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3.下弦
第16夜 先輩と後輩(下)
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「星のこと、なんにも分からないですよ?」
もう一度、空を見た。陽が沈み、オレンジから群青色に変わってゆく。
「いや。君がいいと思う」
夏休みが終わる日の小学生みたいな、寂しげな目をしていた。どうしてと私が何度尋ねても、先輩は君が相応しいといって憚らない。
「俺さあ、柔軟な考えをするの苦手。どうしても、決まりきったことしか考えられない」
「そうかなぁ。そんなふうには見えませんけど……」
失敗するのが苦手だという。その余波で、リラックスするのも下手。私は「アハハ。意外」と笑いながら遠くの満月に目を移した。ほんとうは、「大丈夫ですよ」なんて今すぐ彼の頭を撫でてあげたかった。
「キョウカみたいに、心のままに何かに挑戦できるのは、すごいな、って思う。尊敬するよ」
風に揺れる私の髪を見ていた先輩がつぶやいた。
「わ、私のは、全然すごくないですよ! 迷ってばっかりだし、飽きっぽいし……」
「それ! そういうところ。俺にはどうしても届かないところ」
ドキッとした。彼はフェンスを背に、夕焼けと夜空の境界線あたりを眺めていた。整った目鼻立ちの横顔に、長いまつ毛。スッキリした顎のライン。
「天文はさ、じれったいよ……」
先輩は自らに言い聞かせるように呟いた。
「ブラックホールの衝突も、超新星爆発も、全部待ってるだけ」
ゆっくりと前に歩みを進める。
「遠すぎて探査機も行けない。――でもね、最近気づいた」
先輩は、振り返らずに続けた。
「こんな近くに居るじゃないかって」
「え? どういう意味?」
私は思わず振り返り、彼の背中に声をかけた。
「なんで俺、今まで気づかなかったんだろう……」
「いつだって、そばにいたからじゃないですか?」
私はアヤのことを考えながら、5メートルほど離れた彼に少し大きな声をかけた。
先輩はそこでピタッと立ち止まり、くるりと踵を返した。
「良いこと言うね。あ、そうだ!」
月明かりに照らされた先輩が、何か思いついた顔で笑った。
「部長の昇任テストをしよう! 第1問。地球から一番近くにある星は何でしょう?」
「ちょ。え? 星!?」
彼はいよいよ子供みたいに目を輝かせた。大人びた顔に、低くて濃い声。どこまでも少年のような振る舞いとのギャップがズルい。
「……えっと、たしかユキくんが……。ケンタウルス座の――」
「ブッブー」
「うへぇぇ。ちょっと早すぎですよ」
「――正解は、太陽だよ」
「ああ!」
私は夜空にばかり星を求めていた。ただ、いつもそこに居るから。毎日見ていたから、気づかないし、気づけない。何百光年も彼方にいる赤の他人ではなく、近所の――いや、もっと近い星。たぶん、月も地球も火星も土星も、みんな1つ屋根の下。大家族の真ん中で、陽気に笑うお母さんみたいな太陽。
「ババン。では、第2問。月と地球は、どっちが先輩でしょう?」
先輩はほんの少しだけ後ずさりすると、私に手を振った。
「えっと……これは流石に、地球? ですよね?」
「ピンポーン。大正解。巨大隕石がぶつかって削がれた地球の破片が、月だよね」
ある瞬間、ある場所をともに過ごした先輩と後輩は、必ず別れる運命にある。万有引力で、2人がどんなに惹かれあっていても、時間は容赦しない。先輩は必ず、後輩のもとを去る。そして、残された後輩がまた、誰かの先輩になる。
「最終問題。今、キョウカが立ってるとこが月。それで、俺が地球。俺たちは38万キロ離れてる。さてこの縮尺で、太陽は何メートル先にあると思う?」
皆目、見当もつかなかった。私は静かに目を閉じた。
小学校の理科室で見た、機械仕掛け地球と月が周る模型。ランプの太陽。先生が神様みたいに操作して、月の満ち欠けも日食も、自由自在。でもこれはさすがにオモチャだ。ほんとの太陽はもっとずっと遠くにあるはず。
「すごく、すごーく、遠く、ですかね?」
先輩は答えを言うことなく、「よっ、よっ」と大股歩きで38万キロを進んだ。そうして私の目の前までやって来ては、満月が溶けこむ黒い瞳で彼女を見つめた。
「キョウカに、出逢えてよかった」
「先輩……」
大学はとても遠い世界に思えた。近くにあるようで遠い。きっと太陽よりも遠い場所。
