屈曲ラヴァー 〜身を滅ぼしてしまいそうな初恋〜

榊󠄀ダダ

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第4章

第45話 寂しい人 

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「あ……どうも」


 なんて運が悪いんだ。今日は散々だ……。
 そう思いながら、気のない挨拶をした。


「その格好どうしたの?河川敷のお掃除でもしてきたの?」
「……鋭いですね。ほぼ正解です」
「えっ!?ほんとに?それって街のイベントか何かで?」
「いや、そういうのではないんですけど……」
「そっか」


 私が返事を濁すと、香坂さんはそれ以上深掘りしないでくれた。


「ごめんなさい、こんな格好だし私もう行きますね!じゃあまた明日!」


 逃げるように会話を切り上げて帰ろうとした。


「あっ、待って!……もし夜ご飯まだだったらうちに食べに来ない?今日ハンバーグ作ったんだけど、ちょっと作り過ぎちゃって……」

 
 醸し出す雰囲気から予想していた通り、香坂さんから食事に誘われた。


「……せっかくですけど今日は本当にごめんなさい……ちょっと疲れちゃってて……」


 多少申し訳なく思いながらも、選択の余地すらない間で断った。


「……そうだよね……。無理言ってごめんね」


 すると、香坂さんは思いのほか落ち込んだ様子を見せた。なんなら泣きそうになってる……?少し不可解に思い改めてその姿をよく見ると、手に持った白濁色の袋の中に、白い箱がちらりと顔を覗かせていた。


「……あの、今日、なんかあったんですか?」


 十中八九ケーキであろうその箱を見ながらそう聞くと、


「……今日ね、娘の誕生日なの。もちろん一緒にお祝い出来るわけじゃないのに、お誕生日のお料理作って、ケーキまで買ってきちゃって……」


 香坂さんは少し気まずそうにしながら正直に答えた。


「……そうだったんですか」
「実はね、今ちょうどきみかちゃんに会えたらなぁって考えながら歩いてたの。そしたら本当に会えて、びっくりしちゃった!それだけで元気もらえた!ごめんね、疲れてるところ引き止めたりして……。じゃあまた明日……」


 有無を言わさず断った私に気を遣わせないためか、今演じられる精一杯の明るさで悲しみを飲み込む香坂さんの肩はいつもより小さく見えた。


「……やっぱり少しだけお邪魔しようかな」


 私は背を向きかけた香坂さんに、そう声をかけた。実際心底疲れていて、ごはんよりお風呂より今すぐぶっ倒れたいくらいだったけど、あまりにも痛々しくて、どうしても無下にすることが出来なかった。


「え……いいの?」


 香坂さんがうるんだ瞳を輝かせる。


「あっでも、その前に帰ってお風呂入ってきてもいいですか?最低でも1時間は待たせちゃうから、もし迷惑だったら逆に……」 
「全然大丈夫!待ってるから!」


 それじゃ遅くなっちゃうからまた今度……という流れになることを少しだけ期待したけど、被るくらいの勢いで快諾されて、その可能性は一瞬で消えた。


「……じゃあ、申し訳ないですけど、用意して1時間半後くらいに行きますね」
「うん!」
「じゃあ……」
「あっ、ねぇ!きみかちゃんちってこのすぐ近くなの?」
「え?あ、はい、この路地入ったとこです」
「……少しだけ見てみたいな。ダメだったら全然いいんだけど」


 香坂さんは、いちかばちか賭けに出るように私の様子を伺いながら恐る恐る言った。


 本当は気が進まなかったけど、自分は家に入れてもらったのに来るなとは言えず、仕方なく連れて行った。


「ここです。古くて恥ずかしいですけど。今どきこんなアパートなかなかないですよね……」
「恥ずかしいことなんかないよ!学生の時、友達がこうゆうところに住んでたな、なんか懐かしい…」
「そうなんですね。一応リフォームされてて、こう見えても中はだいぶキレイなんですよ。2部屋と別にちゃんと居間?的なのもあって。広いし家賃も安いからけっこう気に入ってるんです」
「へー!広いね!ねぇ、きみかちゃんちは何階なの?」 
「1階です。ていうか、ここ」


