魔王と! 私と! ※!

白雛

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第五章『魔王(仮)』

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 フレイアが城を出てからもロキはたびたびレイスァータの領地を尋ねていた。嫉妬心に狂っていたのはこのときどちらか判らない。
 しかし、レイスァータが前線に出ている間は率先して買い物に付き合い、その睦まじい雰囲気は領民の話の種にもなっていた。
 仲の良い姉弟というのはそういうものだ。仲が悪いほうがメジャーなのかはさておき、微笑ましく見られることもあれば転じて下世話な酒のさかなにされることもよくある。
 この姉弟に関しては、どちらも正しいと言えただろう。
 二人は真実の意味で互いを尊び、愛し合っていたし、むしろレイスァータのほうが政略で美人妻を手にした悪役としてもっぱら噂された。それに加えて錬金術師である。成り行きは自然だった。
 彼の屋敷は村の外れ、見晴らしの良い崖ぎわにひっそりとそびえていた。石造の塀に囲まれ、赤、白、水、黄……色とりどりの花壇がある庭を突っ切った先に隠れるように立っている。
 いつ訪れても人気のない、寂しい屋敷だと、少年心にロキは感じていた。中は広くインテリアも豪奢ごうしゃだが、人の気配はなく、また主だった使用人の姿は見えない。飾られた絵画にタペストリーもどこか不気味な雰囲気である。
 ロキが訪れるようになって、これでも来客に気をつかうようになったほうだとフレイアは言った。
 来たばかりの頃はそれこそ、これに加えて埃にクモの巣塗れ、とても生身の人の住める場所ではなかったという。それを主人のいない間にひそかに掃除したり、香水を振りまいて少しずつ、少しずつ自分色に変えつつあるのだ、とも。
 玄関に入ったその瞬間からすでにして地下から漂うおぞましい血の匂いに気付きながらも、そのためロキはまだ姉の匂いにほだされて、平気でいられたのだ。
「家にいても、あの人はずっと地下にいて……おそらくは死体を弄んでいるのだと思う……けれど」
「噂は本当だった、というわけだ……姉さん! すぐにもあいつに言って、こんな生活は取り下げさせるべきだ。悔しいけど、王の権限なら……それに好かれてる姉さんの言うことなら……」
「ダメよ。それでも彼の戦果は絶大だわ。お父様は彼の血統を頼りにしてる。それが全て。……私だって、好かれてるんじゃないんだ。あの人はそれを好意と勘違いしてるかもしれないけど」
 フレイアは寂しげに膝の間に腕を落として語る。
「あの人はね、周囲に自分の権力を認めさせられる武器が手に入って嬉しかっただけ。それで古い吸血鬼一族にも顔が効くようになって、自分の権威が増したような気がして、喜んでるだけ……あの人、父エーデルガルドというのは、そんな人なのよ。見てて、かわいそうになるくらい……」
 〈マリステリア〉は世間のどこからも認められないハーフエルフが独立しておこした国だった。
 それゆえ外交はつねに喧嘩越し。脅し、すかし、外の人々に舐められないようにと、我々は世界の国々と渡り合えているのだと、自国の力ばかりを誇示し続けてきた結果がこの有様。
 その過渡期かときに生きた男が権威と金に取り憑かれた石頭になってしまうのは、実のところ無理からぬことかもしれない。
 しかし、ロキは言った。
「違うよ。姉さん。本当にかわいそうなのは……そんな親のもとで産まれなければならなかった俺たちのほうだ。なぜ子供が、こんなことを考えなければならない? 本来なら考えなくてもいいことなんだよ」
「ロキ……」
「今はその魔王にしいたげられているだけ。必ず時代を変える救世主が現れる……」
 言葉にしながらロキは内心ハッとした——。
 救世主? ヒーロー? なぜそんな言葉が今の間に口をついて現れたのか自分でも知れない。そんなものにすがりたくなるほど自分の気持ちが弱くなっているのかもしれない。
 けれど、口にするとそれは自分にも反響するかのように、現実味を帯びて聴こえた。戯言ざれごとじゃない。
 救世主は必ず現れる。
 俺たちを——守ってくださる……。
 ロキはフレイアの強く握ればそれだけで壊れてしまいそうな華奢きゃしゃな肩を抱きながら続けた。
「……その時を信じて。自分を責めてはいけない。この憎しみや怒りは正当なものだ。それを忘れちゃいけない。諦めないで」
 ロキの子供ながらに真摯しんしな眼差しを受けると、フレイアはゆるく微笑みを浮かべた。先の態度を謝るように続けて、
「ふふっ、ごめんなさい。諦めてるわけじゃないのよ。だって、私は知っているもの。子供の頃からずっと知っている……」
「救世主を……?」
「そうよ? ……この国は救世主が現れて、生まれ変わるの。その人が必ずこの国を変え、私たちを夢の国に連れてってくれる。子供たちが理不尽な怒りや哀しみに苛まれなくて済むように、子供らしく生きていける、そんな夢の国に。必ず——」
 そう返したが、
「そんな童話、あったっけ? 姉さん、それ、なんてタイトル?」
 ロキはまだ気付いていない。なにかに落ちないように目を瞬かせていた。
「今はまだ、こんなに小さくともね」
 それすら愛おしむようにフレイアは続けるのだった。

