上 下
4 / 6
第一章

♯4

しおりを挟む
時間が足りないが口癖らしい。
何度もそうぼやきながら、忙しく馬を走らせ続けるジュジさんを尻目に、マユが入れた紅茶に口をつける。
髪を一つにまとめ、髭を顎に蓄え、加えて鋭い目付き。
容姿からして職人気質のこの老人をマユが紹介してくれた。
住んでいただけはあって知人は多いらしい。職業は当然、商人だ。

次の街までの距離を考えれば、馬車での移動が望ましいと思っていた。
取引ついでにと、了承してくれたジュジさんに感謝しつつも、この空気は少し居づらい。
所謂荷馬車は順調に距離を稼いでいる様に見える。
荷台の荷物も衣類が多く、私達二人もそこまで重くはない。
商業の街を出て少し。
既に、時間にそこまで余裕がないなら悪かったなと思い始めていた。

そんな私に唐突に声が掛けられる。

「嬢ちゃん」

「え、あはい」

声が上ずってしまった。
馬に向け鞭をふる背中はどう思ったのだろうか。
ジュジさんは振り向かないまま続けた。

「嬢ちゃんは何かしたのか?」

「・・・旅人はしていますが、特に理由はありません」

「・・・そうか」

理由はある。けれど言うのは躊躇われる。
ジュジさんはそれっきり、会話を続ける事はなかった。
流れる風景を眺めていたマユは空気を察したのか、顔を寄せ言う。

「別に深い理由もにゃいでしょ」

「そうかな?」

「うん。時間がどーのも気にしにゃいでいいって。いつもあれ言うから」

「うん」

紅茶を飲む。
マユの言う通り気にしない事にする。
どうせ短い付き合いだ。
一々気にしていたら疲れてしまう。
冷めた紅茶も美味しい。今はそれでいい。


━━━━━。


宿の中で、マユの半ば強引な旅への同行が決まった。
商業街では雇われの傭兵として、商人の警護をしていたらしく、後腐れは無いらしい。
変な意味で身の危険は感じるが、マユの性癖を除けば、充分信頼できる人だ。
私はシークが宿に戻っていると予想し、泊まっていた宿に向かう。

結果から言えばいなかった。
けれど、代わりに置き手紙が部屋のテーブルの上にあった。
そこには、急用が出来た事。ここからかなり距離がある街に向かう事が書かれていた。
また会う事を望んでいると締められた手紙を見て、正直そこまで心配はしていない。

おっぱいがどーので、流石のシークも騙されないだろう。
私がはけさせたあの時に、きっと何かあったんだ。
元から短い付き合いになると思っていたし、私の目的に付き合わせるつもりもない。
それにあの腕があれば、誰かに危険に晒される事もないだろう。
それになにより、まだあの言葉に対しての解答は出ていない。
距離がある間に、もう少し考えてみよう。

で、それから二日程滞在して今に至る。
正直、危険に晒されたのは私の方かもしれない。
現在進行形で胸の辺りを撫でられている。

「やめなさい」

手を振り払う。
舌をちろりと出す猫娘と目があった。

「ひめが悪い。だって近くにひめの胸があったら触るでしょ?」

「触るでしょ?じゃない。一般常識ですみたいな顔しないで」

夜になっていた。
夕方まで馬を走らせ、それから夜営をする事になった。
荷台の上を私達二人で使い、ジョジさんは少し離れた位置でテントを張った。
見張りは交代制で私達二人が請け負った。

荷台上で先に眠らせてもらっていた私は、胸への違和感で目を覚ました。
寝袋の中で見上げた夜空。
見慣れてしまったけれど、悪くはない。
隣の人に節操があれば尚良いのにと思う。

「ひめ、交代してもらっていい?時間だけど」

「うん」

マユに了承し、荷台から降りる。
私の香りがどうとか言いながら、私の使っていた寝袋に入るマユを確認し、焚き火の前で腰をおろした。
自分のがあるだろうとは、呆れて言えなかった。

