トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第一部 兆しは日出ずる国に瞬く

清見こうじ

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第十二章 哀哭の二重奏

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 徐々に闇を帯びてくる山道を、青のSUV車が登っていく。土曜日だが思ったより道は混雑していない。イルミネーションイベントが開催されて一ヶ月近くなり、オープン当初と一番の集客を見込むクリスマス近辺の丁度狭間の時期であることが幸いしているのかもしれない。
 免許は持っていたが、運転自体は長らくしてこなかった英人は、この車を購入後、何度かこの道を往復していた。勘を取り戻すためと、山道に慣れるためだったが、おかげでスムーズに車を走らせることができている。

 中古車だが型式も走行距離もほとんど新車同様の、いわゆる新古車をタイミングよく見つけた、と加奈には説明したが、実際は新車で購入した。二人で出かける時にも英人全面的に会計を持つことを良しとせず、割り勘を主張する加奈から三回に一回は代金を受け取っている。高校生でアルバイトもしていない加奈に比べて、大学生でアルバイトも可能な(実際には行っていないが)英人の方が金銭的に余裕がある、と説明してもなかなか納得してもらえない。

 先ほど加奈に手渡したネックレスも、あえて有名ブランドものは避け、あまり一般には知られていないブランドのセミオーダーである。インターネットで検索しても名前が出てくることはほとんどない、限られた顧客しか購入できない商品で、加奈が金額を聞いたら絶対に受け取ってもらえないだろう。
 トパーズも小さいが品質の良いインペリアル・トパーズだ。高校生が身に付けるには、やや高級すぎるかもしれないが、様々な災悪から身を守ると言われるこの貴石を加奈には身に付けてもらいたかった。

 英人にそれだけの財力があることを加奈は知らない。ごく普通の、学費は親の金や奨学金で賄いながらアルバイトでいくらかの収入を得ている大学生だと思っている。
 そんな英人の見えない部分を本能的に加奈は察知しているのだろう。先程も見せたような、不安げな表情は、初めてではない。二人で過ごしている最中にも時折見せていた。それも、英人が加奈に対して強い思いを伝える時に多い気がする。逢瀬を重ねて、加奈は少しずつ英人を受け入れて始めているが、未だに完全には気を許していないことは、英人も分かっている。
 決して英人を厭っているわけではない。むしろ、英人への恋慕が高まるほどに、不安が増していることも。それでも、今日はあまりにも強く不安に囚われていたから、つい意地悪な問いかけをしてしまった。けれど、そんな英人の思惑を飛び越えて、身を寄せ、思いを伝えてくれた。分かっていたつもりの内容であったが、加奈の口から聞くことができたことが、例えようもなく嬉しい。
 けれど。
 
『英人がいなくなったらどうしようって、怖くてたまらないの』

 その不安を和らげる言葉を、「いなくならない」という約束を口にすることはできなかった。
 加奈を一生手放したくないという思いは本当だ。一生そばにいたい、という思いも。
 その思いの陰で、加奈の望みは――自分の望みは叶わない、という予感がある。それは、確信と言ってもいいのかもしれない。

 加奈に精神的な負荷をかけないために国産車を選んだが、正解だった。もっとも最近は外車でも右ハンドルも増えているが、たまたま英人の目に叶った車種が左ハンドルばかりだったので、候補から外した。左側の助手席にいる加奈が、左目の視界に常に映っている。左ハンドルだったら、隠している右額の傷が加奈に見えてしまうのではないかと気になって、運転に集中できなかっただろう。
 いつまでも治癒しない額のきず。ことあるごとに疼いて、その度に自らの手で傷つけるから、治らない。そんなことは分かり切っている。けれど、その疵が治ることは、ヤツが許さない。忘れるなというように、疼いては掻きむしり、血を流しては元の疵を思い出させる。もはや、皮膚も変成し、おそらく自然治癒は困難だろう。一生の残る疵。それが、あの男に付けられた烙印スティグマであるかのように。いつまでも自分を捕えて離さない。この疵をつけた相手には、もう直接手を下すことは叶わない。ヤツの復讐は、本当の意味では叶わない。それが分かっているのに。

