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第二章

白いもふもふの本気

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 さすがにこれは助からないかもしれない——と、栗丘は自らの胸元を見下ろしながら思った。

 手長という名のそのあやかしの胴体は、限りなく人間の形に近かった。
 しかし、能面のようなその顔の口元だけは大きく裂け、剥き出しになった鋭利な牙は栗丘の心臓のみを狙っている。

 ぷつり、と皮膚を破られる感覚とともに、牙が体内へと侵入してくる。
 このまま心臓を貫かれて自分は死ぬのかと、迫り来る恐怖に栗丘はギュッと目を瞑った。

 だが直後。
 閉じたまぶたごしにでもわかる強い光が眼前に広がり、反射的に再び目を開く。

 光を放っていたのは栗丘の胸ポケットだった。
 まばゆい光を放ちながら、『それ』はポケットの中からずるりと這い出てくる。

 ガアアッと虎のごとく咆哮を上げ、『それ』は真っ白な光をさらに増幅させて巨大な獣の形へと変化した。

 栗丘の体の何倍にも膨れ上がったその白い巨体は、狼のように尖った口をがばりと開け、敵の頭と胴体を一瞬で丸飲みにする。
 そのままブチブチと固い音を立てながら、長く伸びていた二本の腕はいとも簡単に引きちぎられてしまった。

「…………な……。…………えっ?」

 あまりにも一瞬のことで、やっと我に返った栗丘は遅れて目をしばたたく。
 隣で床に倒れ込んでいた絢永も、手にした銃を構える間もなく放心していた。

 やがて頭と胴体を失った二本の腕はどさりと床に落ちると、そのままサラサラと砂のように崩れて消えていく。
 その様子を見届けてから、眩い光を放つ獣は本来の手のひらサイズに体を収縮させ、栗丘の胸ポケットへと戻っていった。

「キュッ!」

 と、可愛らしい声を上げて『それ』はポケットから顔だけを出す。

「キュー太郎。今のは、お前なのか?」

 栗丘の質問に答えるように、小さな白いもふもふは「キュッ」と短く鳴く。
 それを肯定と取った栗丘は、途端に顔全体を綻ばせて自分の胸ごと彼女を抱きしめた。

「すごいぞキュー太郎! お前、そんな力があったんなら早く言ってくれよー!!」

 あやかしはもはや跡形もない。
 無事に勝利をおさめた喜びを全身で表現する栗丘の隣で、絢永は未だ床にへたり込んだまま小さく呟いた。

「御影さんの式神だとは予想していたけれど、まさかここまでとは」

「ん? 何か言ったか?」

 何でもありません、とぶっきらぼうに答えながら、絢永はやっとその場に立ち上がった。
 そんな彼に栗丘が気を取られている間に、もふもふは栗丘の胸元から滲んだ血をぺろりと舐める。

「あはっ。くすぐったいって! こいつ、どさくさに紛れて血ィ吸うな!」

 けらけらと笑う栗丘の後方で、非常階段からはマツリカが顔を出す。

「何、もう終わったの?」

 何食わぬ顔をして降りてきた彼女に、絢永は厳しい目を向けた。

「マツリカさん。今回のこと、後で詳しく聞かせてもらいますよ」

「あっ、マツリカお前! さっきはよくも俺のこと騙したな。御影さんに訴えてやる!」

「別にあんたが報告しなくたって、ミカゲは何でもお見通しでしょ。今回もどうせ、あたしのことを監視してたんでしょ?」

 えっ、監視? と栗丘はびっくりして絢永を振り返る。

「御影さんは、あなた方のことを心配しているんですよ。今回のことだって、御影さんが把握していなければ僕もここに駆けつけられなかったですし——」

「そんなわけない! 心配してるなんて嘘!! あいつはあたしのこと、ただの手駒だとしか思ってないんだから!」

 そう吐き捨てて、彼女は踵を返す。
 そのまま非常階段を駆け下りてどこかへ走り去ってしまった。

「何だあいつ。一体どうしたんだ?」

「センパイ、傷は大丈夫なんですか」

 やけに真剣な声色で問いかけられて、栗丘は思わず身構えた。

「えっ。いや、平気だけど」

「先ほどはすみませんでした。僕のせいで、もう少しであなたがあやかしに喰われるところでした」

「い、いやいや! 俺だってお前に頼りすぎてたところもあったし……。って、なんか調子狂うな。マツリカといい、お前といい、一体どうしちゃったんだよ。いつもの嫌味な態度はどうした!?」

 いつになく低姿勢な絢永の様子に、栗丘は戸惑いを隠せなかった。
 どうやら先ほどの失態は、絢永にとってはかなり尾を引くようなものらしい。

「治療が必要でなさそうなら、家まで送ります。すぐにタクシーを呼びますから、ちょっと待っててください」

 栗丘とは目も合わせようとせず、彼はそう言うとスマホを片手に背を向ける。
 いつになく小さく見えるその背中に、栗丘は何と声をかけていいのかわからなかった。

(そういえば俺、こいつのこと、まだ何も知らないんだな)

 有能だけど生意気で、冷たい物言いはするのに繊細で。
 たまにこうして弱い部分も見え隠れする。
 そして、危険な任務にも果敢に立ち向かうその動機は、一体どこで生まれたものなのか。

 彼のことを改めて知りたい、と思った。

「なあ、絢永。今から一緒にメシでも食わないか?」

「は?」

 スマホを握ったまま不可解そうに振り返る彼に、栗丘はニッと快活な笑みを向ける。

「俺もう腹ペコでさあ。帰りに何か買って帰るから、お前もうちに来いよ。一緒に食べようぜ!」

「僕、もう夕食は済ませたんですけど」

 遠回しに断る彼に、栗丘は意地になって食い下がる。

「じゃあデザートも買って帰るから! ちょっとぐらい良いだろ? うちに寄ってけよ。なっ、なっ」

「……しつこいです」

 言いながら、絢永は小さく吹き出すようにして笑った。
 どうやらこうしてしつこく食い下がると、じきに耐えきれなくなって笑ってしまう性分らしい。

「おっし、決まり! 部屋ん中は散らかってるけど、そこは勘弁な!」

「ほんと勘弁してくださいよ」

 憎まれ口を叩きながらも、栗丘の圧に押されて渋々了承する。

 十一月の寒空の下で、彼らはいつになく穏やかに笑い合った。
 
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