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第四章

二十年前の真実

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「お、おい。ばか! 危ないから出てくんなって! 下がれ!」

 栗丘は慌てて駆け寄ろうとしたが、それよりも早く、周囲の空気が変わった。

 息の詰まるような重い霊気。
 直後、地響きとともに視界が揺れ始める。
 微弱な振動が辺り一帯に広がり、栗丘たちは思わず足を止めて周囲を見渡した。

 あやかしの気配が、先ほどよりも一層濃くなっている。

「まさか……」

 マツリカは呟きながら、すぐ隣にある『何もない空間』を見つめた。
 そこにあやかしはいない。
 けれど、明らかにその気配がする。

 鼻がもげそうなほど濃いニオイを放つ『それ』は、今にもひらかれようとしていた。

「危ない、マツリカさん!」

 絢永が叫ぶ。
 しかしマツリカはまるで聞こえていないかのように、その場から動かなかった。

 彼女の目の前で、『それ』は開いた。

 あちらの世界へと繋がる門。
 漆黒の闇を抱えたそれは、見る見るうちに巨大化していく。

 オオオォ……と猛獣の雄叫びのようなものが空気を震わせる。

 やがて十七階建ての本部庁舎とほぼ変わらない大きさにまで膨れ上がったそれの奥から、ぬっと五つの黒い塊がせり出てきた。
 細長い、柱のようなもの。
 一つ一つが何メートルにも及ぶそれは、まるで巨大な指先のようにも見える。

 ——例の巨大なあやかしが門を通れるのは、せいぜい指先程度。

 栗丘の脳裏で、御影の言葉が蘇る。

 目の前に現れたそれは、間違いなくくだんのあやかしだった。

「逃げろ、マツリカ!」

 喉が破れそうなほどの大声で叫ぶが、マツリカの耳には届かなかった。
 彼女はぽかんと口を開けたまま、迫り来る漆黒の指先を見つめている。

「迎えに来てくれたの? あたしを」

 やがて彼女が口にしたのは、そんな言葉だった。

 このままではまずい、と栗丘と絢永は再び駆け出す。
 そうして一箇所に集まった三人の体を、巨大な黒い指先が包み込む。

 銃を構えた二人は同時に発砲したが、呪符も、トドメの弾も一切効いている様子はない。
 そのまま視界を真っ黒に塗りつぶされた三人は、全身が門の方角へと引っ張られるのを感じながら、唐突にやってきた強い眠気に抗えず、あえなく意識を手放した。



          ◯



 それから、どれほどの時間が経っただろうか。
 ゆらゆらと、揺り籠のような優しい感覚に包まれながら、栗丘は目を覚ました。

 あたたかな光の差す窓辺。
 見覚えのある部屋の中で、誰かの体温をそばに感じる。

「みつきは大きくなったら、一体どんな人になるんだろうね?」

 聞き覚えのある声が、頭の上から降ってくる。
 見上げると、やわらかな微笑みをたたえた女性がこちらを見下ろしていた。

(母さん?)

 母だった。
 彼女は二十年前と変わらぬ姿で、栗丘の幼い体を膝に乗せて語りかけてくる。

「やっぱりパパに憧れて警察官になったりするのかな?」

 そのセリフは一言一句違わず、栗丘の記憶の中にあるものだった。

(これは夢、なのか?)

 母の腕に抱かれて、やわらかなまどろみがやってくる。
 このまま、眠ってしまいたい。

(だめだ、俺は……こんなことをしている場合じゃ)

 頭がうまく働かない。
 つい先程まで、自分は何か大事な用事を抱えていたはずだ。
 しかし、ぼんやりとした思考では具体的なことが思い出せない。

 母の肌が、あたたかい。
 できるならこのまま、ずっとこうしていたい。

 不安も、焦りも、悲しみも全部、煩わしいものは全て忘れて、ただ優しい母の腕に抱かれたまま、ここで永遠に眠ってしまいたい。

 けれど、そんな甘い幻想を吹き飛ばしたのは、すぐ隣から聞こえてきた男性の声だった。

「やめとけ、やめとけ。警察官の仕事なんて実際には地味なことばっかりで、刑事ドラマみたいなカッコいい活躍なんてほとんどないんだぞ」

 警察、という単語を耳にして、栗丘の意識は一気に現実へと引き戻される。

 そうだ。
 自分は父親に憧れて、警察官になった。
 そうして二十年前の事件の真相を追ううちに、あのあやかしの存在にたどり着いたのだ。

 栗丘が顔を上げると、視線の先には同じく記憶に残る男性の姿があった。
 くたびれた寝巻き姿であぐらをかき、困ったような笑みをこちらに向けている。

 二十年前の、栗丘瑛太だった。
 へらへらと人懐こそうに笑う顔は、どことなく息子である自分と似ている。

「父……さん」

 栗丘がそう呼ぶと、彼は不意打ちを食らったように目を丸くした。

「ん、なんだ? どうした。いつもみたいに『パパ』って呼んでくれないのか?」

 まるでリアルタイムでの出来事のように、栗丘瑛太は反応する。

「父さん。俺、今まで何も知らなかったんだ。父さんがどんな目に遭って、母さんがどんな風にして死んだのかも」

 その言葉で、栗丘瑛太の顔からは笑みが消えた。
 無表情のまま、じっとこちらを見つめて、

「御影から聞いたのか?」

 と、わずかに声のトーンを落として聞く。

 栗丘はこくりと頷くと、事前に御影から聞いていた話を口にした。

「二十年前、母さんは……あのあやかしに襲われて、式神になったんだろ。だから殺すしかなかったんだ。式神にされたら、もう助からない。憑代と違って、式神は自我も残らないから。警察が、母さんを殺したんだ」
 
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