法隆寺燃ゆ

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第五章「生命燃えて」 中編

第22話

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「おや、聞師殿らしくもない、ため息ですか?」

 不意に、から寒い青空を遮ったのは、大伴安麻呂連おおとものやすまろのむらじであった。

 窓から愛嬌のある顔を突き出し、裏表のない笑顔でこちらを見ていた。

「これは安麻呂殿、お出でとは人が悪い、ひと声かけてくれれば良いものを」

 聞師は慌てて身づくろいをし、中に招き入れた。

「いや、呼びかけたのですが、どなたも出られなかったので入ってきました」

 けらけらと笑っている。

 この御仁らしい。

「しかし、お陰でいいものが見られました。聞師殿の厳しい顔……、こうやって眉を寄せて……」

 安麻呂は、眉間に皺を寄せて指さす。

 ―― 自分って、そんな顔していたのか?

 ごほんと咳払いをして、

「私だって、そんな顔はします。安麻呂殿は、私をなんだとお思いですか?」

「いや、そういったこととは無縁だと思ったので。悩み事も、心配事もない、全てを悟りきった人かと」

「そんな……、私なんてまだまだです。全然迷ってますし」

「ほう、何に御迷いで?」

「道です」

「道?」、安麻呂はきょとんとした顔をしている。

 この御仁にこんな話をしても無駄だろうなと、聞師は思った。

「ほぉ~、道ですか……、道ね……」

 分かったような、分からないような顔で腕を組み、天井を見上げる。

「で、道って?」

 ああ、やっぱり………………

「仏の道です。この道は、迷いが多いのです」

 説明するのも面倒なので、おおざっぱに言った。

「なるほどねぇ~、仏の道というのはなかなか難しいのですな。ふむふむ、やっぱり私には向きませんな、僧侶など」

「私も、安麻呂殿が僧侶になるなど、思ってもいませんよ」

「全くです」

 と、ふたり大笑いした。

 少し気が晴れた。

 この御仁、時折こんな雰囲気を醸し出す ―― 不思議な人だ。

「で、安麻呂殿は将来はやはり将軍に?」

「いやいや、将軍などと……、私、争いごとが嫌いですから」

 大伴家は、元来軍事を司る一族である。

 もちろん、安麻呂も将来はその関係の職につき、やがては戦にでなければなるまい。

 でなければ、宮中の役職につき、政務を司ることになろう。

「いやいや、いやいや」と、安麻呂は本当に嫌そうに手を振る、「私に政なんて。第一、大伴家はもう飛鳥から見放されていますからね」

 大伴金村大連おおともかねむらのおおむらじが失脚し、途中馬飼うまかい長徳ながとこ)が右大臣となるが、それ以降は中央政界から遠ざかっている。

 大伴家の復活が一族の悲願と、叔父の馬来田まぐた吹負ふけい、兄の御行みゆきたちは騒いでいるが、安麻呂はそれを白い目で見ている。

「むかしの家柄に頼るなんて、馬鹿馬鹿しい」

「では、将来はどうされるのですか?」

「そうですね……」と、空を見上げ………………、「雲ですかね……」

「はぁ?」

「いや、雲になりたいな」

 と、至極真面目な顔をしていった。

「く、雲ですか……」

「そう、雲です」

「あの……、それは……」

 安麻呂は、にこりと笑う。

「あくまで例えですよ。でも、私、将来は雲のように生きたいのです。ただ流れるままに、行き先も決めず、ふらふらとあっちに行き、こっちに行き、旅をして、そして歌を詠って日がな一日過ごしたいのです」

「そ、それはまた面白そうな」

 本気で面白いと思ったわけはなかった。

「そう、いいでしょう。例えば……」

 安麻呂は、声の調子を整えて詠い始めた。

 

  奥山の すがの葉しのぎ

   降る雪の なば惜しけむ

   雨な振りそね

  (奥山の菅の葉を押し伏せて積もっている雪、

   それが消えてしまっては惜しいものよ、

   雨よ、降らないでくれ)

  (『萬葉集』巻第三)

 

 即興でここまで歌うのである。

 聞師は、素直に褒めた。

「いやいや」と恥ずかしそうに頭を掻く、「私なんてまだまだ。この歌を額田ぬかた様やかがみ様が聞けば、お笑いになりますよ」

「いえいえ、私は素晴らしと思いますよ」

 聞師は、本気でそう思う。

「そうですか? ではもう一首……」

 と、安麻呂も調子に乗って次から次へと詠う。

 聞師は、羨ましかった ―― 安麻呂の楽天的な性格が。

 彼の身分からしたら、とても歌だけ詠って生きていけるはずもない。

 必ず、軍か政に携わらなければならないだろう。

 でも、彼は信じている ―― きっと雲のような生き方ができるのだと。

 安麻呂には、しっかりとした、聊か不安であるが、そしてきっと思い通りにはならないだろうが、彼の信じるべき道が見えているようだ。

 ―― それに比べて私は………………

 雲が暗澹としてきた。

 ひと降りきそうだ。

「安麻呂殿、歌はそこまでにして。ひと雨きそうですよ、帰りは大丈夫ですか?」

「おお、随分暗くなりましたね。急いでお暇しましょう」

 安麻呂は、そそくさと帰り支度を始めた。

 ―― いったい、何をしに来たのだろう?

 と、疑問に思っていると、

「ああ、そうだ、妹のために木簡を借りにきたのです。妹も部屋に閉じこもりで、何か気分晴らしに面白い木簡でもないかと」

 それならばと、聞師は数巻の木簡を選んで手渡し、

「これはいかん、本降りになってきた」

 と、慌てて帰っていく安麻呂を見送った。

 ―― 相変わらず忙しい人だ。

 が、よい気晴らしになった。
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