飛べない少年と窓辺の歌姫

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第2章

星の下で

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       ◯



 月の明るい夜だった。

 清々しいほどによく晴れているが、星を観察する分にはあまりよろしくない。
 月の光が眩しすぎて、周りの星が霞んでしまうからだ。

 そんな不親切な空の下で、屋上には一人の少女が立っていた。
 こちらに背を向けているため顔は見えないが、そのシルエットから烏丸は確信する。

 いつもの青い病衣に、淡いベージュのカーディガン。
 腰まで伸びる髪は夜風に靡き、露出する首元はやけに細く、ともすれば簡単に手折られてしまいそうな危うさを帯びていた。

「羽丘」

 烏丸が呼びかけると、視線の先で少女が振り返る。

「烏丸くん。……本当に、来てくれたのね」

 百舌谷さんから聞いたの? と、掠れた声で彼女が問う。
 その一音一音を発するのも、もはや容易ではなさそうだった。

「屋上だとは言ってなかったけど、星を見るって聞いたから。ここに来れば会えるかなって」
「そう……。後で百舌谷さんにお礼を言わなくちゃ」

 別に要らないんじゃない? という言葉は飲み込んで、烏丸はゆっくりと歩を進めると羽丘の隣に立った。
 柵に掴まりながら頭上を仰ぐと、雲一つない夜空には真ん丸の月が浮かんで、その周りには小さな星たちがひっそりと瞬いている。

「今夜はこと座流星群が見えるの。ネットで話題になってたわ」

 烏丸はしばらく空を眺めていたが、流れ星らしきものは見当たらない。

「全然見えないけど……その情報って本当? 明日とかじゃないの?」
「今日で間違いないわよ。SNSのトレンドにも入ってたし。ていうかあなた、ほんっとにムードがないわよね。こういうのって雰囲気が大事じゃないの?」
「ムードって。別にデートとかでもないのに」

 言ってしまってから、『デート』という慣れない単語の意味を、烏丸は改めて意識した。

 考えてみれば、こんな夜中に男女が二人きりで星を見上げているのだ。
 まるで恋人まがいのことをしているのは事実で、それに気づいた途端、何か気恥ずかしさのようなものが込み上げてくる。

 そんな烏丸の心を知ってか知らずか、羽丘は急に黙り込んで、その場には静寂が訪れた。

 お互いに何も言わず、ただ髪を揺らす夜風が耳元をくすぐるだけ。

 必然的に星を見上げ続けていた彼らのうち、やがて沈黙を破ったのは羽丘の方だった。

「動画、見たわ。あなたの」

 度胸試しのことだろう。
 さすがに本名は公表していないが、それらしいキーワードで検索をかければすぐに見つかる。

 アップロードした当時はできるだけ多くの人に閲覧してほしいと願ったものだが、今となってはむしろ触れてほしくないような、ほとんど黒歴史と呼べる代物だった。

「一緒に映ってたのが、例の幼馴染くんね? なんだか、私が想像してたよりもずっと繊細そうな子って感じがしたわ」
「繊細?」

 予期せぬワードが挙がり、烏丸は思わず羽丘の顔を見た。

「きっと寂しがり屋な子なんでしょう? 誰かが隣にいないと駄目なタイプの」
「どうかな……。寂しいとか、そういうことはあんまり口にしない奴だけど」
「そりゃあ口にはしないでしょ。思ってても言わないのよ。でも、寂しがり屋ですって顔に書いてあったわ」

 女の勘というものだろうか。
 先ほど、百舌谷も同じようなことを言っていた気がする。

「てっきり烏丸くんの方が依存してるのかと思ってたけど……あの感じはむしろ、幼馴染くんの方があなたを必要としているのかもしれないわね」

 言われて、先刻の電話を思い出す。

 ──俺と一緒に死んでくれよ、翔。

 まるで心中を望むかのような言葉だった。
 結局冗談だったのかもわからないが、あれも見方によっては羽丘の言う通り、こちらの存在を必要としている、と捉えられなくもない。

