【完結】僕の不在証明

花柳 都子

文字の大きさ
上 下
8 / 9

20歳・冬/僕の存在証明

しおりを挟む
 僕の“走馬灯"はとうとう、20歳の冬を迎えた。僕はここで死ぬことになるわけだが、死因はいとも単純明快で、いわゆる『不慮の事故』である。
 お母さんを亡くした僕は、高校を卒業し、探偵になった。困っている人を助けたいとか、難事件を解決したいとか、そんな高尚な理由があったわけじゃない。ただ、謎に出会いたかったのだ。日々新しい謎を求めて、僕はいろんな場所へ行った。お母さんが亡くなったことで保険金が手に入っていたし、生活にはこれまで通りさほど困らなかったから。
 ある日の早朝、僕はあの公園にいた。そう、5歳の春に女児行方不明事件が発生した、あの公園である。僕は散歩の最中だった。散歩といってもだらだらと歩いていただけではない。心惹かれる謎を探して、昼夜問わず近所をパトロールしたり、時にはトラブルの芽となりそうなところに積極的に首を突っ込みに行ったりするのが日課になっていたのだ。
 同じ朝、公園から数十メートル離れた空き地でひとりの男の遺体が発見された。
 この前日の夜に雪が降って、地面は白くなっていた。積雪というほどでもないが、誰かが歩けばわかる程度には積もっている。しかし、被害者の周りに足跡はなく、まるで天から降って来たようだったとは目撃者談である。
 この被害者の男性の年齢は30歳前後、身長が高く、体格も良い。スーツを着ていて、胸には深々とナイフが刺さっている。抜かれてはおらず、そのまま地面に横たわっていた。
 発見されたのは、午前7時頃。近所の人が犬の散歩中に見つけた。前の日の夜中は特に異変がなかったと複数の人間が証言したため、少なくとも遺体が現れたのは目撃証言がない深夜1時頃から、発見されるまでの午前7時頃の間と見られる。ところが、深夜1時には既に雪が降り積もっていて、誰かが行き来すれば必ず足跡が残ったはずだった。気象庁の情報でも、午前1時以降に足跡が消えるほどの降雪はなく、不可能犯罪かに思われた。
 早朝からその辺りをパトロールしていた僕は、その事件を聞いて久方ぶりに高揚していた。探偵とはいえ、ミステリ小説の中と違って、密室だのアリバイだのといった難解な謎にはそうそう出会えるものではない。これはチャンスと思い、誰に依頼されたわけでもないが、僕は自ら調査に乗り出した。
 まずは被害者男性が誰なのか、ということであるが、正直に言うとそんなことはどうでもよかった。僕は誰かを知りたいわけじゃない。どうしてこの人だったのかを知りたいのだ。だが、やはりそのためには彼の素性を突き止める必要がある。彼に殺される理由があったのか、それともゆきずりの犯行で犯人とは関連がないのか。警察も調べるはずだが、僕の本懐は自分自身で謎を解くことなので、その結果を待つなど至極つまらないではないか。
 しかし、手がかりのひとつもなければまるで雲を掴むような話だ。せめて名前だけでもわかればと思い、近所を散歩がてら街の住人たちの井戸端会議に遭遇するたび、それとなく耳を澄ましてみた。
 誰もが身近で起きた殺人事件に驚いているようだったが、不思議と哀しんだり怯えたりする様子は見受けられなかった。それもそのはず、聞こえてくる噂は全て彼の悪事に関するものだったからだ。
 小学生、いや物心ついた頃から彼は有名人だった。同年代の子に暴力を振るうのは当たり前、悪口で女の子を泣かせたり、下品な物言いで他人の親を辱めたりもしていた。「死んで良かった」などと大きな声で言う者はいなかったけれど、誰もがなんとなくそういう雰囲気を感じていたと思う。
 最も彼の粗暴さが際立ったのは中学生の時。バスケ部に所属していたのだが、キャプテンだった彼の恐怖政治とでも言おうか、気が弱そうな部員をよってたかって部員全員で吊し上げる行為を繰り返していた。いじめられる側が被害者なのは当然だが、同じようにいじめる側の部員たちにとってもプレッシャーは計り知れず、部活どころではなくなって退部した生徒も多かったと聞く。
「小学校の先生も苦労されたらしいわねぇ」
「あぁ、まだ新任だった頃に担任になったんですってねぇ」
「バスケも小学生からクラブチームに入っていたから、体格も良かったでしょ?」
「いくら男の先生でも、大変よねぇ」
「ほら、あの頃ちょっとした事件があったじゃない?」
 公園でママ友たちが、大きな声でコソコソ話をしているところを通りがかった僕は、一休みがてらベンチに座って耳を傾けることにした。