揺らめく火を見つめる。
枝が弾ける音が断続的に鳴るだけで、夜に異変はなく、時間がゆっくりと過ぎていく。
街までは明日の昼には着くらしい。
ソーレで足した備品はそこまで消費していない。
また数日滞在して、街を出る際に補充すればいい。
次の街は鍛治の街だ。近くに鉱山もあるらしい。
装備に不満はないけれど、今の物より軽くて扱い易い物があれば購入を考えよう。

等と、次の街について考えていると、人影からこちらにのびてきた。
ジュジさんだった。
両手にカップを持っている。

「飲むか?」

差し出されたカップを受けとると、少し距離をとって、ジュジさんは隣に腰をおろした。
カップの中身は珈琲みたいだった。
紅茶に砂糖を多く入れていたのを見ていたのか、強い甘味がした。

「旅して長いのか?」

相変わらずの声色だけれど、昼間に聞いた時よりは穏やかに感じる。

「いえ。まだ全然です」

「そうか」

会話が途切れた。
会話にしては短すぎるやり取り。
別に喋る方ではない。ジュジさんの言葉を待った。
ぽつりぽつりと吐き出される言葉は、ジュジさんの独白だった。

「時間が足りないんだ。この世界で男が何かを成すには、膨大な時間がいる」

カップを見つめる。
言う通り、女性が優遇されている。
地位のある女性に支持されれば恩恵もあるかもしれない。
けれど、今、それは望み薄だった。

「あの街はましな方だ。腕をみせればある程度は評価される。俺が生まれ育った街は、絵に描いた様な女尊男卑の街だった」

女性を重んじ男性を見下す。
今の世界を表した言葉だ。

「両親は優しかった。両親だけはな。ガキながら感じたよ。女が上。男は下。女は美しい。男は美しくない」

「凝り固まった概念が縛るんだ、俺を。何が出来るかは生まれた瞬間に決まる。男の俺は足掻くしか出来ない」

「悔しい思いも直ぐしなくなった。感情が死んでいった。笑い方が思い出せなかった」

長く言葉を紡ぐ。
虚空を見つめながら。
何を思ってるんだろう。

「親方が死んだ。嬢ちゃんの歳ぐらいの時に世話になってた人だ。役人さんから死んだと報告をもらって愕然とした。殺されたんだ。理由は思い付く。男の客を女より優先したから。それだけだ」

「変えてやろうと思った。同じ様に肩身の狭い商人仲間から聞いた夢物語。価値観を変える魔術の話。それにすがる事にした。まだ若い。時間はあるからって」

「で、今。もう七十歳だ。あの時から進歩した事はある。得た情報もある。でも成していない。魔術は得ていない」

「少しずつ歩みを続けてる。だが、ぎりぎり間に合わない様に調節されてるみたいな歩みなんだ。まるで世界が遊んでるみたいなんだ」

そこで言葉が止んだ。
どうしたと横を見れば目があった。
焚き火が写された瞳。泣きそうな瞳。
目の奥は、夜の色に似ている。

「あんたは綺麗だな。今まで出会ってきた女の誰よりも綺麗だ」

「・・・そんな事ないです」

そんな事ない。

「いや、綺麗だよ」

何かを放られた。
受け止めたそれは布切れで作られたハンカチで、その時、やっと自分が泣いている事に気付いた。

「猫娘もそうだが、嬢ちゃんは異質なんだよ。この世界で俺みたいな奴のためには泣けないんだ。普通の人間は泣けないんだ」

「嬢ちゃんは見ないんだ、俺を。俺が見慣れた瞳で。あんたは異質だ。だから話した。だから渡そうと思う。その綺麗なあんたに」

また放られた。
ボタンで留められた日記帳の様だった。
年期を感じるそれに、今までの成果が詰められている事が直ぐに分かった。

ジュジさんは既に立ち上がっていた。
見上げた背中は真っ直ぐのびている。
歩みもしっかりとしている。

「嬢ちゃんはそのままでいてくれよ。それだけで助かる人間がいるからよ」

最後に投げ掛けられた言葉。
笑っている様に聞こえたのは気のせいだろうか。


━━━━━。


朝を迎えて動き出して昼。
予定通り街に着いた。
門の中で滞在日数や入門理由等の審査を受け、街に入る。
ジュジさんとはそこで別れる事になった。
交わした言葉は無かったが、昨晩充分に済んでいた。
口癖はもう言わなくなっていた。
ずっと変わらずいれるかは分からない。
けれど、変わらない様にする事は出来る。
今の私が出来る精一杯をしよう。


「うにゃあーっ。相変わらず煙臭いっ」

「マユは来たことがあるの?」

「うん。傭兵でね。正直不安にゃけど。特にひめは」

「え?」

「まぁ、その内分かるから。とりあえず宿探そう!」

鍛治街ヴェルメ。
そこかしこから響く鉄を打つ音が響き、聳え立つ煙突から煙が吐き出されている。
街並みは無骨で、彩りの無い簡素なもの。
黒煙に紛れている空の下を、浅黒い肌の鍛治工達が生活している。
強い女性。働く女性。酒好きな女性。
前情報で知ってはいたが、確かに凄い。
忙しく働き、笑い、周りには酒瓶。
私とマユはかなりこの街から浮いている。

手頃な宿を手早く見つけ、さっそく街を見て回る。
宿の店主もそうだけれど、妙な視線を感じる。けれど、慣れしたんだ視線にも感じるのはなんでだろう。
と、この理由は直ぐに分かる事になる。

「いくらだ」

「え?」

「いくらでヤらせてくれる」

「え?」

適当な鍛冶屋に入った。
売店と工房は軽くしか仕切られず、炉の熱で店内は暑い。
立て掛けられた武具は、一目見れば上物だと分かった。
握っても良いかと店主に頼むと、唐突に胸を掴まれ、性交渉を持ち掛けられた。

あまりに唐突で固まっていると、マユが叫び声をあげながら、店主の手を払った。
耳も尾もそそり立っている。

「だめだよ!ひめは私専用!私がヤるのっ!」

ヤらせないけども。

「別にいいじゃねぇかっ!言い値を出す!その柔らかでかぱいで挟んでくれや!」

「挟むものにゃんてにゃいでしょ!それにこれも私のっ!」

つかまないでほしいんだけども。

「えー。見た感じ旅人だろ?身体売ってんじゃねぇの?この街じゃ山程儲けられんだろ?」

「売ってにゃいっ!」

「なんならあんたでもいいけど。奉仕しろや」

「こんにゃろーっ!」

酷い。店主もマユも。

この街の女性は、女性を好むらしい。
野党までは酷くはないが、美しい女性像から離れた性格。
初めて出会うタイプの女性に戸惑う。
マユが言っていた不安はこれだったらしい。確かに不安が募る。

煽り会うマユの手を引き店を出た。
まだ熱が冷めない様子のマユの頭を撫でながら思う。
最近馴れて来ている同性愛。
確かに、故郷の魔術の件もあり、男性と交わる女性はほぼいない。
女性にそこまでの抵抗はないし、この世界では普通になりつつあるが、どうなんだろう。
なんて頭を悩ませていると背中から声が掛かる。
しかも私でなくマユにだ。

「もしかしてマユ?」

声の主は、この街らしくない女性。
焼けていない肌と粗っぽくない口調。
作業用のつなぎでない、普通の衣服。
私達と同じく、この街では浮いて見える。

「・・・ナムちゃん?うわっ、久しぶりにゃー!」

声に気付いて応えるマユ。
ころりと表情を明るくさせ、ナムと呼んだ女性に抱き付いた。
女性の方も慣れた様子で受け止め、笑顔をうかべている。
妙な親密さを感じて二人に関係を問うと、平然と女性がこう答えた。

「元恋人なんです。マユは」

どうなんだろう。本当にどうなんだろう。
開放的な恋愛感に目眩がした。
それが一般的だと聞いてはいても、受け入れきれていない私には、見ていられなかった。
しおりを挟む

処理中です...