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16話 岡本進という男(2)〈サイド回〉
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藤田京平
ニュースから流れるその名を初めて聞いた時、あれ?どこかで聞いたはずだぞと思った。私はその名に聞き覚えがあった。
はて?どこで聞いたのか?つい最近、耳にしたばかりだと思った。うちのクリニックの患者だっただろうか?
いや、藤田京平は患者ではないーーーーーー
患者である岡本進が、妄想ばりばりに話していたのは、この男の名前ではなかったか?
市議会議員の藤田京平の汚職事件とDVによって前妻を自殺に追いやった過去のある男、この男を捕まえたいと興奮状態で、目をギラギラさせながら話していた岡本の顔を思い出した。
岡本進は自分のことを
新聞記者だと思い込んでいる
うちのメンタルクリニックの患者だ。
岡本進に新聞記者だった経歴は何一つない。
それなのに岡本には、大手の新聞記者だったという妄想が染み付いていて、その妄想の功績を後生大事に生きている。
実際、岡本が大手新聞社にやったことと言えば、『女優の○○は枕営業してる!証拠を探せ!や、○○党の○○議員は選挙法違反している!早く逮捕しろ!』
などと妄想と妄言ばかりの電話と手紙の訴えを数十年と繰り返し、その度に威力業務妨害で何度も警察のお世話になったぐらいだ。
女優の○○や政治家の○○は、実在の人物の時もあれば、岡本が作り上げた架空の人物だったこともあった。
岡本は自分の妄想だけがただ一つの確信で、周囲がどれだけ説得しても、その妄想の内容を変えようとはしない。
岡本の世界の中では実在の有無を問わず、○○の女優も○○の政治家も悪い奴らで、自分はその悪事を暴いたヒーローという位置付けだった。
妄想の中でたった一人で戦うヒーロー
そんな岡本のことを、私はいつも冷たい目で見つめていた。憐れみなどではなく、理解しがたい人物として見ていた。岡本以外にもたくさんの患者はいるが、岡本の異常性に、私は生理的に受け付けなかった。
数十年に渡って電話と手紙を送りつけても岡本の妄想の中の悪党を、大手新聞社は放置し続け、そして岡本に我慢の限界が訪れた。
『おまえたちもグルだ』と言い始めたのだ。
どうしていつまで経ってもあいつらの悪事を暴かないんだ?ああ、そうか、悪いことしている○○や○○から金銭をもらって悪事を隠蔽してるんだろ?おまえら新聞社が悪業の根源でないか!
岡本の妄想は飛躍し、
どんどん自分の都合の良い方へ進んでいく。
そして『本社に火をつけて殺す、俺がみんなを救うんだ』と大手新聞社に言い出したことで、岡本は脅迫罪で逮捕となった。
そこからうちのメンタルクリニックで面倒を見ることになる。
岡本は過去に自分がやらかしたことなど、何一つ覚えてはいなかった。それどころか自分は大手新聞社に勤めスクープを追いかけてる途中で、その心労が祟って会社を退社したことになっていた。
岡本はメンタルクリニックの看板が、デカデカと掲げられたビル内にあるメンタルクリニックに定期的に受診し、精神薬を処方されて服用している。
他の患者と同じように診察券を出して、順番待ちをして、処方箋を受け取り、同じビル内にある薬局で薬をもらっているのに、岡本はその時の自分の行動になんの疑問も、持たない。
それにも関わらず、クリニックの伊丹医院長のことは、新聞社の社長だと思い込んでいるし、隣に立つ看護師の私を秘書だと思い込んでいた。
説明がつかないと私は思う。
岡本の担当医の伊丹医院長は、岡本の妄想に真摯に付き添い、岡本との診察時間は、岡本が妄想の世界で構築したであろうネタの確認をしている。毎回、隣りで聞いていても、気味が悪くて仕方なかった。
「また面白いネタがあったら教えてね」
伊丹が笑顔で優しく声をかけて、そのあとに岡本が無表情のまま、待合室で薬の処方箋を受け取っているのを見ると、私はなんとも言えない気持ちになった。
あの人の脳はどうなっているのだろうか……
と私は思わずにはいられない。
妄想の中にしかいない新聞記者の岡本が、岡本の日常で生きていて、本来の姿である精神疾患を抱えた一人の男は、どこにも存在しないように振るまっている。そんな岡本進という人物が私には不気味に見えた。
「……大変なことになったわ」
すっかり冷えた朝食を前に、私はつぶやいた。やっと声を発することが出来た。喉が渇いていてガラガラの声をだった。
藤田京平は実在した人物だった。
市議会議員であることや汚職事件に関与したこと、前妻の妻のDVなどはすべて岡本の妄想だとしても、藤田京平は実在しており、恐らく藤田京平を刺し殺したのは男というのは、岡本進なのではないか?
