月夜の理科部

嶌田あき

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1.上弦

第3夜 秘密と秘密

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 帰宅するとすぐ、私は自室のベッドに制服も着替えずに仰向けになり「さてどうしたものか」と得意の優柔不断をくすぶらせていた。
 誤って、水城くんのスマホを持ち帰ってきてしまった。自分のじゃなくて、学校支給のはみんな同じ機種なので、どうしたって間違える。慌てて理科室を飛び出したとき、机の上で取り違えたらしい。シミュレータでのこととはいえ、衝突事故をおこして気が動転していたっぽい。
 水城くんは特に気になる相手というわけでもなかったけど、スマホを開ければ彼の秘密を見てしまうようで、さすがにそれは気が引けた。

「てか画面ロックかけてないのがいけない……」

 言い訳っぽく呟きながら、結局、画面を開ける。予想どおりアイコンも背景も標準のままだ。

「つまんないの……」

 自分のスマホのつもりで、つい指が勝手にブラウザのアイコンをタップしてしまった。
 現れたのは〈科学みらい大学 量子情報学部 竹戸瀬研究室〉の紹介ページに〈月面基地完成 レーザー通信に成功!〉なんて5年も前のニュース記事があるだけ。

「なーんだ」

 難病を隠してるとか実は男女が入れ替わってるとか、そういうのをちょっと期待していた。

「あ~あ、どうせなら先輩のだったらよかったのに」

 スマホの裏で居心地悪そうにしてる〈2年G組・水城〉のシールにデコピンする。
 そうして私は「ちぇっ」とぼやいて、毛先をくるくると人差し指でもて遊んだ。思い通りにいかないとき、こうしているとなんか落ち着く。

「――あっ? 私がこれを持ってるってことは、私のを水城くんが持ってるってこと?」

 そりゃそうだった。口に出してみて初めてわかった。
 ――まずい。まずい。絶対まずい! 急がないと、秘密が危ない!

 高2男子の理性が豆腐より弱いことぐらい、さすがの私にだって分かっていた。水城くんの手に落ちたスマホの、メールのアイコンが今まさに押される絵が思い浮かぶ。そこには、憧れの先輩からもらった天文部の勧誘メールと、未送信のまま何度も推敲された返信メールがある。これだけは読まれるわけにはいかない。
 非常事態。相手は理系男子。先に気づいているに違いない。
 電話をかけようとするちょうどそのタイミングで〈2年G組・證大寺京華〉から着信が入った。我ながら仰々しい名前。笑いながら起き上がり、電話に出る。

『もしもし、證大寺さん? 俺、水城だけど、わかる?』

 背中がムズ痒い気がして壁に寄りかかった。

『夜にごめんね。スマホ、間違えて持って帰っちゃったよね?』

 水城くんはただのクラスメイト。でも、ふだん彼の耳が当たっているところに耳を押し当て、彼の唇が触れてるか
もしれないところに吐息のかかる距離で話しかけるのは、なんだか恥ずかしい。

『ごめん。俺のスマホの中、見ちゃった?』
『えっ? 何? なにも触ってないよ』

 相手も同じ状況だと思うと、余計にこそばゆい気持ちになる。

『でも、なんか電話でるの早くない?』

 鋭すぎる角度からの質問。意表を突かれた私は、バカ正直に答えてしまった。

『……あ、ちょっとは見た、かなぁ。ネットとか……ごめん』

 水城くんは『あー、そっか……』と言ったきり、声をつまらせてしまった。

『ていうか、私の――』

 言いかけた私は、余計にまずいことになったと直感した。
 ここで「私のメールは読んでないよね?」なんて言ったら、読んでくれと言ってるようなものだ。かと言って「アレは見ちゃだめ」と遠回ししても彼は「アレって何?」と聞くに決まっていた。「何も触らないでおいてね」で済むのかもしれなかったが、油断はできない。
 さて、何と言えば良いものか――。
 こういうときは「攻撃は最大の防御」ときまっている。今はとにかくメールの話から遠ざかろう。

『研究室のページと、科学ニュース? 水城くんああいうの好きなの?』
『え? ああ。ちょっと調べてることがあってね』
『月面基地?』
『そう。予定通り26年に完成。30年からは量子コンピューターも稼働中。行ってみたくない?』

 彼は急に饒舌に話し始めた。私はそれほど興味があるわけではなかったけれど、熱心な説明はとても楽しそうで、もっと聞いていたい気がした。

『でも人いないよね?』
『うん基本は。昼間見たじゃん。ローバーを遠隔操作するんだよ』
『水城くん、好きなんだね。すごく楽しそう。アハハ。あ、ウェブサイト、なんか、SF版竹取物語って感じだった』
『SF? フフ。まぁかぐや姫っぽいよね、あの人』

 人? あれ、なんか私たち違う話してる? 私は電話越しに首を傾げた。

『まぁ、この際だから言うけど――』

 水城くんは勝手に諦めた様子で口を開く。

『俺、竹戸瀬さんのこと調べてるんだ。気になってるっていうか――』
『えっ!?』

 名もない県立高校2年生の男子が憧れるのは勝手だったが、あまりにも不釣り合いに見えた。

『ふ~ん。年上が好きなんだ。ふーん』
『いや、そういうんじゃないって』

 彼はあわてて訂正しようとするが、私にこれ以上深堀りするつもりはない。次の話題があるわけでもなし、そろそろ引き際だ。会話が途切れた一瞬の真空に引き寄せられるようにして、彼がつぶやく。

『――そういえばさ、證大寺さんこそ、羽合先輩のこと気になってるでしょう?』
『な、な、な、な、なんで?』

 親友しか知らない私の秘密を、ほとんど話したこともない彼がどうして知ってるのか。

『え? まさか、メール見た?』
『メール? いや……クラスの男子の間ではけっこう有名だよ?』

 しくじった――。私は、彼の秘密を知ったことに油断し、自分の秘密を、むざむざと相手に明かしてしまったのだった。「年上が好きなんだ」というフリがよくなかったかも。

『あ、えっと……』
『いやごめん。メールは見るつもりないけどさ――なんていうか、俺、羽合先輩とは結構仲いいからさ、だから』

 そこで彼は一呼吸。なんだかとても言いづらそう。

『竹戸瀬さんを紹介してくれないか。代わりに、先輩とのことはなんでも協力するからさ』
『そ、そんなこと急に言われても、決められないよ……』
『そうだよね、ごめん。ほんとごめん。忘れて。あははは』

 私にとってはメリットしかない気もするけど、即答するのもなんだか気が引ける。

『まって考えさせて』なんて私が言ったのも聞かず、『じゃ、また明日』と電話を切られてしまった。優柔不断のせいで、私はのろまみたいで嫌になる。
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