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第一話 彼の物語
1、やあ、はじめまして
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真っ白な壁に囲まれた、正方形の部屋。その一辺だけに強化有機ガラスがはめ込まれていて、そこから部屋の中が監視できるようになっている。部屋の中央に置かれたシンプルな形をした椅子さえも白く、ここに人が住んでいる、だなんて到底思えなかった。
けれどもその潔癖なくらいに美しい部屋の椅子に、やっぱり潔癖そうな真っ白いワンピースを着た少女は座っていた。そんな彼女を、僕は強化有機ガラス越しに眺める。
腰にまで届きそうなほどに長く、ふわふわと軽やかな草原のように淡い金色の髪。透明度の高い湖のように澄んだウォーターグリーンの瞳。誰も踏み込んでいない、降り積もった新雪のように白く、キメの細かい肌。少し厚めの、牡丹のように赤い色の唇。全体的に淡い色に包まれていて、あまり存在感を感じさせない少女だったけれども、その赤い唇は、唯一彼女が生きているのだと実感させてくれるものだった。
きっと、僕が愛というものを知っていたのなら、彼女のその姿を見て、美しいと思えたのだろう。彼女の容姿を自然のものに例えたのも、きっと僕が愛を知らないがゆえのことなのだ。まあ、今の人類に愛なんて知る者はいないのだけれど。
少女はこちらに気付いたのか、振り返ると、僕の目を見て小さく口角を上げた。それは、僕が今までに見たことのない表情だった。いったいなんの感情を示しているのだろうか。僕にはわからない。
「彼女が……?」
そう訊ねると、隣に立つ僕の前任の男は頷いた。
「ああ、そうだ」
無機質な、なんの凹凸もない平坦な声色。べつに、特別なことではない。今の人類はみんな彼のような話し方をする。そして彼は、これからの僕の仕事の内容を説明する。
「それでは、後は頼んだよ」
そう、さして興味もなさそうに言って、説明を終えた彼は去っていった。
残されたのは僕と、白い部屋の中の彼女だけ。今日から、ここが僕の職場となるのだ。僕の仕事は、彼女を管理すること。この白い部屋は、いわば監獄だ。
彼女は、今のこの時代においては、あまりに異質な存在だった。異質な存在であるがゆえに、自由にさせておくわけにはいかない。けれども、少女はこの世界にたったひとりだけの特別な存在だった。特別な存在であるがゆえに、処分してしまうには惜しい。
だから、彼女はこの檻の中に入れられたのだ。生かさず、殺さず。ただこの狭い部屋の中で命が尽きるまで飼われ続けるのだ。
そんな彼女の管理を任されたのが、僕だ。
まあ、管理とは言うものの、その実情は彼女の世話係のようなものなのだろう。
その存在が特別なものだとはいえ、彼女のことを深く研究しようというわけでもない。今の人類にとって、彼女は異分子で、正直に言えばあまり触れたくもない存在なのだから。
強化有機ガラス越しに、何か彼女が言っているのがわかる。ただ、彼女の声はこちら側には届かない。だから、彼女の言葉の内容はわからない。彼女からの言葉なんて、聞く必要もないというのが、彼女をここに閉じ込めることにしたお偉方の判断なのだろう。その決定に、異論はない。僕も、監視対象である彼女の言葉に興味はない。ここに僕がいるのは、あくまで仕事なのだから。
「やあ、初めまして。今日から僕がキミの監視係だ」
向こう側の声はこちら側には届かないけれども、こちら側の声は向う側に届く。食事の連絡等を告げるために設けられた機能なのだという。このなにもない部屋なのだから、食事も勝手に放り込めばいやでも気付くだろうに。偉い人たちの考えることはわからない。前任者からも、この機能を使うことはまったくなかった、と聞かされている。
ただ、折角の機能だし、使わないのももったいないので、彼女への挨拶がてらに使ってみる。それを聞いた少女は、小さく頭を下げて、なにかを言う。また、口角を小さく持ち上げるあの表情。
