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第一章

正しい獲物の誘い方

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 店の中へ足を踏み入れた栗丘は、まず部屋の内部をキョロキョロと見渡した。
 一見したところ、特に何の変哲もない昔ながらの個人商店だ。

 近くにあやかしのいる気配はない。
 だが、御影の言葉を信じるなら、この斉藤という男の体の中に『ソレ』は隠れている。

「どうぞ、座ってください。今お茶を淹れますので」

「あっ。いえ、お構いなく」

 もともと中でゆっくりするつもりはなかったのだが、斉藤があまりにも強く勧めてくるので断り切れなかった。

 店の奥には一段高くなったところに畳の部屋があり、その先は居住スペースになっているらしい。
 栗丘は畳の端に腰を下ろし、いつでも動けるように足だけは店の方へ出しておく。
 畳の部屋の真ん中には小さめの座卓があり、そこへ斉藤がお茶を載せた盆を持ってきた。

 この男の中に、あやかしがいる——。

 御影の言った、この男の抱える問題を解決するというのはつまり、彼の中に宿るモノを引きずり出して退治する必要があるということだ。
 ならば、まずはどうすればソレが正体を現すのかを探らなければならない。

 有効な会話の切り出し方に悩んでいると、そこへ助け舟を出すように斉藤が口を開く。

「栗丘さんは警察官ですから、お仕事は大変でしょう。近頃は日本もどんどん治安が悪くなっていますし、時には凶悪犯と対峙することもあるのではありませんか?」

「いやあ、私は末端の人間ですので。それほど重大な事件の現場に呼ばれることはなかなか」

 謙遜も含めてそう言いかけたところで、ふと気づく。

(そういえばさっき、ひったくりに遭った時……)

 交番前で例のパンク系少女に財布を盗まれた時、まるで別人のように豹変した斉藤からは確かにあやかしの気配がした。

 ——抑制が効かないんです。本当に、まるで誰かに操られているような気がして。

 強すぎる正義感からつい感情的になり、抑制が効かなくなったあの瞬間、あやかしの気配は確かに現れた。
 ということは、もしかするとそのあやかしは、斉藤が己の感情をコントロールできなくなった瞬間に尻尾を出すのではないだろうか。

 ならば、と栗丘は今度は自分の方から質問を投げかける。

「斉藤さんって、とても正義感が強いですよね。それ自体はとても素晴らしいことだと思います。でも、さっきのアレはちょっとやり過ぎじゃないですかね?」

「さっきのアレ、といいますと?」

「ほら、さっき私の財布が盗まれそうになったとき、犯人の女の子を乱暴に扱ってたじゃないですか。あれはさすがに過剰防衛ですよ」

「……急にどうしたんです?」

 案の定、その話題を振った瞬間に斉藤の顔つきが変わった。
 それまで穏やかだった目元は吊り上がり、まるで不満があるように口をへの字に曲げている。

 と同時に、やはりあの気配が漂ってきた。

 警戒する栗丘に対し、斉藤は詰め寄るようにして畳の上で膝を寄せてくる。

「まさかとは思いますが、栗丘さんは、ああいう輩を野放しにしておけと言うのですか?」

「いや、まあ、そういうわけじゃないですけど」

「犯罪者も、犯罪者予備軍も、この国には腐る程いるんですよ。だから誰かが制裁を下さねばならないのです。あのひったくり女だけじゃない。昼間の鉄板焼き屋にいた奴らもそうです。一人は自分の妻を殴るDV男。そして周りでそれを見ていた人間は、みんな見て見ぬフリをしていた薄情者たちです。あの構図は、学校や会社などで問題視されているイジメやパワハラと同じです。実際に暴力を振るった人間も、そしてそれを見て見ぬフリをした人間も、みんな加害者なんです。そんな輩を、よりによって警察官であるあなたが大目に見ろと言うのですか?」

 栗丘の狙い通り、彼の体から発せられるソレの気配はどんどん濃さを増していく。
 もうひと押しだ、と栗丘は慎重に言葉を選ぶ。

「まあ、警察官もヒマじゃないですからねえ。そんな些細なことにまで構ってられませんから」

「嘆かわしい……。警察もこの国も、全てが腐り切っている!」

「ほんと、ほんと。どこの組織も腐ってるんですよ。中にはただただ嫌味を言うだけで周りからエリート扱いされてるような生意気な奴もいるってのに、そういうのも野放しです。世の中そんなもんですよ」

 誰のことかはさておき、栗丘がつい調子に乗って愚痴を織り交ぜていると、やがて斉藤は我慢の限界に近づいてきたのか、ふるふると両拳を震わせながら悔しげに俯いていた。

「……つまり警察の一員であるあなたも、そういう腐り切った人間の一人ということですか」

「いやぁ、私はまだマシな方だと思いますけどねえ。本当に酷い奴ってのはこう、人のコンプレックスを惜しげもなく刺激してくるような極悪非道の……」

 そこまで言った時、栗丘は不意に訪れた喉の違和感によって、その先の言葉を続けることができなかった。
 怒りの頂点に達した斉藤が、突如として伸ばしてきたその右手で、栗丘の細い首をしっかりと掴み、そのまま畳の上へと仰向けに叩きつけたのである。
 

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