月夜の理科部

嶌田あき

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3.下弦

第21夜 表と裏(上)

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 時刻は4月25日深夜。もちろん、シミュレータ上での話である。周囲の天体の位置などもすべて正確に再現されている。データを救うラストチャンスとなる皆既月食の日。シミュレータを使って予行練習をしてみようと思い立ったのだ。

「キレイ。でもやっぱり、月はピクニック向きじゃないけどね……」

 太陽の光が月面の砂に反射して眩しい。私はライトグレーの砂丘に立ち、眼下の月面基地を眺めた。空はひたすらに漆黒で、地球は出ていなかった。
 私はつい隣にいるはずのないユキくんを探した。ゴーグルをつけた首を振ってカメラをキョロキョロしてみる。当然、隣にローバーはない。今日、月には私1人だ。

 考えがあった。カサネに相談した〈松プラン〉である。ローバーで月面基地のサーバー室に侵入、データを抜き出し、地球に持ち帰る――ミッション・インポッシブル。
 無理は百も承知だ。でも「もしかしたら」なんて可能性に賭けて、夜の理科室にひとり足を運んだのだった。
 月面ローバーの操作は、もう慣れたものである。通信タイムラグもなんのその。ローバーの正確な移動、ロボットアームを巧みに操っての細かな作業もできる。もちろん、我が子のように可愛がってきた制御AIがあるから、ほとんど音声指示ひとつで自律的に動いてくれる。

 レネさんの課題がヒントになっていると気づいたのは、月面基地でユキくんとかくれんぼをした夜のことだった。うっかり迷い込んだ洞窟のような場所で、サーバールームの扉を発見したのだ。ローバーと扉との間の通信ログをユキくんに見せたところ、扉がパスワード代わりにクロスワードパズルを出題していることが判明。AIがそれに正解できれば、解錠される仕掛けだった。カギを使ってパズルを解くAIの知能が、まさに鍵になっているのである。

(これはきっと何かある!)

 私は直感した。クロスワードパズルといえば、課題4〈蓬莱の珠の枝〉だ。レネさんはデータを持ち出す良い方法を思いついていたが、何らかの理由があって自身で実行できないために、私たち2人に託したのではないか。そう考えて、私はとにかくもう一度あの場所に行ってみようと、今夜こうして来たというわけだ。

 ローバーは勢いよく砂の斜面を滑り降り、管理棟脇のゲートに駆け込んだ。ログデータからは何故かあの場所の情報が削除されていた。けど大丈夫。行き方は覚えている。もう、通信タイムラグのせいで衝突させたりもしない。
 大型エレベータで地下に向かう。基地といっても建築と呼べるようなものは月面に見えている部分だけで、地下のほとんどは自然洞窟のままである。エレベータだって、単に鉱山の立坑ケージを巨大化したような粗末なものに過ぎなかった。
 自然の縦孔たてあなそのままのエレベーターシャフトの中を、つるべ井戸の桶みたいなカゴにゆられ、ゆっくり降りる。しばらくするとガガンッという振動とともに底に着き、薄明かりが点灯した。
「よーし……」
 手掘りの坑道のような地下通路。大丈夫、ここは月だ。毒虫も吸血コウモリも、ぜったい出ない。私はドキドキしながらローバーのライトをONにして、辺りの様子を覗った。
 太陽からの放射線も地球からの電波も届かない、月の地下洞窟。異世界の入口みたいな黒々とした洞穴には、アルミ格子がはめられていた。これがサーバー室である。奥に、サーバーが収められたコンテナが並んでいるのが見えた。

「お願い」

 訓練したAIが、クロスワードパズルを難なくクリアする。銀色の格子扉が音もなく開き、私は安堵のため息をついた。

「9番コンテナ。GO」

 ローバーに指示する頭の中で、ベートーヴェンの「第九」が流れ始める。ドキドキという胸の高鳴りも感じた。
 ローバーが洞窟をスキャンすると、程なくして目当てのコンテナが見つかった。あとは〈燕の子安貝〉と〈龍の頸の珠〉で培った、ロボットアームを駆使して――。

「ダメですよ!!」
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