トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第一部 兆しは日出ずる国に瞬く

清見こうじ

文字の大きさ
9 / 58
第二章 甦る悪夢

4

しおりを挟む
 同じ頃。
 美矢もまた、眠れぬ夜を過ごしていた。

 ベッドに入ったものの、気分が落ち着かず、目は冴えるばかり。
 せめて気分を落ち着けようと、キッチンにお湯を取りに行く。
 熱いお湯に、ラベンダーの精油を垂らして、アロマポット代わりにしようと思ったのだ。

 ろうそくの灯を見ていると落ち着くので、陶器製のアロマポットを以前から愛用していたのだが、うっかり破損してしまったのだ。
 近くの雑貨屋などで探したり、通販サイトなども閲覧してみたが、好みのものが見つからずにいる。
 ポットが欠けた時に叔母が教えてくれた、お湯に垂らす方法が、思いがけず香りが優しく、意外に香りも持続するので、しばらくはこのままでいいかな、とも感じている。
 精油はインドから品質の良いものをいくつも持参したので、日によって楽しんでいる。
 ラベンダーは鎮静効果が高いので、就寝時にはよく使う。

「眠れないのかい?」
 キッチンに行くと、まだ起きていた和矢が、リビングから声をかけた。
 うなづいた美矢に椅子をすすめ、温かいミルクティを入れてくれる。
「……おいしい」
 生姜とシナモンの香りがする。
「丁度、持っていこうと思ったから、ついでに」
 和矢の入れるスパイス入りのミルクティ……チャイを味わってから、叔母はすっかりファンになってしまい、仕事で一息つきたいときには、和矢にねだるようになった。
 牛乳に茶葉と砂糖を入れて沸かし、スパイスを加えて漉すので、手間がかかるが、とてもリラックスできる。
 美矢も、大好きだった。

「もう夏なのに、夜は肌寒いものね」
「この地方は、標高が高いからね。東京にも近いのに、やっぱり、日本の風土は変化に富んでいるよ」

 兄とたあいないおしゃべりをしながらも、美矢は、ふと、考えてしまう。
 一体、何がいけなかったのだろう。
 決して、挑発なんて、したつもりはない。
 確かに、後先考えず、のこのこついて行ったのは、浅はかだったと思う。
 だけど、落ち着いて冷静に対応したつもりだったのに、気がつけば相手を怒らせるばかりで。
 おまけに、あの人にまで、叱られて。

「……昼間のことを、考えているのかい?」

 兄の問いかけに、素直にうなづく。
「私の話し方って、そんなに気に障るものだったのかしら?」
「また聞きだから、何とも言えないけど。でも、聞き様によっては、そうかもしれないね」
「……」
「美矢の日本語は、間違っていないと思うよ。ただね、落ち着いた丁寧な言葉遣いは、相手と状態によっては、嫌味にも聞こえるね。『慇懃無礼』って言葉もあることだし。美矢は、相手に対して悪感情を抱きながら、話していたんだろう? それが、悪い形で伝わったんだろうな」
「悪い形?」
「見下した、という感じに受け取ったのかもね。ああいう、直情型の人は、相手にされないとムキになるから」
「だって……いえ、その通りだわ」

 言語的コミュニケーションだけみれば、美矢の日本語は大きな問題はない。むしろ、日本の高校生として平均以上の語彙力や文法も身に着けている。
 声のトーンや表情などの非言語的な部分を場に合わせる、TPOに応じた態度を使い分けることも、一応はできている。
 ただ、感情が高ぶると、そのような取り繕いができなくなる。

 16歳の少女にそのような自己制御を求めることは酷であることも、和矢は承知している。
 承知しているが、殊更に人目につきやすい自分たち兄妹がむやみに敵を作らないためには必要な処世術であることも事実である。それを美矢もわかっているから、素直に認めるしかない。

「……善処します」
「でも、美矢が気にしているのは、そんなことじゃないんだろう?」
 にっこり笑う、和矢の目が、面白いものを見つけたかのように、輝いている。
「高天君のことが、気になるんだろう?」
「……別に」
「泣いていたくせに」
「あれは! ……あんまりな言い方だったから」

『文化祭前の大事な時に何かあったら、どうするんだ』

 あんな言い方しなくても……。
 確かに文化祭前に問題が起きたら、美術部にも迷惑がかかるだろう。
 でも、その前に、ケガをしたら大変とか、他に心配することがあってもいいはず。
「……美術部の心配してるだけなんだわ」 
「そうかな?」
 思わず口にした言葉に、和矢が否定の言葉を返す。

「先週の、木曜日だったかな、美矢が、珠美ちゃんと文化祭のことで話をしていただろう?」
「そんな、もう、ここ最近文化祭のことばっかりじゃない?」
「じゃなくて、確か『文化祭に参加するのは初めてだ、楽しみだ』っていうようなこと」

 ……そういえば、そんな話をしたかもしれない。
 美術部のことだけじゃなく、遅くまで学校に残って準備をしたり、後夜祭に打ち上げ花火が上がることや、模擬店のことや、色々珠美から聞いて、ワクワクして、答えた。

『私、初めてなの。楽しみだなあ』

 ……そんな、ありきたりの返事だったと思った、が。
「あの時の美矢は、いつもみたいにお澄まししてなくて、すごく楽しそうに笑っていたんだよね。……高天君も、それを見て、笑っていたよ」
「え?」
「分かりにくかったけど、確かに笑っていた。彼らしく、静かにね。それに……」
 もったいぶって言葉を切り、和矢はチャイを口に含む。

「……美矢達のことを聞いて、真っ先に飛び出して行ったんだよ。高天君」
「……」
「三上さんいわく、『あんなに慌てた高天君を見たのは、入学以来、初めてだ』ということらしいよ」

 曇っていた美矢の表情が、みるみる明るくなる。

「好きなんだね、高天君のこと」
「そんな……」
 否定しながらも、心が浮き立つのを、感じる。
「まだ……よくわからないわ」
「でも、惹かれているんだよね。美矢は」
 意味ありげに、和矢は美矢を見つめる。

「それとも……が、求めているのかな?」
 兄の小さなつぶやきは、美矢の耳には届かなかった。

 ただ、甘い胸の疼きを確かめるように、思わず胸元をぎゅっと握りしめた。
 
 そこに、灯る火の、熱さを、感じて。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...