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9.憎まれ口
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「坊ちゃん、遊びもほどほどにしてくださいよ。いくらお嬢さんに言われたからってそう簡単な話じゃないのはわかるでしょう」
俺たちに遅れて倉庫に入ってきたエルダは、深く溜め息を吐き出しながら大きな体を落とすように椅子に座った。
「……すいません、ほんと」
「レイ。おまえも多少はパンのことがわかるようだが、工房に入って見ただろう? おまえが言う柔らかくて美味いパンを作る余裕なんてないんだ」
「そんなこと言わないでくださいよ、レイさんにはちゃんと考えもあるんですから。ね、話してください、レイさん」
うんざりした様子のエルダさんに、とてもじゃないが新しいパンの提案などできる雰囲気ではない。それなのに、リックは明るく言ってのける。
そういうリックの持つ空気感のせいか、俺はまた図々しくも口を開いてしまった。
「フィリングを……包む、パンを作ってはどうかと」
「フィリング?」
フィリングというのはパンの中に挟んだり包んだりする具材のことだ。
昨夜、眠る間際に俺が考えていたのはこのアイデアである。
「具材です、それを薄く伸ばした生地に乗せて包んで、それで焼くんです。あの粉で焼くパンはかなり固くなりますよね? 薄い生地にしたらどうなりますか?」
「……どうって言われても。そんなもの作ったことがない、炭でもできるんじゃないか?」
俺の話に、エルダさんはまた一層不服そうに顔を顰めた。
「もうっ、エルダさん! 少しは真面目に考えてくださいよ!」
「いや、エルダさんは真面目だよ、リック。あの窯の熱を考えたら、薄い生地のパンなんて入れたら本当に炭ができると思う」
口をへの字に曲げたリックを制して、俺は答えた。
エルダさんは頑固だし威圧感もあるが、職人としての腕は確かなはずだ。あの石窯で毎日同じパンを焼き続けられるようになるには、何万回とパンを捏ねて、焼き加減を見極め続けなければならなかっただろう。
「それがわかっていて何故そんな話をするんだ? 無理だとわかっていて」
「無理じゃないと思ったからです。だって、エルダさんは目視と皮膚の感覚だけであの窯の中がどうなってるかわかるんですよね?」
俺は初めて、目の前の職人が息を呑むのを見た。
それが確信だった。俺の見立ては当たっている。
「え? どういうことですか?」
「リック、エルダさんにパンの修行してくれって言われてるだろう? どんな修行か当ててみようか?」
「当てるって? レイさんは見たことないでしょう、うちでやってるパンの修行なんて」
きょとんとしたリックが首を傾げた。
「たぶんその修行は——石窯にいつパンを入れるか、いつパンを出すかの判断の修行だろう? あの判断力は一朝一夕じゃ絶対に身につかないから」
そう言った俺に、リックよりも早く反応したのはエルダさんだった。
テーブルの上の両手を上げ、首を振る。
「おまえ、ろくでもないやつだな。お手上げだよ、それがわかっててそんなパンを作らせようとするなんて悪魔にでも憑かれてるんじゃないか?」
職人は散々な憎まれ口を叩き、呆れたように笑った。
「どういうことですか、二人だけで笑ってないで僕にもわかるように言ってください!」
そのリックの膨れっ面はまるで今朝のミーティのようだった。
「ごめんごめん、俺が言いたいのは——」
「つまり、この男は俺にその薄い生地のパンを焼けるよう窯の中を調整しろと言ってるんですよ。坊ちゃん、とんでもない奴を連れてきてくれましたね」
俺の言葉を引き取ったエルダさんはリックをじろりと鋭い目で見た。
エルダさんには結構お茶目なところもあるのだと知り、少し肩の力が抜けた俺も頷く。
「そう。俺はエルダさんなら、あの石窯で俺の思うパンを上手く焼けると思ったんだ。窯の状態を判断して、俺のパンに合った調整ができるはずだって」
「調整……?」
「坊ちゃんも修行でやったからわかるでしょう、あの石窯の温まり方は毎日同じように薪をくべても必ず同じになるとは限らない。同じように発酵したパンでも、窯の調子で焼け具合が変わる。その日の天気や薪の状態、パンの状態も見て、それでどれくらい焼くのか決めるんです」
エルダさんの言うことは俺にも共感できる話だった。
俺がパンを作っていた時にはパンのレシピも無限にあって、パンを美味しく焼くための機能の付いたオーブンレンジもあった。温度も時間もボタン一つで設定できて、同じ機械で発酵だってやれたものだが、それでも生地の捏ね具合や余熱の具合で焼け方は毎回微妙に異なっていた。
生地に混ぜる水分だって、季節や天気によって変えなければ失敗することがあったのだ。
「……レイさんの作るパンは、石窯の使い方まで変えなきゃならないんですか?」
ようやく状況を理解したリックは、目を瞬かせながらゆっくりと言った。
