トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第一部 兆しは日出ずる国に瞬く

清見こうじ

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火種

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「和矢は、まだ日本にとどまるようだね?」

 夕日が差しこむ、僧房の最も奥まった一室。

 豪奢ではないが、手入れの行き届いたテラコッタの壁は、夕日を受けて赤みを増している。その窓辺に腰かけ、部屋の主は、ふとつぶやいた。

 流暢な日本語で言葉を紡ぐ時、それは、主が人払いを望む時。

 心得たように、側仕え達は、席を辞す。残されたのは、この場で主以外に最も日本語に長けた、側近中の側近である、僧形の若い男性のみ。定時よりも早い時刻に呼び出されたのは、この報告を促すためだったのだろう。

「はい。和矢様の意志を汲み、最大限の猶予を求める、と唐沢斎、直々に」
「和矢と同じ年だったね。なかなか良い友を得たようだ」
「友、でございますか?」
「ああ、あの者は、忠誠心では動かないからね。興味関心が持てなければ、即刻送り返して厄介払いしたことだろう。まずは、第一関門突破、というところかな」

「日本一の暗殺者集団の総領の関心、ですか。それが我らに与する条件でしたね。なるほど」
「今は暗殺よりも諜報や護衛が主だというがね。それに、暗殺者集団、は聞こえが悪い。日本では、『隠密おんみつ』とか『忍び』と呼ぶらしいよ。和矢が喜びそうな言葉だね」
「それは、いわゆる『ニンジャ』というものでしたね。今はもう失われた存在だと聞きましたが」
「だからこその『忍び』なんだよ」
「……申し訳ございません。日本語の言い回しはまだまだ難しいものが多くて」

「いいんだよ、サッティヤが覚える必要はない。ああ、でも和矢とこういう、他愛もない話をしたかったな。そうすれば、ここを出て、日本に行きたいなんて、言わなかったかもしれないのに」
「それは、どうでしょうか? 若者は、一度は世間に出てみたいと思うものです」
「はは、まだ君だって、十分若いじゃないか。ムルガンやエイトとそう違わないはずだ。ねえ、フォー?」

「……その名で呼ぶのはおやめください。もう捨てた呼び名です」

「そうだね。そのまま使っているのは、エイトくらいなものか。あの男も芸がないな。何もそのまま名前にしなくてよいものを」
「むしろ、だからなのでは? 我ら『ロスト』にとって、あの頃の呼び名は、忌まわしい思い出でしかありませんから」

「……僕がもう少し早く目覚めていれば、エイトにもあんなツライ思いをさせずに済んだのにね」
「いえ、最初の目覚めで、我らの解放を命じていただけただけでもありがたいことです。そのうえ、わたくしには、新たな名前もいただきました」

「サッティヤーストラ。我ながら、いい名前を付けただろう? アストラよりもサッティヤを通称にすればよかったのに」

「若輩者のわたくしが、真理サッティヤなどと、あまりにもおこがましく……」
 サッティヤは真理、真実を、アストラは、星、光または矢を意味する。
 それを繋げて呼ぶと、サッティヤーストラとなる。
 通称アストラ師の本名である。いや、厳密には本名ではなく、主から与えられた名前。
 以前は四番フォー失われた能力者ロストナンバーズの、四番目の能力者候補の子供。さらにその前の、本来の名前は、すでに分からない。
 もしかしたら、名付け自体、されなかったのかもしれない。
 だから、今のこの名が、主……我が君から与えられたこの名が、本名だと思うことに決めている。

「ところで、どうも西に、不穏な気配があるね。東に西にと、慌ただしいことだ」
「西……『黄昏の薔薇』でございますか? それとも『時計塔の地階』?」
「『地階』、の方かな? どうも、あの団体は昔から落ち着きがない。影にいるよりも、表の名誉を欲しがる者が多いせいかな。……何だか、きな臭いことになりそうだよ」

 ため息をつきながら、軽く瞼を伏せる姿、その精巧で線の細い、だが凛とした佇まいは、老いを知らぬかのように、出会った時のままである。その麗しいかんばせは、愁いを帯びてなお美しく、見る者の心を捕えて離さない。
 日没が近づき、室内はどんどん闇が濃くなる。人払いを解いて、灯りの準備を側仕えに命じなければ……そう思いつつも、その美貌に魅入られるように、アストラ師は身動きできない。
 しかし、どれほどその美麗に花を添えようとも、やはり主の物思いは取り除くべきである。取り除かねばならない。

 全ては、我が君の心の安寧のために。

 アストラ師は――主と同じ意味の名を与えられた、サッティヤーストラは、そう決意する。

 主が心を砕き守ってきた思いを知りもせず、自由を求めて東に旅立っていった二人のアストラ――和矢と美矢に思いをはせる。その身勝手さに、軽い怒り覚え。
 その奥底でジリジリとくすぶる、羨望と嫉妬の火種には、気付くことなく。
 
 ――――日沈む国から、日出ずる国へ、争いの火種が向かう、そう遠くない未来にこの時気付いていたのかどうか……二人の姿は、夕闇に溶けるように、沈んでいった。
 




第一部 完
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