5 / 6
第5話
しおりを挟む
私には髪がないのだが、あれば白いものが目立つ年になった。
鎌倉では将軍様の直系は絶え、尼御台様もいまはなく、執権の北条が我が物顔で権勢を揮っている。
私は、相も変らず仏像を彫り続けている。
が、修禅寺を離れて数十年経ついまでも、彼の大日如来を超えるような仏像を造り上げてはいない。
やはりあれは、仏の導きであったのかもしれない。
その大日如来であるが、造るのを止めろという沙汰もなかったので、そのまま完成させて寺の本堂に納めた。
尼御台様も、気に入られたようだ。
というより、仏像を造れと命令したものの、そのあと関心を失われたのかもしれない。
貴人には良くあることだ。
お預かりした品も、胎内に納めた。
ただ、辻殿の黒髪とかもじを包んだ錦布の中に、こっそりとミユキの黒髪を入れてやった。
アヤメ親子が望んだのではない。
親切心でやったまでだ。
御台様の髪を入れるのもよいが、「あの方」が最後に慕った者とその子の髪を入れてやるのが本当の弔いになるのではないかと思ったからだ。
私は、アヤメの黒髪も入れやろうと言ったのだが、彼女は、仏様のお腹に自分のような下賤の者の髪の毛を入れるのは畏れ多いと、これを断った。
「ただ、娘の、ミユキの髪の毛だけは入れてやってください。この子も、あの方と一緒にいられるように」
と言いながら、ミユキの柔らかい黒髪を撫でるアヤメの瞳は母の慈愛に溢れていた。
私は、それを承知した。
数日後、母子は寺から姿を消した。
北条方の金窪らは、血相を変えて女と子どもを捜していたようだが、見付からなかった。
恵妙和尚を詰問していたが、和尚は、「さあ、どこに行ったのやら」と素知らぬ顔をしていた。
そのときの金窪の苦りきった顔は、見ていて小気味好かった。
その後の母子の行方は知らぬ。
私が修禅寺を離れた翌年には恵妙和尚も亡くなったので、いまでは何処で如何しているのか分からない。
ただ、アヤメ親子がいなくなってから数年して、禅室様の命日に美しい黒髪を靡かせた少女が何処からともなく現れ、大日如来に手を合わせている姿が多くの村人によって目撃された。
その少女の顔が大日如来に瓜二つだったので、仏様の化身ではないかと村人たちの専らの噂のようだが、それを風の便りに聞いたとき、私はひとり笑みをこぼした。
私も年をとった。
近ごろでは、酒を飲むと所構わずアヤメの話をする。
他の仏師たちも、またかといった表情でその話を聞いている。
別に構わない。
私はただ、込み上げてくる悲喜をひとり胸の中に仕舞っておくのは勿体ないと思うからだ。
私の話を聞いていた者は、大抵こう訊く、「息子を見殺しにし、家を守った母がいた。たった一人になりながらも、子どもを守った母がいた。どちらが本当の女の姿であろうか」と。
私は、「どちらが本当の女の姿なのか、私には分からぬ」と答える。
ただ、最後に必ず、「公家の娘でも、武家の娘でもない、ただの女が、一人の男を慕い、その子を生み、そして必死に育て守りぬいた姿は、貴人よりも、いや、仏より美しい」と付加えるのである。
しかし、人というのは品がない。
あわれな話を聞いて、にやにやと笑っていやがるやつもいる。
そいつらは、決まってこう訊くのだ。
「お前さん、もしかして、そのアヤメとかいう女に懸想してたんじゃないかい」
懸想だって。
全く下卑た話だ。
そんな次元の話じゃないさ。
私にとっては母であり、仏様だよ。
アヤメは………………
とは言うものの、仏像を彫っている最中に、ふとアヤメのことを思い出し、気がつけば、女の名を彫りつけている自分がいるのも確かである。
その名を摩りながら、私はひとり懐かしむ。
涼やかな秋風が吹き抜ける竹林の中で、艶やかな光を放つ黒髪を靡かせた女のことを………………
鎌倉では将軍様の直系は絶え、尼御台様もいまはなく、執権の北条が我が物顔で権勢を揮っている。
私は、相も変らず仏像を彫り続けている。
が、修禅寺を離れて数十年経ついまでも、彼の大日如来を超えるような仏像を造り上げてはいない。
やはりあれは、仏の導きであったのかもしれない。
その大日如来であるが、造るのを止めろという沙汰もなかったので、そのまま完成させて寺の本堂に納めた。
尼御台様も、気に入られたようだ。
というより、仏像を造れと命令したものの、そのあと関心を失われたのかもしれない。
貴人には良くあることだ。
お預かりした品も、胎内に納めた。
ただ、辻殿の黒髪とかもじを包んだ錦布の中に、こっそりとミユキの黒髪を入れてやった。
