたのよ」
「でも、三輪山の養蜂は失敗したのでは?」
「これは百済の蜂蜜よ」
額田姫王は、なるほどねという顔で、杯に口を付けた。
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