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第六章 忘れられた守り手
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……ホント、斎君も変わったよね。
しみじみと、加奈は思った。半年前には、ありえなかった光景である。
真実は気付いていないが、実をいうと、斎は部活でも、それほど話をすることはなかった。
口を開けば毒舌ばかり、とは言っても、そもそもその毒舌を披露する機会もない、平穏な状況であった、とも言えるのだけど。
もともと、美術部自体、それほど多弁な人間が多くなかったし、斎の弟の巽の入部で、少し賑やかさが増した程度で、黙々と製作に取り組むことが常だった。
それを別に苦に感じていたわけではないし、むしろそんな穏やかな時間を好んでいたのだけど。
今の状態が、意外と居心地が良いことに、加奈自身驚いている。
真実の入部を不安に思っていたのが、嘘のようである。
それなりにトラブルはあったが、決して真実のせいではない。むしろ、原因は、遠野和矢・美矢の兄妹にあるが、それだって、本人達のせいではない。
転校当初は、華やかな美しい兄妹の動向に注目が集まっていたが、二学期に入り、ようやく落ち着いてきた。
もともと社交的な和矢はともかく、人見知りしがちな美矢も、珠美の存在があってか、クラスに上手くなじめた様子であり、加奈はホッとしていた。
何故か、クラスメートの和矢よりも、むしろ美矢の方が気にかかってしまう。同じ後輩の珠美のことだって、可愛いと思うし、色々世話を焼いてしまうが、美矢に対しては、それだけではない感情……不安というか、焦燥感が付いて回るのだ。
(初めて会った時の印象が強すぎるのかもね……)
転校してきたその日、不良たちに絡まれて、それでも毅然とした態度を崩さなかった美矢が、俊に名前を呼ばれた途端、ぽろぽろと涙をこぼした、あの時の泣き顔が、今も鮮明に思い浮かぶ。
美矢はエキゾチックな容姿も相まって、知らなければともっと年上にみられるかもしれない大人っぽい美人だ。感情を高ぶらせている時は、年相応の少女っぽさもみえるし、どちらかといえばあまり感情を揺らさないように自制していることが多く、和矢に比べると華やかさや艶やかさといった、いわゆる「色っぽさ」は目につかない。
大人っぽい容姿に反して、聖少女、とでも表現したい、雪のような清らかさを醸し出している。
だからなのか、何者にも傷つけさせてはならない、庇護欲なようなものを、加奈は感じてしまう。
小学生のころ、両親に連れられて山深い奥地にある神社に行った時のことを思い出す。神社の裏の、禁足地を示す紙垂の向こうで、ひそやかに咲いていたヤマユリが、心無い観光客に手折られてしまったのだ。峻烈な空気の中に凛として咲いていた美しい花が、無造作に引きちぎられた瞬間、悲鳴をあげたと感じた。
「この奥は、神様の大切な場所だから、決して入ってはいけないんだよ」と教えられたばかりだったこともあるかもしれない。強烈な悲しみと、怨嗟の声が、ヤマユリから聞こえた気がしたのだ。
その声に連鎖するように加奈は大きな悲鳴をあげ、花盗人を指さして泣き叫んだ。その騒ぎを聞きつけた宮司が観光客に注意したが、苦言を呈しただけで終わってしまったことに子供心にも納得がいかず、しばらく紙垂の前で立ち尽くし続けていた。
ここは、自分が守らなくてはならない!
そう、頑なに思い込んで、両親がなだめたり叱りつけたりするのにも耳を貸さず、最後は強引に抱えられて、山を下りた。
両親には、日頃は大人しくて聞き分けのよい子供だったのに、あの時ばかりは駄々をこねて困った、と今でも言われることがある。
加奈自身、自分はそんなに執着心が強い方だとは思えないのだが、美矢に関してだけは、あの時のような「守らなくてはならない」という強い思いと焦りに支配される。
ただ、不思議なのは、そんな思いに囚われるようになったと自覚し始めたのが、文化祭直後だということだ。それ以前に起きた美矢と珠美のつるし上げ騒動の時には、ここまでの強迫感はなかった。文化祭の騒動で被害を受けたのは、俊で、美矢は自分のそばにいたというのに。
もちろん、俊に対しても、二度とあのような被害に遭わないでもらいたいと思うし、そのために和矢や斎、正彦が気を配っていることを感じて、うれしく思う。
けれど、心のどこかで、「でも、大丈夫」という妙な安心感があるのだ。
……メザメハ、チカイ、カラ……。
「三上さん! スマホずっと唸ってるよ? 電話じゃない?」
真実の声掛けにハッとして、加奈の意識が現実に戻る。
「あ、ありがと……」
慌ててスマホを取り出すと、ディスプレイに表示された名前を見て、息をのむ。
『井川英人』
「ちょ、ちょっと電話出てくるね!」
顔を赤らめて美術室を飛び出す加奈の様子に、最近彼氏ができたらしいことを察している部員たちが温かいまなざしで見送る中、真実だけが、複雑な思いで表情を曇らせた。
「……三上さんの彼氏って、うちの高校の人じゃないよね?」
「大学生って聞きましたよ。加奈先輩、美人だし、性格いいし、大人っぽいし。やっぱり相手も大人な、素敵な人なんでしょうねー。加奈先輩があんなにデレちゃうなんて。ああいう加奈先輩も可愛くていいですね」
