移眠の子

嶌田あき

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移眠の子(4)

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 廃校の前に出た。
 雪のようにこんもりとした白い厚膜で覆われている。俺たちの高校も2年後にはこうなる。

「これを逃したら行けなくなりますよ」

 データはまず地球と永遠の眠りとの間にあるプリントサーバー衛星に送られる。移眠準備は印刷キューの都合で例年、高3の1月に始まる。共通一次と呼ばれるゲノムデータ抽出と二次試験の超偏極NMR脳計測。そして卒業式の翌日にデータが送信され、身体は冷凍保存されることになる。不眠症の子供はここで機器との相性問題がおこるらしい。

「いい」
「別に痛くはないですよ――たぶん」
「そういうんじゃない」
「好きな人も一緒でしょう? だったら別にいいじゃないすか」
「そうじゃなくて」
「ならどうして?」

 俺は立ち止まり、少し後を歩く彼女を振り返った。

「帰りたくない」
「は? 意味ワカンネ」
「――だって、好きな人……わ、私……」

 先輩はしどろもどろになり、黒い瞳をうるませた。

「蛍くんだから」
「ふぇ?」

 予想外過ぎて変な声出た。

「ちょ、ちょっとまった!」
「やだ。待たない――私、キミが好きなの」

 今度ははっきり言った。もう恥ずかしさはどこかに行ってしまったみたい。先輩は満足そうに笑って俺の頬に触れた。

「だから、私、行きたくない」

 それでも、俺たちの関係は3月を超えられない。

「……あの、2年遅れてだけど、俺も行きますから」

 そのためには、眠れるようにならないといけない。

「えっ?」
「先輩が行くのなら、ですけど」
「どういう意味?」
「そういう意味です」

 先輩はしばし小首をかしげて考えた。
 理数はめっぽう強いくせに、こういう時だけ、ほんとうにポンコツ。俺はニヤニヤしながら、眉間にシワを寄せる先輩の顔を眺めて過ごした。

「あ」先輩が小さく声をもらす。

「ごめん。今まで、ぜんぜん気が付かなくて……」

 ようやく理解してもらえた様子。

「いいんです。お互い様なんで。先輩はずっと前から俺の特別な人だったんですよ」

 先輩は、今日一番のはにかみ笑顔を見せてくれた。その頬は朝焼けよりも赤かった。
 帰りの列車で、先輩がついに寝た!
 俺は肩に寄せられた頭の温かな重みに「一緒に寝るんじゃなかったんですか?」と笑った。

 それから俺たちは同じ列車に乗って、何度も朝焼けを見に行った。太陽はいつも水平線の下にあって、昇ってくることはなかった。

 砂浜に出て、先輩が両手いっぱいに海ほたるを掬ってみせた。子供みたいな笑顔。瞳に映る淡い光を見つめながら、そっとキスをした。
 夢のような世界だと思った。
 帰りの列車で、先輩は必ず眠った。ソファーに並び肩を貸すと、先輩は幸せそうに目を閉じた。長いまつげ。シャンプーの甘い香り。寝息が耳にかかり、ちょっとくすぐったい。俺が眠れるようになる日は遠のいた。

 4光年先はどうでもいい。半径3メートルの世界平和を願った。

 あっという間に卒業式の日がやって来て、翌日、先輩は永遠の眠りに旅立った。
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