 ◇

 レイスァータが戦地から帰ってくると、ロキは悔しくてたまらなかったがしぶしぶ城に帰っていた。
 その晩は眠れず、己の血や運命への怒りと屈辱を勉学や修行にぶつけた。何かに没頭していなければたちまち虚無感と絶望に押しつぶされていただろう。
 そんな日々が数年もすぎると戦争が激化してきた。
 当初〈神聖アルカディア〉と世界の端と端でぶつかり合っていた両国だったが、エーデルガルドの帝国主義的な態度と発言、相次いだ卑劣な作戦決行に伴い、敵対勢力は日増しに増え、初戦から傘下さんかくだっていた〈エステバリス〉に加えて、条件付きで友好的だった〈ナルガディア帝国〉までもが声明で反攻の意を示し、いよいよ〈マリステリア〉は孤立した。
 〈ナルガディア〉が間に入ることで保たれていたといえる各国の均衡きんこうは、の国のこの決断により完全に崩れ去り、〈マリステリア〉は世界的な敵対国として追い詰められていたのだった。
 そんな中いよいよロキにもその時が訪れた。
 朝から召使の老婆に叩き起こされて、客間に赴くと、そこには憎き父王エーデルガルドと他二名の賓客ひんきゃく
 二名のうち一人はエーデルガルドと同じくらいの壮年で、もう一人はまるで砂糖菓子が服を着て歩いているかのような淑女しゅくじょだった。
「…………」
「若様! お目覚めになられましたか! 初めまして! わたくし、〈レナ・ルガディア〉は〈テントラン〉州から参りましたタルチャヒュクと申します。こちらは我が娘アリス」
 エーデルガルドの一にらみは当然のごとく目に入れず、それよりも目下気になったのが女だ。
 肌の色が白く、髪は流れる水面のように清々しく水色に映え、まるで鏡の世界から出てきた装飾品のようだとさえ思った。
 この時ロキはまだ十八。憎き父の客とは言え、女と見て良い顔をするのは不思議なことではなかった……!
「……大公デュークだ。座れ」
「黙れ。言われずともする。俺に偉そうに話しかけるな」
「貴様……」
 ロキはこう見えて、フレイアとのことがあってから女性には公平であった。城にいる若い召使などにもそつなく応対する。
 父との反面、アリスの軽い会釈に紳士面をして応えると軽い手つきで席に着き、話した。
「それで、大公様とこの麗しき御息女が、本日はいったいどのような要件で……」
「なんと——お聞き及びでないのですか……?」
「バカ息子め、貴様は黙っていろ……」
 ロキは怪訝に目つきを流すと、大公に直接伺うことにして——すぐに、その席を弾いて立ち上がった。
「婚姻だと?! バカなっ!」
「王子!」
 立ち上がるロキをなだめる大公の一方、横で父王が呟く。
「しばらく前から話を進めていたのだ。貴様にもそろそろ必要かと思ってな……」
 白々しい! ロキにはその魂胆がまさしく〈レナ〉の北国に流れる雪解け河川のように見え透いている。
 ロキは暴露ばくろするように言った。
「大方世界中の嫌われ者になってしまったんで、焦り、〈ナルガディア〉でも〈エステバリス〉でもない、遠方の伝を得ることではくを取り戻そうって言うんだろうが! 〈レナ〉といえば自国の理念を貫く中立国を表明している反面、空気を読めない平和バカでも有名だからな!」
「ロキ、貴様はっ!」
「大公。御息女、ご足労させて申し訳ないが、今は戦争中なのだ。俺には結婚などよりも他にやるべきことが——」
 違和感を覚えた。
 自分で口走りながら。
 やるべきこと……?
 それは、なんだ?
 それは——王の傍らに思い、背筋がぞくりとする——なんだ?
 その逡巡しゅんじゅんにエーデルガルドが腕を振り回していた。
「いい加減にしろ! 貴様っ!」
 そのぶんまわしはロキの側頭部を撃ち抜いて部屋のすみまで吹き飛ばした。
 内壁が崩れて、埃がロキに被さる中、エーデルガルドはその巨体からロキを見下ろした。みにくいまでに顔が真っ青だ。
 アリス姫が悲鳴をあげて、大公が庇い、すぐさま外から衛兵が飛んでくる。しかし、飛んできてどうなる——どうせ父には逆らえまい——。
 と思ったところで、また違和感だ。