 私は今立ってる目の前の扉を指さして言った。


「あっ、そうなんだ!」
「見てもつまんない部屋ですけど、どうぞ」


 そう言って扉を開けた。


「わぁー!ほんとだー!広くて綺麗!あっ!すごい!ギターあるー!かっこいいね!隣の部屋は……ベッドしか置いてないんだ?」


 玄関で靴を脱ぐと、まるでこれから自分が住む予定の新居を物色するかのように、香坂さんははしゃいで狭い家の中を見て回った。


 ひと通り見て香坂さんのテンションが少し落ち着いたところで、私は玄関からすぐのキッチンスペースにある1人用の小さなテーブルセットの粗末なイスを差し出した。


「こんなイスしかなくて申し訳ないですけど」
「ううん、ありがとう!きみかちゃんはここでいつもごはん食べてるの?」
「はい。あ、お客さん用のグラスとかもなくて……このままになっちゃいますけど、よかったらお茶……」


 冷蔵庫からペットボトルのお茶を出し小さなテーブルに置くと、香坂さんは謙遜しながら飲んだ。


「ごめんね、突然お邪魔して気を遣わせちゃって……。そうだ!きみかちゃんお風呂入ってきたら?」
「えっ……でも、香坂さんここでずっと待ってるんですか?」
「……だめかな?」
「私は別にいいんですけど、テレビも何もないし、暇じゃないですか?」
「きみかちゃんの部屋にいるだけで楽しいよ!あっ、でも勝手に部屋の物に触ったりなんてしないから安心してね」
「大事なものなんて何もないですから、自由にしてもらって大丈夫ですよ。……じゃあ、遅くなっちゃうしパッと入ってきちゃいますね」


 私は着替えを持ってお風呂場へ行った。本当は湯船にゆっくりと浸かって癒されたい気分だったけど、超特急で全身を洗い、速攻で戻った。


「お待たせしました!」
「すごい早い!」
「待たせちゃうから急ぎました」
「……ていうか、きみかちゃんスッピンだよね……?」
「あ、あぁ……はい」
「綺麗でびっくりなんだけど……。私、気軽にお風呂入ってくれば?なんて言っちゃったけど、その後すぐに、お風呂上がりなんて人に見られたくないよなって気づいて、今どうしようか悩んでたの。でも、きみかちゃんが特にためらってなかったその理由が今分かった!」
「そんなことないですよ!ただ、私ってメイクしててもしてなくてもあんまり変わらないって言われるから、そこまで抵抗ないだけで。化粧映えしない顔なんですよね」
「きみかちゃんはそのままで完成してる顔立ちなんだよ!でもやっぱりイメージは変わるよ?いつもより幼く見える。なんかあどけなくて可愛いって感じ」
「……あの、そんなにじろじろ見て詳しいコメントしないで下さい……なんにも恥ずかしくないわけではないんで……」
「あっ、ごめんね!」
「じゃあ、すぐ用意しますから!」


 帰りがなるべく遅くならないように、私は急いで準備をしてすぐに香坂さんと家を出た。鍵を閉めている私の手元を見ながら


「なんかこうしてると、一緒に暮らしてるみたいな気になる」


 と香坂さんが笑いながら言った。


「そっか。私は人と住んだことないからあんまり分かんないけど」


 鍵をバッグにしまって、街灯もまばらな裏道を歩き出す。


「意外だね?きみかちゃん、同棲したことないんだ?」
「ないですね、実家出てからはずっと一人暮らしです」
「でも彼女が家に来たりとかはあったでしょ?」
「それはもちろんありますけど、どっちかっていうと自分が行くことの方が多いんですよね。こないだまで付き合ってた彼女も、私は家に行ってましたけど、うちには来たことなかったです」
「そうなの?どうして?」
「来たいって言われたら断らないですけど、そう言われなかったし、わざわざ自分から家に人を呼ぼうって発想があんまりなくて」
「……そうなんだ。じゃあ、前の彼女も入ってないきみかちゃんの部屋に、私は入れてもらったんだ?」
「そうなっちゃいますね。自分で言うのもなんですけど、かなりレアですよ」