 なんでも、学校一の問題児であった殺された男性は、授業中だろうが休み時間だろうが、構わず騒ぎを起こした。三日に一度は彼を力ずくで止めなければならず、新人の男性教師はノイローゼになりそうなほど疲弊していた。しかし、そんな中、全く問題なさそうなある児童が、徐に職員室前にあった大きな花瓶を校庭に面した窓に向かって大きく投げつけたのだ。窓も花瓶もバラバラに砕け、その子自身も破片で怪我をしていた。けれど、泣くことも喚くこともせず、ただ無表情に立ちすくんでいたという。
 まるで自分の目で見たかのように語るママたちは、「怖いわねぇ」などと宣うが、彼女たちが本当に怖いのは殺された男なのか、それとも一見脈絡もなく唐突に爆発してしまう花瓶の少年なのか、僕はふと疑問に思った。
「その子、何でそんなことしたのかしら」
「自分もやってみたくなったんじゃないの? ほらあのくらいの時期って、お友達の真似してみたくなるものでしょう?」
「あら、その子はストレスが溜まってた可能性もあるわよ。その『お友達』のせいでねぇ?」
「先生が新人だったことも原因なんじゃない? ベテランの先生だったら異変に気づいてあげられたかも」
「それはどうかしら。結局、学校も世の中も不公平なものよ? 先生たちはやっぱり良くも悪くも目立つ子に肩入れするじゃない」
「そうかも。褒めるのも叱るのもそういう子に取られちゃうのよね~。うちの子なんて、みんなの前で一回だって褒められたことあったかしら」
 我が子の不幸自慢になって来たところで、僕は立ち上がった。彼女たちの話はころころと変わって、どうしてそんな話になったのか全く論理的ではないからだ。子どもの頃はその非論理的さを解明しようと躍起になっていたが、今や永遠に解明できそうにないとわかっている。
 僕は数日後、被害者男性の葬儀会場にいた。そう、難しく考えることはなかったのだ。近所であんなに噂されるということは、少なくとも実家はこの辺りにあると考えて間違いない。つまり、殺された本人はともかく、親が生活しているこの近辺の葬儀場をあたれば、直に当たりを引くという寸法だ。念のため目立たないように喪服を身につけているが、お焼香もしないし、会場に入ることもしない。他の葬儀の参列者のふりを装ってホールにいれば、特に怪しまれることなく観察できる。
 むしろ、僕が行けばどういう関係か訝しがられたかもしれない。なぜなら、会場に入っていくのは大体被害者男性と同年代くらいの男女、もしくはその親世代と思われる還暦前後の男女だったからだ。僕は被害者とは十歳近く離れているし、親しい間柄でもない。変に目立つことなく行動せねば、今後自由に動きづらくなる。
「やあ、久しぶりですな」
「ええ。お元気そうで、というのは不謹慎かもしれませんが」
「確かになぁ。ま、いいんじゃないの。親戚だって冠婚葬祭にしか会わん時代だ。近所に住んでたって挨拶どころか、姿を見ることもないんだから。会った時に親交を深めておかないと」
「そうですね」
「そういえば、奥さんは? こういっちゃなんだけど、奥さんのほうがこの子と関わり深かったでしょ。息子さんの学校のことになると、とっても熱心だったからよく覚えてるよ」
「ええ、まぁ。ちょっと体調を崩してまして」
「そう、お大事にね。息子さんも今どうしてる? うちのはね、転職だなんだって忙しいよ。もうひとっところに長く勤める時代じゃないんだねぇ」
「そうですか。うちも似たようなもんです」
「本当かい。それなら安心だ。中学校から優秀だったものね」
「恐縮です」
「おっと、そろそろ解散かな。あの子には悪いけど、どうも偲ぶ気分にはなれなくてね。じゃあ、またそのうち」
「ええ」
 饒舌な初老の男性が去ると、それより少し若めの無口な男性が深々とため息をついた。ふと、僕がそちらを見ると、ゆっくり視線を上げたその人と目が合った。なぜか驚いた顔をされた、ような気がする。目礼をしてみると、そそくさと顔を背け、出口へと向かってしまった。
 僕は不思議に思いながらも、用は済んだとばかりに流れに沿って葬儀会場を後にした。
 やはり泣いている人の姿は見なかった。
 彼はどうやら殺されるべくして殺されたらしい。だとすれば、あの遺体発見現場である空き地の様子も、出来上がるべくして出来上がったと言える。ゆきずりの犯行であれば、わざわざまっさらな雪の上に残していく必要などない。ナイフだって持ち去ればいい。これは動機がある者の仕業だ。自分が疑われないように、あの仕掛けをしたに違いない。僕は翌日、遺体発見現場を再び訪れることにした。
