上 下
5 / 12

5

しおりを挟む
  次の日も平内は迎えに来た。相変わらず朝からテンション高めな平内といると、朝の漠然とした不安感が吹き飛ぶ気がした。
 
 今日も林さんに教わりながら、一緒にレジを担当する。今日はパンの種類や値段を覚えようと思い、お客さんがいないときは店内に並んだパンや値札を見比べていた。
 昼のピークの時間が過ぎた頃、休憩を取るよう言われたので事務室へ行くと、上田がいた。
 
 「中原くんおつかれ」
 「おつかれさまです」
 
 上田と会うのは初日挨拶をした以来だ、何か話したほうがいいのかと思っていると彼から話しかけてきた。
 
 「中原くんはどうしてうちで働こうと思ったの?」
 「……」
 
 急な質問に一瞬戸惑ってしまうと、上田が焦った様子で続けた。
 
 「あ、言いたくないなら無理に言わなくていいからね」
 「……働いていた会社が潰れたんです。それで路頭に迷ってたら平内さんがここを紹介してくれました」
 
 さすがに、死のうとしていたとこを止められて半ば強引に連れてこられたとは言えない。
 
 「それは大変だったね……」
 
 上田は気の毒そうにこちらを見つめてきた。
 しんみりしてしまった空気を払拭しようと、悠も質問した。
 
 「上田さんはどうしてパン屋で働こうと思ったんですか?」
 
 上田はどこか遠くを見つめながら話し始めた。
 
 「俺はね、昔からパンが好きで自分のパン屋を開くことが夢だったんだ。でも親に反対されたんだ、ちゃんとした会社に就職しなさいって。だから大学卒業後は普通に就職したんだ」
 「……そうなんですか」
 「でも就職したとこは運悪くブラックで、日に日に心も体も壊れていったんだ。そんなとき、たまたまこの店の前を通ってふらっと入ってみたんだ。きれいに並んである美味しそうなパン達を見て、久しぶりに心が踊ったよ。帰宅して購入したパンを食べるとやっぱり美味しくて、自分はやっぱりパン屋で働きたいと思った」
 
 上田さんそこまでパンが好きだったんだな。たしかに、ここのパン美味しいもんな。そんなことを思いながら上田の話を静かに聞いていた。
 
 「ごめんね、つい長々と話しちゃった」
 「いえ……」
 「夢が叶うかは分からないし失敗するかもしれない。でも、あのまま身体をすり減らしながら働いて死んでいくより、やりたいことを目一杯やってから死にたいと思ったんだ」
 
 叶うか分からない。そんな不確実な夢のために行動してみる上田が、素直にカッコいいと思った。
 
 「上田さん、カッコいいですね」
 
 悠がそう言うと、上田はそんなことないよと少し照れながら言った。
 
 「中原くんも何か悩んでることとかあるかもしれないけど、案外なんとかなるもんだよ」
 
 職もなくし、恋人にも裏切られたときは何もかもが終わりだと思った。追い詰められて人生を終わらせるしか選択肢はないと思った。でも、平内のおかげで自分は死ねなかった。
 冷静に考えてみると、死に急ぐ必要はなかったのかもしれない。
 
 「自分語りなんかして俺うざいな。ただ自分を追い詰めすぎないでって言いたかったんだ。中原くん、昨日やつれた顔してたから」
 
 「……ありがとうございます」
 
 上田は悠のことを心配してくれていたのだ。こんな自分でも気にかけてくれる人がいた、そう思うと心が暖かくなった。
 
 
しおりを挟む

処理中です...