 そんなことを話しているうちに香坂さんの家に着き、玄関の扉が開くと、その瞬間にどこかのいいレストランの厨房のような匂いが鼻に届いた。


 そう言えば、昼に惣菜パンを食べたっきり何も食べていないことを今さらながらに思い出す。体も同じく思い出したのか、美味しそうな匂いに反応したお腹が、早く何か食べさせろと言わんばかりに「グォ~」と大きく長く鳴いた。


 ごまかすことなど不可避な音に、思わずお互いの目が合う。


「恥っず!!……すみません」
「ふふ、お腹空いてるみたいでよかった!沢山あるから好きなだけ食べてね!今すぐ温めるから適当に座ってて!」


 玄関からの細い廊下を歩き香坂さんに続いて部屋へと入ると、こないだ使っていたテーブルの脇には、クッションの代わりに2人用の低いソファーが置かれていた。


「あっ、ソファー買ったんですね!」
「そうなの!良さそうなの見つけてネットで衝動買いしちゃった!なかなか座り心地いいから座ってみて」
「へ~、じゃあ失礼しまーす」


 お言葉に甘えて、見るからに新品のソファーにゆっくり腰を下ろすと、これはいいやつだ……と、素人の私にもすぐに分かった。


 今日一日いじめ抜いた体を優しく慰めるように包み込むやわらかさに「あ~~」といううなり声が自然に漏れた。


 そんな私に気づかないまま、香坂さんは私と正反対に元気が有り余っていそうな動きで、チャキチャキと準備をしている。


「きみかちゃんお酒飲むでしょ?何がいい?メインがハンバーグだから、赤ワインとかかな?」
「いや!今日はお酒は大丈夫です!」
「えっ!?そうなの?お酒大好きなのに?」


 こんな疲れた体でこんなに上質なソファーに座り、さらにお酒まで飲んだものなら120%寝てしまう。そう思い、断腸の思いで自粛した。


「飲みたい気持ちはやまやまなんですけど、体が疲れすぎてて飲んだら潰れちゃいそうなんで……」
「眠たくなったら寝てもいいよ?なんなら泊まってっても全然いいし!」
「いえいえ!絶対ちゃんと帰りますから!」
「……そっか。……でも…せめてビール一本だけでも飲まない…?私も少し飲みたくて…一人で飲むのはちょっとあれだし……」


 寂しそうにそう言う香坂さんを見て、そうか、今日は娘さんの誕生日だから形だけも乾杯したいよな……と思った。
 野暮なことを言ってしまったと小さく反省した。


「……じゃあ、一本だけ頂こうかな…」
「ほんと!?嬉しい!今この料理持って行ったらすぐ出すからね!待っててね!」


 たった一言でギアが入ったように香坂さんの気分は上がってくれた。


 何か手伝おうと立ち上がろうとする私を嬉しそうに制止して、香坂さんは一人で何度もキッチンとテーブルを往復し、次々と料理をテーブルの上に並べていった。


 前回とは違って、ハンバーグ、ポテトサラダ、エビとブロッコリーを和えたもの、ミニサイズのチーズピザなど、テーブルを埋め尽くすほどの料理はすべて洋風のラインナップで、子どもが好きそうなものばかりだった。


 もしかしたら万一娘さんが来ることを想定して作っていたのかもしれない…。そう思うと、細部の盛り付けにまでこだわった豪華な料理が切なく見えた。


 全てを運び終わると香坂さんはエプロンを外し、最後に缶ビールとグラスを二つ持って私の目の前に立った。
 そのまま立ち尽くしている香坂さんを不可解に思っていると、


「……あの、ごめんね?きみかちゃん……少しだけ寄ってもらって隣いいかな?」
「あっ!すみません……いいソファーを一人で占領して…」


 私が端によけると、香坂さんは手に持っていたものをテーブルに置き、空いた場所に座った。そしてすぐに空のグラスを渡してきて、なみなみとビールをついでくれた。私も同じくつぎ返し、軽く向かい合って乾杯をした。