 遺体発見現場は周りを家に囲まれた空き地である。両脇と後方に位置する家の玄関は全て、空き地とは逆方向にある。つまり、空き地にはそれぞれの窓がほぼ隙間なく隣接している。空き地の正面は住宅街の狭い道路に面していて、空き地にはその道路から歩いて入るしかない。だが、三方を囲む家のどれかなら、窓から落とすことは可能かもしれない。
 ただし、空き地は思ったよりも広く、投げ捨てたり落としたりするだけでは、中央に近いあの位置には届かないだろう。何かしらトリックがあるはずなのだが。僕が警察の立ち入り禁止テープの前で途方に暮れていると、刑事らしき男2人組に声をかけられた。
「君、被害者とは親しかったの?」
「いえ、面識もありません」
「・・・じゃあ、どうしてここに?」
「気になるからです」
「我々としては君の行動のほうが、よほど気になるねえ」
「お褒めに預かり光栄です」
「・・・・・・」
 やり取りが煩わしくなった僕がその場を離れようとした時、ある男の人の姿が目に入った。葬儀会場であった、無口な男性だった。こちらを窺うようにじっと立っていて、僕のことは眼中にないのか、刑事が動き出すと同時に身を隠すように立ち去っていった。
「刑事さん」
「なんだね?」
「怪しい人がいましたよ」
「あ?」
 僕の指差す先にはもう男性の影も形もなかったけれど、無視するわけにもいかないと思ったのか、年配の刑事が若い刑事に「早く見て来い」とでも言うように顎で道の先を示した。
 若い刑事は僕に視線を注ぎつつ、ワンブロック向こうの角まで走る。ちょうど空き地の隣の家が終わるところで、若い刑事は十字路をきょろきょろと見回すけれど、やがて年配の刑事に向かって首を振った。
「誰もいません」
「・・・わかった、まあいい」
 僕はあの人の特徴を事細かに説明してあげた。年配の刑事はわかったわかったと頷き、僕は解放された。
 これから現場検証をするらしく、刑事たちは黄色い線を潜って空き地の中に入った。あれから数日が経っていて、もうほとんど当時の状況は引き継がれていない。雪もないし、遺体もない。
 トリックに関しては、どんな想像も机上の空論でしかないけれど、何か道具を使わなければ成し遂げられないことは誰の目にも明らかだった。
 僕はやはり“空を飛ぶ“説を推すことにする。その対象は凶器の場合も、被害者の場合もあるが、あの体格の良い被害者を他人の手によって飛ばせることは困難と思われた。自分の意思で飛んだか、もしくは凶器であるナイフのほうが飛んできたかのどちらかだ。
 けれど、たとえば被害者を発見現場に立たせ、紐のようなものをナイフに括り付けて飛ばしたとしても、あんなに深々と突き刺さることがあるだろうか。ほとんど柄のところまで到達していた。よほど体重をかけねば入り込まないだろう。
 そういえば彼はバスケ部だということだったけれど、バスケットボールにナイフを括りつけたらどうかと思いついた。しかし、球状のものにどうやって括り付け、どうやって狙いを定めるのかがわからない。回転してナイフがうまく被害者のほうを向かないでキャッチされるか地面に落ちるかのどちらかだろう。
 ちなみに、言い忘れていたがこの空き地にはバスケットゴールがある。空き地なだけで、誰かの所有ではあるのだろう。もしかしたら、被害者も幼い頃からここで友達と練習に明け暮れたのかもしれない。純粋に友達と呼べる仲間がいたかどうかは甚だ疑問だが、何にせよ今現在の被害者の身長から見て、そのバスケットゴールにぶら下がることは容易そうだ。
 ただ、ぶら下がれたとしてなんだというのか。ぶら下がった彼にナイフを突き立てることが可能かといわれれば、まず無理だろう。一番近いのは空き地に向かって左側、バスケットゴールを背にした位置の家の窓だろうが、たとえそこからであっても被害者の胸の位置まで届くはずがないし、そもそもなんと言って被害者をぶら下がるよう仕向けるかが問題だ。それだけではない。バスケットゴールは空き地のやや左寄りにあるので、もしもあらゆる疑問を置いておいたとしても結論として倒れ位置が中央になることはないだろう。
 そうだ、と唐突に僕は天啓を得た。土地の所有が誰かわかれば、自ずと犯人は見えてくるのではないか。お母さんの名前を知るための術がこんなところで役に立つとは思わなかった。