「あ、あれそうかな?」
 加奈の楽しそうなつぶやきとともに、目の前にチラチラと明かりが映る。辺りはすっかり闇に飲まれ、代わりに誘導灯代わりのイルミネーションが道を飾り、その数が増えてきた。
「もうそろそろみたいね」
 加奈の嬉しそうな声を聴き、英人も穏やかに微笑む。加奈といる時は、ヤツは鳴りを潜めている。気が付いたら、姿を現さなくなった。それは、自分の心が凪いでいるからだろうか? 不安や焦燥はあるが、それすらも喜びとする今の状態は、誰かに守ってもらう必要性を感じていないのだろう。穏やかで、幸せな時間。
 このまま、この時が続けばいい。
 いっそ、このまま、何もかも忘れて。

 …………そんなことは、許されない。
 ……忘れるなんて、許さない。
 
 不意に、蠢きだす、思考。
 
 ……忘れるな、あの日々を。
 ……お前から、イエットを、真矢を、あの男を奪った、アイツらを、許すな。
 ……アイツらを……遠野和矢を、許すな。

 
 でも、今だけは。
 許してほしい、この時間を、愛する女性ひとと過ごす、この刹那ときを。

 ひたすらに願い、その思考を封じ込めるように、英人は強くハンドルを握った。
 イルミネーションに彩られた広い空間へ、青いSUV車は吸い込まれていった。




「そろそろ到着する頃ですかね?」
 集合時間よりも幾分早く到着した駐車場の一角で、防寒着に身を包んだ巽が寒そうに手をこすり合わせる。
「うーん、もうじきみたいですよ。真実先輩からメッセージ来ました」
 スマホをのぞき込み、珠美が皆に伝える。
「大丈夫ですか? 和矢先輩、寒そうですけど」
「……ちょっと油断していた。珠美ちゃんにもらったカイロがなかったら、耐えられなかったかも」
 すぐ近くにある唐沢家から見たら、それほど高い山には見えなかったので、薄手のコートしか羽織ってこなかったが、初冬の山の冷気は、予想以上に身に染みた。

「だから言ったのに。ほら、マフラー」
 そう言って、斎は和矢の首にマフラーを巻き付けた。
「和矢に風邪をひかせるわけにはいかないからな」
「……だったら自分のを渡してくださいよ……」
 問答無用でマフラーを剥ぎ取られた巽が、ぼそっとつぶやく。

「ああ、ゴメン。巽くん……ありがとう・・・・・
 謝りながらも返す気がない和矢の言葉に、巽は苦笑いするしかなかった。
 斎が家に連れてきて様々な情報提供を行った後から、和矢から「遠慮」の二文字が消え、代わりに「小悪魔」の三文字が現れた。と言っても、主に被害に遭うのは巽である、というより、巽だけ、である。
 半年以上正体を隠されていた事実が面白くないらしいが、斎にはうまく言いくるめられてしまい、その腹いせのように巽に八つ当たりする。それも笑顔で、丁寧な言葉とともに当たられるから始末に悪い。斎が和矢をからかう時に「笑顔魔人」と言っていたが、まさにその通りである。美貌の和矢が極上の笑顔で巽に当たるのを、斎も面白がって煽る。でもまあ、正直なところマフラーぐらい構わない。自分に八つ当たりすることで和矢の気が紛れるなら、それも護衛の役割の一環として受け入れるしかない。

 数日の唐沢家滞在を通して、ようやく安定を取り戻した和矢の精神状態は、なるべく維持していきたい。弓子を守っていたつもりが守られていた、という事実は、和矢のアイデンティティの崩壊・クライシスを引き起こしたが、弓子の立場が盤石ではないこと、最終的に弓子を守れるのは和矢なのだと言い聞かせて、なんとか自信を取り戻させた。ただ、その役目を負った斎の手法は、いささか歪んでいたというか……和矢に精神安定剤がわりに巽をおもちゃにする楽しみを覚えさせてしまった。

「もう、巽をイヂめないでください」
 そう言って、珠美が自分のマフラーを外して、半分を巽の首に巻き、もう半分を自分の首に巻きなおす。必然的に二人は体を密着させることになる。
「あーあ、イチャコラして、アツいアツい」
 斎が茶化すと、「先輩達が巽に冷たくするからデス」と珠美が口を尖らせて、ぎゅっと巽の腕に自分のそれを絡ませた。……正直嬉しい。