「娘の好みの味つけだからきみかちゃんのお口に合うか分からないけど、遠慮しないでいっぱい食べてね!」
「もうすでに見るからに全部おいしそうですよ!じゃあ、遠慮なくいただきます!」


 早速取り皿に少し小ぶりなサイズのハンバーグを取って、一口で半分を食べた。噛んだ瞬間、閉じ込められたお肉の旨味がぶわっと溢れてきて思わず悶絶した。想像をはるかに超えた肉々しい本格的なハンバーグで、そのレベルに驚く。


「めちゃめちゃおいしいです!!ほんと、ハンバーグが得意料理って言ってたの、分かりますね!完全にプロの味だもん!!」


 惣菜パン3個で重労働をした後には特に、最高のごちそうだった。


「ほんとに?きみかちゃんにそんなことを言ってもらえて嬉しい!」


 その他の料理も予想通りどれもこれもが完璧に美味しくて、アルコールを進ませて仕方ない…。ものの5分で私は缶ビール一本分のビールを飲み干してしまった。


 ここでやめなきゃ…という自制の気持ちと、走り出したら止められない無類の酒好きの性分が体の中で静かに戦っている。
 その間、本体の私自身は空のグラスをうらめしそうにじっと見つめていた。


「もう一本だけ飲んだら?まだ料理も沢山あるし!」


 物欲しそうな私に気づき、香坂さんがそこであの必殺技、『もう一本だけ』を食らわせてきた。


「……じゃあ……もう一本だけ……」


 初めの一本はまだギリギリ踏み留まれる余地がある。でも、二本目に入ったら完全に終わりだ。二本目どころか、気づけば私は当たり前のように三本目を飲んでいた。


「結局すみません……あんなこと言ってたくせに普通に飲んじゃって…」
「どうして?私は飲んでほしいもん!きみかちゃんがお酒飲んでるところ見るの好きだし」
「……あーあ……ほんと私ってだめだな……」


 酒も止められないし、キーホルダーも見つけられない……そんな自分が本当に嫌になった。


 早朝から起きていることに加え、体力を使い切るほどの過酷な疲れもあって、1時間も経たずにかなり酔っ払ってしまった。さらに睡魔まで襲ってきてソファーの上ですらまともに座っていられず、まぶたが落ちるたびにハッとしては目を開ける…を繰り返していた。


 もうここらへんで帰らなきゃ……そう思うのに、まるで体の上に鉄球でも乗せられたようにソファーから立ち上がれない。


 ふと隣の香坂さんを見ると、弱いお酒でほんのり薄ピンクに染まった頬で、テーブルの上の料理を見つめていた。


「……娘さんとは会えてるんですか?」


 聞きづらいことを敢えて聞いてみた。今香坂さんは、何か内に秘めた悲しみを外に吐き出したいのかもしれない…。酔っ払っいのくせに生意気にそんなことを考えたからだ。



「……前の旦那にはそのうち…って言われてるんだけど、やっぱり奥さんが私に会わすことにあんまりいい顔してないらしくて……」
「…そうですか…」
「娘の誕生日はね、毎年同じメニューだったの。お誕生日何食べたい?って聞くと、いっつも同じものばっかり言うから……」 
「こんなおいしいハンバーグ、そりゃ毎回食べたくなりますよね。分かります」
「……ありがとう。……今日は何食べたんだろうな……私のこと、少しは思い出してくれたかな……」
「誕生日に毎年こんなにおいしい料理を作ってくれたやさしいお母さんですもん、きっといつも想ってるはずですよ」


 思いつめたように黙ってしまった香坂さんの横顔を見ながら、私は自分の子どもの頃を思い出していた。


「ねぇ、きみかちゃん……?」


 ようやく香坂さんは料理から目を離し、こっちを向いて話した出した。


「なんですか?」
「どうしてきみかちゃんはいつも私に優しくしてくれるの?」
「優しいかなぁ…別に普通だと思いますけど」
「…でも、今日もすごく疲れてたのに結局来てくれたし…」
「確かにそうですね、正直今日はだいぶ疲れてたから初めは断っちゃったけど……私、すみれさんのことはどうしてもほっとけないんですよね」
「え……?」
「あ、気にしないで下さい……自分の問題ってゆうか…」


