異邦人と祟られた一族

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第一章 白神健

自分殺し

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 凍てついていた心のわだかまりが、ゆっくりと溶かされていく。

 父の言う通りだ。

 俺の記憶が正しければ。
 そして、思い違いでなければ――生前の母はいつだって、俺を愛してくれていた。
 それを証明するための思い出は、俺の胸の内にいくらでも残っている。

 中でもよく覚えているのは、母と二人で、初めて坊っちゃん列車に乗ったときのことだ。

 母がまだ生きていた頃。

 当時小さかった俺は、電車や飛行機などといった乗り物に興味津々だった。
 坊っちゃん列車に対しても、それは例外ではなかった。
 日頃から「乗ってみたい」と、母に何度もねだっていた覚えがある。

 そして、そんな俺のために、身体の弱い母は病を押して、一緒に乗ろうと言ってくれたのだ。

 果たして、俺の願いは叶った。
 母と二人で列車に乗って、終点の道後温泉駅まで行った。
 下車をした後は、カラクリ時計を見た。
 足湯に浸かって、団子を食べた。
 温泉の本館にも行った。

 楽しかった。
 嬉しくて、俺は無邪気に笑い声を上げながら、松山の街を堪能した。

 母も笑っていた。
 けれど、きっと無理をしていたのだと思う。

 幼かった俺は、そんな母の優しさに気づくことができなかった。

「……母さんは、優しかった。身体はつらかったはずなのに、俺の前ではいつも微笑を浮かべていて……。俺が笑うと、同じように目を細めて、頭を撫でてくれて……」

 思い出せる限りの、母の記憶を辿っていく。

 そんな俺に対し、ギルバート様は言った。

「お前は、その優しかった母さんがお前を殺そうとするって言うのか?」

 言われて、俺は胸が痛んだ。

「違う……。母さんはそんなことはしない」

「なら、あそこにいる祟り神は何だ? お前を殺そうとする、あいつは一体誰なんだ?」

「あれは……」

 わかっている。

 俺は頭を抱えた。

「あれは……──俺だ」

 そう答えた瞬間。

 母の悲鳴が、ぴたりと止んだ。

 母は、喪服を着た身体はそのままに、顔の部分だけをぐにゃりと歪ませて、やがて別人へと変化した。

 そこに現れたのは紛れもなく、俺自身の顔だった。
 泣き腫らした目は虚ろで、だらしなく開かれた口元からは時折嗚咽が漏れる。

 何ともおぞましい。
 喪服を着て泣いているその姿は、十一年前、母の葬儀に参列したときの俺そのものに違いなかった。

 あの日。
 母が路上に倒れ、車に撥ねられた日。

 堪え難い現実に押し潰されそうだった俺の心は、きっと、これほどまでに酷い有様だったのだろう。
 わずか五歳のときに見た母の死体は、俺の心を壊すのには十分だった。

 虚しかった。
 やるせなかった。

 そして、そのとき確かに聞こえたのだ。
 葬儀の合間に、誰かが小声で話していたのだ。

 「だから子どもは作るなと言ったのに」――と。

「……俺は……、俺が代わりに死ねば良かったと思ったんだ。母さんに生きていてほしかったから……。母さんのことが、大好きだったから……」

 母の代わりに、俺が死ぬべきだった――その思いは身体の成長とともに年々大きくなり、やがて祟り神と化して俺を襲った。

 祟り神の正体は、本物の母ではなかった。
 あれは、俺の歪んだ心そのものだったのだ。

 今朝、俺を殺しに来たのは母ではなかった。
 俺を殺そうとしていたのは他の誰でもない、俺自身だ。

 俺が死ねばよかったと思ったから。
 俺は、俺の首を締めて殺そうとした。
 自殺しようとしていたんだ。

「そろそろいいだろう」

 いつのまにか後ろに回っていたギルバート様が、おもむろに俺の腕を掴んだ。
 そうして俺の右手に無理やり星札を握らせると、青い光を放ったそれは瞬時にして姿を変えた。

 そこに現れたのは、拳銃だった。

「撃て、健。お前を殺そうとする、お前自身の『負の心』を殺すんだ」

 言いながら、彼は俺の右腕ごと拳銃を持ち上げる。
 照準は正面――祟り神の心臓に向けられていた。

「……撃つのか。俺が?」

「お前自身がやらなきゃ意味がない」

 銃を扱ったことなど一度もない。
 この引き金を引くだけで、一つの存在が消されてしまうのかと思うと、未知への恐怖が胸を支配する。

「……母……さん……」

 と、苦しげに発せられたその声は、祟り神のものだった。
 俺と同じ顔をした祟り神は、その声すらも俺とそっくりだった。
 あまりにも似ていたので、俺はまるで、自分が声を発したのかと錯覚するほどだった。

