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第三章

覚悟はできたかい?

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 結局、マツリカからはそれ以上御影に関する有力な情報を得ることはできなかった。

 帰りは時間も遅かったので、栗丘が彼女の家まで送ろうとしたが、最寄り駅に着いたところで「ついてくんな!」と本人から全力で拒否され、強制的にそこで別れることになった。

 栗丘が自宅に戻ったのは二十三時近くだった。
 翌日も仕事なので、さっさとシャワーを浴びて寝よう——と、リビングの引き戸を開けたところで、

「おかえり。遅かったね、栗丘くん」

 今はあまり聞きたくない声が出迎える。

 声の出所は、白いもふもふ。
 実は死んでいるらしいその小さな獣は、細長い胴体をヒモでぐるぐる巻きにされ、ダイニングテーブルの脚に繋がれていた。

「ひどいじゃないか。キュー太郎くんをここに置いていくなんて」

「連れて行ったらあなた、俺の行動を覗き見してたでしょう」

 マツリカとの会話を御影に聞かれることを恐れた栗丘は、出掛ける前にキュー太郎をこの状態にしていたのだった。

 キュー太郎の体を通して、御影はこちらを見つめながら「ふふふ」と笑って言う。

「覗き見だなんて人聞きの悪い。それに、もし出先であやかしに襲われたらどうするつもりだったんだい? 君は特に狙われやすい体質なんだから、常に私の目があった方が安全だろう」

「俺にもプライベートってものがあるんですよ」

「まあ、そうだね。君はまだ若いし、女の子と遊ぶ時間も大切だよね。それで、マツリカとのデートは楽しかったかい?」

「……知ってたんですか」

 すべてお見通しだと言わんばかりの御影に、栗丘は辟易する。

「私は彼女の保護者だからね。彼女のスケジュールを把握しておくのも大事な仕事さ」

「年頃の女の子のプライベートを詮索するのは、さすがに趣味が悪いですよ。そんなんだから、マツリカにも嫌われるんじゃないんですか?」

「ふふ。痛いところを突くねえ。これでも彼女には優しく接しているつもりなんだけどなぁ」

 『優しい』という言葉がここまで似合わない人間も珍しいな、と栗丘は思う。

「マツリカを使って実験してたっていうのは、本当なんですか?」

「ああ、そんなこともあったかなぁ」

 否定しないところを見ると、彼女の言っていたことはどうやら本当のようだ。

「どうしてそんなことまでするんですか。あなたの目的は、一体何なんですか」

「目的? そんなの決まってるじゃないか。あやかしを退治することだよ」

「それにしたって、やり方ってものがあるでしょう。わざわざ俺たちを騙したり、マツリカを利用したりしなくても……」

「君の父親は手強いよ。全力で立ち向かわなければ、こちらが返り討ちにされてしまう」

 そう言われてしまうと、栗丘も返す言葉がなかった。
 御影がこれほどまでに手段を選ばない理由が、自分の父親のせいかもしれないと思うと、罪悪感の方が勝ってしまう。

「それで、君はどうするのか決めたのかい?」

 不意に御影が聞いて、栗丘はその質問の意図を図りかねる。

「どうって……」

「実の父親を殺す覚悟はできたのかな?」

 直球で言われて、栗丘は怯んだ。

 自分の父親を殺す覚悟。
 ただでさえ人を殺すなんて今まで考えたこともなかったのに、そんな選択を迫られてもどうすればいいのかわからない。

「あ。ちなみに殺人罪に問われることはないから安心してね。君の父親はすでに故人だし、我々が公にしなければ事件にもならないから。多少の不都合は上が揉み消してくれるし、心配は要らないよ」

「そんなことを気にしてるんじゃありません!」

 まるで他人事のように淡々と説明する御影の態度に、栗丘は思わず声を荒げる。

「そうかい? けっこう大事な部分だと思うんだけどなぁ。……ああ、あともう一つ確認しておきたいんだけど」

「なんですか」

 どこまでも人の心を煽ってくる上司に、栗丘は半ば苛立ちをぶつけるように聞く。
 だが、

「絢永くんには、このことは秘密にしておく気かい?」

 それを耳にした瞬間、それまで全身に纏っていた怒りが、さっと冷えていくのを感じた。

 絢永にはまだ、何も伝えていない。

 彼は十年前からずっと、家族を皆殺しにした犯人を捜している。
 本来なら誰よりも先に、彼にこのことを伝えなければならないのに。

「君が父親のことを知られたくないというなら、私も黙っているよ」

「そんなわけにはいきません!」

 このまま黙っているわけにはいかない。
 でも、彼に何と言って伝えればいいのかもわからない。

「いつかは話さなきゃって、思ってます」

「別に、必ず話さなきゃいけないってわけでもないと思うよ。君が話したくないのなら、それも一つの選択だと思う。前にも言ったけど、この世の真実なんてロクでもないものばかりなんだから、知らない方が良いことだってたくさんある。もちろん君の父親を殺すことは確定事項だけど、絢永くんは復讐さえできればそれでいいだろうから。わざわざ標的が栗丘くんの父親だと知らせる必要はないよ」

「だめですよ、そんなの。わかってて黙ってるなんて。それって、あいつを騙すことになるじゃないですか」

 自分の父親の犯した罪を隠すなんて、警察官としてあってはならないことだ。
 それに何より、絢永の相棒を任された人間として、許されることじゃない。

「わかった。君がそうしたいと言うのなら、私もその意思を尊重しよう。リミットは大晦日だ。それまでに、絢永くんに真実を話そうね」

 それじゃまた明日、と御影が言うと、それまで円らな瞳をこちらに向けていたキュー太郎の顔が、かくんと下を向いて体ごと倒れた。
 あやかしの気配が消えた部屋の中で、栗丘は頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

「……なんで。どうしてなんだよ、父さん」

 誰にともなく呟いた声は、十二月の冷たい空気の中に吸い込まれていった。
 
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