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 ホームセンターで購入した丈夫なロープを部屋のドアノブに結びつける。部屋もあらかた片付けたし、遺書だって書いた。あとは死ぬだけだ。
 上手く死にきれなかったらそれこそ悲惨だから、手順はネットで入念に調べてある。ふぅと息を吐きロープの輪の中に顔を入れる。
 
 (お父さんお母さん今までありがとう。ごめんなさい)
 
 今までの思い出が走馬灯のように蘇ってくる。ああ、俺の人生なんだったんだろう。
 目を閉じて体重をかけようとしたそのとき、玄関のチャイムが鳴った。
 
 (だれだよ、こんなときに。まあいいか、どうせ死ぬんだし無視しとこう)
 
 そのまま居留守をしていると、やがてチャイム音が止んだ。よし、これで心置きなく死ねる。再び体重をかけようとしたら、急に玄関のドアが開いた。
 
 「あ」
 「え」
 
 俺と玄関にいた男は同時に声をあげた。玄関と俺のいる場所は一直線上にある。その男は驚いた顔をすると、そのまま家に上がってきた。
 
 「ちょっと困ります。死ぬなら別の場所で死んでくださいよ」
 「は?」
 「だから、さすがに隣が事故物件になるのはちょっと……」
 
 なんだか見覚えがあるなと思っていたら隣に住む人だったのか。悪いけど、死ぬ直前に他人のこと考える余裕などあるわけがない。
 
 「じゃあどこならいいんだよ」
 「うーん、山?とかですかね……とりあえずここで死ぬのはやめましょうよ。びっくりするなぁもう」
 「ていうか、なんで勝手に入ってきてんだよ」
 「ああ、忘れてました。これ。あなた宛の郵便物が間違えて入ってたんですよ」
 
 男は手に持っていた郵便物を俺に渡してきた。
 
 「それはご親切にどうも……でも俺死ぬんで捨てちゃってください」
 「なんで死のうと思ったの?きみ、まだ若いでしょう」
 「関係ないだろう。なんでまだ居るんだよ、もう帰れよ」
 
 今だに居座る男に、若干イライラしてくる。
 
 「今僕が帰るときみ、ここで死のうとするじゃん」
 「……」
 
 図星を突かれてぐうの音も出ない。
 
 「どうせ死ぬんだしさ、死のうとした理由くらい教えてよ」
 
 確かにどうせ死ぬのだ。理由くらい話してもいいか。  
 
 「……働いていた会社が潰れたんだ。あと、恋人に振られた。その人にはお金貸してたから、返してほしいって言ったら音信不通になった」
 「まじか」
 「笑えるだろう。でも俺、つらくて、悲しくて、もう生きたくなくて……」
 
 他人に弱音を吐いたのは久しぶりだからか、今まで溜まっていたものが涙と共に溢れだしてくる。男は隣でなにも言わずにじっと聞いてくれていた。
 
 しばらくして俺が落ち着いてくると、男が口を開いた。 
 
 「どうせ死ぬのならさ、僕とセックスしてからにしない?」
 「は?」
 
 男がなにを言っているのか理解ができなかった。
 
 「僕がここに来なかったら、今きみの命はないわけだろう。きみが生きているのは僕のおかげでもある」
 「……あんた、なに言ってんの」
 「死ぬ前に気持ちいい思いをしたほうがいいだろう」
 「つまり、逝く前にイクってことかよ」
 「きみ、うまいこと言うね」
 
 笑いながらそう言う男を見て、少し……いや、だいぶ変わった人だなと思う。でも、男の言う通り彼が来てなかったら俺は死んでいただろう。そう考えると男の言うことも理にかなっていると言えないこともない。
 
 「いいよ、別に減るもんじゃないし。どうせ死ぬんだし」
 「交渉成立だね。とその前に。きみ、痩せ過ぎだよ……もう少し太らせてからいただくとしよう」
 
 男は俺の体をじっと見ながらそう言った。
 
 「はぁ。早く死なせろよ」
 「ダメだよ。僕とセックスする前に死んじゃ。今約束したんだから」
 「……」
 
 俺はなにやら面倒なことに巻き込まれたのかもしれない。
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