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第三章 黄昏の魔性
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これで、だいたい終わりかな。
まだ、校内は所々ざわめいているが、加奈のいる美術部の展示スペース周辺は、廊下を歩く人の姿もまばらだった。
宴の後、か。
準備は忙しかったが、始まってしまえば、大きなトラブルもなく、あっけなく過ぎてしまった。
先週の騒ぎで、もしかしたら展示物を荒らされるかもしれないという恐れもあったので、当番のシフトを多くしてみたが、何も起きなかった。
幸い、真実が入部してくれたので、それほど皆の負担はふやさなくてすんだ。
が、気負いが大きかった分、充実感よりも疲労感の方が強かった。
これで一区切りついた、という寂寥感もあるのかもしれない。
「うー、まだ片付けもあるんだし、気合い入れなくちゃ!」
自分に言い聞かせるように、ひとりごちて、軽く伸びをする、と。
人の気配を感じて振り向いた。
てっきり、部員の誰かが早めに戻ってきたのかと思ったが。
「もう、おしまいですか?」
やや低めだが、甘さを感じるテノールの声。
声を掛けて入ってきたのは、一人の若い男性。
「……」
「あの?」
「あ、大丈夫です。どうぞ!」
思わず言葉を失うほどの、美しい青年だった。
癖のない黒髪を、後ろは襟足辺りでカットされているが、前髪は顔が半分隠れてしまうほど長く伸ばしている。
片側はそのまま、左側は無造作に耳ばさみで後ろに流している。
見え隠れする目元は切れ長で、唇がやや薄めなのが、やや酷薄そうな印象を与え、何処と無く淫靡な感じもする。
夕陽の差し込む中、その人の姿形は、より一層濃い影を落とし、顔の陰影が際立って、ただならぬ雰囲気が漂う。
禍々しい美しさ。
黄昏の中に現れた、魔性の美貌。
その薄い唇が、不意に開かれた。
「あの……」
「……あ、はい?」
「何だか部屋が薄暗くて。絵が良く見えないんで、電気付けてもいいですか?」
「あー! すみません!」
慌てて出入り口付近にある室内灯のスイッチを入れる。
パッと室内が明るくなり、夕闇は消える。
……普通の、人よね?
電灯の明るい光のもとで見る彼は、確かに際立った顔立ちではあったが、禍々しさなど微塵もなかった。
……夕暮れのせいかしら?
熱心に作品に見入る姿は、好もしいとさえ言える。
ふと、男性の足が止まった。
一枚の絵の前で、ジッと佇み、長々と見入っている。
「……三上、加奈」
「はい?」
唐突に名前を呼ばれて、反射的に返事をしてしまった。
「あ、すみません……あなたが三上さんなんだ? この絵の」
男性が振り向いて、ニッコリと笑う。
彼が見入っていたのは、加奈の作品だった。
美矢をモデルにした、コンテの、シンプルな肖像画。
新入部員歓迎(?)のデッサン大会で書いたものだった。
「いい絵だなって、思って」
「モデルがいいから……」
デッサンのみに留めたのは、色をいれた、キチンとした作品として、仕上げる自信がなかったから。
時間的なことではなく、自分の技量に自信が持てなかった。
いつもなら、多少無理目でも挑戦してみるのに、この絵だけは何だかこれ以上手を加えるのが躊躇われ、結局デッサンのままにした。
そのままお蔵入りも残念なので、定着液をかけ、展示してみたのだが。
「確かにモデルの子は美人みたいだね。本人を見てないから何とも言えないけど、きっと、凛とした、芯の強い子なんだろうね。でもどこか脆い部分も感じる……」
「……そうですね」
それは、美矢の気質をピタリと言い当てていた。
意志が強く、責任感もあり、良くも悪くも他人に左右されない。
だけど、世間なれしてないと言うか、兄の和矢に比べて柔軟性が足りない。
そんな不器用な所も加奈は可愛いと思うのだが、美矢自身は、その為に起きる大小の摩擦に思い悩んでいる節がある。
おまけに、自分で抱え込んでしまっている。
先日の騒動でも、叩いたのは良くないが、俊の言っていたことは間違っていない。
幸い巽が気付いて知らせてくれたからよかったものの、場合によっては、ケガくらいではすまなかったかもしれない。
誰かに助けを求めることも必要なのに、美矢はそれをしない。
日本と海外を行ったり来たりで、今まで自力で何でもやらなければいけなかったのだろうか?