 祟り神は足を引き摺りながら、じりじりとこちらへとにじり寄ってくる。
 焦点の定まらない両目からは、血のような赤い涙が溢れ出す。
 その禍々しさに、俺はゾッとした。

「健、撃て。早く!」

 ギルバート様が叫ぶ。

 俺は震える指に力を込め、

「うっ……ああああぁあ────ッ!!」

 促されるまま、引き金を引いた。

 重い一撃が俺の手を離れ、その弾道はまっすぐに伸びる。
 それはやがて、祟り神の中心を貫いた。

 心臓の辺りだった。
 ぽっかりと空いた胸の穴を拠点として、次第に全身にヒビが入っていく。

 そして、強烈な断末魔とともに。
 その身体は破裂するようにして木っ端微塵となり、後にはキラキラと破片だけが宙に舞っていた。

 青く美しいその破片以外には、何も残らなかった。

 最期の雄叫びだけが、いつまでも耳の奥で響いているような気がした。





       ★





 翌朝。

 あまり日の昇らない内に、凛は身支度を終えたらしい。
 彼女は再び眠りに就いたギルバート様を背負って、「お世話になりました」と丁寧に頭を下げた。

「今回は災難でしたね。私たちのように白神家の血を引く人間は、強い霊能力を持っていますから……――そのために、知らず知らずのうちに心の闇から祟り神を生み出して、自らを追い詰めてしまうのです」

 玄関に立つ彼女の涼やかな声を聞きながら、俺は十一年前のことを思い出していた。

 父が祟りに遭ったのは、母が死んですぐのことだ。
 当時の父の落胆ぶりは、俺と似たようなものだったと思う。
 もしかすると、当時の父も俺と同じように、自分自身を責めることで祟り神を生み出してしまったのかもしれない。

「それにしても、怪我がなくて何よりです。……温泉に入れなかったのは、少し残念ですが」

 と、凛は少しだけ名残惜しそうに言った。

 そんな彼女の言葉に、俺と父はぎくりとした。
 後ろめたさから、慌てて目を逸らす。

 実は昨夜、凛が眠っている間に、俺たちは男三人でこっそり道後温泉に行ったのだ。
 俺と、父と、ギルバート様との三人で。

 凛には悪いと思ったけれど、ギルバート様の要望とあれば断るわけにもいかなかった。
 彼は、意外と観光好きな面があるらしい。
 温泉から出た後も、土産物屋の通りで、団子や煎餅など様々なものを嬉しそうに食べ歩いていた。

「え、えっと……そうだ! また次にここへ来たときは、俺が案内するよ」

 せめてもの罪滅ぼしにと、俺は約束を取り付けた。
 けれどそう咄嗟に言ってしまってから、俺は後悔した。

 凛には使命がある。
 白神家に祟りがある限り、彼女とギルバート様の旅に終わりはない。
 つまり彼らは、自分たちの都合だけで動けるような自由な身ではないのだ。
 もう一度ここに来られる保証など、どこにもない。

 昨夜、温泉で服を脱いだときもそうだった。

 俺の右腰にあったという星形のホクロ――祟られた者の証は、すでに消えていた。

 けれどギルバート様の全身にはまだ、無数の星が刻まれていた。
 その全ての印が消えない限り、彼らに安息の日は訪れないだろう。

 それでも凛は、恐らくそれを承知した上で、

「……ええ、そうですね。今度来たときは、きっと案内してくださいね」

 そう言って、ふわりとやわらかな笑みを浮かべてみせたのだった。





       ★





 その後、母の幻を見ることはなくなった。

 夜明け前に不自然に目を覚ますこともなくなり、最近はむしろ寝坊して学校に遅れそうになることもしばしば。
 この分だと、今度は本物の母が俺を心配して、ひょっこり顔を出しにくるかもしれない。

 けれど、たとえ母が俺の前に化けて出たところで、そのときの俺はもう恐怖心など抱かないだろう。
 己の中の『負の感情』を殺したことで、俺は、優しい母の記憶を思い出したのだから。

 母は最期まで俺を愛していた。

 そして、俺は今でも母を愛している。

 その思いを忘れない限り、俺はきっと、これからも生きていられるだろう。

 俺を殺そうとする祟り神は、心の闇から生まれるのだから。
 
 
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