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第三章 京都府京都市
第十四話 呪詛返し
しおりを挟む白い顔に微笑を貼り付けた彼女は、そう言って欄干の向こう側から手招きする。
橋の下に見える川は遠い。
清水の舞台ほどではないが、こちらもなかなかの高さがある。ここから落ちた場合の生存率が如何ほどかはわからないが、おそらく無傷では済まないだろう。
「天満。ほら早く」
おいで、と懐かしい声。女性にしては少し低い、凛とした響き。
彼女が呼んでいる。私のもとへ来いと。
それだけで、天満はこれ以上にないほどの安らかな気持ちに包まれる。
このまま欄干を飛び越えて足を踏み出せば、彼女のもとへ行けるかもしれない。二十年前にこの世を旅立った、遠い彼女のもとへと。
「……そうだね、右京さん」
天満はふらふらとした足取りで、橋の中ほどまで進んでいった。人の群れを掻き分け、橋の欄干に手をかけると、ひょいと飛び越えて外側の縁に立つ。
周囲が一瞬だけ静まり返るのがわかった。
視線の先で、宙に浮いた彼女は細い腕を伸ばして、こちらに手を差し伸べる。
天満もまた同じように、自らの手を伸ばす。
前のめりになった体は橋の外側へと傾いて、やがて、あと少しで手が届くというところで、天満は足を踏み外した。
がくり、と重力に引っ張られて、彼は川に向かって落下を始めた。
人々のざわめきが、どんどん遠ざかっていく。
着水の瞬間、一瞬だけ頭が真っ白になった。水深の浅い川だったため、全身を底に打ち付けたらしい。
しかし幸か不幸か、意識はまだ失っていなかった。朦朧としたまま、うっすらと瞳を開く。
目の前には渡月橋の太い橋脚と、その手前に、右京の姿をした女性がそこに立っていた。
「右京さん……」
思考がはっきりとしないまま、天満は震える手で彼女に手を伸ばす。頬を濡らすのが血か、川の水なのかはわからない。
女性は相変わらず温度のない微笑を浮かべたまま、こちらを見下ろしている。
「俺は……あなたと一緒にいきたかった。でも……」
脳裏で、二十年前の彼女の言葉が蘇る。
——天満にはこれから、永久家の血縁者たちを守ってもらわないといけないからな。
彼女から託された、天満の役目。
——人は死んでも、それで終わりじゃない。誰かがその人のことを覚えている限り、心の中で生き続けるんだ。
天満が生きて、彼女のことを忘れない限り、彼女の命は続いていく。
だから。
「これで終わりだ……。永久流・呪詛返し」
掠れた声で天満が呟いた、直後。
彼の全身が青い光に包まれ、それは炎のように大きく燃え上がり、目の前に立つ女性をも飲み込む。
まもなく光は爆発を起こし、ドッ、と腹の底に響く衝撃が辺りに広がった。風が吹き荒れ、桂川の水面を揺らす。橋の上にいる人々も、途端に短い悲鳴を上げた。
やがて風がおさまってくると、天満は緩慢な動作で体を起こした。いつのまにか、全身の痛みが消えている。
そして、つい先ほどまで橋脚の前に立っていた彼女の姿も、今はもうどこにもない。
「おーい! 大丈夫かー!?」
橋の上から、こちらを心配する声があちこちから降ってくる。この分だと救急車も呼ばれているかもしれない。
「まずいな。さっさとずらかるか」
天満はずぶ濡れになった着流しの裾を絞りながら川を渡っていく。こんな状態ではせっかくの屋台を楽しむこともできない。
そこへさらに追い討ちをかけるように、スマホが着信を知らせる。おそらくは璃子による鬼電だろう。
「理不尽だなぁ。璃子も、右京さんも」
一人ぼやいた声は、夏の空気に吸い込まれていく。
その景色の片隅で、死者の魂を送る火が、京の夜空を淡く照らしていた。
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