アヤメ親子が望んだのではない。
親切心でやったまでだ。
御台様の髪を入れるのもよいが、「あの方」が最後に慕った者とその子の髪を入れてやるのが本当の弔いになるのではないかと思ったからだ。
私は、アヤメの黒髪も入れやろうと言ったのだが、彼女は、仏様のお腹に自分のような下賤の者の髪の毛を入れるのは畏れ多いと、これを断った。
「ただ、娘の、ミユキの髪の毛だけは入れてやってください。この子も、あの方と一緒にいられるように」
と言いながら、ミユキの柔らかい黒髪を撫でるアヤメの瞳は母の慈愛に溢れていた。
私は、それを承知した。
数日後、母子は寺から姿を消した。
北条方の金窪らは、血相を変えて女と子どもを捜していたようだが、見付からなかった。
恵妙和尚を詰問していたが、和尚は、「さあ、どこに行ったのやら」と素知らぬ顔をしていた。
そのときの金窪の苦りきった顔は、見ていて小気味好かった。
その後の母子の行方は知らぬ。
私が修禅寺を離れた翌年には恵妙和尚も亡くなったので、いまでは何処で如何しているのか分からない。
ただ、アヤメ親子がいなくなってから数年して、禅室様の命日に美しい黒髪を靡かせた少女が何処からともなく現れ、大日如来に手を合わせている姿が多くの村人によって目撃された。
その少女の顔が大日如来に瓜二つだったので、仏様の化身ではないかと村人たちの専らの噂のようだが、それを風の便りに聞いたとき、私はひとり笑みをこぼした。
私も年をとった。
近ごろでは、酒を飲むと所構わずアヤメの話をする。
他の仏師たちも、またかといった表情でその話を聞いている。
別に構わない。
私はただ、込み上げてくる悲喜をひとり胸の中に仕舞っておくのは勿体ないと思うからだ。
私の話を聞いていた者は、大抵こう訊く、「息子を見殺しにし、家を守った母がいた。たった一人になりながらも、子どもを守った母がいた。どちらが本当の女の姿であろうか」と。
私は、「どちらが本当の女の姿なのか、私には分からぬ」と答える。
ただ、最後に必ず、「公家の娘でも、武家の娘でもない、ただの女が、一人の男を慕い、その子を生み、そして必死に育て守りぬいた姿は、貴人よりも、いや、仏より美しい」と付加えるのである。
しかし、人というのは品がない。
あわれな話を聞いて、にやにやと笑っていやがるやつもいる。
そいつらは、決まってこう訊くのだ。
「お前さん、もしかして、そのアヤメとかいう女に懸想してたんじゃないかい」
懸想だって。
全く下卑た話だ。
そんな次元の話じゃないさ。
私にとっては母であり、仏様だよ。
アヤメは………………
とは言うものの、仏像を彫っている最中に、ふとアヤメのことを思い出し、気がつけば、女の名を彫りつけている自分がいるのも確かである。
その名を摩りながら、私はひとり懐かしむ。
涼やかな秋風が吹き抜ける竹林の中で、艶やかな光を放つ黒髪を靡かせた女のことを………………
0
あなたにおすすめの小説
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
【最新版】 日月神示
蔵屋
歴史・時代
最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。
何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」
「今に生きよ!」
「善一筋で生きよ!」
「身魂磨きをせよ!」
「人間の正しい生き方」
「人間の正しい食生活」
「人間の正しい夫婦のあり方」
「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」
たったのこれだけを守れば良いということだ。
根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。
日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。
これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」
という言葉に注目して欲しい。
今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。
どうか、最後までお読み下さい。
日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる