トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第二部 日沈む国から来たる彗星は光輪を蝕む

清見こうじ

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第11章 謀略の蜃気楼

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 英人との通話を終えて、俊は遠野家のリビングを振り返った。
 電話するために一時廊下に出ていたが、開けっ放しのドアから中の様子はよく見えていた。
 スマホをジーンズのバックポケットに差し込み、中を覗き込むが、足は入れず、視線のみ走らせる。

 倒れた美矢をソファーに横たえ、真実が床にひざまずいてその頬を撫でていた。

 少し離れて心配そうに見守る健太と和矢が、俊の視線に気付く。俊が軽くうなづくと、二人は廊下に出てきた。

「……やっぱり、三上さんにも異常があったみたいだ」

 十五分ほど前のこと。

 遠野家での勉強会で、美矢は手作りのカレーライスを振舞ってくれた。
 いわゆるインドカレーではなく、日本の、家庭的なカレー。
 ジャガイモと人参と玉葱が入ったチキンカレー。
 そのギャップに少し驚いたものの、ホッとするような味わいで、とても美味しくいただいた。
 食べ終えて、皆で協力して下膳し、後片付けをして。
 今度はおやつにと、美矢がクッキーを焼き始めた。
 その最中。

 大きな音がキッチンから響いてきた。慌てて駆け付けると、椅子を倒し、その傍にうずくまった美矢がいた。

「美矢!?」
 俊が駆け寄り、その肩に触れた瞬間。

 美矢はすくっと立ち上がった。そして。

「………………ない!」

 全身から赤い靄が立ち上り、そう大きく叫んだ後、不意に倒れこんでしまった。

 その体を抱きとめた俊が耳にしたのは閉眼したまま眉をひそめて、「許さない」と何度も繰り返されるつぶやき。

 今まで見たこともないような、強い怒りの表情を浮かべた美矢。
 やがて、赤い靄も消え去り、美矢はすうっと意識を失った。

 五月に加奈とシンクロした時と、体に纏う靄は違っていたが、明らかに類似した現象。
 
 美矢の介抱を真実に託すと、俊は英人に連絡を入れ、やはり意識を失った加奈のことを聞いた。詳細は話してもらえなかったが、加奈の意識が戻り次第こちらへ向かうという。それほどひどい事態にはなっていないらしいことに、俊は少しだけホッとした、が。

「だろうね。これまでの経過を考えると、もう二人が見えない何かでつながっているのは、ほぼ確定だろう。美矢は……美矢か、三上さん、どちらか、あるいは二人も依代の資質を持っているとみて、間違いない」
 和矢が大きくため息をつく。
「依代じゃない可能性は?」
「ないとは言えない。特別に感知能力が高い場合、『神の気』に影響される人間も、いることはいる。霊媒の資質を持った人間、とでもいうのかな? 相性もあるけど、そういった人間は様々な霊や神降ろしができるって聞いている。ただし、声を聴くレベル、ではあるみたいだけど。神の力を揮うほどの同調が可能なのは、君や健太、英人のような、『生神クマリ』として生まれたものだけだ」

 けれど。

 俊の問いかけに答えつつも、和矢の言葉はそこで途切れる。

「……『我が君を愚弄することは、許さない』って、そう叫んでいたよな、ミーヤ。我が君、って? 単純に考えたら、主神三柱トリムルティの、俊か……和矢? お前も?」
「……一応、その可能性が高い、とは言われている。確定ではないけどね」
「だって、シヴァがいて、残り二柱なら、お前は?」
 俊よりも組織の内情に通じている健太だが、そこまでの情報は持っていないらしい。そういえば、確かに和矢が誰の依代なのか、今まで話題に出たことがなかった。

「ヴィシュヌ、だろうね。正直、ブラフマーは過去にも顕現したことがない、超越した宇宙創造神だ。人の世の理に関わることはない、と言われている。けれど……実を言うと、ヴィシュヌの依代は、すでに存在するんだ」
「え?」

