黒髪慕情

hiro75

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第5話

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 私には髪がないのだが、あれば白いものが目立つ年になった。

 鎌倉では将軍様の直系は絶え、尼御台様もいまはなく、執権の北条が我が物顔で権勢を揮っている。

 私は、相も変らず仏像を彫り続けている。

 が、修禅寺を離れて数十年経ついまでも、彼の大日如来を超えるような仏像を造り上げてはいない。

 やはりあれは、仏の導きであったのかもしれない。

 その大日如来であるが、造るのを止めろという沙汰もなかったので、そのまま完成させて寺の本堂に納めた。

 尼御台様も、気に入られたようだ。

 というより、仏像を造れと命令したものの、そのあと関心を失われたのかもしれない。

 貴人には良くあることだ。

 お預かりした品も、胎内に納めた。

 ただ、辻殿の黒髪とかもじを包んだ錦布の中に、こっそりとミユキの黒髪を入れてやった。

 アヤメ親子が望んだのではない。

 親切心でやったまでだ。

 御台様の髪を入れるのもよいが、「あの方」が最後に慕った者とその子の髪を入れてやるのが本当の弔いになるのではないかと思ったからだ。

 私は、アヤメの黒髪も入れやろうと言ったのだが、彼女は、仏様のお腹に自分のような下賤の者の髪の毛を入れるのは畏れ多いと、これを断った。

「ただ、娘の、ミユキの髪の毛だけは入れてやってください。この子も、あの方と一緒にいられるように」

 と言いながら、ミユキの柔らかい黒髪を撫でるアヤメの瞳は母の慈愛に溢れていた。

 私は、それを承知した。

 数日後、母子は寺から姿を消した。

 北条方の金窪らは、血相を変えて女と子どもを捜していたようだが、見付からなかった。

 恵妙和尚を詰問していたが、和尚は、「さあ、どこに行ったのやら」と素知らぬ顔をしていた。

 そのときの金窪の苦りきった顔は、見ていて小気味好かった。

 その後の母子の行方は知らぬ。

 私が修禅寺を離れた翌年には恵妙和尚も亡くなったので、いまでは何処で如何しているのか分からない。

 ただ、アヤメ親子がいなくなってから数年して、禅室様の命日に美しい黒髪を靡かせた少女が何処からともなく現れ、大日如来に手を合わせている姿が多くの村人によって目撃された。

 その少女の顔が大日如来に瓜二つだったので、仏様の化身ではないかと村人たちの専らの噂のようだが、それを風の便りに聞いたとき、私はひとり笑みをこぼした。

 私も年をとった。

 近ごろでは、酒を飲むと所構わずアヤメの話をする。

 他の仏師たちも、またかといった表情でその話を聞いている。

 別に構わない。

 私はただ、込み上げてくる悲喜をひとり胸の中に仕舞っておくのは勿体ないと思うからだ。

 私の話を聞いていた者は、大抵こう訊く、「息子を見殺しにし、家を守った母がいた。たった一人になりながらも、子どもを守った母がいた。どちらが本当の女の姿であろうか」と。

 私は、「どちらが本当の女の姿なのか、私には分からぬ」と答える。

 ただ、最後に必ず、「公家の娘でも、武家の娘でもない、ただの女が、一人の男を慕い、その子を生み、そして必死に育て守りぬいた姿は、貴人よりも、いや、仏より美しい」と付加えるのである。

 しかし、人というのは品がない。

 あわれな話を聞いて、にやにやと笑っていやがるやつもいる。

 そいつらは、決まってこう訊くのだ。

「お前さん、もしかして、そのアヤメとかいう女に懸想してたんじゃないかい」

 懸想だって。

 全く下卑た話だ。

 そんな次元の話じゃないさ。

 私にとっては母であり、仏様だよ。

 アヤメは………………

 とは言うものの、仏像を彫っている最中に、ふとアヤメのことを思い出し、気がつけば、女の名を彫りつけている自分がいるのも確かである。

 その名を摩りながら、私はひとり懐かしむ。

 涼やかな秋風が吹き抜ける竹林の中で、艶やかな光を放つ黒髪を靡かせた女のことを………………
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