それは和矢も同じはずなのだけど。
兄の負担になりたくないと思っているのか、それとも、助けを求めることが出来る程、信頼できる者が周りにいなかったのか。
……オイタワシヤ、ワガキミ……。
…………。
え?
どこからか悲しげな声が聞こえた。
気のせい……?
声の主を探そうとして、意識を巡らした瞬間、その思考自体が、加奈の脳裏から、すっぽり抜け落ちた。
不思議な声の、記憶と共に。
「……この子は、美術部の人なんですか?」
ぼんやりしていると、再び男性が話しかけてきた。
「……あ、そうですね」
抜け落ちた記憶の間を埋めるように、ワンテンポ遅れて答えてから、彼の興味深そうな眼に気付く。
……やっぱり、気になるのかな?
誰が見ても文句なしの美少女だもんね。
加奈は、自分も十分文句なしの美少女の範疇に有ることを、あまり自覚していない。
「そう、彼女と仲がいいんだね」
紹介してほしいなんて言うんじゃ……。
何となく、加奈は不快な気分だった。
そりゃ、美矢ちゃんは可愛いけど……。
「ナンパはお断りします」
思わず口にして、加奈は後悔した。
まだ、何とも言ってないのに、変なこと言っちゃったよ……。
加奈の言葉に、彼は一瞬鼻白んで、それからクスリと笑った。
「一目惚れなんだけどなあ」
加奈は胸の奥がチリチリするのを感じた。
何だか息苦しい。
「君の絵に」
美矢の肖像画を見て、それから。
「それから、君に」
男性は、ジッと、加奈の目を見つめた。
魅入られたように、加奈は、彼の瞳を見つめ返した。
息をするのも忘れてるほど、一心に。
まだ、校内は所々ざわめいているが、加奈のいる美術部の展示スペース周辺は、廊下を歩く人の姿もまばらだった。
宴の後、か。
準備は忙しかったが、始まってしまえば、大きなトラブルもなく、あっけなく過ぎてしまった。
先週の騒ぎで、もしかしたら展示物を荒らされるかもしれないという恐れもあったので、当番のシフトを多くしてみたが、何も起きなかった。
幸い、真実が入部してくれたので、それほど皆の負担はふやさなくてすんだ。
が、気負いが大きかった分、充実感よりも疲労感の方が強かった。
これで一区切りついた、という寂寥感もあるのかもしれない。
「うー、まだ片付けもあるんだし、気合い入れなくちゃ!」
自分に言い聞かせるように、ひとりごちて、軽く伸びをする、と。
人の気配を感じて振り向いた。
てっきり、部員の誰かが早めに戻ってきたのかと思ったが。
「もう、おしまいですか?」
やや低めだが、甘さを感じるテノールの声。
声を掛けて入ってきたのは、一人の若い男性。
「……」
「あの?」
「あ、大丈夫です。どうぞ!」
思わず言葉を失うほどの、美しい青年だった。
癖のない黒髪を、後ろは襟足辺りでカットされているが、前髪は顔が半分隠れてしまうほど長く伸ばしている。
片側はそのまま、左側は無造作に耳ばさみで後ろに流している。
見え隠れする目元は切れ長で、唇がやや薄めなのが、やや酷薄そうな印象を与え、何処と無く淫靡な感じもする。
夕陽の差し込む中、その人の姿形は、より一層濃い影を落とし、顔の陰影が際立って、ただならぬ雰囲気が漂う。
禍々しい美しさ。
黄昏の中に現れた、魔性の美貌。
その薄い唇が、不意に開かれた。
「あの……」
「……あ、はい?」
「何だか部屋が薄暗くて。絵が良く見えないんで、電気付けてもいいですか?」
「あー! すみません!」
慌てて出入り口付近にある室内灯のスイッチを入れる。
パッと室内が明るくなり、夕闇は消える。
……普通の、人よね?