 健太と俊が、同時に疑問の声を発した。
 そんな二人の反応に、和矢は口の端を上げて苦笑する。

「教団の奥深く、僕も近寄ることが許されない場所で、限られた人間としか会うことが出来ない存在がいるって聞いている。その『隠された依代』が、ヴィシュヌらしいと」
「けど、お前は?」
「それが、ややこしいんだけど。もともとヴィシュヌ神はトリムルティの中でも化身が多くて、様々な神格が存在する。有名なところでは、『ラーマ』や『カルキ』、それに『クリシュナ』あたりかな。なので、それぞれが別の依代を持つ可能性が否定できない」
「確かに、ありえそうだな」

 調和神ヴィシュヌは代表的なものだけでも十の化身を持つと言われ、その化身をアヴィラータと呼ぶ。これが『アバター』の語源にもなっている。
 図書館で俊が借りた『インド神話』の本で得たばかりの知識だったが、おかげで和矢や健太の会話についていける。

「だとしたら、美矢が……三上さんが言う、『我が君』って、和矢?」
「いや、美矢から前に、君の……『シヴァ』の危機の際に、やっぱり『ワガキミ』と言う言葉を口にしていたって聞いた。あと……美矢を『ヒメサマ』って、呼んだって」

「シヴァを、主として、同時に、ミーヤにも敬意を示す……シヴァ神の眷属神の誰か、とか」
「あるいは、シヴァのつまの誰か、かもね。美矢が、筆頭として、序列の下位の、誰か」
「ちょっと待って! つま、って、奥さん? 『妻』?」
 
 確かに、借りた本にもそんなことが書いてあった覚えがある。世界史の文章を読んでいるような他人事めいた気がしていたけれど、ダイレクトに『妻』という言葉を使われると、生々しくて、妙に恥ずかしい気持ちになる。

「まあ、神話での話だから。人類だって、昔の王族は一夫多妻だし。それに、シヴァは、ちょっと特殊だからね。むしろデーヴァ神の中では、純情一途というか」
「……あんまり気にするな。神話なんて、面白おかしく脚色されている部分もあるんだから。それに、俺たちは依代であって、神そのものじゃない。引きずられている部分もあるかもしれないが、神話時代とは別の人生を歩んでいるんだ」
「それは……そうだけど」
「それに、和矢が言うように、シヴァ神は厳密に言うと妃は一人だけだ」
「え? でも、さっき、妃の誰かって……」
「ああ。けれど、シヴァ神の妃……神妃はパールヴァーティで、それは最初の妻サティーの転生だ。そして、他の妃で有名なのはカーリーとドゥルガー、その他の女神も含めて、全てパールヴァーティの別側面と言われている。つまり、実際には妃はパールヴァーティだけなんだよ。まあ、それがムルガンの母でもあるんだけど」
「そうなんだ……」
 現世とは関係ない、と言われても、美矢と思いが通じ合った今、してもいない浮気をしているような後ろめたさまで感じていたので、俊はホッとする。そして。

「……美矢は、パールヴァーティ、ってことなのか?」
「健太も言ったように、依代が配偶神と必ずしも巡り合うとは限らないし、他の人間と恋することだってある。健太だってそうだし、英人も……いや、アイツは分からないけど」
「だって、三上さんが、その、シヴァ神の妃の女神の誰かなら、それとは関係なく、英人と……付き合っているってことだろう? それだって、悪いことじゃないだろ?」
「あ、まあ、現世は現世として、ね。それは、いいんだよ、別に」
「あのさ、実を言うと、神話をそのまま鵜呑みにすると、俊以上に、英人は……インドラ神は、ハチャメチャなんだよ。その、女性関係が」
「……読んだかもしれない」
 俊が借りた神話の本には、圧倒的な強さと高潔さを持っているはずの軍神が、一方で浮気や不倫など奔放な性行動から様々な報復を受ける話が多数掲載されていた。
 正妻である妃神すら、真っ当とは言えない手段で無理やり手に入れ……。