 力で負ければ、逆らえない。
 ——俺も、同じではないか……?
「どこまで……どこまで親に恥をかかせれば気が済むのだっ! 下郎!」
「……ええいっ、またしても、勝手なことを言って!」
 ロキは言いながら、せめてと衛兵を睨みつけ、目線で大公親子に誘導しつつ、怒鳴った。
「大公! 見たでしょう! これがこの男の本性だ! 娘を大切に想うなら、こんな男からは即刻関係を断ち切り、逃げおおせるがいい! それがその子のためだ!」
「ロォォキィィィーーーッ!」
 エーデルガルドは本気だった。
 腕を広げ、全身に闘気を走らせ外套を弾くと、至宝グングニルを抜き、ロキに突貫してきていた……武器も持たないロキに!
「投げろ!」
 その刹那にロキは衛兵に言った。衛兵は機敏に懐の直剣を抜き、ロキに投擲とうてきする——!
「くっ……」
 間一髪というところで、ロキは衛兵の直剣を受け取っていた。そしてその腹でエーデルガルドの大槍の打ち下ろしをかろうじて受け止めるのだった。
 衛兵に連れ立って部屋を後にする大公親子の姿を視界のすみに捉えて、ロキはエーデルガルドに向き直る。
 得物越しにエーデルガルドは言った。
「お前のためにやってやってるんだろうが……!」
 ロキは得物越しに父王を睨み、言い放った。
「俺のため? 笑わせんな! 産んだことも育て方も全部——全部、お前のエゴだろうがよっ!」
「うがああああ!」
 エーデルガルドは怒りのあまりに吠えた。
 そして再度大槍を振るう。
 ロキは直剣を構えた。——が、所詮衛兵が持つ代物……。
 それは王の一撃の前にいとも容易く砕け散り、次の瞬間エーデルガルドの太い腕がロキの首を掴んで振り回すのだった。
 ロキは怒り狂った父王の前に惨敗した。
 気がつけば全身から血を流して、部屋の脇に倒れ込んでいる。
 客間は至る所ゴーストハウスのようにボロボロで、調度品はみるも無惨に朽ち果てていた。
 その中を衛兵たちが数十人、中には軍団長も混ざって束になり、エーデルガルドを押し留めていた。
 エーデルガルドは怒鳴り続けた。
「クソガキがっ! 何も知らねえくせして偉そうにしやがってっ! 子供は親の所有物なんだよっ! 昔からそうやって、俺たちは来たんだよっ! ありがてぇとは思わねえのかっ! 貴様も俺の息子なら黙って従えっ!」
「王……王っ! 気をしずめなさって……! このままじゃ殺しちまう!」
「俺の言うことがきけねえなら、今すぐ出ていけっ! この城にあるもの全て使わせるなっ! 俺は魔王だぞ! 俺が一番偉いんだっ!」
「哀れな……」
 ロキは息も絶え絶えに言う。
「国も、民も、その配下も召使も、姉さん、結婚した母たちでさえっ……! 誰も貴様のことなど本当には認めてない! 死ぬときにそれが解る。格好だけのポーズに支配された哀れな裸の王様・・・・・・・・・・・・・・・・……! それが貴様だ」
「王子も! おやめなさい!」
 けむくじゃらの軍団長が言ったが、ロキは止まらなかった。
 ロキは血塗れで立ち上がると折れた脚を引きずりながら客間の外に……いや、城の外に向かった。
「気など遣わなくていい。俺はもうこの城から出ていく……!」
 その途中、客間を出てすぐのところで、アリス姫が大公に支えられながら、二人、心配そうにこちらを見ていた。
「…………」
 寄り添い合うのと、歪み合うのと、どちらが自然なのかは知れたことではないが——無縁の世界だとロキは強く感じた。
 男十八。そうした年頃でもあり、ロキは強がりに目を背けて、傷んだ身体を引きずるほうが心地よかった。
「……戦場に行くさ。そちらのほうがまだ、その男の気持ちの悪い人生監視から逃れられてせいせいする……」
「ああ、出ていけっ! この城の門を二度とくぐるなっ! 出ていけぇぇーーーっ!」
 震え、肩を寄せ合う大公とその娘アリス姫が見守る中、客間では延々とエーデルガルドの吠え声が響き続けていた。





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