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壊れたきらきら星

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 足元から立ちのぼる生暖かい不気味な感覚に身震いする。
 目の前にある鍵盤が、全く別の物体に見えた。
 今、何処にいて、何をしようとしているのか、わからなくなりそうだ。
 客席がざわめき始める。いつまで経っても演奏が始まらないからだーー
 
「真由ちゃん!あなたの好きなキラキラ星でしょー!頑張って!」

 母の必死な励ましが会場じゅうに響き、かえって真由を居心地悪くさせた。
 
 弾かなくちゃ。キラキラ星を、弾かなくちゃーー
 真由は、鉛のように重たくなった両手を鍵盤の上に置き、先生の顔を見る。
 先生はお面のような笑顔で頷き、タクトを大きく振った。
 最初の音を鳴らした瞬間、真由の身体中の血の気が引いた。
 先生が大きく目を見開き上半身を傾けタクトを振りながら、真由の方へ囁く。

「真由さん、そのまま続けて」

 続けるどころか、真由は全く動けないでいた。
 間違えたのだ。初っぱなから。
 始まりのフレーズを、一オクターブ高い音で鳴らしてしまった。 
 
「あ~あ、やっちゃったよ、やっぱり尻のでっかい女は頭の中が空っぽだよな~」

 背後から、ジョーの冷やかしが聴こえる。
  
 真由の頬が燃えるように熱くなった。初めての発表会に張り切った母が施してくれた薄化粧が、その熱でどろどろに溶けてしまうのではないだろうか。
 

(お尻が大きいのは悪いことじゃないもん……お母さんは、赤ちゃんを産むのには大きい方がいいわよって言うし……それに……好きで大きくなったわけじゃないもんーー!)

 ジョーは真由の顔を見るたびにお尻の事をからかう。真由が嫌がるのをわかっていて、その反応を楽しんでいるのだった。
 好意からジョーが突っ掛かってくるのだが、幼い真由がそんな事を理解できるわけがない。
  
(とーた君……なんでここに居ないの……私のきらきら星を楽しみにしてるって……そう言ったよね? 
 とーた君が居ないのに、なんでジョーがここにいるの……
 なんでーー!)

 心の中の叫びが、真由の両の指すべてを強く鍵盤に叩きつけさせた。
 ざわついていた会場は、不協和音が響くと同時に静まり返る。


 
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