「すまないが、キミがなにを言っているのかはこちら側には聞こえないんだ。わかったら、もう話してくれなくても結構だ」
それを聞いて、少女は眉尻を下げる。この表情は知っている。今、彼女は悲しんでいるのだろう。今の人類は人の表情を読むのが苦手となってきてはいるものの、彼女は表情が大きく動くので、特に表情を読むのが苦手な僕でもなんとか読み取れる。
また彼女はなにかを言っている。なにを言ってもこちら側には届かないというのに。
けれどもまあ、こちら側には届かないとわかっていてもなお話したいというのなら、勝手にさせておけばいい。僕の仕事は彼女の話を聞くことではないのだから。
その日以降の僕の生活のルーティンは、なんの変哲もない平凡な規則正しいものだった。
毎朝七時にこの場所に来て、七時半に彼女に朝食を与える。そして、その食事が終わればバイタルチェック。その後、十二時半に昼食を与え、十五時ごろに彼女に運動を促す。十八時に夕食を与え、二十一時に消灯。それで僕の勤務は終了、帰宅する。ときどき、彼女が暇をつぶすための本棚の本を定期的に入れ替えることもあるけれども、そう大変なことではない。
勤務時間で言えば十四時間だけれども、実際に僕のすることはほんの数分で済むものばかりなので、実働時間では一時間ほどのものだろう。残りの時間はほとんど暇をつぶすだけだ。自宅からここまでは五分で通える距離だし、自分一人の時間もそれなりに確保はできている。
今の時代、ありとあらゆるものが機械化されているこの世の中で、人がするべきことなんて、ほとんどない。彼女への食事も、ボタン一つで用意され、それを強化有機ガラス付近に置き、別のボタンを押すだけ。バイタルも、常に機械によってモニターされていて、僕はその数値をただ読み取るだけでいい。
正直、この場に僕なんていらないんじゃないか、とも思えるけれども、それを言い出してしまえば、人類の仕事なんて、この世の中から消え去ってしまう。
だから、強引にでも人を配置して仕事を確保しているのだろう。人がその居場所を得るために。
そんなことをしているから、人類は衰退してきているのだろうけど。いや、逆か。人類が衰退してきてしまっているから、そうしなければいけないのか。まあ、そんなことはどうだっていい。僕はただ、僕に与えられた仕事をこなすだけなのだから。
けれどもその潔癖なくらいに美しい部屋の椅子に、やっぱり潔癖そうな真っ白いワンピースを着た少女は座っていた。そんな彼女を、僕は強化有機ガラス越しに眺める。
腰にまで届きそうなほどに長く、ふわふわと軽やかな草原のように淡い金色の髪。透明度の高い湖のように澄んだウォーターグリーンの瞳。誰も踏み込んでいない、降り積もった新雪のように白く、キメの細かい肌。少し厚めの、牡丹のように赤い色の唇。全体的に淡い色に包まれていて、あまり存在感を感じさせない少女だったけれども、その赤い唇は、唯一彼女が生きているのだと実感させてくれるものだった。
きっと、僕が愛というものを知っていたのなら、彼女のその姿を見て、美しいと思えたのだろう。彼女の容姿を自然のものに例えたのも、きっと僕が愛を知らないがゆえのことなのだ。まあ、今の人類に愛なんて知る者はいないのだけれど。
少女はこちらに気付いたのか、振り返ると、僕の目を見て小さく口角を上げた。それは、僕が今までに見たことのない表情だった。いったいなんの感情を示しているのだろうか。僕にはわからない。
「彼女が……?」
そう訊ねると、隣に立つ僕の前任の男は頷いた。
「ああ、そうだ」
無機質な、なんの凹凸もない平坦な声色。べつに、特別なことではない。今の人類はみんな彼のような話し方をする。そして彼は、これからの僕の仕事の内容を説明する。
「それでは、後は頼んだよ」
そう、さして興味もなさそうに言って、説明を終えた彼は去っていった。
残されたのは僕と、白い部屋の中の彼女だけ。今日から、ここが僕の職場となるのだ。僕の仕事は、彼女を管理すること。この白い部屋は、いわば監獄だ。
彼女は、今のこの時代においては、あまりに異質な存在だった。異質な存在であるがゆえに、自由にさせておくわけにはいかない。けれども、少女はこの世界にたったひとりだけの特別な存在だった。特別な存在であるがゆえに、処分してしまうには惜しい。
