惣菜パン無双 〜固いパンしかない異世界で美味しいパンを作りたい〜

甲殻類パエリア

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第四章 偏食の騎士と魔女への道

18.指先

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 二次発酵を終えたパンは十分に膨らんだ。
 これで焼き上げて上手くいけばきっと、ふかっとした柔らかいパンができあがる。

「じゃあ、お願いします」

 俺は石窯を開けたエルダさんに鉄板を手渡した。

「よし」

 エルダさんはパンの状態を目を細めて眺め、そうして鉄板を熱く燃える石窯の中へと入れた。

「レイさん、お疲れ様です」

 ちょうど工房に入ってきたのはリックだった。
 今日は俺が城に行っている間に工房に入り、いつもより多くパン屋としての仕事をしてくれていた。

「ああ、リックこそお疲れ様。ありがとう、俺の代わりに色々と」
「いいえ、お手伝いできて光栄です。それよりお城の方は大丈夫でしたか?」
「あー……まあ、パンを作りたいって言ったら喜んでくれたよ。ハロルド兵士団長とも少し話せたよ」
「えっ、本当ですか? いいなぁ! なんて仰ってました? やっぱりかっこよかったですか?」
「えーと……」

 リックの輝くような笑顔を前に、俺は一瞬ひどく狼狽えた。
 思い浮かんだハロルド兵士団長の発言の数々は、ショーン曹長が鬼の形相で突き付けてきた口止めの対象になっているものばかりである。
 俺とパンの話をしようとしてショーン曹長に怒られていたこと、酒や女や賭け事に関心があること、口うるさいショーン曹長にうんざりしていること、それに関して兵士団長の権限を行使してショーン曹長を処分することもできるんだと脅していたこと……などなど。
 もちろん、言うわけにはいかない。
 リックの夢を守るため、そして俺の身の安全のために。

「レイさん?」
「……パン、すごく楽しみにしてるって」
「うわあ……! やっぱり優しい人ですよね、一市民にもそうやって激励の声を届けてくださるなんて! 厳しい訓練の中で人間性も磨いてきたんですよね、さすがカンパルアラの英雄だ……」

 うっとりと妄想に耽るリックに俺はそれ以上は何も言わないでおいた。
 現実のハロルド兵士団長はたぶん民衆が抱く完璧な姿とは違う。こだわりが強くて娯楽も好きで少し粗雑なところもあって、世話焼きのショーン曹長にあれこれ指示されることに不満を持って口げんかをするような、そういう普通の人なんだろう。
 リックが兵士団に入れば遅かれ早かれその人物像には気付いてしまうだろうが、今はまだ夢の中にいさせてあげたい。

「リックも手伝ってくれよ、今焼いてるパンが上手くいったらやりたいことがあるんだ。それは俺一人じゃできないから」
「もちろんです!」

 焼成は順調な気配がした。
 工房の中にパンの焼ける匂いが漂う。この匂いがして少しすると、秒単位でタイミングを見極め窯を開けるのがエルダさんの技だ。

「……レイ、そろそろだな」
「……匂いは良さそうですね。お願いします」
 エルダさんが窯に手をかけたのを見て、俺も窯の前に進んでごくりと唾を飲んだ。
「っ、よし、膨らんでるぞ! 焦げつきもないな、いいだろう」
「焼き加減は完璧ですね……! さすがエルダさん……!」

 ほんのりと甘いパンの焼ける匂いに包まれ、俺のこめかみから汗が一つ垂れた。
 熱風から取り出された鉄板の上、丸々と膨らんだコッペパンたちが鎮座している。

「これが新しいパンですか? そんなに変わった感じはしませんけど……」

 焼き上がりを見たリックは首を傾げた。
 もちろん、焼き上がりの見た目はこの店で通常焼き上げている固いパンたちとそう変わらない。ただ、バゲットやブールのようにパンの表面には切れ込みを入れないし、表面を固く焼き上げることもしていない。
 パンはふかふかしているはずだ。

「……二人とも、見ててくださいね。ここからがこのパンの一番のポイントなんで……」

 粗熱が取れてきたパンの一つに、俺はそっと人差し指の先で触れた。
 熱よりも先に感じたのは確信の一端だった。
 

 ふにっ。


 パンは俺の指先に押されて凹み、そして柔らかな反発でもって元の形に戻った。
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