214 / 378
第四章「白村江は朱に染まる」 前編
第19話
しおりを挟む
八月一日に、宝大王の柩を携えて長津の磐瀬行宮に移った中大兄は、大王代理として本格的な『水表の軍政』に着手した。
『水表の軍政』とは、対外軍事作戦のことである。
そして同月に、西国から集められた兵士たちの正式な部隊編入が行われる。
九月に入って、中大兄は豊璋王子に職冠を授け、多蔣敷臣の妹を妻として娶わせた。
未来の百済王に倭国の冠位を与えるということは、唐の冊封政策のうつしであって、百済を倭国の勢力下に置くということである。
おまけに豪族の娘を妻にするということは、倭国と百済の関係を強化するという目的とともに、百済王室は大王の臣下に過ぎないという意図もあった。
そしていよいよ、豊璋王子と五千人の護衛軍を派遣させようという段階になる。
朴市秦田来津は、長津で出航の最終調整に入っていた。
彼は、一隻ずつ丹念に軍船の状況を点検し、不具合があれば速やかに是正させていた。
いつ出航の合図があっても良いように………………
「秦将軍、大伴様がお見えです」
田来津が、舟底の点検にあたっている時に、ひとりの兵士が来客を告げに来た。
大伴と聞いた田来津は、急いで表に出た。
岸壁にいたのは、彼には懐かしい顔であった。
「おお、大国ではないか」
大国と呼ばれた男は、田来津に手を挙げて見せた。
この男は大伴朴本大国連で、互いに武術を得意としていたことから、飛鳥にいた時には家族ぐるみで付き合っていた間柄であった。
「ちょっと待っていてくれ。おおい、深草!」
田来津は、舟底にいる高尾深草を呼んだ。
「はい、何でしょうか?」
「私は来客で上がるが、点検箇所は最初に言ったとおりだ。後は、お前がやってくれ」
「了解しました」
田来津は高尾深草の返事を聞くと、急いで桟橋を渡り、旧友の下へ駆けつけた。
「いやあ、随分久しぶりだな、大国」
「本当だな。田来津、お前、少し老けたか?」
「えっ、そうか? そんなことないだろう。これでも、赤子の父親だぞ」
「そうだったな、子どもが生まれたとか。おめでとう。如何だ、可愛いか?」
「ありがとう、ああ、俺に似て可愛いぞ」
「それは、安孫子殿に似ての間違いだろう。安孫子殿の子どもなら、可愛いに決まっているからな」
「おいおい、そら如何言うことだよ」
二人は笑った。
「ところで、いつこちらに着たのだ?」
「昨日着いたばかりだ、内臣の命でな」
「そうか、お前も派遣されるのか。で、どこの部隊だ?」
「お前の部隊だ」
「俺の?」
田来津は訝った。
「正確に言うと、内臣付の部隊だが、編成上はお前の指揮下に入ることになった」
「お前なら、将軍職が当然じゃないか? どうして、俺の指揮下なんかに?」
「詳しいことは分からんが、これは内臣殿の命令だ」
「内臣殿? もしかして、内臣殿は、俺に対して何か思惑でもあるのか?」
「何だ、それは?」
「俺を護衛軍の将軍に推挙したのも内臣殿だと聞いているし、大伴軍の中で最強と言われるお前を、俺の部隊に入れてくるなんて、何かあるとしか考えられんではないか?」
「そうか? それは考えすぎだろう。内臣殿が、お前に期待しているからだろ。真面目だし、正義感も強いしな。そう、疑うなよ。ただ俺の受けた命は、護衛軍の状況を逐次知らせるようにとのことだけだからな。ただそれだけだ。お前に対して他意はないよ」
「そうだろうか?」
田来津は、大国の言葉にもあまり納得がいかなった。
『水表の軍政』とは、対外軍事作戦のことである。
そして同月に、西国から集められた兵士たちの正式な部隊編入が行われる。
九月に入って、中大兄は豊璋王子に職冠を授け、多蔣敷臣の妹を妻として娶わせた。
未来の百済王に倭国の冠位を与えるということは、唐の冊封政策のうつしであって、百済を倭国の勢力下に置くということである。
おまけに豪族の娘を妻にするということは、倭国と百済の関係を強化するという目的とともに、百済王室は大王の臣下に過ぎないという意図もあった。
そしていよいよ、豊璋王子と五千人の護衛軍を派遣させようという段階になる。
朴市秦田来津は、長津で出航の最終調整に入っていた。
彼は、一隻ずつ丹念に軍船の状況を点検し、不具合があれば速やかに是正させていた。
いつ出航の合図があっても良いように………………
「秦将軍、大伴様がお見えです」
田来津が、舟底の点検にあたっている時に、ひとりの兵士が来客を告げに来た。
大伴と聞いた田来津は、急いで表に出た。
岸壁にいたのは、彼には懐かしい顔であった。
「おお、大国ではないか」
大国と呼ばれた男は、田来津に手を挙げて見せた。
この男は大伴朴本大国連で、互いに武術を得意としていたことから、飛鳥にいた時には家族ぐるみで付き合っていた間柄であった。
「ちょっと待っていてくれ。おおい、深草!」
田来津は、舟底にいる高尾深草を呼んだ。
「はい、何でしょうか?」
「私は来客で上がるが、点検箇所は最初に言ったとおりだ。後は、お前がやってくれ」
「了解しました」
田来津は高尾深草の返事を聞くと、急いで桟橋を渡り、旧友の下へ駆けつけた。
「いやあ、随分久しぶりだな、大国」
「本当だな。田来津、お前、少し老けたか?」
「えっ、そうか? そんなことないだろう。これでも、赤子の父親だぞ」
「そうだったな、子どもが生まれたとか。おめでとう。如何だ、可愛いか?」
「ありがとう、ああ、俺に似て可愛いぞ」
「それは、安孫子殿に似ての間違いだろう。安孫子殿の子どもなら、可愛いに決まっているからな」
「おいおい、そら如何言うことだよ」
二人は笑った。
「ところで、いつこちらに着たのだ?」
「昨日着いたばかりだ、内臣の命でな」
「そうか、お前も派遣されるのか。で、どこの部隊だ?」
「お前の部隊だ」
「俺の?」
田来津は訝った。
「正確に言うと、内臣付の部隊だが、編成上はお前の指揮下に入ることになった」
「お前なら、将軍職が当然じゃないか? どうして、俺の指揮下なんかに?」
「詳しいことは分からんが、これは内臣殿の命令だ」
「内臣殿? もしかして、内臣殿は、俺に対して何か思惑でもあるのか?」
「何だ、それは?」
「俺を護衛軍の将軍に推挙したのも内臣殿だと聞いているし、大伴軍の中で最強と言われるお前を、俺の部隊に入れてくるなんて、何かあるとしか考えられんではないか?」
「そうか? それは考えすぎだろう。内臣殿が、お前に期待しているからだろ。真面目だし、正義感も強いしな。そう、疑うなよ。ただ俺の受けた命は、護衛軍の状況を逐次知らせるようにとのことだけだからな。ただそれだけだ。お前に対して他意はないよ」
「そうだろうか?」
田来津は、大国の言葉にもあまり納得がいかなった。
0
あなたにおすすめの小説
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる