トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第一部 兆しは日出ずる国に瞬く

清見こうじ

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第三章 黄昏の魔性

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「……計画は、予定通り。……はい、あっけなく」

 薄闇の中、ボンヤリと浮かび上がる、人影。
 既に日が沈み、月も雲に隠れている。
 スマホのディスプレイだけが、唯一の灯り。
「後夜祭の騒ぎで、皆うかれているから、大丈夫」
 口角を上げて、ニヤっと笑う。
「……それより、そっちの手配、大丈夫なんスね……いや、信じてないわけじゃ……はい、分かってます。じゃあ」

 通話の向こうの相手に、平伏して通話を切り、後ろ手にスマホをしまう。
 再び闇が濃くなるが、折よく月が雲から顔を出した。
 窓から月明かりが差し込み、室内を照らす。
 月光を浴びて、床に這いつくばっていた男子生徒が浮かび上がる。
 通話をしていた男子生徒が、その背中を蹴りつけた。
 うめき声をあげるのを見て、さらにギリギリ背中を足で踏みつけて、フン、と鼻で笑う。
 踏みつけにされた男子生徒は、力強い眼差しで、ジッと睨みつけた。



 時間は、夕暮れ時にさかのぼる。  
 美術部の片付けに向かう途中で、耳に届いた声。

「……美術部員だろ」
「ち、違……」
「美術部に出入りしてたの、知ってるんだよ」
 聞き覚えのある、男女の声と、美術部、という単語が耳に入り、俊は足を止めた。
「今は、もう……」
「だったら、誰でもいいから、美術部の女呼び出せ。携番かメアドくらい知ってるんだろ?」
「そんな……! イタッ……やめ……!」
「呼び出したら解放してやるよ」
  ククッ、と男は下卑た笑いを漏らした。
「どうせなら、あの可愛い転校生か、二年の、三上っていう美人がいいなあ」
「あの人達のなんて知らない! ……っ痛!」
「だったら他の女でもいいさ。一人くらい知ってんじゃねーのか!」
「やめて……痛い! ……するから……電話……」
 涙声で、女は懇願する。

「やめろ」

 考えるより先に、俊は一歩踏み出していた。
「その子は美術部には関係ない。手を離すんだ」
 うろ覚えだったが、確か真実と一緒に仮入部してきた女生徒だったはず。
 そう、美矢を叩こうとした、あの女だ。
 思い出すのも腹立たしいが、それとこれとは別だ。
 怯えて泣いているのを見て、いい気味だ、と笑えるような俊ではない。
 彼女がしたことは簡単には許せないが、だからといって暴力に曝されているところを知らんふりして行くことは出来ない。
 それに。
 このままでは、彼女は美術部の女生徒……おそらく真実に連絡する。
 真実は、予定通りなら加奈と一緒のはずだし、もしかしたら美矢や珠美もそばにいるかもしれない。
 人を放っておけない加奈の性格を考えると、まんまと呼び出されてしまう恐れが、なきにしもあらず。
 案外気が強い美矢とて、可能性がなくもない。
 そう考えると、余計このまま放置することは出来ない。

「……これは、手間が省けたってもんかな?」
 脅していたのは、以前美矢と珠美に不埒な振る舞いをしていた不良の片割れだった。
 前と違うのは、後ろにオールバックに流していた茶髪が、今は短髪にし灰色がかった色になっていることだった。
 そしてもう一つ、以前のように俊の眼差しに怯む様子がないこと。
 居丈高で、自信に充ちていた。
「ちょっと一緒に来てもらえるかなー」
 不気味なくらい明るい口調で言われて、俊は怖気がした。

 悪い予感がする。

 立ち去れと、どこからか警告が聞こえた。
 けれど、俊は無視して、なおも対峙した。
「俺に用があるなら、彼女はもういいだろう? 手を放してくれないか?」
「いいとも。……お前が反抗しないと分かれば、なあ?」
 背後に気配を感じ、俊は振り返る。
 何かを手に握りしめた別の男が、俊に殴りかかってきた。
 とっさによけた俊の耳に、女生徒の悲鳴が届く。

「大人しくしてないと、こいつの腕、折っちまうよ?」
 女生徒の腕をねじり上げて、男は言った。
「それとも、関係ないか? だったら、これから別のやつらに、美術部員襲わせてこようか?」
 空いた手でスマホを操作しながら、勝ち誇ったように告げる。

「……」
 言葉に詰まって、動きを止めた俊は、その瞬間電撃を感じた。

「ちょろいもんだな……正義感ぶるからだぜ? とっとと逃げればいいのによ」
 別の男の、嘲笑う声。
 痺れて四肢に力が入らず、脱力しているうちに、目隠しされ、気がつけば、後ろ手に縛られて、この暗い部屋の中だった。

 天窓から、かすかに夕日が差し込んできていた。
 まだ、それほど時間は経っていない様子だ。
 カビ臭さが、鼻につく。
 目が慣れてくると、ぼんやり部屋の内部の様子が見えてきた。
 三方を壁に囲まれた、狭い部屋。
 角にある四角いものは、おそらくロッカーだろう。
 さらに目を凝らすと、天窓の下にドアが見え、向いの壁だと思ったところには、窓があった。
 西向きに出入り口のある、ロッカールーム……思いつく場所は、ひとつ。