大人びた先輩の意外な一面から、見知らぬ相手に対しても好意的にとらえている珠美の言葉に、真実は「そうだね」と乾いた声で答える。
「いい人だと、いいね、ホントに……」
真実の脳裏に、黄昏の薄闇に浮かぶ、魔性の笑顔がよぎった。
木工作業室に工具を返してくる、と言い訳しながら、真実は美術室を出た。電話をするなら、美術室横の非常口の周辺だろうと見当をつけて、廊下の窓から外を見まわす。
思った通り、非常口の外で電話をしている加奈を見つけた。夏場で窓は全開になっているので、耳を澄ませば、声が聞こえないこともない。
「……はい……じゃあ、明日、10時に。……駅に着いたら、電話かメールします。……ええ、あそこのパンケーキ、食べてみたかったんです。楽しみです……」
どうやら、明日の土曜日にデートの約束をしたらしい。
パンケーキ、といえば、夏休みに珠美と巽がデートで食べにいって「おいしかったですよー」と自慢していた店だろうか? 市内のショッピングセンターに一年程前に開店したパンケーキ専門店で、開店当時は行列でなかなか入れなかったが、最近は落ち着いてきて、それほど並ばずともよくなってきたらしい。真実も加奈もまだ入ったことがなく、「行ってみたいねえ」「そうね」と話していた。
とすれば、最寄り駅はここから二駅先だ。そこで待っていれば、加奈の相手を確かめることができるかもしれない。
……って、なにデバっていこうとしているのよ、私!
真実は我に返り、そっと窓から離れる。いくら何でも、出しゃばりすぎる。加奈があんなに幸せそうにしているのだ。たとえ、加奈の恋人が、例の彼だったとしても、うまくいっているのなら問題ない。策略的に見えたとしても、一目ぼれした女の子に近づくために必死だったのだと思えば、かわいいものではないか。
そう自分に言い聞かせて、土曜日はじっと家に引きこもり、休日明けの月曜日。
「加奈せんぱーい! 見ましたよ! 素敵な彼氏! 超イケメン!」
同じようにショッピングセンターでデートをしていたらしい珠美と巽に目撃され、囃され、照れくさそうに頬を赤らめながらも、笑みこぼれている加奈をみて。
真実は自分の不安が取り越し苦労だと、納得した……させた。
しみじみと、加奈は思った。半年前には、ありえなかった光景である。
真実は気付いていないが、実をいうと、斎は部活でも、それほど話をすることはなかった。
口を開けば毒舌ばかり、とは言っても、そもそもその毒舌を披露する機会もない、平穏な状況であった、とも言えるのだけど。
もともと、美術部自体、それほど多弁な人間が多くなかったし、斎の弟の巽の入部で、少し賑やかさが増した程度で、黙々と製作に取り組むことが常だった。
それを別に苦に感じていたわけではないし、むしろそんな穏やかな時間を好んでいたのだけど。
今の状態が、意外と居心地が良いことに、加奈自身驚いている。
真実の入部を不安に思っていたのが、嘘のようである。
それなりにトラブルはあったが、決して真実のせいではない。むしろ、原因は、遠野和矢・美矢の兄妹にあるが、それだって、本人達のせいではない。
転校当初は、華やかな美しい兄妹の動向に注目が集まっていたが、二学期に入り、ようやく落ち着いてきた。
もともと社交的な和矢はともかく、人見知りしがちな美矢も、珠美の存在があってか、クラスに上手くなじめた様子であり、加奈はホッとしていた。
何故か、クラスメートの和矢よりも、むしろ美矢の方が気にかかってしまう。同じ後輩の珠美のことだって、可愛いと思うし、色々世話を焼いてしまうが、美矢に対しては、それだけではない感情……不安というか、焦燥感が付いて回るのだ。
(初めて会った時の印象が強すぎるのかもね……)
転校してきたその日、不良たちに絡まれて、それでも毅然とした態度を崩さなかった美矢が、俊に名前を呼ばれた途端、ぽろぽろと涙をこぼした、あの時の泣き顔が、今も鮮明に思い浮かぶ。
美矢はエキゾチックな容姿も相まって、知らなければともっと年上にみられるかもしれない大人っぽい美人だ。感情を高ぶらせている時は、年相応の少女っぽさもみえるし、どちらかといえばあまり感情を揺らさないように自制していることが多く、和矢に比べると華やかさや艶やかさといった、いわゆる「色っぽさ」は目につかない。
大人っぽい容姿に反して、聖少女、とでも表現したい、雪のような清らかさを醸し出している。
だからなのか、何者にも傷つけさせてはならない、庇護欲なようなものを、加奈は感じてしまう。
小学生のころ、両親に連れられて山深い奥地にある神社に行った時のことを思い出す。神社の裏の、禁足地を示す紙垂の向こうで、ひそやかに咲いていたヤマユリが、心無い観光客に手折られてしまったのだ。峻烈な空気の中に凛として咲いていた美しい花が、無造作に引きちぎられた瞬間、悲鳴をあげたと感じた。
「この奥は、神様の大切な場所だから、決して入ってはいけないんだよ」と教えられたばかりだったこともあるかもしれない。強烈な悲しみと、怨嗟の声が、ヤマユリから聞こえた気がしたのだ。
その声に連鎖するように加奈は大きな悲鳴をあげ、花盗人を指さして泣き叫んだ。その騒ぎを聞きつけた宮司が観光客に注意したが、苦言を呈しただけで終わってしまったことに子供心にも納得がいかず、しばらく紙垂の前で立ち尽くし続けていた。
ここは、自分が守らなくてはならない!
