魔王と! 私と! ※!

白雛

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第五章『魔王(仮)』

十二

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 城門からこちらへ向けられた砲口が火が吹き、瞬間、地面が煙と共に抉れる中……。
 レイスァータは弾幕の中を前進する砲台の元に姿を現した……が、とたんに膝をつき、移動台にいた配下のゴブリンたちが駆け寄ってきた。
「レイスァータさま! お、お怪我が!」
「はぁ……はぁ……危ないところだった……ハーレィ以上にイカれた……しかも、人間だと……?! あれが?! たった十年の間に……どうなっていやがる……」
 インベルの痛恨の一撃を二度も喰らったのだ。レイスァータは知る由もないが、五体満足でいられているだけ、それでも彼の肉体の力強さを物語っているというもの。本来誇るべきところなのである。
「しかし……しかし囮は上手くいった……!」
 レイスァータは近くの手すりにつかまりながら、勝利への執念から歓喜に奮い立ち、その勢いでどうにか立ち上がった。
 元々ロキと二人で飛んで来たところへ、メルキオールを操り、同士討ちさせる目論みだったが、これはこれで非常にいい塩梅になったのではないか。
 前向きにそう考えると、レイスァータは細胞に残る根気を振り絞り、腕を振るいながら声を張るのだった。
「ぶちかませっ! マイルドセブンmark.IIIっ——!」
「はっ——」
 レイスァータの檄に伴い、移動台の上でゴブリンたちが動いた。移動台は当然オークたちの人力である。タコツボの内部に膨大なエネルギーが収束していく。
 一方、レイスァータにはもう一つ、解せない点があった。
(それにしても、メルキオール……メルキオールだ……おかげで、あのゴリラ女を食い止められたのはよかったが——)
 今も手元には操っているメルキオールの魔力が空間を超えてびしびしと伝わってくる。苛烈な戦闘を繰り広げているようだが、その魔力量がやはり尋常ではない。
 父たる自分を軽く凌駕し、あの救世主とも渡り合えるほどの魔力……しかし、その出所が掴めない。
 メルキオールは見た目こそ十代前半の女の子だが、十年のうちにこれほどまでに鍛え上げたとでもいうのか?
(操ってみれば、このとんでもない魔力。解せぬ。いったいなんだ? どうしてメルキオールにこんな力が——)
 レイスァータは推測をめぐらして、一つしかない答えに辿り着く。
(まさか——しかし、この感じ。似ている……!)
 それは彼にとって忌むべき記憶にも通じている、あの時の感触と瓜二つであった。
(そうだ、この魔力は……あの時の私の前で非凡なる才を見せつけたロキの魔力だ!)
 レイスァータは不敵な笑みを浮かべた。
(そうか……そういうことか。——ならばなおのこと、この作戦はすでに成功している! ……そうだろう? ロキ。あの時見せた貴様のとんでもない魔力が今——メルキオールに丸ごと封印されているのだとすれば——!)
 傍らでレイスァータに並び佇む反逆軍中隊指揮の隊長と歩兵がその様を見ながら、ぼそぼそと交わした。
「さっきから膝ついたり、かと思えばにやにやしだしたり……リーダーはどうしちまったんで?」
「言うな。見て見ぬふりをしろ。相手は救世主とあのメルキオールだ。頭にだいぶ重い一撃を受けなすったんだろう……」
 砲台の着火点で、耳を塞ぎながらゴブリンが言った。
「てっ」
 さながら蠱毒のようだった。
 ツボの中で拡散し、飛び交い、ぶつかりあった微小の魔力がその度無尽蔵に数を増し、倍々に威力を跳ね上げて、やがて出口で一つに収束する——そして。
 大地を揺るがす、どしん! という迫撃と共に、タコツボはその口から、太陽のごとき巨大な炎球を、空に、高々と打ち上げるのだった!
「はっはっはっ! 潜在魔力を封じられ、空っぽになった貴様でコイツを止められるはずがないっ! さぁ、今こそ! 燃え尽きてカスになるがいいっ! ロキィィーーーッ!」
 魔力砲弾が弧を描いて城壁を飛び越えるのを眺めながら、レイスァータは高笑いするのだった。

