法隆寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
191 / 378
第三章「皇女たちの憂鬱」 後編

第19話

しおりを挟む
 雲が流れて、月が顔を出した。

 再び、玉砂利が白波のように輝き出す。

 表に出た二人は、その波の上を歩いていく。

「そうそう、お前にこれを渡そうと思ってね」

 聞師は、懐から布切れを取り出し、それを開けた。

 彼の手の中には、月の光に照らし出された鑿があった。

「寺の仏師に頼み込んで、譲ってもらったのだよ。彼らに言わせると、木彫りの仏像など造らないから、あうような道具はないそうだが。これなら、いままでより、よく彫れるだろ」

 そう言うと、彼は弟成にそれを渡した。

 弟成は、鑿を受け取ると月に翳した。

 恐ろしく光り輝いている。

 なるほど、これなら良く彫れそうだ。

「でも、こんなもの、頂けません」

 弟成は、それを聞師に差し返した。

「なぜ?」

「だって、こんな高価なものを、奴である私が頂く訳には。それに、見つかったら取り上げられるに決まっています」

「見つからないようにすれば良いだけだ。それに、夜中にこそこそ寺の中に入ってこなくとも、昼間に堂々と南門を潜って入って来なさい」

「そんなことをしたら、ここを追い出されます」

「なぜ?」

「私が……、奴だからです」

 聞師は、弟成の月に照らされた顔を見た。

 その顔は、悔しそうだ ―― 聞師には、そう見えた。

「弟成、お前にあれが見えるか?」

 聞師は、月を指差す。

 確かに、弟成にもはっきりと見える。

 美しく照り輝いている。

「はい、見えます、月です」

「では、月は何色だ?」

「月は……黄色ですが」

「本当にそうか、私には青白く見えるぞ?」

 弟成は、もう一度月を見上げる。

 ―― そうだろうか、俺には黄色く見える?

 彼は、返答に困った。

「それで良いのだよ。月が黄色く見えるのは、お前が黄色だと心で見ているからだよ」

 心で見ている ―― 弟成には意味が分からなかった。

「いいか、弟成。この世の全ては、実態がないのだ。あの月も、この寺も、そして、私も、お前も。だが、私たちは月に照らされているし、寺の中にいる。私は、お前と話をしているし、お前も私を見ている。これはな、全てお前の心の中で起こっていることなのだよ。月も、寺も、私も、全てお前の心の中にあるのだ。そして、お前自身も、心の中にいるのだ」

 頭がこんがらがってしまう。

「全ては、お前の心が作り出している世界だ。だから、心の持ちようで、この世界は良い方にも、悪い方にも転がっていくのだ。奴婢だからといって、自分を卑下するな。それは、己の心が作り出した虚構に過ぎない。心を強く持て! そして、それを解き放て!そうすれば、己の歩むべき道が、正しい道が見えてくるはずだ」

 ―― 正しい道!

 彼には、その言葉だけがはっきりと分かった。

 正しい道を踏み外さないこと ―― それが、兄、三成との約束だ。

「弟成、お前の目の前には、どんな道がある?」

 弟成は、真っ直ぐ前を見据えた。

 そこには、白く輝いた玉砂利が続いている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。 その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。 姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...