 かつて体育館改築の時、旧校舎の並びに作られたプレハブの部室棟。
 敷地の関係で、道路に面したフェンスよりからかろうじて出入りできるように作られた建物である。
 窓側が旧校舎に密接していて、人ひとり通るのがやっとという近さのため、東側の窓からは、実際にはほとんど日が入らない。

 改築した体育館に新しく部室棟も作られたため、主な運動部はそちらに移ったものの、部室獲得の難しい同好会や一部の文化部が一時的に使用している……といいつつ、改築からはすでに十年近くたっており、いまだ立ち退き請求はない、というのが現状であるが。

 もっとも西日が当たる、夏暑く冬寒い、急ごしらえのプレハブは、決してよい環境とは言えない。
 旧校舎が使われなくなって、そちらに活動場所を構えるところも多くなり、カギがかかるのが唯一のとりえで、更衣室や倉庫代わりにしているところが多いと聞く。
 一応美術部の部室もあるが、作品を置く倉庫としては悪条件のため、体育の授業等で更衣室代わりにしているだけである……余談であるが。

「よ、目が覚めたみたいだな」
 ドアが開いて、光が差し込む。
 夕暮れの、薄明るい光だったが、暗闇に慣れた俊の目をくらませるには十分だった。
 ドアが閉じて、再び闇に閉ざされる。
「いい格好だな。どうだ? 手も足も出ないだろ?」
 声しか分からないが、相手の下卑た笑い顔が目に浮かんだ。
 最初に女生徒を脅していた男だ。
「……彼女はどうした?」
 静かな声で、俊は訊ねた。
「……こんな時までヒーロー気取りかよ。ムカつくなあ!」
 男にもまだ俊の位置が把握できていないのだろう、小刻みに歩く気配がし、俊の足につま先が当たると、思い切り踏みつけてきた。
「う……」
 思わずうめいた俊の声を聞いてそのまま踏みつけたまま、男は嬉しそうに言葉を続けた。
「放してやったさ。今頃、報告に言っているだろうよ」
「……どういうことだ?」
「そのままさ。高天俊クンの尊い犠牲で、自分は助かったって、ね。仲良しこよしの美術部員たちは、さぞかし心配してるだろうねー?」
 嫌味なほどやさしい口調……粘りつく様な言葉に悪寒を覚えながら、その内容に俊は衝撃を受けた。

 はめられた?!
 悲痛な声も、涙も、演技だったというのか?

「だまされた、って思ってる? だよな! 迫真の演技だったもんな。俺もマジにやってたし」
 ククク、と笑いをこらえきれない様子で、肩を揺らす男の姿が、闇に慣れた眼に映る。
「腕に掴まれた痕がしっかりつくまでやれって言う指示だったからな。……今頃お前のこと、探してるかもな」
「……よくも……」
 キッと、睨みつける俊の眼に、月の光が映る。
 日が沈み、代わりに月光が室内に差し込んで、俊の姿を浮かび上がらせた。
 その姿が、光を帯びたように冷えびえと輝いて、男は息をのむ。
 床に転がされているにもかかわらず、下から見上げているのに、見下ろされているような錯覚。
 抵抗できないはずなのに、強烈な威圧感と、誇り高い眼差しに、気圧された。
 怯えを振り払うように、男は俊の腹めがけて蹴りつける。
 とっさに身をかがめて腹部をかばい、足は俊の膝を蹴った。
「ちっ」
 舌打ちして、腹いせのように背中を何度も蹴り就ける。
 散々蹴り就けて、息を切らせて、今度は襟首を掴んで、首を持ち上げた。
「許して下さいって言え! 助けて下さいって! 言えよ!」
 襟首をつかんだまま、俊の体を揺さぶる。
 目を開けて、じっと男を見据えると、かすれた声でつぶやく。

「……誰が、言うもんか……」

 言い終わる前に、男は渾身の力で俊の頬を殴りつけた。
 ガツン、と床に打ちつけられた俊を見下ろして、ハアハアと、肩で息をする。
 鉄臭い血のにおいが、鼻にも口にもあふれる。
 頭がぐらぐらする。
 俊は、目も開けられないまま、再び蹴りつけてくる気配を感じ、身をすくめた。

 その瞬間。

 BBBBBB……。

 空気を震えさせ振動音バイブレーターが鳴り響く。
「……チッ」
 舌打ちして、男はバックポケットに入れていたスマホの着信アイコンを叩いた。
「……あ、はい。……いや、大丈夫っすよ。……まあ、なかなか強情で……」
 どうやら、目上らしい相手と会話しながら、男は壁に寄り掛かる。
「はい。すべてシバさんの指示通りに……はい、計画は予定通り……はい、あっけなく」

 うつろな意識の中で、『シバさん』という名前が、やけに鮮明に響いてきた。
 意識を手放しそうになりながら、懸命にその名を口の中で唱える。
 通話に集中していた男は、だから、見なかった。

 月が雲に隠れた、その刹那。
 半ば開いた俊の瞳が、輝いたのを。
 月の光にも似た、青白い、炎のような瞳を。

 凍てついた、氷のごとき、瞳を。


 そして、そのまま、瞳は、閉じた。
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