法隆寺燃ゆ

hiro75

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第三章「皇女たちの憂鬱」 後編

第22話

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 斑鳩寺には、多くの百済僧が西海を渡って来ていた。

 寺主である入師も百済僧であるし、寺司の聞師も百済僧である。

 その縁あってか、法隆寺の周辺は、いつの間にか百済からの渡来人が多く住みついていた。

 そんな百済の人々を驚愕させる知らせが齎されたのは、奴長の眞成たちが、今年は野分が思ったより少ないなと話している頃である。

 その噂は、奴婢の間にもすぐに広がった。

「聞いたか? 百済が滅びたらしいぞ」

「ほんまか? 百済がなくなったんか?」

「ああ、これから大変やで。百済の人間が、多く押し掛けて来るで」

「何でや?」

「飛鳥と百済は、同盟関係にあるらしいからな。戦さに破れた貴人が、どっと押し寄せて来るで」

「怖いのぉ~。しかし、百済の貴人だけか? 農民は来のか?」

「来れる訳ないやろ。貴人なんちゅうのはな、いつもは農民を扱使って、稲を絞れるだけ絞り取って、戦時になったら兵士として徴用して、自分たちの代わりに戦わせるけど、いざとなったら、農民を見捨てて行くような連中やからの。何処の国も同じじゃて」

「全く、貴人ちゅうのは、何処までも狡賢い連中よの」

「そやけど、百済が滅びたっちゅうことは、この国も、いつ滅びるか分からんちゅうことやの。怖い、怖い」

 と奴婢たちは噂し合った。

 弟成と言えば、そんな立ち話をする奴婢たちの間を、怖い顔をして走り抜けて行った。

 ここ二、三日、身重の稲女の体調が芳しくなかったのだが、この日の昼前に突然倒れて、そのまま破水が始まったらしいのだ。

 お腹の中の子が、この世に生を受けるには三ヶ月も早かった。

 弟成はその知らせを聞いて、厩から飛んで来たのだ。

 奴婢長屋の傍には、小さな産屋が立てられていた。

 弟成は、産屋の前に佇む雪女を見つけた。

「姉さん! 稲女は? 稲女は、大丈夫なんか?」

 彼は、そのまま産屋に入って行きそうな勢いである。

「弟成、あかん! 入ったらあかんって! 稲女は大丈夫やから!」

「稲女は……、お腹の子は? 俺の子は?」

 雪女の目に、見る見るうちに涙が溜まっていった。

 稲女は、産屋の真ん中に寝かされていた。

 汗びっしょりだ。

 しかしそれも気にせず、泣かない我が子の頭を撫でてやっていた。

 その子は、本当に、本当に小さい子だった。

 それを見守る黒女たちは、必死に涙を堪えていた。

 ただ、数人の鼻を啜り上げる音だけが、産屋に響き渡る。

「可愛い子やね。よく生まれて来たね」

 稲女は、その子に話しかける。

 だが、その子は泣かない。

「あなたの名前は、もう決まってるねん。三成って言うねん。ええ名前やろ、良かったな」

 稲女は、泣かない子になおも話し掛ける。

「見て、お義母かあさん、三成が笑ったわ。ねえ、見たやろ」

 黒女は、堪えきれずに泣き出した。

「見てみ、お義母さんが嬉し泣きしてはるわ。あなたが生まれて来て、嬉しいって」

 稲女は、かの子の頭を撫で続けた。

 産屋の外では、慟哭する雪女と、ただ立ち尽くす弟成がいた ―― そう、彼には立ち尽くすことしかできなかった………………

 それから一ヵ月後、墓穴に横たわる稲女と小さな三成の姿があった。

 彼女は、あれからずっと三成を放さず、開かぬ口に張った乳房をあてがった。

 だが、彼女の乳は小さな三成のお腹を満たすことはなく、ただただ彼女の足下を濡らした。

 弟成は、彼女に何度も現実を言い聞かせようとしたのだが、その度に、三成を抱いて微笑む彼女を見て、口を閉じざるを得なかった。

 そうこうするうちに、今度は稲女の体が衰弱していった。

 あれやこれやと手を尽くすのだが、最後は、彼の両腕の中で静かに息を引き取った。

 その時の三成を抱いて幸せそうな彼女の笑顔を、弟成は忘れることはできなかった。

 弟成は、横たわる二人に、優しく、優しく土を掛けてやる。

 眠る稲女の顔に、雫が零れる。

 もうひとつ……

 そして、もうひとつ……

 それは、徐々に激しくなっていく。

 ―― 雨だ!

 弟成は、空を見上げる。

 その顔も、濡れてゆく。

 そして、彼の頬に一筋の流れを作った。
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