 ◇

 ロキは走りながらアルの頭を小突いた。
「なぜそういうことを黙っておくんだ、アホ!」
「すぐ片付くと思ったんでさ! けど、こんなに時間がかかるなんて……姉御にゃありえねぇ!」
「行くとき言えっつの! 置いてくなって!」
 カードゲームに興じていたところ、ふと目線を向けたところにインベルもメルキオールもいない。ロキは迷子になった幼児のごとき無上の寂しさに駆られ、その場に残っていたアルを問い詰めた。
 すると、その口からとんでもない事態をなっていることを聴き、一も二もなく城門に駆け出していたのである。
 その矢先、砲音が聴こえた。
 城外ですでに戦闘は始まっているのだ。
 他方、アルの言ったことは一理どころか全て。ロキの頭にもたちまち暗雲がこみあげた。
 メルキオールはまだしも、インベルがいながらこんなに帰りが遅いことがありえない……!
(ありえない事態が起きている……なんだ、この胸騒ぎは!)
 ロキは急速に湧き上がる不安に心の臓を鷲掴みにされた想いがした。
「このままじゃ……このままじゃ俺、ほんとにバカ殿じゃん!」
「と、とにかく、急ぐっす! 北東の森の深部! ——いや、待てよ」
 その最中、急にアルが立ち止まった。
 耳をそば立てているのが解り、ロキは口を噤む。
 北東とはほぼ真逆の方向。西門の方角を見据えて、アルは言った。
「団体さんが来る……おかしいぞ、こっちからだ!」
「なんだと……!」
 さらにアルは頭を抱えて続ける。わなわなとその全身が震えだす!
 得体の知れない恐怖に怯えているようだった。
「それに何だ——なんだよ! この気味の悪い音っ! 鳥の鳴き声に似てるが、全然違う……見えないごく微小の石ころみたいのが、何個も何個もぶつかりあって——」
 再度西門の空を見上げ、アルが言った——。
「——放たれるっ!」
 その瞬間だった。
 西門の空に、それを一帯覆い尽くすような巨大な……あまりにも巨大な火の玉が浮かんだ。
 まるで天体がそのまま落ちてきたかのような圧倒的な威圧感に瞬間、ぞわっと身体がすくみあがる。五感の底が浮くような感覚を覚える。
 細胞が、恐怖しているのだ。
 目の前に迫り来る絶対的な質量の圧に。
 あれはなんだ? と——。
 アルが指差し、叫ぶよりも早く——! 
 ロキは足に全力を込めて駆け出していた。意識の外を移動するに近い感覚で、アルの視界から瞬く間にロキが消え失せる。
 人々がアルと同じように指差し、同じように恐怖しながら震える街角を、一陣の風になって、ロキは抜けた。
 ロキは見覚えがあった。
 おそらく町民の中にも覚えのあるものはいるだろう。
 前大戦の末期、前代魔王エーデルガルドがこの国の全ての州に仕掛け、己の命と引き換えに国民の全てを道連れにしようとした最悪の戦略兵器。
 冗談みたいな名前とは裏腹に、持つものが持てば、あれは時空すら歪むほどの質量を産む。
 得てして世界を滅ぼせる威力になる。
 恐るべき大量殺戮兵器。
 それが再度、魔王都の上空に飛来している。
 ロキはその着弾地点を見据えると、神速で街を駆け抜け、辿り着くなり、一直線に飛び上がっていた。閃光のように。
 人々の悲鳴が町中から聴こえ、すぐに止まる。
 そののち、誰かが空を指差して、叫んだ。
 止まった……止まったぞ?
 ……いや、違う。あれを見ろ!
 人々の視線は迫り来る超巨大な火球の下部、黒い豆粒のような点に集中した。
 ロキがその二の腕を火球に差し込んで、落下を食い止めているのだ。
 しかし、それは数秒足らずのことで、次第火球は再び、ゆっくりと、落下を始めた——。
 ——逃げろ!
 ロキが張り裂けんばかりの大音声で叫ぶのが足元の人々にまで伝わる。
 俺が食い止めているうちに……早く!
 町民たちは顔を見合わせ、再度の阿鼻叫喚。三々五々、蜘蛛の子を散らすようにして、街を逃げ惑い始めた。
 即売会のために建設された仮店舗は無惨に倒され、崩れたテントが踏み潰されていく。
 急げ! 魔王さまが食い止めてくれている間に!
 押すな! 危険だ! 女、子供を優先に!
 そんな避難誘導の声の傍ら、子供の泣き叫ぶ声。
 一方、ロキの腕はじりじりと爛れるように焔に侵食されていった。剣山に腕を突っ込むような激痛に顔を歪めながら、懸命に火球を止めつつ、背後の人々に、早く! と額に汗を浮かべ、促した。
 そんな中だった。
 広場に足を止め、空を見上げる少年がいた。
 そして、
 
 がんばれ。

 そう呟いたのだ。

 がんばれ……がんばれ……。

 初めは小さく、

 がんばれ……がんばれ……がんばれ……。

 だんだんとそれは大きくなり、

 がんばれええぇぇーーーーっ!

