飛べない少年と窓辺の歌姫

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第1章

衝突

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「心配しなくても、わざわざ遠出して撮影するわけじゃねーよ。撮るのはこの病院。で、夜中に病室を抜け出すって企画だ」
「抜け出すって……そんなの、人に見つかったら厄介だよ。夜中も見回りの警備員がいるし」
「だーいじょうぶだって。見回りの時間帯とかルートってだいたい決まってんだろ? 当日までに俺が調べといてやるよ」

 それに……と、鷹取は一度そこで言葉を切ると、怪しげな笑みを浮かべた顔を烏丸に近づけ、耳打ちするように言った。

「お前のベッド、窓際だろ。窓から出れば楽勝だって」
「窓……?」

 病室にある烏丸のベッドは窓際に位置している。
 その窓から外に出ることができれば、確かに廊下で人に出くわす心配もない。

 だが、

「俺の部屋、三階だよ。もし落ちたらヤバイんじゃない?」

 窓の外には階段もバルコニーもない。
 しかも、まっすぐ下を見下ろした先には固いコンクリートが広がっている。
 地上からの高さはおそらく十メートル程あるだろう。

 ちょうどあの橋の高さと同じくらいか、と考えたとき、烏丸の脳裏を過ぎったのは、またしてもあの少女の言葉だった。

 ――たまにユーチューバーとかが話題集めのためにわざと危険なことをしてたりするけど、実際にそれで死んだ人もいるって話だし……。

 彼女の言ったことが単なる脅しではないことを、烏丸は知っている。

 実際にテレビやネットのニュースでも見たことがある。
 人の気を引くため、世間の注目を浴びるためにわざと危険なことに手を出して、結果、不注意から命を落とした人間が今までに何人もいた。

 このまま鷹取の言いなりになっていては、烏丸もいずれはその仲間入りを果たしてしまうかもしれない。

「はは、やっぱ怖いか? でも別に窓から飛び降りるわけじゃねーんだし、ちゃんと準備してれば大丈夫だろ。俺も下で待っててやるからさ」
「……ねえ、隼人」
「ん?」

 上機嫌な鷹取の声を遮り、烏丸は一拍置いて、静かに呼吸を整えてから言った。

「もう、やめにしない?」
「……は?」

 それまで鷹取の顔に浮かんでいた笑みがゆっくりと消えていくのを、烏丸は探るような目で見つめていた。

「もうやめようよ、こんなの。また……ケガするかもしれないしさ」
「なんだよ、いきなり。なんでそんなこと言い出すんだよ」

 冗談だろ? とでも言いたげな顔で鷹取は苦笑する。

 烏丸はわずかに視線を逸らして、

「いきなりじゃないよ。前からずっと思ってたんだ」

 それまで胸に秘めていた思いを、初めて打ち明ける。

「今までみたいなこと、これからもずっと続けてたら俺たち、いつか本当に死ぬかもしれないよ。窓から外に出るのだって、落ちたら多分タダじゃ済まないし」
「……へっ。なんだよ。足の骨一本やられて、今度こそ本当に怖気づいたってのか?」

 いつもの鷹取の目。
 こちらを挑発するような、あきらかな嘲笑を含んだ目だ。

 この視線にあてられる度、烏丸は自制が効かなくなって、ムキになってしまう。

 けれど今回は、

「ああ、そうだよ。怖くなったんだ」

 烏丸がそう言い終えた瞬間、その場の空気は一気に冷えた気がした。

 無様だな、と自分でも思う。
 怖いだなんて、本当は口にしたくない。

 けれど、そんな意地を張り続けた末にあっけなく命を落としてしまうのは、それこそ愚の骨頂だと思った。

 対する鷹取は何も言わず、烏丸の前で立ち尽くしている。

 臆病者だとか腰抜けだとか、罵倒の一つでも降ってくるかと思っていたが、予想とは裏腹にやけに静かだったので、それが一層烏丸の居心地を悪くした。

 薄暗い廊下に静寂が訪れる。

 その一秒一秒の重苦しさに耐え切れず、烏丸は仕方なく次の言葉を探した。

「……隼人もさ、遊び半分でこんなことを続けない方がいいよ。そりゃ、動画のおかげで有名になったら、そのままタレントになれるような人も中にはいるかもしれない。けど、俺も隼人もそんな柄じゃないでしょ? だから――」

 そこまで言ったところで、不意に、鷹取の手がすっとこちらに伸びてきた。

 何だろう、と烏丸が顔を上げた瞬間。

「!」

 病衣の胸倉を乱暴に掴まれ、そのまま勢いよく上に持ち上げられた。

 車椅子から無理やり立たされる形になり、思わず右足をつく。
 途端に患部を激痛が走り、膝から崩れ落ちそうになるが、鷹取の手がそれを許さなかった。

「……ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ」

 地の底から響くような低い声。
 あきらかな怒気を孕んだその声は、烏丸の気のせいでなければ、わずかに震えているようだった。

「遊び半分だと? てめえ……そんなハンパな気持ちで今までやってきたって言うのかよ」

 目の前まで迫った鷹取の鋭い眼光が、至近距離から烏丸を射抜く。

「っ……隼人、痛いって……」

 患部を庇うように足の力を抜けば、その代わりに首が締まる。
 痛みと息苦しさに冷や汗をかきながら、烏丸は幼馴染の豹変ぶりに困惑していた。

 話せばわかると思っていた。

 たとえ臆病者のレッテルを貼られても、ただそれだけの話だと高を括っていた。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。
 実際に幼馴染から返ってきたのは、はっきりとした否定の言葉だった。

「ちょっとそこ、何やってるの! やめなさい!」

 騒ぎを聞きつけたのか、廊下の奥から一人の女性が駆け寄ってくる。

 烏丸が見ると、そこへ現れたのは丸眼鏡の看護師、百舌谷ことりだった。

 状況が状況なだけに、普段のねっとりとした声も今は緊張感がある。
 まるで別人のような声色だったので、烏丸は一瞬それが彼女のものであることに気づかなかった。

 鷹取は軽く舌打ちすると、荒々しい手つきで烏丸を解放する。

 反動で車椅子の上に倒れこんだ烏丸は、痛みに呻きながら何度か咳き込んだ。

「決行は今度の土曜だ。忘れんなよ」

 そう吐き捨てるように言って、鷹取は踵を返した。

 やっと呼吸を整えた烏丸は、視界の端で去っていく幼馴染の背を見送る。

 やがて百舌谷が烏丸のもとへと辿り着いたとき、

「……待ってるからな、翔」

 と、まるで呟くように、どこか弱々しい声で鷹取が言った。

 
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