卒業まで、あと半年。それまでに太陽までの距離を調べておこう。私は先輩の黒い瞳を見つめ返した。
もう一度、空を見た。陽が沈み、オレンジから群青色に変わってゆく。
「いや。君がいいと思う」
夏休みが終わる日の小学生みたいな、寂しげな目をしていた。どうしてと私が何度尋ねても、先輩は君が相応しいといって憚らない。
「俺さあ、柔軟な考えをするの苦手。どうしても、決まりきったことしか考えられない」
「そうかなぁ。そんなふうには見えませんけど……」
失敗するのが苦手だという。その余波で、リラックスするのも下手。私は「アハハ。意外」と笑いながら遠くの満月に目を移した。ほんとうは、「大丈夫ですよ」なんて今すぐ彼の頭を撫でてあげたかった。
「キョウカみたいに、心のままに何かに挑戦できるのは、すごいな、って思う。尊敬するよ」
風に揺れる私の髪を見ていた先輩がつぶやいた。
「わ、私のは、全然すごくないですよ! 迷ってばっかりだし、飽きっぽいし……」
「それ! そういうところ。俺にはどうしても届かないところ」
ドキッとした。彼はフェンスを背に、夕焼けと夜空の境界線あたりを眺めていた。整った目鼻立ちの横顔に、長いまつ毛。スッキリした顎のライン。
「天文はさ、じれったいよ……」
先輩は自らに言い聞かせるように呟いた。
「ブラックホールの衝突も、超新星爆発も、全部待ってるだけ」
ゆっくりと前に歩みを進める。
「遠すぎて探査機も行けない。――でもね、最近気づいた」
先輩は、振り返らずに続けた。
「こんな近くに居るじゃないかって」
「え? どういう意味?」
私は思わず振り返り、彼の背中に声をかけた。
「なんで俺、今まで気づかなかったんだろう……」
「いつだって、そばにいたからじゃないですか?」
私はアヤのことを考えながら、5メートルほど離れた彼に少し大きな声をかけた。
先輩はそこでピタッと立ち止まり、くるりと踵を返した。
「良いこと言うね。あ、そうだ!」
月明かりに照らされた先輩が、何か思いついた顔で笑った。
「部長の昇任テストをしよう! 第1問。地球から一番近くにある星は何でしょう?」
「ちょ。え? 星!?」
彼はいよいよ子供みたいに目を輝かせた。大人びた顔に、低くて濃い声。どこまでも少年のような振る舞いとのギャップがズルい。
「……えっと、たしかユキくんが……。ケンタウルス座の――」
「ブッブー」
「うへぇぇ。ちょっと早すぎですよ」
「――正解は、太陽だよ」
「ああ!」
私は夜空にばかり星を求めていた。ただ、いつもそこに居るから。毎日見ていたから、気づかないし、気づけない。何百光年も彼方にいる赤の他人ではなく、近所の――いや、もっと近い星。たぶん、月も地球も火星も土星も、みんな1つ屋根の下。大家族の真ん中で、陽気に笑うお母さんみたいな太陽。
「ババン。では、第2問。月と地球は、どっちが先輩でしょう?」
先輩はほんの少しだけ後ずさりすると、私に手を振った。
「えっと……これは流石に、地球? ですよね?」
「ピンポーン。大正解。巨大隕石がぶつかって削がれた地球の破片が、月だよね」
ある瞬間、ある場所をともに過ごした先輩と後輩は、必ず別れる運命にある。万有引力で、2人がどんなに惹かれあっていても、時間は容赦しない。先輩は必ず、後輩のもとを去る。そして、残された後輩がまた、誰かの先輩になる。
「最終問題。今、キョウカが立ってるとこが月。それで、俺が地球。俺たちは38万キロ離れてる。さてこの縮尺で、太陽は何メートル先にあると思う?」
皆目、見当もつかなかった。私は静かに目を閉じた。
小学校の理科室で見た、機械仕掛け地球と月が周る模型。ランプの太陽。先生が神様みたいに操作して、月の満ち欠けも日食も、自由自在。でもこれはさすがにオモチャだ。ほんとの太陽はもっとずっと遠くにあるはず。
「すごく、すごーく、遠く、ですかね?」
先輩は答えを言うことなく、「よっ、よっ」と大股歩きで38万キロを進んだ。そうして私の目の前までやって来ては、満月が溶けこむ黒い瞳で彼女を見つめた。
「キョウカに、出逢えてよかった」
「先輩……」
大学はとても遠い世界に思えた。近くにあるようで遠い。きっと太陽よりも遠い場所。
卒業まで、あと半年。それまでに太陽までの距離を調べておこう。私は先輩の黒い瞳を見つめ返した。
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