 喉を振り絞る絶叫になるころにはロキの耳にも届いていた。
 カードに興じていた子供たちが、あの広場で、懸命に声をあげ、それは——。

「頑張れ! 魔王さまああぁぁーーーーっ!」

 大気を貫く励声一番となってロキの元まで届いた。
 その声は広場につながる通りを突き抜け、風のように街角を走り抜けた。
 声を捉え、子供たちに気づいた大人の男性が、子供たちの母が、一人、また一人と、引き止められるようにして同じように足を止め、子供たちに続いた。
 初めは小さく、
 頑張れ。頑張れ。
 だんだんと強く。
 頑張れ! 頑張れ!
 声は次第に人の間を抜け、目視に捉えられない不思議な数珠のようにつなげて、町民たちの逃げる足を止め、次第に、街全体に広がっていく……!
 気がつけば城下町にいたほとんど全ての人々が、手にしていた全てを忘れ、空に祈りを捧げていた。
 頑張れっ! 頑張れっ! 頑張れっ! 頑張れっ!
 頑張れの大合唱が街全体から聴こえて、ロキはしかし、焦った。
 何をしている? 大人たちも揃って……!
 この事態が解らないのか!
 しかし、すぐに己の間違いに気づく。
 自嘲するように。頭の声が囁いた。
 バカはお前だ。
 またしても、
 またしても、自分以外の手に縋ろうというのか。
 またしても、あの頃の弱い自分に戻ってしまったのか。
 捨てたのではなかったか。
 あの日に——。
 そのとき目の前に、白く美しい腕が見えた。
 ロキは目を見開いた。
 空に浮かんだその女性は、火球に手を添えるように腕を伸ばして、ロキを振り返ると——笑った。
 ——その人が必ずこの国を変え、私たちを夢の国に連れてってくれる。子供たちが理不尽な怒りや哀しみに苛まれなくて済むように、子供らしく生きていける、そんな夢の国に。必ず——。
 そう言った時のように。
 今でも明瞭に思い出せる。
 その人の温もり。
 愛するフレイアの熱い眼差しを——。
 ロキは笑った。
 そうだった……やっと夢の世界に来れたんだ……姉さんと夢見た舞台に俺は——!
 そして、父とは違う。
 父とは違うやり方で、"みんなに好かれる"魔王に——俺はなるんだ。
 ロキは歯を食いしばって火球を押しとどめると、
「——器だよ、拝啓、クソ親父殿。てめえと俺と、器の違いを見せてやるっ!」
 ロキは再度、足元の人々に叫んだ。
「力を貸してくださいっ——!」
 合唱が止んだ。
 ロキの言葉を聞き取るために。
「俺は強いっ! 紛れもなく強い——が、しかし、今の俺だけの力じゃどうにもならないかもしれないっ! だから、みんなの力を! 俺に力をっ! あなた方の力をっ! 分けてくださいっ! この、やっと見え始めた夢を、これからもずっとずっと、見続けるためにっ——!」
 戸惑いに顔を見合わせる町民たちだったが。
 何も言わず。
 ふと、誰かが手を差し出した。
 頭の上に。
 ロキと一緒になって。
 火球を受け止めるように。
 すると、その手のひらから、一本の光の糸が紡がれた。
 糸はするすると空を泳ぐ微生物のように上がっていき、ロキの手に——吸い込まれていく。
 それを見た人々が周りに伝え、同じように手を挙げる。
「来た……! きたきたきたっ! だが、もっとだ! もっと、みんなの力をーっ!」
 ロキは歯を食いしばり、得意げに笑って言った。
「——そしたら、俺はどんな不可能をも可能にする! 世界最強の、みんなの魔王になれるからっ!」
 人々は空に手のひらを掲げ、次々と糸が宙に放たれ、それはロキの手元で光り輝く強大な魔力に変じていく。
 大人も子供も関係がなかった。
 誰もがそうして、空に手をかざし、ロキの手元に光の糸が集っていく……それは見る間にぐんぐんと成長し、火球に匹敵するほどのあまりにも強大な輝きになって肥大していく……!
 ロキもロキ自身の全魔力をその光の中に込めた。
「俺はもう哀しみの昨日を超え、全力の今を生きているのだ。相手が悪かったなぁ。——くたばれ……絶望っ!」
 収束した光は砲塔のように突き出したロキの腕を通して放出された!
 光は一直線に火球に向けて放出され、次第にそれを押し返しだし……、
「これが俺の——」
 ロキと町民の声が重なり——、
「——俺たちのっ! 全力全開……フルパワーだああああーーーーっ!」
 町中の絶叫とともに放たれた更なる強大な第二波に包まれると、完全に勢いづいた光の波はあとからあとから火球を丸ごと覆うように呑み込んでいき——……。
 そして——。
 パッと空がひらけた。
 ロキは傷んだ腕を宙に曝け出しながら、ぜえぜえと荒く息をこぼしていた。
 気がつけば、空を覆っていた破滅の星は塵一つ残さずその姿を失い、城下の頭上にはさきほどまでの真っさらな晴天が——どこまでも、どこまでも広がっているのだった。
 その時。
 その時だ。
 ママ、あれを見て!
 そんな子供の声を皮切りに。
 城下の人々を祝うように降り注がれる太陽の光に紛れ、ロキの背後に巨大な聖母の姿を見たというものが続出した。
 それは街を覆う暗黒から人々を……そして、ロキを庇い、同じように手を出して、街全体を包み込んで見えたそうな。





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