だから、彼女はこの檻の中に入れられたのだ。生かさず、殺さず。ただこの狭い部屋の中で命が尽きるまで飼われ続けるのだ。
そんな彼女の管理を任されたのが、僕だ。
まあ、管理とは言うものの、その実情は彼女の世話係のようなものなのだろう。
その存在が特別なものだとはいえ、彼女のことを深く研究しようというわけでもない。今の人類にとって、彼女は異分子で、正直に言えばあまり触れたくもない存在なのだから。
強化有機ガラス越しに、何か彼女が言っているのがわかる。ただ、彼女の声はこちら側には届かない。だから、彼女の言葉の内容はわからない。彼女からの言葉なんて、聞く必要もないというのが、彼女をここに閉じ込めることにしたお偉方の判断なのだろう。その決定に、異論はない。僕も、監視対象である彼女の言葉に興味はない。ここに僕がいるのは、あくまで仕事なのだから。
「やあ、初めまして。今日から僕がキミの監視係だ」
向こう側の声はこちら側には届かないけれども、こちら側の声は向う側に届く。食事の連絡等を告げるために設けられた機能なのだという。このなにもない部屋なのだから、食事も勝手に放り込めばいやでも気付くだろうに。偉い人たちの考えることはわからない。前任者からも、この機能を使うことはまったくなかった、と聞かされている。
ただ、折角の機能だし、使わないのももったいないので、彼女への挨拶がてらに使ってみる。それを聞いた少女は、小さく頭を下げて、なにかを言う。また、口角を小さく持ち上げるあの表情。
「すまないが、キミがなにを言っているのかはこちら側には聞こえないんだ。わかったら、もう話してくれなくても結構だ」
それを聞いて、少女は眉尻を下げる。この表情は知っている。今、彼女は悲しんでいるのだろう。今の人類は人の表情を読むのが苦手となってきてはいるものの、彼女は表情が大きく動くので、特に表情を読むのが苦手な僕でもなんとか読み取れる。
また彼女はなにかを言っている。なにを言ってもこちら側には届かないというのに。
けれどもまあ、こちら側には届かないとわかっていてもなお話したいというのなら、勝手にさせておけばいい。僕の仕事は彼女の話を聞くことではないのだから。
その日以降の僕の生活のルーティンは、なんの変哲もない平凡な規則正しいものだった。
毎朝七時にこの場所に来て、七時半に彼女に朝食を与える。そして、その食事が終わればバイタルチェック。その後、十二時半に昼食を与え、十五時ごろに彼女に運動を促す。十八時に夕食を与え、二十一時に消灯。それで僕の勤務は終了、帰宅する。ときどき、彼女が暇をつぶすための本棚の本を定期的に入れ替えることもあるけれども、そう大変なことではない。
勤務時間で言えば十四時間だけれども、実際に僕のすることはほんの数分で済むものばかりなので、実働時間では一時間ほどのものだろう。残りの時間はほとんど暇をつぶすだけだ。自宅からここまでは五分で通える距離だし、自分一人の時間もそれなりに確保はできている。
今の時代、ありとあらゆるものが機械化されているこの世の中で、人がするべきことなんて、ほとんどない。彼女への食事も、ボタン一つで用意され、それを強化有機ガラス付近に置き、別のボタンを押すだけ。バイタルも、常に機械によってモニターされていて、僕はその数値をただ読み取るだけでいい。
正直、この場に僕なんていらないんじゃないか、とも思えるけれども、それを言い出してしまえば、人類の仕事なんて、この世の中から消え去ってしまう。
だから、強引にでも人を配置して仕事を確保しているのだろう。人がその居場所を得るために。
そんなことをしているから、人類は衰退してきているのだろうけど。いや、逆か。人類が衰退してきてしまっているから、そうしなければいけないのか。まあ、そんなことはどうだっていい。僕はただ、僕に与えられた仕事をこなすだけなのだから。
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