"ゼロ"と呼ばれた少年

イクス

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第3話 無名の炎

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 校舎裏へ向かう途中、俺は足を止めた。

 理由はない。
 ただ、誰にも止められなかった。

 廊下は静かだった。
 授業中だからじゃない。
 発現式のあと、校内全体が一段階落ち着いたような静けさだ。

 壁際の案内表示が、淡く光っている。

【能力応用棟】
【未発現者立入制限:なし】

 制限は、ない。
 どこに行ってもいい。
 それが、今の俺の立場だ。

 窓に映る自分を見る。
 白い髪。
 整った制服。
 異常値は、どこにもない。

 ――本当に、何もないのか。

 発現式のときの感覚を思い出そうとする。
 あの瞬間、何も起きなかった。
 装置も、体も、世界も。

 なのに、周囲の空気だけが、少しだけ変わった。

 気のせいだ。
 そう判断される程度の違和感。

 廊下の突き当たりに、非常口がある。
 外へ出ると、風が吹いた。

 校舎裏は、相変わらず人が少ない。
 草の手入れはされているが、使われている形跡は薄い。

 ――ここは、誰の場所でもない。

 端末を確認する。

【確認中】
 表示は、それだけだった。

 俺は端末を閉じる。
 確認されるのを、待つ気はなかった。

 深く息を吸う。
 吐く。

 心拍は、落ち着いている。
 恐怖は、ない。

 ただ、期待もない。

 だから――。

 その一歩が、軽かった。

 それは、足音だった。

 砂利を蹴る、雑な音。
 わざと鳴らしている歩き方。

「……マジかよ」

 気怠そうな声が、背後から落ちてきた。

 振り向く前に、熱が来る。
 じわり、と。
 肌が先に理解する。

「こんなとこに珍しく誰かいると思ったらさ」

 振り向く。

 そこにいたのは、同じ制服の男だった。
 ネクタイは緩み、シャツのボタンは二つ開いている。
 校則違反。
 でも、誰も注意しないタイプの違反。

 胸元のバッジだけが、やけに綺麗だ。

 ――A。

「未登録? それとも迷子?」

 笑っている。
 口元だけ。

 目は、笑っていない。

「名前は」

「……イクス」

「へぇ」

 男は俺の名前を聞いて、端末も見ずに頷いた。

「あー、あれか。今日の発現式で“何も出なかったやつ”」

 即断。
 興味本位。

「可哀想だな。完全能力社会でそれってさ」

 肩をすくめる。

「存在しないのと同じじゃん?」

 そのまま、手を上げた。

 雑な動き。
 だけど――次元が違う。

 炎が生まれる。
 赤くない。
 黒に近い、濃い熱。

「安心しろよ。殺す気はねーから」

 軽い口調。

「校舎で能力使うの、禁止だけどさ」

 炎が、俺の足元に落ちる。

 ドン、と地面が沈む。

 爆発じゃない。
 ただ、熱量で押し潰された。

「ほら。これが

 男は笑う。

「分かりやすいだろ? 派手で、強くて、管理しやすい」

 炎が揺れる。
 周囲の空気が歪む。

「でさ」

 一歩、近づいてくる。

「お前みたいなのが一番困るんだよ」

 熱が、肌を刺す。

「何もないのか、
 あるのに出てないのか、
 どっちか分かんねーから」

 男は、俺の顔を覗き込む。

「だから――確認だよ」

 炎が、向きを変える。
 完全に、俺に。

 威嚇じゃない。
 遊びでもない。

 処理前のチェック。

「もし能力あったらさ、なにかしら反応くらいするだろ?」

 来る。

 逃げ場はない。
 避ける理由もない。

 その瞬間――

 炎を、見た。

 構造が、分かった。
 熱の流れ、出力の癖、維持方法。

 そして。

 炎が、消えた。

 正確に言えば、俺に触れる直前で分解された。
 熱だけが、抜け落ちる。

「……は?」

 男の声が、素で漏れた。

 一瞬。
 本当に、一瞬だけ。

 だが次の瞬間、彼は舌打ちする。

「チッ……」

 手を振る。
 炎が完全に消える。

「装置不良か。クソ」

 俺を見る目が、苛立ちに変わる。

「紛らわしいんだよ。ビビらせんな」

 ――俺が?
 何を?

