翠雨の音✴︎短編集✴︎

ねむりありす

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06 黒い鞄

その2

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「おはようございます。」

男は深々と丁寧なお辞儀をした後、黒い名刺入れから黒い名刺を取り出して差し出してきた。
渡された黒い名刺には白文字で『不用品 回収』とだけ書かれている。
「おはようございます。
 お宅にございます不用品を回収させていただいております。
 我々はどのようなものでございましても良心的に回収いたしております。
 奥様、何かございませんでしょうか?」
ゆっくりと落ち着いた静かな低い声で男は話した。
私は訝しげに黒い名刺へ目を落とす。
瞼を上げると無表情で特徴のない男の顔がシーラカンスのように映った。
「ごめんなさい。そういったものは無いのでお帰り下さい。」
「本当に?何もございませんでしょうか? 我々は決して無理強いは致しませんですが……。」
男の不自然で不必要な丁寧言葉は、砂の中へ何か大切なことを隠すためにわざと選び抜かれた言葉のように聞こえた。
玄関を出ていこうとしない無表情で特徴のない男の顔を眺めていると頭の中へあるモノがぼんやり浮かんでくる。
しっかりカタチづくられる前に打ち消そうと男に気付かれ無いように頭を微かに振った。
「本日、こちらに上品に仕立て上げられました黒い鞄をお持ちいたしております。
 もしご不要な鞄がございましたら交換可能でございますがいいかがでごさいましょう?
 もちろんお代はいただきません。
 あくまで交換でございます。」
やはり無表情のまま男は言うといつの間にか現れた大きな袋の中から黒い鞄を取り出した。
差し出された黒い鞄はとても上品で高級そうだったが、どこか異様な雰囲気を醸し出している。
ただ単に何とも捉えどころの無い男が差し出しているからなのかもしれない。
不思議と私の手が吸い寄せられるように伸びてゆく。
私の様子をじっと眺める男。
満足げな男の表情が瞼の端に映ったような気がした。
「明日、ご不要になられた鞄を回収に伺います。
 もし交換の必要がございませんでしたら、そちらの鞄をお返しいただければ結構でございます。
 一晩、よくお考えになって下さいませ。」
と言い残し、波が引いてゆくように玄関から姿を消した。
あまりにも唐突で、あまりにも奇妙で、あまりにも怪しい取引にしか思えないので、明日になったら返そうと黒い鞄はとりあえず部屋の隅へ置いておくことにした。

時間はドロリと過ぎていく。

陽が沈み夜が降りてきた。
子供に食事を与え、お風呂へ入れて、寝かしつける。
帰ってこない夫からは何の連絡も無いまま夜は深く濃くなってゆく。
いつものように夕飯がゴミへと惨めに変わる。
午前二時を過ぎても帰ってこない夫を待つことを諦めて布団に入った。

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