(仮)あの頃〜兄の友人、美しい幼馴染。別れと再会

ピアノ

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旅立ち

碧伊は、早く家を出たかった。
出なければならないと思っていた。

戦争が終わって、兄が戻ってきた。

実家は、兄が継ぐだろう。自分は、ずっと居ることはできない。

兄は、

「ここに居てもいいんだぞ」

「自分たちは血が繋がっていないから、結婚してもいい」

と言っていたが、まとわりつくような視線がいやだった。


彼女はちょうど、戦争中に結婚年齢だったので、世間的には適齢期をすぎていると言われる年齢だ。

妹の翠もいるし、早く長女の自分から、動かなければ、とわかっている。

 
すでに、母や親戚などから、縁談を色々持ち込まれていた。
何か、気が重い。


そうした中、茶道の先生を通じて申し込まれた話があり、それを、碧伊は自分から受けてみることにした。


その話の男性は、この町の出身だが、仕事の関係で、名古屋や東京に行き、結婚したら、二人で勤務地で暮らすことになるという。

周囲の煩わしい人間関係が苦手な碧伊にとって、全く新しい環境で、自由を得られる機会のように思えた。


早速メープルホテルでの食事会が整えられた。

メインダイニングではなく、別の一室で、行われた。

先方の人々は、会食の部屋に入ってきて、初めて碧伊を見ると、息を呑んでいた。

「お話には伺ってたけど、こんなに綺麗な方とは」

連れの人たちは、そう言った。

お相手の人物は、会ってみると、碧伊より5歳年上で、洗練された立派な男性だった。
そして、碧伊は、次の自分の人生に踏み出す決心をした。
自分の居場所を手に入れたかった。

これまで、彼女は、異性の好意を得るために、努力をしたことがなかった。
何もしなくても、好意はそこらじゅうにあった。
ただ、なぜか彼女が気が進まず、受け入れて来なかった。


でも今回は、碧伊が先方の好意を受け入れたので、すべてが順調に進み、あっという間に結納、結婚式の日取りや段取りまで、周囲が喜んで決めてくれた。

兄は、結婚が決まってからは、刺々しくなった。


夫になる人とは、あの後メープルホテルのもみじのある庭を、2人で歩いた。
そして、ぜひ一緒に来て欲しいと言われた。


その後、仕事がある彼は、名古屋に戻って行った。

結婚式をこちらで挙げた後、碧伊も一緒に、名古屋に行く予定だ。


結婚式の前日、遠方に住んでいる従姉妹たちは、メープルホテルに前泊し、碧伊も久しぶりに会う彼らと、ホテルで食事をしていた。

式は明日、神社で挙げて、その横の有名な料亭で、披露宴を行う予定になっている。


碧伊が、明日に備えて早めに帰ろうと、従姉妹たちをホテルに残して、玄関ホールに出たとき、同じように、ダイニングから、見覚えのある人たちが出てきた。




夫人の方は、背の高い碧伊に気が付いていたようで、会釈して、こちらへ近づいてくる。

そう言えば、家も近くなのに、最近ずっと会っていなかったし、久しぶりに会うような気がする。

2人は、和史の両親だ。

夫妻で食事に来ていたのだろう。


2人は、息子の子供の頃からの友人の、碧伊のことはよく知っている、優しい人たちだ。

「碧伊さん、お久しぶり。今日は、お食事会か何か?」


「はい、ご無沙汰しています。そんなところです」

碧伊は言った。


そして、

「・・あの、和史さんのその後のことは・・・」

何か少しでも、進展があったのかと、安否を尋ねた。


「いえ、まったく。終戦になって何年も経つのに、まだ生死もわからないんです」


「そうですか・・・」

実は、和史の安否がわからない、ということは、ずっと聞いていた。

辛い思いをしているだろう二人に、これは別の話だとはいえ、自分は明日、結婚式だと、碧伊は告げる気にはなれなかった。

近所なので、間もなく知るところになるだろうが。

「碧伊さん、お会いできて良かった。お元気でね」

和史の母はそう言って、辛そうではあったけれど、優しく言って立ち去った。

母親の顔には、和史と同じ面影があると、初めて思った。

彼の母親に会ったことで、碧伊は、何年も前のことを、再び思い出した。

和史は、生死もわからないという。
多分、戦死したと考えるのが普通だという人もいた。
もし、そうなら・・・
彼はどのように戦地で生き、最後のときを迎えたのだろう。

しかし、碧伊は何故か、和史が戦死するといった考えは全く思い浮かばなかった。
彼は、どこかで、彼らしく生き延びているような気がしていた。

和史に

「手紙を書いてね」

と言えば良かったのか、と思ってみたりした。

少なくとも、途中までの足跡がわかったかもしれない。

いつものように、何も言わずに、本当に淡々と別れを告げた、びわ色の道が、ずっと心残りだった。


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