「ちょっと顔を見ただけで、よくそこまでわかるね。俺、あいつの考えてることなんて全然わかんないけど」
「もちろん、当たってるかどうかなんてわからないわよ。ただ、ああいう子ってたまにいるじゃない? 自分一人だと何をするのも不安で、いつも誰かと一緒じゃなきゃ駄目っていう子」
「そう?」

 普段からあまり人に興味を持たない烏丸にとって、そういう人種が少なからずいるという情報は新鮮だった。

「……飛鳥もそうだったわ」

 と、羽丘はわずかに声のトーンを落として言った。
 視線も空から外れ、どこか遠くの暗がりを見つめている。

「小さい頃から臆病で、自信がなくて……いつも私の後ろにくっついてた。ほら、あの子ってすっごくドジでしょう?」
「うん」
「即答ね」
「あんたが言ったんじゃん」

 烏丸が突っ込むと、羽丘はくすりと可笑しそうに笑って続けた。

「ドジで、臆病で……私がついててあげないとって、いつも思ってたわ。一応私の方がお姉さんだし、面倒は見てあげなきゃいけないものね」
「……『お姉さん』?」

 さらりと違和感のある発言があり、烏丸は反射的に聞き返した。

「あら。その顔、驚いてるわね? いくら私の方が背が低いからって、見た目で年齢まで決めつけないでほしいわ。あの子のスタイルが良すぎるせいでわかりにくいっていうのもあるけど、年は私の方が上なんだから」

 意外だった。
 てっきり二人とも同い年か、あるいは飛鳥の方が上だとさえ思ったのに。

「そういえば羽丘、今いくつ?」
「十六よ。高校二年生。飛鳥は私より二つ下だから、中学三年生ね」

 まさかの年上と年下、だった。
 たとえ誤差はあっても、さすがに羽丘が自分より年上だとは烏丸は夢にも思わなかった。

「烏丸くんは私より一つ下なんでしょう? 百舌谷さんから聞いたわ」

 ふふん、とまるで勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる羽丘。
 その小悪魔っぽい表情も、年齢を知った今となってはどこか大人びて見えてしまう。

 そのギャップに、烏丸は不覚にも胸を高鳴らせてしまった。

「飛鳥はね、本当に泣き虫なのよ。二年前、私が親を亡くした時も、なぜかあの子の方がたくさん泣いてたわ。なんであなたが泣くのって聞いても全然泣き止まなくて。それで、なんだか私、段々と可笑しくなっちゃって……そのうち、涙なんか引っ込んじゃったわ」

 そう言って当時のことを話す羽丘の横顔は、ささやかな思い出を語るときのような温もりが感じられた。
 悲しみに暮れていたはずの彼女の心を、きっと飛鳥は図らずも癒してくれたのだろう。

「飛鳥と仲直りしなくていいの?」

 烏丸が聞くと、羽丘はまた空を見上げて、

「いいのよ。どうせ私たちは分かり合えないんだから。あの子は私に生きてほしいって言うけれど、私は死ぬんだもの。……ずっと歌えないまま生きるなんて、私には耐えられない。たとえ死んだって悔いはないわ」

 やはり、彼女の覚悟は変わらない。
 まるでこの選択が必然であるかのように、彼女には迷いがなかった。

「あ、そうだ。せっかくだから、私と飛鳥の動画も見る?」
「え?」
「ネット配信。私も去年まではやってたのよね」

 初耳だった。

 なんとなく、そういうことには興味がなさそうだと思っていたが。

「もしかして歌い手、とか?」
「そ。飛鳥にせがまれて仕方なく、よ。あの子、一人じゃ怖くてできないって言うから」

 やはり自発的に始めたものではないらしい。
 きっと飛鳥が泣き落とす形で承諾を得たのだろう。

「全然人気は出なかったわ。本当に趣味でやってるってだけだった。でも──」

 羽丘は手元のスマホを操作して、動画アプリを起動する。

「私はやっぱり、歌が好きなのよね」

 そうして再生された動画には、今より少しだけ幼い印象の二人が、マスク姿で肩を寄せ合っているのが映っていた。
 こんにちわー、と声を合わせながら、カメラに向かって手を振っている。

 
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