一人の男の妄想によって
なんの罪のない人間が死んだ。
それが事実なら、私たちは大きな取り返しのつかない判断をした。病状が明らかに悪化していた岡本進を、アパートへ帰してしまった。
最後に岡本が受診に来たあの日、連携している病院のベッドの空きがなくて、入院を先送りにしてしまった。
主治医の伊丹も少し慎重すぎた。あまり強制的に入院を促すのは、これまでの信頼関係にヒビが入るかもしれないと、入院できるベッドも空いてないことから、少し様子見しようということになってしまった。
私にも反省すべき点はある。岡本が入院することになれば、しばらく会わなくて済むわ……などと思ってしまい、少し嬉しくなって岡本に微笑んでしまった。
あそこで嬉しがるには早かった。患者の入院の決定は主治医にしか出さないが、もう少しあの日、岡本の入院を進言するべきだった。
あの受診を最後に岡本はクリニックに来なくなってしまった。伊丹の指示のもと、私は岡本に電話して受診を促したり、安否確認のために岡本宅に訪問したりなど、やれることはしていたが、もっと緊急性を重んじるべきだったのだ。
今、自分たちのミスを嘆いても仕方ない。私は急いで勤め先であるクリニックに向かわなくてはと思った。
ニュースから流れるその名を初めて聞いた時、あれ?どこかで聞いたはずだぞと思った。私はその名に聞き覚えがあった。
はて?どこで聞いたのか?つい最近、耳にしたばかりだと思った。うちのクリニックの患者だっただろうか?
いや、藤田京平は患者ではないーーーーーー
患者である岡本進が、妄想ばりばりに話していたのは、この男の名前ではなかったか?
市議会議員の藤田京平の汚職事件とDVによって前妻を自殺に追いやった過去のある男、この男を捕まえたいと興奮状態で、目をギラギラさせながら話していた岡本の顔を思い出した。
岡本進は自分のことを
新聞記者だと思い込んでいる
うちのメンタルクリニックの患者だ。
岡本進に新聞記者だった経歴は何一つない。
それなのに岡本には、大手の新聞記者だったという妄想が染み付いていて、その妄想の功績を後生大事に生きている。
実際、岡本が大手新聞社にやったことと言えば、『女優の○○は枕営業してる!証拠を探せ!や、○○党の○○議員は選挙法違反している!早く逮捕しろ!』
などと妄想と妄言ばかりの電話と手紙の訴えを数十年と繰り返し、その度に威力業務妨害で何度も警察のお世話になったぐらいだ。
女優の○○や政治家の○○は、実在の人物の時もあれば、岡本が作り上げた架空の人物だったこともあった。
岡本は自分の妄想だけがただ一つの確信で、周囲がどれだけ説得しても、その妄想の内容を変えようとはしない。
岡本の世界の中では実在の有無を問わず、○○の女優も○○の政治家も悪い奴らで、自分はその悪事を暴いたヒーローという位置付けだった。
妄想の中でたった一人で戦うヒーロー
そんな岡本のことを、私はいつも冷たい目で見つめていた。憐れみなどではなく、理解しがたい人物として見ていた。岡本以外にもたくさんの患者はいるが、岡本の異常性に、私は生理的に受け付けなかった。
数十年に渡って電話と手紙を送りつけても岡本の妄想の中の悪党を、大手新聞社は放置し続け、そして岡本に我慢の限界が訪れた。
『おまえたちもグルだ』と言い始めたのだ。
どうしていつまで経ってもあいつらの悪事を暴かないんだ?ああ、そうか、悪いことしている○○や○○から金銭をもらって悪事を隠蔽してるんだろ?おまえら新聞社が悪業の根源でないか!
岡本の妄想は飛躍し、
どんどん自分の都合の良い方へ進んでいく。
そして『本社に火をつけて殺す、俺がみんなを救うんだ』と大手新聞社に言い出したことで、岡本は脅迫罪で逮捕となった。
そこからうちのメンタルクリニックで面倒を見ることになる。
岡本は過去に自分がやらかしたことなど、何一つ覚えてはいなかった。それどころか自分は大手新聞社に勤めスクープを追いかけてる途中で、その心労が祟って会社を退社したことになっていた。
岡本はメンタルクリニックの看板が、デカデカと掲げられたビル内にあるメンタルクリニックに定期的に受診し、精神薬を処方されて服用している。
他の患者と同じように診察券を出して、順番待ちをして、処方箋を受け取り、同じビル内にある薬局で薬をもらっているのに、岡本はその時の自分の行動になんの疑問も、持たない。
それにも関わらず、クリニックの伊丹医院長のことは、新聞社の社長だと思い込んでいるし、隣に立つ看護師の私を秘書だと思い込んでいた。
説明がつかないと私は思う。
岡本の担当医の伊丹医院長は、岡本の妄想に真摯に付き添い、岡本との診察時間は、岡本が妄想の世界で構築したであろうネタの確認をしている。毎回、隣りで聞いていても、気味が悪くて仕方なかった。
「また面白いネタがあったら教えてね」
伊丹が笑顔で優しく声をかけて、そのあとに岡本が無表情のまま、待合室で薬の処方箋を受け取っているのを見ると、私はなんとも言えない気持ちになった。
あの人の脳はどうなっているのだろうか……
と私は思わずにはいられない。
妄想の中にしかいない新聞記者の岡本が、岡本の日常で生きていて、本来の姿である精神疾患を抱えた一人の男は、どこにも存在しないように振るまっている。そんな岡本進という人物が私には不気味に見えた。
「……大変なことになったわ」
すっかり冷えた朝食を前に、私はつぶやいた。やっと声を発することが出来た。喉が渇いていてガラガラの声をだった。
藤田京平は実在した人物だった。
市議会議員であることや汚職事件に関与したこと、前妻の妻のDVなどはすべて岡本の妄想だとしても、藤田京平は実在しており、恐らく藤田京平を刺し殺したのは男というのは、岡本進なのではないか?
一人の男の妄想によって
なんの罪のない人間が死んだ。
それが事実なら、私たちは大きな取り返しのつかない判断をした。病状が明らかに悪化していた岡本進を、アパートへ帰してしまった。
最後に岡本が受診に来たあの日、連携している病院のベッドの空きがなくて、入院を先送りにしてしまった。
主治医の伊丹も少し慎重すぎた。あまり強制的に入院を促すのは、これまでの信頼関係にヒビが入るかもしれないと、入院できるベッドも空いてないことから、少し様子見しようということになってしまった。
私にも反省すべき点はある。岡本が入院することになれば、しばらく会わなくて済むわ……などと思ってしまい、少し嬉しくなって岡本に微笑んでしまった。
あそこで嬉しがるには早かった。患者の入院の決定は主治医にしか出さないが、もう少しあの日、岡本の入院を進言するべきだった。
あの受診を最後に岡本はクリニックに来なくなってしまった。伊丹の指示のもと、私は岡本に電話して受診を促したり、安否確認のために岡本宅に訪問したりなど、やれることはしていたが、もっと緊急性を重んじるべきだったのだ。
今、自分たちのミスを嘆いても仕方ない。私は急いで勤め先であるクリニックに向かわなくてはと思った。
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