「……愛する者の純潔も尊厳も、心も奪った……そう言っていたって」

 美矢が、加奈とシンクロした時に、聞いた言葉。

「ああ、確かにそう言っていたな。英人が、そんなこと、するはずな……そうか」
「インドラ神なら、確かにあったね」

 アスラ神族の王の娘を、凌辱し無理やり妃にした、インドラ神。

 それほどまでにして手に入れた妃――シャチーをないがしろにして、別の者を寵愛したインドラ神。
 そんなインドラ神を思い慕って、嫉妬に狂うシャチー。

 英人を依代とする神の非道な行いが印象に強く残り、俊の脳裏に刻みついていた逸話。

「確かに、純潔も尊厳も心も、奪っているな」
「まさか、とは思うけど、ね」

 同じことを思ったらしい健太と和矢が、納得したようにつぶやく。

 とすれば。

「それが晃=ケネス・香月の正体か。それに……まさに『名は体をあらわす』とはこのことだな」
「和矢?」
「俊は、どこまで話を知ってる?」
「インドラの妃のこと? アスラ神族の王の娘で……その、酷いやりかたで」
「うん。その非道に怒り狂ったアスラ神族の王とインドラは戦になるんだけど。結局はインドラの勝利で、この婚姻は合法となってしまったんだよ。その見返りとして、アスラ神族の王の娘のシャチーは、デーヴァ神族の仲間入りをしてアムリタを飲み、不死になった。けれど、そのアスラ神族の王の一人、ラーフが、こっそりアムリタを飲んでしまってね。それに気が付いた太陽と月が密告して、ラーフは全身が不死になる前に首を切られてしまう」
「……プラネタで聴いた気がする。日食月食の神話だよな?」
「そう。首から上だけ不死になったラーフは、密告した太陽と月を飲み込む悪神となった。まあ、それこそ神話での話だけどね。もしアキラがラーフなら、まさに太陽と月を我が物にしようとする意志を名に表していると言えるね」
「アキラが、依代?」
「たとえ依代であっても直接の記憶があるわけじゃないけど、ラーフがアスラ神族全般を指すものなら、記憶があってもおかしくはない」
「依代なのに?」
「アスラ神族が伝承通り、神とはいえ不死ではないのなら……それは、転生になる」
「転生? 生まれ変わりってことか?」
「ラーフは首から上は不死だけど、体は違う。不死になれなかった体……ケートゥは彗星になって世界に災厄をもたらすと言われているけど、輪廻に組み込まれ、定期的に転生していることを表しているのかもしれない。そして、頭部……思考部分は不死だ。記憶は残したまま転生しているとしたら?」
「……だから、インドラを、英人を恨んでいるってことか? だって、英人は、ただの依代なのに」
「恨みが募れば、それに関わる全てが憎くなるものさ。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』って、ことわざもあるしね。斎が言っていた、『謎の光源』も、神の力なのだとすれば納得がいく。転生とはいえ、元は神だからね。太陽や月の力を飲み込むくらいだ。その力の一端を手にしている可能性はある」
「確かに、斎も言っていたな。まるで直接太陽の光を見たかのようだ、って。斎にも知らせた方がいいか?」

 スマホを取り出した健太を、和矢は押しとどめる。
「いや、今日は邪魔するなって言われているから。そのうち自分から連絡してくるだろうし。それに、英人から事情を訊いてからの方がいいだろう」

 リビングから真実の声が聞こえる。美矢が目を覚ましたようだった。
 俊は急いで美矢の傍に移動する。ホッとしてその顔を見て……思わず顔をこわばらせる。




「俊……斎先輩が……裏切ったわ」


 意識を失う直前のように、眉をしかめ、怒りを露わにした美矢が、低い声で、そう告げた。
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