「いいか」

 男は指を突きつける。

「無能力者は、能力者の前に出てくんな」

「次は、反応見ないで焼くから」

 それは脅しじゃない。
 忠告だ。

 男は背を向ける。

「じゃ。存在しない奴」

 そう言って、背を向けた。

 残されたのは、沈んだ地面と、
 妙に静かな空気。

 心臓が、遅れて脈打つ。

 胸の奥が、熱い。

しかし、男は去らなかった。

 背を向けたまま、立ち止まる。
 ポケットに手を突っ込んで、面倒くさそうに振り返った。

「あー……待て」

 声は軽い。
 呼び止める理由なんて、思いつきで十分という調子。

「そういやさ」

 端末を取り出す。
 画面も見ずに、適当に操作する。

「未登録者が能力行使現場にいた場合の対応、って項目があって」

 指を止める。

「……あ、これだ」

 笑った。

「“周囲の安全確保を最優先とし、原因となる可能性のある個体を排除する”」

 排除。
 その言葉が、軽く落ちる。

「便利だよな、この書き方」

 男は、ちらっと俺を見る。

「原因かどうか、関係ねーんだもん」

 次の瞬間。

 炎が、背後から来た。

 視界に入らない角度。
 警告もない。

 地面が爆ぜる。
 熱が、背中を舐める。

 俺は、反射で前に倒れた。

 制服が焦げる。
 皮膚が、焼ける――はずだった。

 でも。

 痛みは、来ない。

 代わりに、胸の奥が――ひどく冷えた。

「……ちっ」

 男の舌打ち。

「やっぱ変だな」

 今度は、正面から。

 炎が、線になる。
 撃つ、というよりなぞる。

 逃げ場はない。
 完全に、試し打ち。

 ――触れた。

 その瞬間。

 世界が、二重になる。

 炎がある。
 同時に、炎の設計図が頭に流れ込む。

 どう生まれて、
 どう維持されて、
 どう消えるか。

 考える前に、身体が動いた。

 炎が、ほどける。
 熱だけが、抜け落ちる。

 またしても、何事もなかったように。

「……は?」

 男が、完全に素の声を出す。

 でも、驚きは一瞬だ。

 次に浮かんだのは、不機嫌。

「マジでムカつくな」

 炎が、増える。
 一つじゃない。
 二つ、三つ。

「能力ないくせに、邪魔すんなよ」

 理由は、それだけ。

 校舎裏が、地獄になる。
 壁が焼け、地面が沈む。
 逃げ道は、最初から潰されている。

 俺は、立っていた。

 倒れない。
 焼けない。

 壊れない。

 炎が、俺に触れるたび、消える。
 理解する前に、終わっている。

 男の表情が、苛立ちから――冷えた判断に変わる。

「あー……なるほど」

 彼は、納得したように頷いた。

「分かったわ」

 炎を消す。

「お前、“ない”んじゃねえな」

 一拍。

「扱えないだけだ」

 その言葉は、救いじゃない。
 むしろ、逆だ。

「でもさ」

 男は笑う。

「扱えない能力って、能力じゃねーんだよ」

 端末を操作する。

【事案報告:軽度異常】
【対象:未登録生徒】
【危険度:低】
【対応:経過観察】

 経過観察。

 それで終わりだ。

「安心しろ」

 男は言う。

「俺が今日ここで何したか、記録には“注意喚起”って書かれる」

「お前が燃えなかった理由は、装置誤差」

 事実は、最初から存在しない。

「だから――」

 彼は、指を鳴らす。

「今日のこと、誰にも言うなよ」

 脅しじゃない。
 意味がないから。

「言っても、どうせ信じられねーし」

 背を向ける。

「信じられない話をする未登録者は、次どうなるか分かるよな?」

 分かる。
 分かりすぎるほど。

 男は、去った。

 校舎裏には、焼け跡と、
 何事もなかった空気だけが残る。

 俺は、立っていた。

 制服は焦げている。
 地面は壊れている。

 でも――
 俺だけが、何もなかったことにされる。

 端末が、震えた。

【状態確認:異常なし】

 表示は、それだけ。

 胸の奥が、静かに熱い。

 理由は、分からない。

 ただ一つ、確かなことがある。

 ――あの炎を、
 俺はもう一度、再現できる。

 でも。

 それを証明する場所は、
 この学校には――存在しない。
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