 茶番のようなやりとりが、和矢の精神衛生向上だけでなく、周囲の油断を誘うための猿芝居であることは分かっているし、珠美が斎の前で殊更に巽とじゃれあうのも、斎への想いの裏返しであることも否めないが。
 それでも、こうして珠美を大っぴらに占有できる立場は、ありがたい。例え、その心が他ならぬ実兄の存在で占められていても。対外的に珠美の恋人は自分で、将来的には伴侶の立場も自分のものである。それで今は満足だ。

 唐沢家の次代は自分が受け継ぐことになっているが、血統からいうと実は珠美の方が本家筋に近い。「唐沢宗家」の総領は、本家分家問わず武芸に優れたものが選ばれてきた。そして、本家の血を色濃く受け継ぐ家の娘を伴侶にして血統をつなげてきている。巽と珠美の関係は、いわば政略結婚の布石なのである。斎も巽も、姓こそ「唐沢」ではあるが、正確には分家だ。本家の屋敷も、個人宅というより宗家の本部という意味合いが強い。もっとも二人の本来の実家も、すぐ近所にあるが。
 最近こそ外からの居住者も増えてきているが、同姓の家で固められた小さな「村」的集合体は、この地方では当たり前のようにある。
 珠美の家は、逆に唐沢姓を名乗らず、定期的に本家から婿を迎え、娘を本家に嫁がせる役目を負ってきた家柄だ。
 斎も巽も、幼いころから本家に出入りし、次代の総領候補として武芸を鍛えられてきた。
 しかし兄である斎は早々と総領候補から外された。単純に武芸の技術は巽と遜色ない。その気になれば独力で和矢の護衛も可能である。むしろ、軍略などを含めた総合力で言ったら、巽を上回るだろう、ゆえに、斎は総領になれない。
 唐沢宗家の総領は、あくまで表の立場なのである。かつては歴史の陰にあった暗殺・護衛を生業とする一族が、時代の趨勢とともに公儀の隠密として取り立てられ、表舞台で名を上げるようになった。しかし本来闇に属する一族は、遠くない未来に表舞台から淘汰されることも予見し、その技と血統をつないでいくために暗躍した。その代の最も優れた者が、陰の、真の総領となり、時代に翻弄されぬよう、用心深く一族を守り抜いてきた。
 もっとも、真の総領にはそんな信念も忠誠もなかったかもしれない。いや、そういう性質の者が多かったのだろう。その者を真の総領に据え、役目を全うさせるために、歴代の宗家関係者は様々な楔を打ち付けてきた。
 斎に対する楔は、その弟の巽である。斎を真の総領に据えるために、表の、唐沢宗家の総領に巽が選ばれたと言っても過言ではない。もちろん、前提条件として総領に値するだけの武芸の技術も見込まれてのことではあるが。
 なので、そのことに巽は引け目を感じていない。むしろ、斎の楔として選ばれるだけの技量が認められたことを、素直に誇りに思う。そのうえ、珠美という伴侶を得る権利も付随してきたのだから。
 幼いころから、ただひたすらに斎を慕ってきた珠美。その心を得ることはできなくても、宗家の総領になればその身を得ることが可能だと、日々研鑽に励んできた。現代にあっても古色蒼然とした唐沢宗家の、家のしきたりを逆手にとって。
 それを姑息だとは思わない。それは、十数年に及ぶ自らの努力の否定である。

「あ、ねえ、あの車かな?」
 すでに日が暮れて暗くなった山道を照らす車のライトを見つけ、珠美が声を上げた。
「いや、色が違う……車種も違うね。弓子さんの車は白いミニバンだから」
 駐車場に入ってきた青い自動車……冬山によく合うSUV車は、近付くことなく駐車場の奥側に向かっていった。

 うん、あれいいな。将来運転免許を取ったら、ああいうクルマが欲しい。

 山道を颯爽と走る車体を想像し、色は黒がいいな、などと夢想して、ちらりと珠美を見る。
 ……その時も、隣には珠美にいてほしい。

 コート越しに確かに感じる珠美の体温ぬくもりを、誰にも渡さない。


 決意を新たにした巽の目に、白いミニバンが近づいてくるのが映った。
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