 僕は早速、法務局に行って土地の所有者を調べた。そこに載っていた名前は、ある男性のもので、それを頼りに表札を確認すると、空き地の裏の家に同じ名前を見つけた。小さいカーポートの中に、旧式のワゴン車が窮屈そうに停まっている。どうやら夫婦と息子の三人家族らしい。息子があのバスケットゴールを使ったのだろうかなどと考えながら、僕は周りを囲む塀と家との隙間を通って裏へ回ってみた。静まり返ったその家中に人の気配を感じなかったからだ。
 裏に回るとちょうど裏の空き地の塀の高さと、家の窓の高さが大体同じことがわかる。塀の高さはしかし、両脇に比べてなぜか高くなっている。そのせいか、こちらからでは空き地の様子が全く見えない。逆に向こうからもこちらは見えないので、不法侵入がバレることもないわけだが。
 そして、これまたなぜだか厚い木の板が数枚塀に立て掛けてあった。何に使うのかわからないが、無駄に丈夫そうである。よく見てみると、組み立ててあった何かを解体した後のようだった。釘が刺さっていたような、小さな穴がある。
 僕はシミュレーションしてみようと天を仰いだ。その時、どさりと音がして思わずそちらを向いた。
 屋根の上の雪が落ちた音だった。ちょうど空き地から見てバスケットゴール側とは反対の、右側の家が三角屋根で、そこから落ちたらしかった。
 そうか、それだ。あそこの上から滑り落とせれば、高さから考えて人間ならばちょうど空き地の中央に落ちるかもしれない。
 僕はすぐにその家の敷地を出て、裏に回る。
 刑事たちは再びこの現場に来ていたらしく、僕の姿を認めると徐に近寄ってきた。
「また何か?」
「トリックを思いつきました」
「はあ?」
「あなたがたもお悩みでしょう?」
「余計なお世話だ」
「あの屋根ですよ」
 僕はお構いなしに続けた。ここで問答している暇はない。僕は言いたくて言いたくてしかたなかったのだ。
「君ねえ。そんな机上の空論・・・」
「あぁ、いいいい。もう放っておけ。どうせ答えは出てるんだ
「はい」
 一通りの推理を披露し、僕は満足した。
 その場を後にする時、ふと視線を感じた。あの裏の家からだと思う。けれど、別に気になりはしなかった。僕はそこはかとない達成感と幸福感に包まれながら、帰路についた。
 それから少し経ったが、僕は日常の生活を取り戻しつつあった。あの殺人事件が解決したかどうかは知らない。ニュースも観ていないし、もう興味もなかった。
 ただ、あの頃からやけに突き刺すような視線を感じる。周りを見ても特に怪しい人がいるわけではないのだけど、ずっと見られている感覚が落ち着かない。でも、その落ち着かなさがよかった。これぞ非日常的なスリルだと思う。僕は意味も目的もなく出かけては、その視線の主を探す日々を送っていた。
 しかし、一向に正体が掴めない。それも僕にとっては願ったり叶ったりだった。こういう日が続けばいいとさえ思う。
 この頃、僕はようやく気づき始めていた。祭りは準備する時が一番楽しいように、謎は解けない時が一番楽しいのだ。このまま解けなければ、僕はいつまでもこの感覚に浸っていられるのだろうか。それに、視線を感じ始めたタイミングから見てあの殺人事件と無関係とは思えない。探偵役が危険な目に遭うとしたら、真相に近づいた時と相場が決まっている。これだからやめられないのだ。
 そんなふうに嬉々として道を歩いていたある時、住宅街の小さなT字路に差し掛かった瞬間だった。
 何かが迫ってくる音がした。Tの横棒の壁に沿って歩いていた僕の右側、縦棒のほうから猛スピードで車が近づいてきて、車と壁との間に挟まれたらしい。衝撃はあった、けれど痛みは感じなかった。あまりにも一瞬のことで。大きな音もしたと思うけれど、この辺りはあの森がある公園に程近く、今となっては空き家も多かった。しかも日中とあれば、ほとんどの人が出払っていただろう。
 かくして僕は、ここで命を喪った。
 どこか遠くでクラクションの音が、長く強く鳴り響いた。

『選択の時間です。君はこの殺人事件に関わったか否か──。関わったと答えた場合はこのまま“走馬灯“を終了し、採点に移ります。関わらなかったと答えた場合は、選択肢変更と見做し、シミュレーションに入ります。さあ、解答をどうぞ』
 御霊司の中性的で無機質な声が脳内に直接流れ込んでくる。僕は自分の亡骸を見下ろしたまま、口を開く。
『僕は・・・・・・った』
『もう一度、お願いします』
『僕は、関わった。この殺人事件に関わった』
『──承知しました。では、君の“走馬灯“を終了します』









しおりを挟む

処理中です...