飛べない少年と窓辺の歌姫

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第2章

見えるもの

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       ◯



 結局、病棟の隅々まで捜しても、羽丘の姿は見当たらなかった。

 烏丸がやっとの思いで彼女を見つけたのは、建物の外――敷地内に併設された駐車場の一角だった。

 病棟の裏口。
 一階の一部だけが屋根になっているその場所で、彼女はひとり壁を見上げていた。

「何してんの、そんな所で」

 烏丸が尋ねると、彼女は無言のまま視線の先を指差して、

「ツバメの巣、壊れちゃった」

 とだけ言った。

 烏丸が同じように見ると、壁の上方には彼女の言う通り、ツバメの巣のようなものがあった。
 しかしその側面には何かがぶつかったような大きな穴が空いており、すでに親鳥やヒナのいる気配はない。

 昨日の荒天で壊れてしまったのだろうか。
 あるいは天敵にでも襲われたのか――そこまで考えたとき、ふと脳裏を過ったのは、五年前にコウノトリの巣を狙っていたカラスの姿だった。

「もしかして、カラスに襲われたのかな?」
「そうかもしれないわね」

 そういえば今朝は、いつものツバメの声が聞こえなかった。

 雨の日も風の日も、せっせと巣作りをして餌を運んでいたあのつがい
 彼らの飛んでいく先は、ちょうどこの辺りだったはずだ。

「私ね、時々ここに巣の様子を見に来てたの。ヒナの顔はまだここからじゃよく見えなかったけど、親鳥が餌を運んでたから、たぶん産まれてはいたんじゃないかしら」
「そっか。……残念だったね」

 この様子だと、おそらくヒナは生きていないだろう。

 別にこのツバメの親子がどうなろうと、飼い主でもない烏丸には何も関係がない。
 たまたま病室の窓から見かけただけで、自分が育てていたわけでもない。

 けれどなぜか、今はそのヒナたちの死が無性に残念に思えてならなかった。

「俺、カラスってあんまり好きじゃないな。ロクな思い出がないし、不吉なイメージもあるし」

 思えばこの足の怪我だって、カラスに気を取られて橋の上から滑り落ちた結果なのだ。

 しかし羽丘は「あら」と意外そうな声を出して、

「私は好きよ、カラス」

 と、小さく微笑んでこちらを見た。

 予想していなかった返答に、烏丸は呆気に取られる。

「カラスのこと、嫌いにならないの? ツバメの巣、ずっと見守ってたんでしょ?」
「カラスだって生きるためだもの。もし犯人だったとしても、仕方ないわ」

 彼女はゆっくりと後ろを振り返ると、今度は屋根の外に見える青空を見上げた。

「カラスって全身が真っ黒だから、見た目のせいで悪いイメージが付きがちだけど、逆に縁起の良い鳥だって言われることもあるのよ。吉兆を報せる存在だとか、神様の使いだとか。それから、亡くなった人の魂を迎えにきて、あの世まで送り届けてくれるとも言われてる。だから……私がいつか天に昇っていくときも、一緒に空を飛んでいってくれるんだって」

 まるでおとぎ話でも語るかのように言った。

 そんな彼女の様子に、烏丸はただ驚かされてばかりだった。

 彼女はいつも、烏丸の予想しないことを言う。
 たとえ同じものを見ていても、それに対する感じ方が全く違う。
 それは彼女の性格が、価値観が、考え方が、他の誰でもない彼女固有のものだからだ。
 まるで同じものを見ているようでも、実際には全く違うものが見えている。

(つぐみさんも……)

 きっと、雛沢もそうだったのだろう。
 彼女の瞳に映る景色は、烏丸のそれとは違っていた。

 ――お腹にね、赤ちゃんがいるの。ずっと待ち望んでいた、私の子どもよ。他の誰でもない、私だけが母親になれる子。

 自らの腹を慈しむように撫でていた彼女の顔は、烏丸がそれまで見たこともないほどに安らかで、満ち足りた笑みを浮かべていた。

 この五年間、烏丸は彼女のことをずっとそばで見守ってきた、つもりだった。

 けれど実際には、彼女の世界はもっと別の所にあったのだ。

 理想の母親になりたいという彼女の思いに、烏丸は最後まで気づくことができなかった。

(俺は、これからもずっとつぐみさんと一緒にいられると思ってた……けれど彼女は、そうじゃなかったんだ)

 あんなにも長い間、彼女の近くにいたのに。

 気づけなかった。

 何も知らないまま、別れを告げられてしまった。

 彼女にさよならを言われて初めて、彼女の心がもうずっと遠く、手の届かない場所にあるのだと知った。

 ――お互いに、一番大事な人のそばにいましょう。鷹取くんにとって、あなたはきっと特別だから。

 人の心は本人にしかわからない。
 外から覗き見ることは決して叶わない。

 だから、彼女とずっと一緒にいたかったのなら、もっと彼女の心に寄り添って、その思いに気づくべきだったのだ。
 手遅れになって、後悔する前に。

「羽丘」

 烏丸が呼びかけると、それまで空を映していた羽丘の瞳がゆっくりとこちらを向いた。

「この間はごめん。手術のこと……知ったような口を聞いて、無責任だったと思う」

 烏丸が言うと、羽丘はその大きな瞳をぱちくりとさせて、

「それは……。どういう心境の変化なの?」

 控えめな声で、探るように問う。

「あれから、色々考えたんだ。人の気持ちとか、感じ方とか、そういうのって、人それぞれだよなって。自分がこう思うから、そう感じるからって、相手も同じだとは限らない。だから……俺が俺の意見を、あんたに押し付けるのは違うよなって」

 手術を受けて、生き延びることだけが全てじゃない。
 羽丘には羽丘なりの、自分らしい生き方というものがあるのだ。

「正直、もし俺があんたの立場だったら、たぶん手術を受けていたと思う。まだ助かる可能性があるのなら、それに縋っていたと思う。けどあんたは、俺じゃない。俺とは考え方も、感じ方も何もかも違う。俺には想像もつかないような感情を、あんたは持っているのかもしれない。だから……もう、あんたの意見を否定するのはやめる」

 ただ一方的に、こちらの思いを伝えるだけではだめなのだ。

 大事なのは、相手の思いを知ろうとすること。

「俺はあんたみたいに、命よりも大切なものとか、好きなものってないからさ。よくわかんないけど……でも、あんたが歌を好きだっていうのは、知ってるから。手術を受けたくないっていうその気持ちも、無視したくないって思うんだ」

 
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