「すごく難しいと思うけど、やってみる価値はあると思う」
村を出てからようやく一歩、前進した気がした。
俺たちに遅れて倉庫に入ってきたエルダは、深く溜め息を吐き出しながら大きな体を落とすように椅子に座った。
「……すいません、ほんと」
「レイ。おまえも多少はパンのことがわかるようだが、工房に入って見ただろう? おまえが言う柔らかくて美味いパンを作る余裕なんてないんだ」
「そんなこと言わないでくださいよ、レイさんにはちゃんと考えもあるんですから。ね、話してください、レイさん」
うんざりした様子のエルダさんに、とてもじゃないが新しいパンの提案などできる雰囲気ではない。それなのに、リックは明るく言ってのける。
そういうリックの持つ空気感のせいか、俺はまた図々しくも口を開いてしまった。
「フィリングを……包む、パンを作ってはどうかと」
「フィリング?」
フィリングというのはパンの中に挟んだり包んだりする具材のことだ。
昨夜、眠る間際に俺が考えていたのはこのアイデアである。
「具材です、それを薄く伸ばした生地に乗せて包んで、それで焼くんです。あの粉で焼くパンはかなり固くなりますよね? 薄い生地にしたらどうなりますか?」
「……どうって言われても。そんなもの作ったことがない、炭でもできるんじゃないか?」
俺の話に、エルダさんはまた一層不服そうに顔を顰めた。
「もうっ、エルダさん! 少しは真面目に考えてくださいよ!」
「いや、エルダさんは真面目だよ、リック。あの窯の熱を考えたら、薄い生地のパンなんて入れたら本当に炭ができると思う」
口をへの字に曲げたリックを制して、俺は答えた。
エルダさんは頑固だし威圧感もあるが、職人としての腕は確かなはずだ。あの石窯で毎日同じパンを焼き続けられるようになるには、何万回とパンを捏ねて、焼き加減を見極め続けなければならなかっただろう。
「それがわかっていて何故そんな話をするんだ? 無理だとわかっていて」
「無理じゃないと思ったからです。だって、エルダさんは目視と皮膚の感覚だけであの窯の中がどうなってるかわかるんですよね?」
俺は初めて、目の前の職人が息を呑むのを見た。
それが確信だった。俺の見立ては当たっている。
「え? どういうことですか?」
「リック、エルダさんにパンの修行してくれって言われてるだろう? どんな修行か当ててみようか?」
「当てるって? レイさんは見たことないでしょう、うちでやってるパンの修行なんて」
きょとんとしたリックが首を傾げた。
「たぶんその修行は——石窯にいつパンを入れるか、いつパンを出すかの判断の修行だろう? あの判断力は一朝一夕じゃ絶対に身につかないから」
そう言った俺に、リックよりも早く反応したのはエルダさんだった。
テーブルの上の両手を上げ、首を振る。
「おまえ、ろくでもないやつだな。お手上げだよ、それがわかっててそんなパンを作らせようとするなんて悪魔にでも憑かれてるんじゃないか?」
職人は散々な憎まれ口を叩き、呆れたように笑った。
「どういうことですか、二人だけで笑ってないで僕にもわかるように言ってください!」
そのリックの膨れっ面はまるで今朝のミーティのようだった。
「ごめんごめん、俺が言いたいのは——」
「つまり、この男は俺にその薄い生地のパンを焼けるよう窯の中を調整しろと言ってるんですよ。坊ちゃん、とんでもない奴を連れてきてくれましたね」
俺の言葉を引き取ったエルダさんはリックをじろりと鋭い目で見た。
エルダさんには結構お茶目なところもあるのだと知り、少し肩の力が抜けた俺も頷く。
「そう。俺はエルダさんなら、あの石窯で俺の思うパンを上手く焼けると思ったんだ。窯の状態を判断して、俺のパンに合った調整ができるはずだって」
「調整……?」
「坊ちゃんも修行でやったからわかるでしょう、あの石窯の温まり方は毎日同じように薪をくべても必ず同じになるとは限らない。同じように発酵したパンでも、窯の調子で焼け具合が変わる。その日の天気や薪の状態、パンの状態も見て、それでどれくらい焼くのか決めるんです」
エルダさんの言うことは俺にも共感できる話だった。
俺がパンを作っていた時にはパンのレシピも無限にあって、パンを美味しく焼くための機能の付いたオーブンレンジもあった。温度も時間もボタン一つで設定できて、同じ機械で発酵だってやれたものだが、それでも生地の捏ね具合や余熱の具合で焼け方は毎回微妙に異なっていた。
生地に混ぜる水分だって、季節や天気によって変えなければ失敗することがあったのだ。
「……レイさんの作るパンは、石窯の使い方まで変えなきゃならないんですか?」
ようやく状況を理解したリックは、目を瞬かせながらゆっくりと言った。
「すごく難しいと思うけど、やってみる価値はあると思う」
村を出てからようやく一歩、前進した気がした。
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