 かろうじて会話は成り立っていたけど、実際は夢か現実か分からないところを行ったり来たりしてるような脳の状態で、相変わらず眠気とも俄然戦っていた。


 そこまでになっても廃人のようにまだグラスへ手を伸ばし、しつこく飲み続けた。ふいにどうしようもなく悲しくて寂しい気持ちになり、奈央のことを思い出した。


 今日キーホルダーを見つけられていたら、今頃奈央を力いっぱい抱きしめていたかもしれない。やっぱりもう見つかることはないんだろうか……?見つからないままあきらめて告白するなんて許されるんだろうか……?


 奈央を今すぐ手に入れたい気持ちと、傷つけてばっかりいた自分が幸せを手にするには、苦しみがまだまだ足りなすぎるんじゃないかと戒める気持ちがごちゃごちゃになった。


「きみかちゃん?大丈夫…?」


 香坂さんの、全てを受け入れてくれるようなやさしい穏やかな声が鼓膜に響く。
 そう言えば私たちは、お互い今一番会いたい人には会えないでこの夜を過ごしてるんだなと思った。


「……すみれさん……私、好きな人がいるんです……」


 気づけば私は心の声を口に出していた。


「えっ……」
「前からずっと近くにいて、ずっと好きだった人が……」
「………」
「今までの関係でもいいって思ってたはずなのに……今になって急に手が届くかもしれないって思ったら……欲が出て……今、すごく……」

 
 奈央を抱きしめたい……


 たぶんそう強く願ったのを最後に私は完全に落ちてしまった。





 夢を見ていた。



 寝ている私に誰かが毛布をかけてくれている。私は眠っているのに、その人が泣いているのが分かった。

 その人は私の体が首までしっかり入るよう丁寧に毛布を整えた後、その上から私をぎゅっと抱きしめた。

 『今だ!今すぐ起きてその体をしっかり捕まえないと遠くに行ってしまう!』

 夢の中の私は、それをなぜか知っていた。私はその人がせっかくかけてくれた毛布を急いではぎ、その体を抱きしめ返す。

 なのに、その人は幽霊みたいにするりと私の腕からすり抜けて、最後に一度だけ私の頭を撫でると、もう二度と振り返ることなく部屋から出て行こうとする。

 何度も何度も『待って!』と叫ぶけど、声は届かない。

 私は結局何も出来ないまま、閉じたままの目で、去っていくその後ろ姿を見ている。





 唐突に目が覚めた。



 今のは……?いつものように一瞬理解するのに時間がかかってから、それでもすぐに気がつく。
 もう何百回見たか分からない夢をまた見ていた。


 ため息をついて、横たわった状態で首だけを上げて辺りを見回す。飲み散らかしたままのテーブルが目に入って、記憶が蘇った。そうだ、結局飲んでる途中で寝ちゃったんだ……。


 だんだんと覚醒していく中、胸に当てた手の平にふんわりとした感触を感じた。見ると、高級ソファーを自分のベッドのように使って寝ている私の上にはこちらも高級そうな新しい毛布がかけられていた。


 あれ?香坂さんは…?!


 そう思って上半身を起こしかけた時、それを食い止めようとする重みを下半身に感じた。手をついてだるい体をそれでもなんとか少し起こすと、私の左太ももの上に、頭を乗せるようにして眠る香坂さんがいた。


 壁の時計を見ると針は6時ちょうどを指していた。


 ……いつの?


 夜から飲んでたんだから、さすがに夕方の6時なわけはないだろう…そう思いながらも昨日は体が限界過ぎていたので、少し不安になる。


 体をひねって後方のベランダの方を見ると、カーテンの隙間から白い光が入っていた。


 朝の6時だ!良かった!