電灯の明るい光のもとで見る彼は、確かに際立った顔立ちではあったが、禍々しさなど微塵もなかった。
……夕暮れのせいかしら?
熱心に作品に見入る姿は、好もしいとさえ言える。
ふと、男性の足が止まった。
一枚の絵の前で、ジッと佇み、長々と見入っている。
「……三上、加奈」
「はい?」
唐突に名前を呼ばれて、反射的に返事をしてしまった。
「あ、すみません……あなたが三上さんなんだ? この絵の」
男性が振り向いて、ニッコリと笑う。
彼が見入っていたのは、加奈の作品だった。
美矢をモデルにした、コンテの、シンプルな肖像画。
新入部員歓迎(?)のデッサン大会で書いたものだった。
「いい絵だなって、思って」
「モデルがいいから……」
デッサンのみに留めたのは、色をいれた、キチンとした作品として、仕上げる自信がなかったから。
時間的なことではなく、自分の技量に自信が持てなかった。
いつもなら、多少無理目でも挑戦してみるのに、この絵だけは何だかこれ以上手を加えるのが躊躇われ、結局デッサンのままにした。
そのままお蔵入りも残念なので、定着液をかけ、展示してみたのだが。
「確かにモデルの子は美人みたいだね。本人を見てないから何とも言えないけど、きっと、凛とした、芯の強い子なんだろうね。でもどこか脆い部分も感じる……」
「……そうですね」
それは、美矢の気質をピタリと言い当てていた。
意志が強く、責任感もあり、良くも悪くも他人に左右されない。
だけど、世間なれしてないと言うか、兄の和矢に比べて柔軟性が足りない。
そんな不器用な所も加奈は可愛いと思うのだが、美矢自身は、その為に起きる大小の摩擦に思い悩んでいる節がある。
おまけに、自分で抱え込んでしまっている。
先日の騒動でも、叩いたのは良くないが、俊の言っていたことは間違っていない。
幸い巽が気付いて知らせてくれたからよかったものの、場合によっては、ケガくらいではすまなかったかもしれない。
誰かに助けを求めることも必要なのに、美矢はそれをしない。
日本と海外を行ったり来たりで、今まで自力で何でもやらなければいけなかったのだろうか?
それは和矢も同じはずなのだけど。
兄の負担になりたくないと思っているのか、それとも、助けを求めることが出来る程、信頼できる者が周りにいなかったのか。
……オイタワシヤ、ワガキミ……。
…………。
え?
どこからか悲しげな声が聞こえた。
気のせい……?
声の主を探そうとして、意識を巡らした瞬間、その思考自体が、加奈の脳裏から、すっぽり抜け落ちた。
不思議な声の、記憶と共に。
「……この子は、美術部の人なんですか?」
ぼんやりしていると、再び男性が話しかけてきた。
「……あ、そうですね」
抜け落ちた記憶の間を埋めるように、ワンテンポ遅れて答えてから、彼の興味深そうな眼に気付く。
……やっぱり、気になるのかな?
誰が見ても文句なしの美少女だもんね。
加奈は、自分も十分文句なしの美少女の範疇に有ることを、あまり自覚していない。
「そう、彼女と仲がいいんだね」
紹介してほしいなんて言うんじゃ……。
何となく、加奈は不快な気分だった。
そりゃ、美矢ちゃんは可愛いけど……。
「ナンパはお断りします」
思わず口にして、加奈は後悔した。
まだ、何とも言ってないのに、変なこと言っちゃったよ……。
加奈の言葉に、彼は一瞬鼻白んで、それからクスリと笑った。
「一目惚れなんだけどなあ」
加奈は胸の奥がチリチリするのを感じた。
何だか息苦しい。
「君の絵に」
美矢の肖像画を見て、それから。
「それから、君に」
男性は、ジッと、加奈の目を見つめた。
魅入られたように、加奈は、彼の瞳を見つめ返した。
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