そう、頑なに思い込んで、両親がなだめたり叱りつけたりするのにも耳を貸さず、最後は強引に抱えられて、山を下りた。
両親には、日頃は大人しくて聞き分けのよい子供だったのに、あの時ばかりは駄々をこねて困った、と今でも言われることがある。
加奈自身、自分はそんなに執着心が強い方だとは思えないのだが、美矢に関してだけは、あの時のような「守らなくてはならない」という強い思いと焦りに支配される。
ただ、不思議なのは、そんな思いに囚われるようになったと自覚し始めたのが、文化祭直後だということだ。それ以前に起きた美矢と珠美のつるし上げ騒動の時には、ここまでの強迫感はなかった。文化祭の騒動で被害を受けたのは、俊で、美矢は自分のそばにいたというのに。
もちろん、俊に対しても、二度とあのような被害に遭わないでもらいたいと思うし、そのために和矢や斎、正彦が気を配っていることを感じて、うれしく思う。
けれど、心のどこかで、「でも、大丈夫」という妙な安心感があるのだ。
……メザメハ、チカイ、カラ……。
「三上さん! スマホずっと唸ってるよ? 電話じゃない?」
真実の声掛けにハッとして、加奈の意識が現実に戻る。
「あ、ありがと……」
慌ててスマホを取り出すと、ディスプレイに表示された名前を見て、息をのむ。
『井川英人』
「ちょ、ちょっと電話出てくるね!」
顔を赤らめて美術室を飛び出す加奈の様子に、最近彼氏ができたらしいことを察している部員たちが温かいまなざしで見送る中、真実だけが、複雑な思いで表情を曇らせた。
「……三上さんの彼氏って、うちの高校の人じゃないよね?」
「大学生って聞きましたよ。加奈先輩、美人だし、性格いいし、大人っぽいし。やっぱり相手も大人な、素敵な人なんでしょうねー。加奈先輩があんなにデレちゃうなんて。ああいう加奈先輩も可愛くていいですね」
大人びた先輩の意外な一面から、見知らぬ相手に対しても好意的にとらえている珠美の言葉に、真実は「そうだね」と乾いた声で答える。
「いい人だと、いいね、ホントに……」
真実の脳裏に、黄昏の薄闇に浮かぶ、魔性の笑顔がよぎった。
木工作業室に工具を返してくる、と言い訳しながら、真実は美術室を出た。電話をするなら、美術室横の非常口の周辺だろうと見当をつけて、廊下の窓から外を見まわす。
思った通り、非常口の外で電話をしている加奈を見つけた。夏場で窓は全開になっているので、耳を澄ませば、声が聞こえないこともない。
「……はい……じゃあ、明日、10時に。……駅に着いたら、電話かメールします。……ええ、あそこのパンケーキ、食べてみたかったんです。楽しみです……」
どうやら、明日の土曜日にデートの約束をしたらしい。
パンケーキ、といえば、夏休みに珠美と巽がデートで食べにいって「おいしかったですよー」と自慢していた店だろうか? 市内のショッピングセンターに一年程前に開店したパンケーキ専門店で、開店当時は行列でなかなか入れなかったが、最近は落ち着いてきて、それほど並ばずともよくなってきたらしい。真実も加奈もまだ入ったことがなく、「行ってみたいねえ」「そうね」と話していた。
とすれば、最寄り駅はここから二駅先だ。そこで待っていれば、加奈の相手を確かめることができるかもしれない。
……って、なにデバっていこうとしているのよ、私!
真実は我に返り、そっと窓から離れる。いくら何でも、出しゃばりすぎる。加奈があんなに幸せそうにしているのだ。たとえ、加奈の恋人が、例の彼だったとしても、うまくいっているのなら問題ない。策略的に見えたとしても、一目ぼれした女の子に近づくために必死だったのだと思えば、かわいいものではないか。
そう自分に言い聞かせて、土曜日はじっと家に引きこもり、休日明けの月曜日。
「加奈せんぱーい! 見ましたよ! 素敵な彼氏! 超イケメン!」
同じようにショッピングセンターでデートをしていたらしい珠美と巽に目撃され、囃され、照れくさそうに頬を赤らめながらも、笑みこぼれている加奈をみて。
真実は自分の不安が取り越し苦労だと、納得した……させた。
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