 まだ働ききっていない頭で結論を出すと、香坂さんに毛布をかけるため起こさないようにそーっとソファーから抜け出ようとした。


「ん……あれ……?……きみかちゃん……、起きたの……?」


 ミッションは速攻で失敗して、香坂さんを起こしてしまった。

 
「本当にごめんなさい!…私、いつのまにか寝ちゃったんですね…」
「全然いいの。ただ、さすがに私一人じゃ動かせなくてそのままソファーで寝かせちゃったから、体大丈夫だった?痛くない?」
「大丈夫です、むしろ自分のベッドよりすごく寝心地良くて……それよりすみれさんの方こそ変な体勢で寝かせちゃって…。しかも寒かったですよね?私だけちゃっかり毛布までかけてもらっちゃって……」
「平気だよ、きみかちゃんとくっついてたから暖かかったし……」


 そう言った香坂さんは、なぜか少し照れた素振りを見せた。その反応に鼓動が少しだけ速くなる。


「あの……」
「なあに?」


 寝起きとは思えない妖艶な返事の仕方に胸のざわつきが加速する。


「……こんなこと聞くのあれなんですけど……私、なんかしたりしてませんよね…?…」
「………」


 香坂さんは何も言わずに表情も変えない。


「えっ!なんかしたんですか!?」
「なんかってなに?」
「………迷惑なこと……とか……」
「迷惑なことなんて何もなかったよ?」
「………それならいいんですけど…」


 オドオドする私を見て、香坂さんは意味ありげに笑った。その時、寝てしまう直前の会話の記憶が舞い戻ってきた。


 そうだ!最後は確か酔っ払って好きな人がいるって話したんだ…。でも、確か奈央の名前までは出してないはず……


「あとすみません…!昨日寝る前に私が話したこと……あれ忘れてもらえませんか…?」
「それって、好きな人のこと?」
「……あ、はい…。昨日はちょっと酔っ払ってつい話しちゃったと思うんですけど、聞かなかったことにしてもらえると……」
「…そっか。分かった、そうするね」
「……ありがとうございます」
「……寝てる間にお腹すいたでしょ?朝ごはん食べよっか!」
「あっ、いや!さすがにもう帰ります!」
「えっ、でも朝ごはんくらいは食べていったら?まだ朝の6時だし、そんなに急いで帰らなくても…。きみかちゃん今日夜勤でしょ?」
「私はそうですけど…すみれさんは夕勤ですよね?私のせいでちゃんと睡眠取れてないだろうし、もう本当に帰ります!」
「……でも…」


 私は香坂さんの制止を振り切ってそそくさと玄関へ向かった。するとその頑な態度にあきらめた香坂さんは、


「帰る前にちょっとだけ待って!」


 と、一度キッチンへ戻ってから再び急いで私のいる玄関へと来た。


「はい、これ!」


 戻って来た香坂さんは上品な光沢感の、小さな赤い紙袋を渡してきた。差し出された流れのまま受け取る。でも意味が分からなくて、香坂さんの補足を待った。


「本当は当日のうちに渡したかったんだけど…」
「これ、なんですか?」
「やだ!まだ分からないの?昨日はバレンタインデーだったでしょ?だからチョコだよ」
「え……?」
「去年はみんなに配ったけど、今年はきみかちゃんにだけなの。……もちろん本命だよ?」


 まだ思考回路が繋がっていない脳がパンクしそうになった。
 昨日はバレンタイン…?
 ……もしかして、だから奈央は少しでも会えないかって言ってくれてたの…?忙しいと言って断った私に「10分でもいいから」って言ってたのは、もしかしてチョコを渡すため…?


 なのに私は……


 色んなことにテンパっている私を、香坂さんは熱い視線でじっと見つめてきた。いつもの様子と違う雰囲気に、なぜか目がそらせない…。


「……きみかちゃん……私……」


 ゆっくりと一歩づつ近づきながら、どこに触れようとしているのか分からない香坂さんの右手が、私に向かって伸びてくる。そして、その指先がパーソナルスペースへと侵入した瞬間、


「ごちそうさまでしたっ!!」


 私は大きい声で言い放ち、玄関を飛び出した。






















 




 

 




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