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優秀ではあるけど有能ではない

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 さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。まもなく年度末、卒業式や合格発表、確定申告にお彼岸とやること盛りだくさんで、てんやわんやの方もいらっしゃるかもしれませんね。
 来月になれば新年度。新しい人事で上司が変わったり、部下が増えたり、新入社員の教育係なんて方もいるでしょう。ところで、社会人として、もっと言うとその職場の社員として、一人前とは一体どこからなんでしょうか。一通りの仕事が満足にできるには、一年では足りないという職務内容だってあるでしょう。入社して数週間数ヶ月でこんなこともできないのかと言われたとしても、物覚えの早さや手際の良さは人それぞれです。もちろんそれに甘えるだけでは成長しませんが、社員一人一人のペースも把握できない部署は、仕事の上でも何かと見落としがちなのではなんて先行きが不安になるものです。そんなところで一人前になれと言われても、気力も削がれるし、何より楽しくありませんよね。
 決して「怒らないこと」が『良い上司』ではありませんが、怒ってばかり苛々してばかりの上司がいる部署は、全体的に空気が重く、周囲からも敬遠されがちになります。しかも、理不尽な怒り方をする上司は思いの外多く、そういう人の下では「仕事ができる人」以上に「要領がいい人」が気に入られる傾向にあるでしょう。皆さんも身に覚えがあるのではないでしょうか。仕事の完成度は5割でも、要領が良く、気付けば自分より出世しているみたいな。
 こんなふうに会社というのは不思議なもので、仕事ができるできないと、出世するしないは比例しないのが常なんですよね。
 「あの歳で部長なんて優秀なのね~」なんてよく言いますが、「有能なのね~」とはあまり聞かないですよね。「有能」が仕事内容に関しての部分に限定される言葉だとしたら、「優秀」というのはもっといろんな含みを持った言い方で、たとえば上司への取り入り方がうまいとか、取引先との接待で評価を上げるとか。まぁもちろんそういう仕事も会社の中で重要な要素ではあります。誰かがやらなければならないことですし、その人がいるおかげで周りが楽になるとも言えますから。
 でも、純粋にこういうお仕事をしたいと入社したのに、ただ自分より器用だからという理由で、特に志も思い入れもない人が出世していくのはなんだかなぁという人もいるかもしれません。
 辛辣なことを言うかもしれませんが、「上に行く人は現場でできることがないから上に行かされる」という持論を友達に聞かされたことがあります。ある種やっかみもあるのでしょうが、なるほどなと思う部分もあります。仕事内容もそうですが、周りとうまい関係を築けない人も、その中には含まれるのでしょう。たとえば年下や後輩を見下しがちだとか、極端な男尊女卑とかね。つまりそれが「優秀ではあるけど有能ではない」ということだと個人的には思っています。頭はいいのかもしれないけど、それが能力に活かされていない。だから、現場と管理職はいつまでも分かり合えないなんて現象が生まれたりもするわけです。現場の仕事を知らなければ、いくら現場のためお客様のためと思考を巡らせても、空回りに終わります。もっと現場の声を優先してくれたらいいのになんて、思う方も多いはず。せっかく頭はいいのだから、その能力を別のところに使ったほうが~と思わせる人もいますよね。
 私が就職活動をしていた頃、就活で、いや社会人になるにあたって、一番大事なことは『コミュニケーション能力』と勉強しました。当時は「コミュニケーション能力とは?」と思っていましたが、今となってはその通りだなと実感します。とにかく良い職場にするなら同僚や上司、部下との関わり方は最重要課題です。もちろんお客様や取引先との関係も大切ですが、やっぱり毎日一緒にいて同じ目標に向かって仕事をするメンバーとのコミュニケーションがない部署は、長続きしません。部署が、ではなく、部署にいる人たちが。入れ替わりが激しいとその分仕事は進まないわけで、結局のところ先細りするだけです。
 人間関係がストレスなく回る会社というのは本当に数少ないと思います。たとえ少人数でアットホームな職場だとしても、一人やふたり相性の合わない人はいるものです。そういう人たちとどれだけ適切な距離感で接することができるかが、全ての鍵なのでしょう。そして、良くも悪くも人事権のある上司に気に入られるのも『コミュニケーション能力』の賜物です。なまじ話し上手だったり聞き上手だったりすると、周りからは特段苦労もなく出世してるように見えたりもしますよね。本人には本人なりの悩みがあるかもしれませんが、やはり羨ましく見えるものです。
 逆に、管理職や出世に興味のない人は、そういう能力に長けたリーダー向きの人がいるからこそ、のんびりじっくり仕事に向き合えると思うかもしれません。
 そう考えると、周りから「有能なあの人がトップに立てばいいのに」と言われる人がいざ最高責任者になった時、その会社は意外と保たないかもなぁなんて思ったりすることがあります。ブラック企業とは全く別の意味で、会社というのはホワイトな部分だけではおそらく生き残ってはいけない存在だと、大人になって思うからです。
 仕事ができて優しくて、部下にも親切。だけど、そういう人はきっと誰に対しても優しいのです。だから、冷静で冷淡な判断ができなかったり、お客様のためならととことん頑張ってしまったり。会社に限った話ではありませんが、要求というものはあるところで線を引かないと際限なく応えなければなりません。
 もっと厄介なのは、その線引きができず、かつ部下にも厳しいタイプのリーダーかもしれませんね。それは無理だと現場が声を大にしても、一人の力で抑えてしまえるわけですから、なす術なしです。せめても「上にはイエスマンで、下にはノーマン」なんて皮肉を飛ばすのが精一杯でしょうか。
 とにもかくにも、自分の中の光と闇をうまく使い分けられ、かつ『優秀』と『有能』を兼ね備えた人が、最も上に立って成功する人なのでしょう。ですが、世の中そんな完璧超人はなかなかいません。
 どれだけ完璧に見える人でも、少なからず弱点はあります。人と比べるものではありませんが、きっとその人にはできなくてあなたにはできることが必ず一つはあるはず。どんなに小さなことでも、どんなに相手にとって必要のないことでも。だから、私はあの人より劣っている、あの人よりできない人間だ、とは決して思わないでください。
 『あの人はあの人』、『あなたはあなた』です。
できなくてもいいんです。完璧でなくていいんです。
 たとえば、あなたにはあの人に見えないものが見えるかもしれない。あの人に聞こえない誰かの声が聞こえるかもしれない。自分の手の届く範囲でいいんです。その人に手を差し伸べることができれば、ほらあなたにも、あの人にできなくて自分にできることがあるでしょう?
 さて、そろそろお別れの時間です。社会人の皆さんも、学生の皆さんも、新しい生活へ向けて明日も小さくても確かな一歩を踏み出せるといいですね。では、また来週お会いしましょう。深見小夜子でした。





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